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<第1回応募作品>『らぶひこうき』

「あーあ、つまんない」
 真希子は両手で頬杖をつくと、ぼんやりと窓の外を眺めた。いつもなら、同じクラスの仲良しメンバーで一緒に勉強するのに、ここ最近、真希子は学校が終わるとすぐに帰宅し、たった一人で受験勉強をしている。だって最近、美雪ちゃんは坂野くんと、さっちんは山田くんと。そんでもって、タカちゃんは広野くんと付き合いだしたから。公立高の受験が終われば、中学はすぐに卒業。どうせみんなバラバラになるのだからと、最近クラスのあちこちでカップルが誕生しているのだ。真希子はというと、カップルどころか好きな人すらいない。”好き”という感覚が、まだよくわからない。
「あーあ、つまんないなぁ」
 ”つまらない”を二度繰り返したところで、「ちょっと真希ちゃん」という台所からの母の呼び声に、現実に引き戻された。二階の自室から一階の台所に降りてみると、母は大きな白いタッパに漬け物を詰めている真っ最中だった。
「これ、おそば屋の由美子おばちゃんのところに届けてちょうだい」
「えー、あたし受験生だよ?。受験を一週間後に控えた娘にそんなこと頼む? ふつー」
「どうせ、勉強なんてしてないんでしょ? ま、息抜きにいいじゃない。おばちゃんのお店、これがないと大変なのよ」
 だったら自分で届けりゃいいじゃん、という言葉をごくりと飲み込んで、真希子はしぶしぶ母親から漬け物がいっぱいに詰まった重たいタッパを受け取ると、自転車の荷台に積み込んだ。そして勢い良くペダルをこぎ出す。
 由美子おばちゃんは、調布の『深大寺』の門前で、そば屋を営んでいる。真希子の母親の漬け物は、そこでそばの添え物として客に出される。
 三鷹に住む真希子の家から、『深大寺』までは自転車でおよそ十五分。途中森のような植物園を抜けると、甘味処やそば屋の並ぶ街道に出る。その中の一軒が、由美子おばちゃんの店だ。
 もう三月になろうというのに、ぴゅーっと吹き付ける風は、まだまだ冷たい。コートを着て、自転車には手袋も欠かせない。
 由美子おばちゃんの店の前に自転車を止めると、真希子は「よいしょ」とタッパを持ち上げ、店の中に入った。
「こんにちはー」
 お客さんの邪魔にならないように、店内をスルスルと抜けると、直接厨房に向かって声をかける。すると奥から「あらあら」とエプロンで濡れた手を拭きながら、由美子おばちゃんが出てきた。
「あの、これ。お母さんから頼まれて」
「悪いわねー、真希ちゃんもうすぐ受験なのに」
 わかってるなら、頼まないで……と思ったけれど、ここはにこやかに「いいえー」と答えておく。
「そうそう、真希ちゃん。あなたここにはしょっちゅう来てるけど、『深大寺』の本堂はお参りしたことある?」
「いえ、ないですけど……」
 そういえば、そうだ。由美子おばちゃんの店へは、もう何度も来ているけれど、いつもここ止まりだ。この店を出て、自転車をUターンさせて、来た道をそっくりそのまま戻っていくだけ。このすぐ先にある『深大寺』には、まだ一度もお参りをしたことがなかった。「あらー、じゃあ、一度ちゃんとお参りしてみたら? 学業成就ではないみたいだけれど、縁結びの神様なのよ。ほら、真希ちゃんも春から高校生なんだし、ね?」
 由美子おばちゃんは、意味深な笑みを浮かべながら、特に後半を強調した。
 真希子は「あはは……」と空笑いをしつつも、おばちゃんの店を出ると、自転車は店の前に置いたまま、『深大寺』の山門をくぐった。財布を見ると丁度五円玉が一枚あったので、賽銭箱にチャリンと放り込む。何をお願いしようかと迷ったけれど、学問の神様でないのであれば、やはりあれなんだろうか……。由美子おばちゃんが言っていた縁結び……。正直真希子はまだ人を好きなったことがなかった。”つき合う”ということに関してもよくわかっていない。でも、ここでお参りすれば、何か自分にも良縁があるかも知れない。
「私にも好きな人ができますように……」
 真希子が合わせた手を解き、ふと視線を横に移すと、「おみくじ」の文字が目に入ってきた。しかも「おみくじの元祖」を示す添え書きもある。受験を前に、凶でも引いたら縁起が悪いと、初詣に行った時も今年は引くのを控えていたけれど、「おみくじの元祖」と言われると心は揺れる。気づくと真希子は、黒い筒状のおみくじを夢中になって振っていた。
