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「蕎麦湯味 」著者:てふてふ

 夏は苦手だ。彼を待ちながら西日を恨めしく思う。もう十七時を回っているのに、太陽の余熱で街はまだ明るい。冬ならばこの時間はどっぷりと暗く、寒さで人々は俯いて歩いているのに。はやく暗闇に包まれたい。二人を隠す暗闇の中にいれば安心していられる。
 調布駅の改札を出てすぐの交番近くに佇み、高梨愛純はそんなことを思っていた。東京に住んで二年経つが調布に来るのは初めてだった。なんでも近くに映画の現像所があるらしく、彼はそこに用があった。いつもとは違う街で逢えるというのに、渋谷や新宿よりも疎らな人波に自分の姿が透かされている様で落ち着かない。
 今にも泣きだしたい気持ちになった時、帽子を目深にかぶった見慣れた彼が音もなく現れた。彼の頬がほんの少し緩んで目元が下がったのが分かった。そして「行こうか」と囁いて私の手を引いて歩き出した。
 彼は不思議なほどに光を恐れなかった。どんな場所でも私の手を引いて歩いた。此方が過剰な程に気にしている事にまるで無頓着なのだ。どうしてなのか一度聞いてみた。すると「愛純は俺の彼女だから」と確信に満ちた声で答えた。その言葉を聞いた時、自分の遥か遠くから警笛が聞こえた気がした。
「この人を好きになった事、後悔する日が来るかも知れない」

 二年前十九歳の春、初対面の彼と言葉を交わしてすぐに、ずっと昔からこの人を知っていると感じた。その声、話し方、雰囲気、距離感、全てが懐かしく好もしかった。人見知りが嘘の様に、彼にだけ感じる親近感が最初からあったのだ。とても不思議な経験で、人生の中にこんな瞬間がある事が嬉しくて、彼が妻帯者だということは気にならなかった。 彼は私の進学した専門学校の講師であった。最初は学生数人を交えて食事に行ったり、仕事の話を聞いていたのだが、ある時から私たちは二人きりで逢う様になった。お互いが感じている好もしさを隠しきれなくなったのだ。私が事の重大さに気づいたのは彼との関係が出来上がって半年過ぎた頃だった。彼は親友にも、仕事仲間にも私を彼女として紹介してくれた。「すべて知っていてほしいから」と自宅にも上がらせてもらった。彼の周囲の人々は私たちの関係を知っても嫌悪したり、諭したりすることなく、私は私として受け入れられた。しかし私の周りの反応は違っていた。あからさまに避けたりはしないのだが、どこか余所余所しく、本音で話してくれる友はいなくなった。姉は「あんたにそんな事が出来るとわね」と呆れたような顔をしてそれきりこの話を蒸し返さなかった。一人ぼっちの私にとって彼は先生であり、仕事仲間であり、親友であり、恋人であった。その彼が口にする「嫁」という言葉に身体を火で炙られるような痛みと苦しさを感じる様になった。一度付いた火は瞬く間に黒く燃え広がり全身を焼いた。思考が止まり、彼を疑い、呪い、眠れなくなった。なんとも醜く、惨めで、恐ろしい感情に支配されて初めて自分の選んだ道の暗さに気付いたのだ。それでも彼への想いを断ち切れない弱い自分を嫌いになった。
 
