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「紅い色した粒々の」著者: 匿名希望

「なあ、槙野たちどこ行ったんだよ」
 辺りをゆらゆら見回しながら、城戸くんがそう呟く。
「だからぁ、もう、こないだ言ったじゃん! 覚えてないの?」
 十一月半ばの神代植物公園は、秋のバラのシーズンこそ少し過ぎてしまったけれど、楓やニシキギがそこここで紅く色付き、沢山の来園客を楽しませている。少し雲が多めの穏やかな午後の空は、木々の影の輪郭を充分に淡くして砂利道に滲ませていた。
「あのね、だから、佐和ちゃんと槙野くんは、ウチらと別行動するんだってば」
 私は城戸くんの身体を近くの休憩所の陰まで引っ張っていくと、そう口を尖らせた。

 今回の秋の遠足は、佐和ちゃんにとっては『アタシの人生総決算☆最重要最大級イベント!』なんだそうだ(本人談)。
「ほら、アタシって、私立の女子中を受けるじゃない? やっぱさ、そっからカレシ作んのは厳しいかもって思うわけ。アタシ的には、この遠足で槙野くんとちょっとイイ感じになっときたい、みたいな? ね、午前中見るお寺はクラスごとだけど、午後は班行動で植物公園まわれるみたいだし、良さげじゃない? お願いお願い、協力して。何でもするから! Vietteのメロンパフェおごる。シアレのクレープでも可」
 そう言いながら両手を合わせて小首をかしげる佐和ちゃんの整った顔立ちは、これまでの人生ほとんどの場面で自分の思い通りになってきたであろうヒト特有の根拠のない自信と確信に満ちていて、私としても思わず頷かざるを得なかったのだった。
「……満月屋の大福なら」

「へー、じゃあ佐和は槙野にコクんのか、へー」
 まぁ、そうだけどさ、と私は口の中でモゴモゴと呟く。私たちは、何を見るでもなくただ園内をダラダラうろついていた。
「なんかそんな簡単に言わないでよ、佐和ちゃん本気なんだから……。あ、言うまでもないけど、これ絶対誰にもナイショ案件だからね」
「言わねーよ、どうでもいいし、なんかでも女子ってスゲーなあ。ついていけねーよ」
 佐和ちゃんは、遠足の班決めの際にもぬかりはなく、男女で別れ二人づつのペアを組んだ後にくじ引きで四人の班を作るという方法を学級委員の金子さんから事前に聞き出すと、手作りのビーズアクセサリー三つで彼女を凋落し、くじ引きで不正な操作をさせ、槙野くんと同じ班になるという狙い通りの結果を手に入れたのだった。
「でも槙野ってそんな良いかあ? サッカーはうまいけどさ、鼻クソ食うよあいつ。俺、見たもん」
「やめてよ! ていうかそれ、絶ッ対、佐和ちゃんに言うなよ」
「だから言わねーって」
「ていうかそんなん言うなら、城戸くんはなんで槙野くんとペア組んだのよ」
「だって席近かったし。別に仲悪くもないし、そもそも遠足なんて誰とでも良いし」
「なにそれ」
 頭の上には紅葉が枝いっぱいに広がっているのに、私はなんだかちっとも景色に集中できなくて、ひどく損をしているような気分になった。すぐ横で、父親に肩車された男の子が、楓の葉に向かって両手をいっぱいに伸ばしている。燃えてるみたぁい、とはしゃぐ声が聞こえてくる。こんな間近で紅葉を見たのはきっと初めてなのだろう。
 少し前を歩く城戸くんの背には、家庭科の授業で作った(作らされた)ダサいナップザックが揺れている。まあ、私の背にもほぼ同じものがあるからそれは良いんだけど。佐和ちゃんは確か、何処に売ってるのかもわからないオシャレで小振りな可愛いレザーリュックを下げていた。お弁当になんて、海老とサーモンの生春巻きが入っていたのだ!
「……カレシかぁ」
 思わずこぼれた私の声に、城戸くんが振り返る。
「なんでもない」
 んだよ、と呟きながら前を向いた城戸くんの背中を、私はもう一度じろじろと見つめた。
 カレシかぁ。カノジョねぇ。コクる。付き合う。うーん。
 佐和ちゃんはごく当たり前のように言ってたけど、私はわかったように頷いてただけで本当は全然ピンと来てなかった。マンガとかではいっつも読んでるけど、それが自分の身におこるかもなんて、まるっきり想像も出来ない。だいたい佐和ちゃんは、年の離れたお姉さんがいるからか、いっつも何かと早いのだ。例えば、先生にバレないような透明のマニキュアを最初に塗ってきたのも、細いゴムにビーズをどんどん通して可愛い髪留めを作ったのも、全部佐和ちゃんが最初だった。結局、私には向いてないんだろう。こーゆー話は向いてない。ひとりっ子だしね。いや関係ないか。