 筒の中から一本の棒が出て来る。お札やお守りの店番をしていたお姉さんが何番ですか?
 と聞いてきたので、棒に書いてある番号を告げると、ふたつ折りにしてその番号のおみくじを手渡してくれた。
 真希子がドキドキしながら、渡されたおみくじを開くと、そこに書かれていたのは「凶」。
「げ……。やっぱ引かなきゃよかった……」
 生まれてこのかた十五年。何度もおみくじを引いてきたが、「凶」なんて初めて引いた。ショックを受けつつも、真希子はあることを思いついた。そうだ。飛ばしてしまおう! 真希子は、凶のおみくじを畳んで長方形にすると、それで小さな紙飛行機を作った。凶よ。私の悪運よ、風に吹かれて飛んでいけー。
 高台から勢いよく放つと、ゆらゆらと飛んで行く紙飛行機の行く末を身守った。すると……。
「イテっ」
「?!」
 階段の下を歩いていた男の子の額に、真希子が放った紙飛行機が見事にあたり、はらりと地面に落ちた。
 男の子は真希子の紙飛行機を拾うと、きょろきょろと飛ばし主を探し始める。
 やばっ。もうすぐ三月と言えど、風はまだまだ冷たい。しかも夕方五時を回り、辺りはすでに薄暗くなってきている。そんな深大寺境内は、さっきまで誰もいなかったのに。この人、どっから出てきたの?!
 真希子は恥かしくなって逃げ出そうとしたが、いかんせん下からは丸見えで、逃げ場がない。おろおろする真希子を、男の子の視線がとらえた。
「これ? あんたの?」
「そ、そう……だけど……」
「うわー、凶やんか。あんた凶飛ばして俺にぶつけてんや。俺にまで凶がうつってまうやんか」
 関西弁だ。東京生まれの東京育ちの真希子にとって、テレビでは聞き慣れているけれど、生で聞くのは初めてだ。突然のことに戸惑いが隠せず、一瞬言葉が出なかった。
「なんや、凶をうつしといて、あやまりの言葉もあれへんのか」
「あ、ごめんなさい!」
 真希子は男の子の言葉に我を取り戻すと、咄嗟に謝った。
「人に謝る時は、そんな高いとっからやなく、ちゃんと下に降りて謝るもんやろ?」
「あ、あたし……」
 真希子は慌てて階段を駆け降りると、男の子の隣でもう一度謝った。
「あははは、そんなマジにならんでもええって。ほら、これあんたのおみくじ。いくら凶やったからゆうて、こないな紙飛行機にして飛ばさんと、ちゃんと結びや」
 そう言うと男の子は、真希子の手をとり、手の平を開かせると、しっかりとそこに真希子が飛ばしたおみくじを握らせた。
「おみくじは返したで。ほな、さいなら」
 真希子に背を向けたまま、男の子は二、三度手の平をひらひらと振ると、そのまま山門のほうへ歩いて行った。
 真希子の手には、凶のおみくじと、そして、男の子の手のぬくもりが残された。
 何だろう、この気持ち。この男の子と、もっと話してみたい。年齢とか、住んでいる場所とか、もっともっとこの男の子のことが知りたい!
 真希子がそう思った時、すでに男の子の姿は消えていた。
 一ヶ月半後。真希子は希望の高校に無事合格し、今日から高校生になった。これから始まる新しい生活。期待半分、どこかむなしい気持ち半分……。なぜなら真希子の心の中には、まだ一ヶ月半前に『深大寺』で会った、あの男の子がいたから。あの時感じた、胸の高なりというか、初めて味わう抑えようのない高揚感が、感覚としてしっかりと真希子の心の中に残っていたのだ。もう一度あの男の子に会いたい。でも、きっと彼は関西の人。東京にいるはずがない……。そう思って真希子がため息をついた時だった。
「何、入学式初日からため息ついてんねん」
 不意に真希子の背後から、声がかかった。それも、聞きたくて聞きたくてたまらなかった関西弁。うそっ!
 真希子が、勢いよく後ろをむくと、そこには「まっさか、おみくじで紙飛行機を作るような罰当たりと同じ高校になるとはなー。俺の初めての東京生活も、先が思いやられるわ」と笑いながらぼやく、あの時の男の子の姿があった。
『マジ?! 信じらんない!!』
 おみくじは凶だったけれど……。縁結びの神様は、本当にいるのかも知れない。

(東京都三鷹市/28歳/女性/会社員)

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