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「桜の娘ら、咲うまで」著者: 雪野銀

 暗いカーテンの隙間から弱い朝日が漏れている。新聞配達人のバイクの音が聞こえる。御園は結局一睡もできずに、仕方なく体を起こした。万年床になっている湿った布団を今朝はきちんとたたんだ。山盛りになった吸殻を片づけ、無精ひげをきれいにあたった。くたびれたうぐいす色の作業着に袖を通しながら、今日やるべき仕事についてまた考えた。考えながら狭い畳の部屋を行きつ戻りつした。お茶漬けだけの簡単な朝食を済ませ、仏壇に手を合わせた。部屋を出ると外はまだ肌寒く、花曇りの一日になりそうな空だった。
御園は結婚して調布の多摩川沿いに家を建てたが妻に早く先立たれ、今は深大寺のアパートでひとり気ままな生活を送っている。週に三日、神代植物公園でボランティアの仕事をしている。定年まで職員として勤めていた御園にとって、園内の樹木や草花は自分の庭のものであるかのように隅々まで知り尽くしていた。
三月のはじめ、まだ硬く小さかった桜のつぼみがようやく膨らみ始めたころ、神代植物公園にある依頼がきた。近隣の幼稚園からで、ジンダイアケボノの苗木を十本注文したいという内容だった。今年で創立五十周年を迎えるため記念の植樹をする、と書かれている。「ふたば幼稚園園長 金田 泉」ファクス用紙の文末はそう結ばれていた。御園は衝撃を受けた。決して忘れることのできない名だった。喜び、不安、期待、ためらい、恥じらい、当時を懐かしむ気持ちにいくつもの感情が混じり合って渦を巻き、御園に迫ってきた。
ジンダイアケボノは神代植物公園で生まれた桜である。アメリカに渡ったソメイヨシノと現地の別種の桜との交雑でできた品種を神代植物公園で接ぎ木して育てたところ、白い花のソメイヨシノとは異なる赤みがかった花を咲かせた。二十五年前、一九九一年に新品種として登録された。ソメイヨシノはてんぐ巣病などの病気に弱いため、「日本桜苗木の会」は苗木の生産・販売を中止し、代わりに母木に外観が似ていて病気に強いジンダイアケボノを推奨している。神代植物公園では春と秋に苗木の即売会を行っていて、春は桜の苗木も扱う。御園は関係業者に掛け合って、なんとかジンダイアケボノの苗木を十本確保することができた。
 三月下旬、苗木を納品する日、幼稚園側から取りに来ると電話で連絡があった。御園はいろいろと思いを巡らせていたが、やはり自ら納品することにした。ボランティアの仕事は正午までに終わらせた。午後、苗木を積んだ二トントラックが静かに発進した。幼稚園へ向かう車内で、御園は二十五年前のことを思い出していた。
二十五前、当時園芸担当だった御園は、幼稚園からお散歩でくる園児たちの案内係をしばしば務めた。彼らの付き添いの先生としてやってきたのが、金田泉だった。御園は妻を病気で亡くした直後で、自暴自棄になり酒の量も増え、家に帰らないこともあった。妻との思い出が詰まった家に帰るのは辛かった。十歳になる娘を心配して、妻の実家の両親が娘を引き取りにきたのが最後、娘とはずっと会っていない。その後、御園は調布の一軒家を売って深大寺のアパートに引っ越した。黒い小さな仏壇だけを持っていき、残りの家財道具などは皆捨ててしまった。金田は園児たちとお散歩にくるときは、必ず御園を案内役に指名した。園児たちを休憩させている間、御園の横に立って話をした。幼稚園の畑でさつまいもを育てているが、生育が悪くどうしたらよいかとか、鉢植えのチューリップの管理方法とか、御園の専門分野である植物関連の話や当たり障りのない話が多かった。御園はそれらの質問にひとつひとつ真摯に答え、ふたりの間にはプライベートな話題も次第に増えていった。深大寺へお参りに行ったことや好きなそば屋、流行りのスイーツについて。ごくごく短い会話ではあったが、金田との語らいのひとときは何物にも代え難い大切な時間だった。御園は子供たちと触れ合うことで癒され、金田との世間話に安らぎを覚えた。彼らが去っていくとひとり取り残されたように感じ、次はいつ来るかと心待ちにした。 
