「ほおずきを透かして」著者:梶山志緒里
山門へと続く参道は、ほおずきの実の、燃えるようなだいだい色と、葉の、うんと生命力の濃い緑色の、きっぱりしたコントラストで彩られていた。ほおずき売りだけではなく、ヨーヨー釣りや金魚すくいの屋台も並び、浴衣を着た子ども達がぐるっと、物欲しそうにしゃがみ込んでいて、そのうちの一人が水に指をつけたのだろう、店主にこっぴどく叱られている。ちょっとした列ができているのは、鬼り子うちわ、という看板が掲げられたテントで、お坊さんが二人、木でできた団扇に筆で何やらしたためていて、説明書きによると、開運、といった文字を書いてもらえるらしい、後で寄ってみようとその場を離れると、隣の土産屋の店先にさげてある風鈴が一斉に鳴って、その音に驚いたのか、母親に抱かれた赤ん坊がぎゃあっと泣き出した。屋台といい、老若男女のはしゃいだ声、軽い足取りといい、どこまでもお祭りめいていて――というより、正真正銘のお祭りなのだけれど――一人で来たことを心細く感じなくもない。思えば、今日が私にとって人生ではじめてのほおずき市なのだった。関西で生まれ育ったせいか、ほおずき市なんて聞いたこともなかったし、ほおずきという植物そのものにも縁のない生活を送ってきた。行ってみたい、と思いつつも上京して四年間、一度も行ったことがなかったのは、大学のレポートやテストの準備で忙しい七月上旬、気が付いたらほおずき市が終わっているからで、今年も行きそこなってしまった、という話をしたのが先週の金曜日。深大寺ならまだ終わってないですよ。から揚げにレモンを絞りながら、先生は言った。ジンダイジ? ほら、あのゲゲゲの女房の。知らない? そこでようやく私は、ジンダイジが深大寺だということに気が付いた。ほおずき市はなにも浅草だけで行われているものではなかったのである。ちょうど、来週末の三日間やってるよ。それで行ってみることにしたのだった。
ほおずきの鉢植えはかごに入れられ、テントから吊り下げられたり地面にじかに置かれたりしていた。店の端の、往来のじゃまにならない空間を見つけ出し、しゃがみ込んでほおずきを眺めた。間近で見てもぷっくらとして愛らしく、ついつつきたくなるそのフォルムは、ずっと抱いてきた「ほおずき」のイメージそのまんまの姿で、みずみずしく、ちゃんと植物していた。ちゃんと植物している、というのはおかしな表現だけれど、写真で見たあの「透かしほおずき」は、人工物めいていてとても植物には見えなかった。
「これ、本物?」携帯画面の中の、透かしほおずきを食い入るように見つめる私を、本物じゃないってどういうこと、と先生は笑った。
ほおずきをね、水に浸すの、こんな風に。先生は画面をスクロールし、もう一枚の写真を見せた。なみなみと水の注がれた背の高い花瓶に枝付きのほおずきが沈められており、なんともいえず涼しげだった。このまま、何週間か置いておくとああなるんだよ。
「それだけであんなふうに?」もう一度見たい、とせがむと、再び透かしほおずきの写真にしてくれた。もちろん、二、三日置きに水は替えるよ。そうしないと臭くなるから。外側を腐らせているわけだから、においが出るのは当たり前なんだけど。
もともとだいだい色だった実は葉脈を残して消え去り、それなのになかの実――本物の実――はつやつやと輝いている。白く変色した葉脈は、骨のようにも檻のようにも見えた。それはとても美しいのだけれど、同時に、残酷なような気もするのだった。
「お嬢さん、どう」
威勢のいい声にはっとして見上げると、五十代くらいの女性がこちらをのぞき込んでいた。商売人らしい人なつこい笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。ずっとしゃがみ込んでいたせいか、頭が少しクラッとした。
「ほおずき、かわいいですね」
ゆっくり息を吐き出すようにして立ち上がる。どれもかわいいので迷ってしまって、とお世辞を言う自分を遠く感じた。
しかし、売り子の女性はぱっと顔を輝かせた。
「ありがとう! 嬉しい!」
