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<第1回応募作品>『深大寺レンアイメモリーズ』著者:黒米 譲二

 フウーっと真夏の青い空に向かって、ため息をついた。また遅刻かぁ!トモエは呟いた。深大寺に古くからある蕎麦屋の角に大きな桜の木がある。その桜の木がトモエ達のいつもの待ち合わせ場所だ。真夏だけれどこの辺りは緑が多く、日陰はわりと過ごしやすい。そういえばタクヤは昔っから時間にはルーズだったなぁ。小学校の頃からいつも遅刻してた。あっと、今日の私もルーズソックス!!・・・・・あの頃のタクヤは可愛かったなぁ。大きなグリグリ眼してて、いつもズボンからシャツがはみ出していて、髪はもじゃもじゃで、出ベソで・・・・・・「トモっ!」と耳もとで声がしてビックリしてひっくり返りそうになった!!そこには真黒に日焼けしたタクヤの顔があった。あのグリグリ眼と、野球部特有のイガグリ頭も健在だ。
「わー、ビックリした」
「なに一人でニヤニヤしてんだよ。俺のことでも考えてんのか?」
タクヤはそう言いながら右手の親指をたてる得意のポーズを作る。
「遅いぞ!タク。まったく!それにだらしなーい!」
彼のシャツは制服のズボンからはみ出していないことはない。
「気にしない、気にしない!」
「そんなんで、よく野球部のエースやってるねぇ」
「うっせーなぁ、格好で野球はやんねーんだよ!」
幼なじみの二人はまるで兄弟のような会話を楽しんでいた。それは青春真っ只中の高校二年生の夏だ。
 ハァーッと真赤になった手のひらを自分の息で暖める。今朝からの大雪で深大寺はいつもとは別世界。辺りに人影はなくピーンと張り詰めた空気が漂っている。木の枝も、境内から続く道も、池のまわりの凄然と並んだ石ころ達も、みんな、みーんな真白だ。やっぱ来ない!トモエは囁く。
 残念ながら高校生最後の夏の大会でタクヤのチームは5回戦で敗退した。甲子園を目指し日々練習に明け暮れていた彼らにとって、一つの節目を迎えた。最後の挨拶の時、今まで一回もトモエの前で涙など見せたことのない彼が号泣した。そんな彼を見て(そーかァ、私も負けたなァ・・・野球に・・・)トモエはタクヤの涙に目を潤ませながらそう思った。
 不意に頭にドーンと衝撃をうけた。なに?何?突然、スローモーションの映画のように真っ白い粉がキラキラと輝きながら、地面に舞い落ちていく・・・・・・。
「あっ、はっ、はっは」
「あっ、やったなー」
 トモエの足元には、大きなおおきな雪球のかけらが、転がっていた。
 タクヤの部活が唯一ない金曜日の放課後、トモエはタクヤと深大寺の神社の境内でデートをする。それは9月の初めのまだ残暑が厳しい日だった。
 いつものように二人が、他愛のない会話に花を咲かせていると、そこに一匹の子犬が迷い込んできた。「あっかわいい、こっちおいで」動物好きのトモエはすぐにその子犬を抱き上げた。その姿にタクヤは微笑む。子犬はトモエの頬をペロペロと舐めはじめる。「くすぐったーい」と首をすくめる。タクヤは、ハッ!とした。はじめ微笑ましかった姿が、急に何故か艶かしく感じられる。こんな感じは今までで初めてだ。うっすらと汗をかいたトモエのうなじや、汗ばんでうなじに纏わりついた後れ毛を、直立不動に近いかたちで見つめる。そんなタクヤに気づかずに、トモエは無邪気な笑顔でこちらを振り返った。えーっ・・・・うそっ、突然タクヤに抱きすくめられたトモエは言葉を失った。「キャン」子犬はトモエの腕から逃げていった。「ちょっと、痛いよぉ」なんて声を絞り出しても、タクヤはしっかりとトモエを抱きしめ、その力を緩めることはしなかった。しばらくすると、どちらからともなく境内の床に倒れこんだ。タクヤが不器用に唇を重ねてきた。トモエは静かに瞳を閉じる。遠くから、いく夏を惜しむかのように、蝉の鳴き声が聞こえてくる。
 「お母さん、こっちにおいでよ。ほらっ、こんなに綺麗」