 御園は金田に少なからず好意を寄せていた。たれ目ぎみの大きな瞳と長い睫毛、黒く艶やかな長い髪、それに何よりも優しい声に惹かれていた。けれど彼女の左手の薬指には小さな石のついた可愛らしい指輪がはめられていたし、自分は彼女よりひと回りもしくはふた回りも年上で、しかも子供もいるという身の上でこの先どうこうと考えたことはなかった。そんな状態が一年ほど続いたが、あるときから金田はぱったりと来なくなった。幼稚園を辞めたのか、子供でもできたのかなと思っていたが、御園から連絡をとることもできなかった。ふたば幼稚園の園児たちは相変わらず散歩にきていたが、他の保育士たちは御園を特に指名はしなかったし、なんとなくそのままになってしまった。後になって、幼稚園を辞めてどこかへ引っ越したと噂で聞いたのだった。
 幼稚園に着いてすぐ、インターホンで要件を伝えると、ドアの鍵が外される音が聞こえ、中から人が出てきた。御園は二十五年前の金田泉の顔を思い出そうとし、今どんな園長さんになっているかと想像を膨らませた。
「園長先生はお亡くなりになりました」
 え? 受付の女性の言葉の意味を御園はすぐには理解できなかった。口を開けたまま放心状態でしばらく動けずにいた。園長はジンダイアケボノを注文した日から一週間後に心筋梗塞で急逝した、と女性は事務的に言った。
 御園は支持されるまま、ジンダイアケボノの苗木をひとつひとつ植えていった。元は正門の脇にソメイヨシノが二本植えられていたが、病気にかかり仕方なく切ったのだと保育士のひとりから聞いた。保育士や用務員たちも手伝って、肥料や土を被せる作業を進めた。園児たちがシャベルを持って順番に土をかけていく。御園は後方から子供たちの様子をぼんやりと眺めていた。植えられた苗木に最後に皆で水やりをして、植樹作業は終わった。
「御園さん、今日はありがとうございました」
ピロティに停めてあるトラックに乗ろうとすると、顔見知りの保育士たちが声をかけた。それからひとりの女性を呼んだ。御園はふと既視感のようなものを覚えた。大きな瞳で…たれ目がちで…。
「あ、御園さん…?」
「あなた、金田さんの…」
「はい、娘です。私はもう金田ではないんですけど…」
彼女の後ろに小さなおかっぱ頭がちょこんと見えた。母親の足にしがみついている。
「あの、この度は、その…何と言っていいか」
「いえ、こちらこそ…、なにか…申し訳ありません。依頼だけして、勝手にひとりで逝ってしまって…。母は、本当に御園さんに会いたがっていたんですよ」
 彼女は、急なことで母の死をまだ完全に受け入れられている訳ではない、とうつむいた。金田泉は結婚した後、夫とともに仙台に引っ越したが、出産後まもなく離婚して実家の九州に帰っていた。前の園長から後を継いでほしいと依頼があって、つい最近深大寺に戻ってきたのだと時折口ごもりながら、娘は母親について語った。
「うちの父と母、結婚前からいろいろあったみたいで、御園さんによく話を聴いてもらったといつも話していました」
「いえ、聴いてもらったのは私の方です」
‐御園さん…、素敵なお名前ですね、とても…似合ってる。どこからか声が聞こえた。初めて会ったときの金田泉のことばだった。あのときのほほ笑みひとつで、もう彼女に心を許していたのかもしれない。ふたりで語り合ったあの穏やかな日はもう二度とこないのだと思うと、あの優しい声をもう聞くことはできないのだと思うと、自分ひとりが果てしない宇宙空間に永遠に漂っているような、両脚が宙に浮くような異様な感覚に襲われた。
「御園さん、また遊びにいらしてくださいね。この子も、こちらの幼稚園に四月から入るんです。ジンダイアケボノも無事に大きく育ってほしいし」
「そう…ですね…」
 そうですね。自らを奮い立たせるように心の中で同じことばを繰り返した。泥のこびりついた黒い長靴の先にぐっと力を込めて地面を踏みしめた。苗木を植えただけで仕事は終わりではない。この苗木たちが立派な桜に成長するまで見守り育てることが仕事なんだ。金田さんの娘や孫たちが生きていく。ソメイヨシノの娘、ジンダイアケボノがその命を繋いでいく。その美しい尊い命を支えるひとりに、私は、なることはできるかもしれない。
御園はそっと目を閉じ、思い描いた。幼稚園の園庭の周りにコの字型に植えられた桜が満開に咲いているところを。淡いピンク色の空の下、園児たちが笑いながら駆け回っている。暖かな春の風に呼応するようにサワサワと揺れながら、十本のジンダイアケボノたちが咲う。
辺りは甘やかな香りに包まれている。

雪野 銀(東京都)