私が喜んでもねえ、しょうがないんだけど、やっぱり育てたものが褒められるのはうれしいものね。ほおずき祭りは毎年来るの? 初めて? そう、このお祭りはそれほど大きな祭りってわけじゃないけど、いいでしょう、活気があって。孫も楽しみにしてて。さっきもあいさつに来てくれたのよ。この前まで赤ん坊だったのにもう走り回ってるのがうそみたい。落ち着きのない子なんだけど元気が一番だと私は思うの。そう思わない? ごめんなさいね、私ばっかりこんな喋っちゃって。お嬢さんは、一人で来たの? 若い人が一人でほおずき買うなんてめずらしいけど、おつかい? それともこれからデートとか? 期待のこもったまなざしを向けられ、私はうつむきながら答えた。
「透かしほおずきを、作ってみたくて」
?つき、という声がすぐそばでしたような気がし、弾かれたように女性を見たが、そう言ったのが彼女ではないのは明らかだった。血が一気に引くのが分かった。女性は私の異変に気づかないようだった。
そうなの! それは感心ね、じゃあ枝ほおずきね。いいのを選んであげる、ちょっと待ってて。店先に立てかけてあった枝ほおずきの中からすばやく一本を抜き取り、ビニール袋に入れた。
「まあ、いいのを選ぶって言っても、うちの子はどれもかわいいけどね」
茶目っ気たっぷりにそう付け加え、八百円に負けたげる、と差し出す。足元がふらつき、なんとか財布から千円札を抜き出すと、そのまま押し付けて踵を返した。
「透かしほおずき、先生が作ったんですか?」聞くと、先生はほほ笑んだ。客は大学生ばかりの薄暗く騒がしい居酒屋で、そこだけが清潔なように思われる笑みだった。その笑みを見る前から、このあと先生が何を言うのかが分かっていた。そして、それは当たっていた。
「パートナーがね、作るんだ」毎年、深大寺のほおずき祭りに出かけて。僕はほおずきを選ぶだけ。さっきの写真は去年のやつ。
先生は事実婚らしい、というのはゼミの学生ならばみな知っていることだった。らしい、というのは、先生との会話の端々からみなで勝手に推測した事実に過ぎないからで、なんとなく、先生には直接プライベートの話を聞けない雰囲気があった。それは、三十代にも四十代にも見える容姿がそうさせるのかもしれなかった。先生自身も進んで私生活を明かすことはなかったが、長期休暇中に何をして過ごしたか、というような話題でたまに現れるそのひとのことを、先生は、必ず、パートナーと呼んだ。
髪の短い、華奢なひとが、流しでほおずきの水を替えている。顔のあたりにはひかりが射し込んでいてよく見えない。隣には先生がいて、先生の表情もまたひかりのせいで見えなくて、けれども、二人ともとても満ち足りているのは伝わってくるのだったが、そもそも髪の短い、というのも、華奢な、というのも私の妄想に過ぎないのだった。ただ、先生の発音する〈パートナー〉というひびきからそう想像したのだった。
参道を抜け境内に入ると、人はまばらになった。ひんやりとした静かさがありがたかった。むちゃくちゃに歩いたせいで、慣れないヒールを履いた足が、ひりひりと痛んだ。
しょうもない、と思った。
食い入るように見ていたのは、透かしほおずきではない。一緒に写り込んでいた小さな多肉植物や、ガラス製の鳥の置物、写真立て、キーケース、電気料金の請求書、そういった先生とパートナーの生活の欠片を盗み見ていたのだ。今日だって、ほおずきは口実に過ぎない。先生にばったり会えるかもしれない、パートナーを見ることができるかもしれない、そんなことばかり考えていたくせに、本当に会う勇気はなくて、ほおずき祭りが開催される三日間のうち、どの日のどの時間帯に来るのかは聞かなかったのだ。
手に提げたビニール袋の隙間から、枝ほおずきが遠慮がちにのぞいていた。うちの子はどれもかわいい、といった声を思い出し、胸が痛んだ。
枝ほおずきを袋から取り出し、とりわけ色鮮やかな実の一つに触れてみる。思っていたよりずっとやわらかくて、簡単に潰れてしまいそうだった。その実を、注意深く枝から切り離すと、ほとんど沈みかけた陽のひかりに、透かして見た。
本物の実、がなかにあるのかどうかは、私には分からなかった。
梶山 志緒里(東京都杉並区/25歳/女性/学生)