 紅葉した木々を見ながら、6才になる娘が小躍りしながら得意げに喋っている。深大寺の紅葉はその見事さに、東京近郊から人々が集まってくるほどだ。もともと感性が豊かなトモエの長女も紅葉の艶やかさを目の前に、感じたままを表現している。無邪気な彼女の振る舞いに、まわりにいる人々も笑顔で通り過ぎてゆく。
 あれからもう20年になるなぁー、昔の懐かしい思い出が頭をよぎる。やがてあの境内が目に入ってくると、以前のタクヤとの思い出がいっそう強く思い出される。
 9月のまだ暑かったあの日、キスの後、わたしはタクヤを拒んだ。何故?なんであの時あんな態度をしてしまったんだろう・・・。なんて、最近妙にしんみりと考えたりする。 高校卒業後タクヤはある有名な大学の野球部に入部した。かなりの名門とあってタクヤは練習についていくのが必死だった。トモエは服飾の専門学校に通いながら、その帰りによくタクヤの練習を見にいった。初めのうちはトモエが見にいくと得意げな表情を見せていたタクヤも、半年程すると表情に余裕がなくなっていった。トモエがショックだったのは、彼がだんだんとトモエを無視するようになっていったことだ。誰か好きな人でも出来たのね・・・?彼女は次第にグラウンドから足が遠のくようになった。
 タクヤはトモエを嫌いになったわけではなかった。別に他に好きな娘がいたわけでもない。まだ未熟な彼にとって、野球とトモエの両方にいい顔が出来なくなっていただけだ。レギュラーになるまでは大好きなトモエを忘れよう。真剣に野球に打ち込んでみよう!と彼は思っていた。と同時にレギュラーになれたらトモエに本気で告白しょう、なんて漠然と、でもそんな風に決意していた。
 人生には、ほんのちょっとしたボタンの《かけちがい》がある。
 ひらり、ひらりと桜の花が散っていく。深大寺の桜はちょうど今見頃だ。ある天気の良い日曜日トモエ達は家族で花見にきていた。
 「サクラってほんとうに命が短いから、可憐だわ」
 流石にトモエの娘の言う事がふるっていた。あっ。あのお蕎麦屋さんの角の桜の木・・・トモエは眩しい眼差しでその大きな木を見ていた。その木には、まわりに比べ一際美しい桜が、枝からこぼれんばかりに咲いている。少し甘酸っぱい思い出が、彼女の脳裏を駆け巡る。(この思い出だけは胸にしまっておこう)なんてニヤニヤしながら歩いていた。「あっ、すみません」ポーッとして歩いていた彼女は人とぶつかってしまった。「大丈夫ですよ」と言われ、ホッとしてその男性に眼を向ける。(きちんと答えてくれると気持ちいいんだよねぇ・・・・最近は世の中が殺伐としちゃって・・・・あれっ!!)そこには紛れもなく、思い出の主人公のタクヤがいた。少し頬はこけていたが、相変わらずの浅黒い顔がそこにあった。お互いギョっとして眼と眼が合うが、一瞬のうちにそらしてしまった。二人とも確信はあるが、声はかけずにすれ違ってゆく。ギューンとした胸の高まりを感じながら、今にも走り出したい衝動を抑えながらトモエは歩いていく。止まって振り返りたい気持ちはあるが、雑踏の中、止まるほどの言い訳は見つけられない。どんどんと彼からは距離が離れていく。
 どんどんと、どんどんと離れていく。
 フウーっ、と一回深いため息をつくと、トモエは決心し、えーい!!と思い切って振り返ってみた。花見客で人々がごった返す中、やっと彼らしい後ろ姿を見つけた。彼は子どもと手をつなぎながら、振り返りもせず歩いていく。(やっぱり人違い?)
 するとっ、タクヤはあっちを向いたまま右手をすっと上に挙げた。桜がたくさん舞い散る天に真っ直ぐに手をのばし、親指をたてる得意のガッツポーズをつくって見せると、その後バイバイっと手を振って、歩いていった・・・・・ツーッと、一筋の涙がトモエの頬をつたっていく。(タクヤ、やったね!)
 その瞬間にお互いの幸せを確信したトモエは、桜が舞う爽やかな春風の中、胸を張り、颯爽と歩いていった。
 もう振り返ることはない・・・・・

黒米 譲二(東京都東大和市/42歳/男性/歯科医師)

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