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「鉛筆書きのラブレター」著者: 田中

妖怪ぬり壁の形をした消しゴムは、玩具めいた見かけを裏切る性能だった。軽くこすっただけで、あの女の名前は消えてしまったのだ。それでは、私の気持ちがおさまらない。なおも便箋が破れかけるまで名前の跡をこすり続けてから、私はようやく手を止めた。テーブルの向かいに置かれた目玉おやじが、呆れたように私に問うた。
(そんなに、憎いか? その女が)
 憎いですとも、決まっているでしょう。

 亡き夫からあの女へ宛てた手紙を見つけたのは、四十九日も過ぎた時だった。そこには財産の半分を「私を支え続けてくれた」彼女に譲ると書かれていた。
 もう昔の話だが、夫には愛人がいた。私は比較的早い時期から事態を把握していたが、夫を問い詰めることはなかった。心のどこかに、負い目があったのだ。
五歳年上の夫は、私が父の経営する会社に入社した時の上司だった。最初は現場を経験させようというのが父の方針だったけれど、私が社長の一人娘であることは皆が知っていた。誰もが腫れ物をさわるように私に接した。後に夫となる、彼を除いて。
「そんなに目を吊り上げて必死にならないで、たまには外の空気を吸いに行こう」
ある日のランチタイム、彼が私を連れ出したのは会社から徒歩十分にある、深大寺の水生植物園だった。コトコトと、パンプスの踵が木道に柔らかな音を響かせる。湧き水が流れ込む小川や広がる緑に、私は深呼吸をした。表情が緩んでいくことが自分でも分かった。
「人も多くないし、良い所でしょう。会社から近くて、これだけ自然が豊かな場所は貴重ですよ」
 会社でのものとは明らかに違う、丁寧な口ぶりで彼は言った。部下としてではなく社長令嬢として扱われることに、私は嬉しいような淋しいような複雑な気持ちになった。
「実家がすぐ近くなんですよ。私は引っ越してしまったけれど、幼馴染の家が参道で店をやっているので、良く立ち寄ります。あ、昼はそこにする予定です。蕎麦がお嫌いでなければ良いのですが」
 そう言って、彼は一軒の蕎麦屋に私を案内した。蕎麦を運んで来た女性と楽しげにやり取りをする彼を、私は眩しい想いで見つめていた。二人が互いに好意を抱いていることは明らかで、そんな風に自由な恋愛は私には許されないものだったから。
 父が病を得て当初の計画より早くに事業承継が行われた時、私は二十六歳だった。未熟な新社長を案じた父は彼を私の補佐につけた。さらにどんな取引があったのか、私の知らぬ間に、彼は我が家に婿入りすることが決まっていたのだ。喜びよりも反発が強く、私は会社でも家庭でも彼に隔てを置くようになった。夫が幼馴染の彼女を秘書として採用し、さらに親密な関係になったのは、無理のないことだった。
 二年ほどで夫と彼女の関係は終わった。彼女は会社を去って、夫は私の元に戻って来た。以来、薄いなりにも夫婦としての情があったと信じていたのだ。二人の間に子は生まれなかったが、姉の息子を養子に迎え、私たちはぎこちなく家族を始めた。
 それなのに、何という裏切りだろう。

「この年になって、女のことで苦しめられるなんて!」 
手紙を破り捨てようとした私を止めたのは秘書の山田だった。
「先生にご相談してからの方が」
 夫があの女に残した遺言が鉛筆書きであることが問題だった。署名も鉛筆で書いてあるし、日付はないから、それ自体は法的効力を持たない。だが秘書は言った。
「下書きかもしれません。本物があちらの手にあるのなら破り捨てても無意味です。むしろ内容を把握しておいた方が良い。先生にお任せしましょう」
 私は遺言書を引出に戻した。顧問弁護士に相談することもなかった。夫個人の財産など三百万円にも満たなかったのだ。欲しければ、熨斗をつけてくれてやる。どんな態度で乗り込んでくるのか、私はむしろ待ち構えていたのに、あの女から動きはなかった。
ついに痺れを切らして、私は彼女をこの茶屋に呼び出したのだ。