 それから、時間は起伏なく過ぎていった。コンクリートの間をたらたら流れる人工の川みたいに。城戸くんは、皆がスマートフォンを向けているような派手な花をスルーしたかと思えば、道端の看板をじっと眺めたりしていた。
「へー、楓ってもともとカエルの手って意味なのか。風流なイメージあったのに意外だな」
 気付けばいつの間にか、空はもう薄暗くなり始めている。周囲の来園客もすっかりまばらになり、私は池の柵に寄りかかりながら、左手首の腕時計に目をやった。
「そろそろ集合時間だねえ」
 集合場所は確か、公園の正門前の広場だ。私たちは並んでゆっくりと歩き始めた。
「佐和ちゃんたち、うまくいったのかなァ」
 城戸くんは何も言わず、池に流れ込む小川のほとりで揺れる山野草を眺めている。
「……なんか、ごめんね、今日」
 自分の口から自覚なく飛び出した言葉に、自分で少しびっくりした。
「なんだよ今更」
「あ、いや……だって、せっかくの遠足なのに、勝手な都合でこんな」
「それはお前も一緒じゃん」
「え」
 確かに言われてみればそうだな、と思った。そりゃ大福はおごってもらったワケだけど。佐和ちゃんはなんていうか、もちろん嫌いじゃあないけど、やっぱ強引は強引なのよね、自己中っていうかさ。だいたい運動会の時だって、佐和ちゃんが……。
「おい、あれ見てみろよ」
 急に城戸くんに声をかけられて、私はハッと顔を上げた。
 道の向こうで、大きな木が、燃えていた。
 いや、そう見えたのは一瞬だけだった。遠く分厚い雲の切れ間から、沈みかけた夕陽がわずかに顔を覗かせ、それが私たちの視線の先のモミの木だけを、ちょうど照らしていたのだ。紅い光は、枝や葉、ひとつひとつの輪郭を粒のように輝かせて揺れている。
「今あれ見えてるの、俺たちだけだな」
 私は思わず城戸くんを見た。横顔は、まっすぐ前を向いている。その瞳には紅い光が映り込んで、同じように輝いて揺れている。私は視線を左右に忙しく動かした。
 何かが胸の奥でシュワシュワ鳴っている。理科の実験みたいに。そういえば、今日一日は、放っておかれた割にはそうつまらなくはなかったな、と何故か急に思った。
「おーいっ!」
 突然佐和ちゃんの声が耳に飛び込んできて、私は我に返った。慌ててそちらへ目を向けると、遠くで佐和ちゃんと槙野くんが手を振っている。え、ていうか、待って、あの二人手ぇ繋いでない? え、てことは、てことはーっ?
 私はなんだか居ても立っても居られなくなって、二人に向かって手を振りながら走り出した。おい待てよ、という声には、振り返らなかった。
 胸の奥で音を立てて沸き上がる何かは、ハァハァ吐く息と身体の動きに合わせてぷちぷちと弾け、全身に広がっていくのがわかった。
 あぁもう、ダメだよ、私こーゆーのは向いてない。向いてないんだってば。
 空の端にはまだ、わずかに残っている色がある。
 私の身体の内側で弾けているものも、きっと同じ色をしていると思った。

匿名 希望(東京都多摩市/34歳/男性/会社員)