 彼の藍色の古びた愛車に乗って深大寺入口という交差点を右に曲がった。何件か蕎麦屋が連なったその通りは東京だとは思えないほど立派な木々と豊な水に囲まれた場所だった。「こっちに仕事で来るときは寄るんだ。愛純と一緒に食べたくて」と目指す蕎麦屋に入って行った。彼が寄る店ということは美味しい店という事だ。偏食だった愛純は彼に連れられて食事をするようになり、食材の美味に驚くことが何度もあった。今ではほとんど全ての食材を楽しんで食べる事が出来る様になっていた。窓際の席に座ってしばらくすると注文の品が届いた。二人は薄い灰色をした蕎麦を黙々と啜った。蕎麦屋には何組かの客がいたが、蕎麦を食す事が唯一の目的である様に皆一様に無口であった。彼は蕎麦を食べたら必ず蕎麦湯を飲む。愛純も蕎麦湯自体は知っていたが、父親がやっていても真似する気になれなかった。しかし「美味しいよ、飲んでみなよ」と彼に言われ愛純は素直に試してみる事にした。白く濁った白湯の様なそれを汁の中に注ぐ。ふんわりとまるで海辺にでもいるかの様な磯の香りを感じた。ほんのり温かくなった器を持って口に運ぶと、程よい塩味が口一杯に広がる。飲み下すと冷房で冷えた身体の内も外も温かくなった。私の表情が輝いたのだろう、彼はもう一杯、蕎麦湯のみで飲んでみる事をすすめた。香ばしく、食した時よりも蕎麦本来の味を感じる。彼はそこに七味唐辛子を僅かに振って飲んでいた。愛純はこれから先の人生、例え彼と離れてしまっても蕎麦湯を飲む様になるのだろうなと思った。
 店を出ると外の暑さは幾分和らいでいた。「少し歩こうか」と彼が言って私の手を引いた。大きな木々が作る木陰には風が吹いて心地良い。少し広い参道に出ると脇には水路があり、ちょろちょろと流れていく。どこかに滝があるのだろうか、水が落ちて石にあたる音がする。参道の奥に深沙大王堂というお堂があった。「ここは恋愛の神様が祀ってあるんだよ」と彼がふいに口にした。返答に困って俯くと、彼は「お願いしていこう」と手を強く握った。賽銭を投げ入れ目を閉じて手を合わせる。彼は一体何を願っているのだろう、恋愛の神様の前で私たちの何を願うというのだろうか。私たちの想いが叶ってしまえばあの人が傷つくというのに。それとももっと狡く私ともあの人とも別れないで済むように願ったのだろうか。静かなお堂に佇んで、私は私の心が轟轟と荒れ狂う音を聞いた。隣にいる彼にもこの音が聞こえてしまうのではないかと恐怖するくらい、その音は大きく、暗く、醜く私を覆った。私は必死で元の自分に戻ろうと浅い呼吸を繰り返していた。するとどこかでゴーンと時を告げる鐘の音が響き、はっとして我に返った。隣では依然として何事かを願っている彼の横顔がある。とても真剣で少し眉間に皺が寄っている。その姿を見て私は願いたい事が一つだけある事を思い出して目を閉じた。
 世界の全ての影が薄くなり、ぼんやりとしてくる時間帯。何を願ったのか互いに聞かないまま、人通りのない参道をふらりふらりと歩いて行った。鐘の音はまだ響いている。茅葺屋根をした立派な寺の前に来た。浮岳山と書いてあるその寺の門はすでに閉じられていた。門前の店も店じまいしており閑散としている。軒先に吊るしてある風鈴が風とともに揺れて涼しい音色を響かせる。彼の手から伝わる体温が心地良い。「今度は昼来よう」と彼は笑った。

 蕎麦湯を飲みながら高梨愛純は遠い日の記憶が鮮明に思い返せることに驚いていた。この場所で蕎麦湯の楽しみを知ってから十年以上時が流れた。平日とはいえ昼近く、蕎麦屋は混み合っていて騒がしい。そそくさと店を出て歩き出す。木々も水も変わらずに豊かで、十年という月日は自然界にとって瞬間に過ぎないのだろうかと愛純は思った。
あれから三年後、彼は離婚したそうだ。離婚の過程で心の病に罹り、それを見て耐えられなくなった私は自ら身を引くことで彼を護ろうと考えた。だから彼の離婚を知ったのはさらに三年経ってからだった。偶然仕事先で再会して、お互いの近況を話している時だ。互いが特別な存在である事、ずっと想い続けていた事を打ち明け合った。「結婚しよう」彼はそう言って私を抱きしめた。彼との幸せな日々が三年続き、結婚が迫ってきた頃、彼の心の病は再発した。彼は光を恐れ自分を恨み、私を置いて逝ってしまった。
十年前のあの日、彼はここで何を願ったのだろう。深沙大王堂で手を合わせながら、愛純はそんな事を思った。そして自分が何を願ったのかも思い出していた。
「たとえどんな事があろうと、どんな結末になろうと、この人を好きになった事、後悔したくないんです。この人を好きになった事、後悔する日が来ませんように」
 愛純は自分の胸に問いかける。彼を好きになった事、後悔していないかと。最後は彼を失ってしまったのに、それでも悔やまないと言えるのだろうか。愛純は彼を好きにならない別の人生を想像してみる。しかしそれはもはや自分の人生とは言えない味気ない空虚なものであった。

参道は多くの人で賑わっていた。水が石を打つ音も、風鈴の音も今は小さく遠くに感じる。寺の門は開いていた。愛純は人々に交じって門をくぐって行った。

てふてふ(千葉県市原市/34歳/女性/会社員)