深大寺に足を運ぶのは、夫に連れられて水生植物園に行った時以来だった。そこに彼が想いを寄せる女性がいると知って、どうして近づきたいと思うだろう。夫婦仲が修復されてからも、私たちはこの界隈を避けていた。
小学校の親子遠足で深大寺に行った時、息子に同行したのは夫だった。
「お母さんは、お仕事を休めないの」
息子は頬を膨らませたものの、駄々をこねることなく夫と出かけ、私に土産を買って来てくれた。鬼太郎茶屋で買い求めた妖怪グッズだ。ペンとミニクリップと、消しゴム、クリアファイル。妖怪三昧のステーショナリーを私に押しつけて、息子は胸をはった。
「これなら、お仕事で使えると思って」
「お母さんはもう少し落ち着いた柄が好きだよって、言ってはみたんだけどね」
「だって、こっちの方が可愛いし。ほら、シャーペンは僕とお揃いなの」
 そう聞いて嫌とは言えない。私はもちろん会社で息子のお土産を使った。妖怪模様のクリアファイルに重要書類を入れても笑顔で許されるのは、深大寺界隈ならではだ。

 約束の時間を過ぎても、あの女は現われなかった。ゲゲゲラテを飲んで、ぬり壁の味噌おでんを食べて、さらに追加でソフトクリームを食べてしまっても。
 彼女の実家は知っているから、こちらから乗り込むことはできる。だが、どうして私がそこまでしなければならないのか、考えると腹が立ってならなかった。苛立ちのあまり店内を歩き回っているうちに、息子がくれたのと同じ、ぬり壁の消しゴムを見つけたのだ。
あの女の名前は今や、生温かい消しカスとなってテーブルに転がっていた。
「憎いですとも」
 私は目玉おやじに向かって、今度は声に出して答えた。夫の心を奪っていったことも、取るに足らない相手であるかのように私を無視することも、何もかも。
 私は再び消しゴムを手にして、便箋の続きを消しにかかった。けれど、手は止まった。
下書きにしては、この手紙は美しすぎる。削除したり書き足した後はなく、消しゴムをかけた後もないのだ。全体のバランスも整っていて、跳ねも払いもしっかりと、心の籠められた美しい文字が綴られている。
 私は夫の書く文字が好きだった。お手本通りで面白味はないかもしれない。けれど、読む人のことを思う優しい字だった。思えば、その人柄通りの文字を、あの人は書いた。
「優しい人だったのよ」
 私は囁いた。
 気弱で流されやすい人だったが、争うことを好まなかった。お飾りの専務であることは本人も承知していたが、それで卑屈になることもなく、常に周囲を立てていた。息子を愛し、少なくとも彼に対してはいつでも誠実だった。
 亡き人はこうして美化されていくのか、私はいつの間にか、夫と過ごした日々のうち、良い思い出ばかりを数えていた。
 鉛筆書きの遺言書を前にして、私は二つのことを考えた。
夫は確かに一度、愛人に対する遺言をしたためた。だが正式な物を彼女に残すことはなかったのかもしれない。そうであれば、夫は確かに私の元に戻って来たのだ。
 それとも、やはりこの手紙は下書きで、正式な遺言は愛人の手に渡されているのかもしれない。けれど夫が愛した人は、その権利を行使しなかった。
 答を知る人が現われる気配はない。
 この手紙が後に何かの火種になってはいけない。全部、消してしまおう。そう思うのに、手は動かなかった。たとえ他の誰かに宛てたものであっても、夫が残した文字を消し去ることはできない。涙が一粒、また一粒と、手紙に落ちた。決して滲むことない文字の上に。
 気が済むまで泣くと、私は湿ってしまった恋文をきちんと畳んでバッグにしまった。ハンカチで目元を抑え、見苦しくない程度に装いを整えると店員を呼ぶ。
「目玉おやじの白玉ぜんざいを下さいな」
 腹をたてたり泣いたりしたら、お腹が減ってしまったわ。つぶやけば、テーブルの向こうで目玉おやじが、腹の底から愉快そうに笑った。

田中(東京都国分寺市/47歳/会社員)