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<第1回応募作品>『えんむすびの亀様~深大寺そばのおそばにて』 著者:釛子ふたみ

 初詣でひいたおみくじは大吉だったのに、今年最初のイベントは、ずっと好きだった彼女と親友の結婚式だった。付き合っているのは知っていたから、そのうち、そんな日が来ることは予想できた。が、ショックだったのは、彼女の言葉だ。
「私、本当は羽鳥さんが好きだったのよ。だけど、一度も話しかけてくれなかった」
 嫌われていた方がまだましだ。
 僕、羽鳥鷹雄は、名前は勇ましいが気が小さくて特に女の子にはからきしだらしがない。二十八年間、何回女の子と話をしたか…
 梅の香おりに誘われて、神代植物園をひとまわりした後、深大寺側の出口から外に出た。二人の幸せを願い、自分の健康に感謝してから帰ろうとすると声をかけられた。
「羽鳥さん、ですよね」
 声の方を見たが覚えがない。若い…きれいな女性だ。意気地なしとはいえ、僕だって男だ。こんなきれいな人を見たら忘れるわけはない。
「…はい、そうですが…」
「○×社の受付の宮城千鶴です」
 女性は、仕事でよく行く大手の会社の名前を言った。受付嬢なんてご縁があるわけないので顔を見たことがなかったのだ。
「わからないんでしょう。羽鳥さん、私の顔、見たことないもの。ふふふ」
 女性は春のような声で笑った。
「すいません」
 髪型が違うから、とか、洋服が違うから、とか気のきいたことを言えばいいのかもしれないが、そんなこと口に出せるわけもない。それにしても覚えててくれたなんて、僕は幸せ者だ。
「今日、にゃんこの命日なんです。この上に動物慰霊塔があるんです」
 宮城さんは言った。
「慰霊塔ですか。知りませんでした」
「羽鳥さん、動物、好きですか」
 僕は、好き、という言葉にうろたえてしまったのだろう。
「子供の頃、動物の入った県名を言えと言われて、宮城県と言ったことがあります。正解は熊本とか、群馬とかだったんですけど」
と、僕が早口で言うと、
「み、ヤギ? あはははっ」
 宮城さんは大笑いした。
「子供の頃から漢字、苦手で。ごめんなさい、変な話して。ネコを悼んでいたんですよね。僕も、カメを飼っていますから気持ちわかります。亀吉がいない人生なんて…」
「カメ飼っているんですか」
 宮城さんはきらきらした目で僕を見つめる。僕は目をそらし、歩きながら話した。
「小学生の頃、縁日で出会ったんです。大学進学で上京する時、つれて来ました。十五年も一緒にいます。僕の一部です。亀は万年と言いますから、僕が死んだら、亀吉はどうなるかと思うと心配になります」
「うちのパンダは十四歳だったわ、猫としては長生きの方ね」
「パンダ?」
「猫の名前です、パンダ柄だったので。変ですか?」
「いえ、宮城さんは鶴だし、僕は鷹ですから、猫がパンダなのは自然の流れです」
 僕の脳裏にパンダに抱かれた、いや、パンダ柄の猫を抱いた宮城さんの姿がうかんだ。なんて幸せな猫なんだ。ときどきほっぺにちゅうなんてしてもらったんだろう。十四年のにゃん生を心行くまで満喫したに違いない、うらやましいぞ、パンダ。そのいなくなった大きな空洞のすみに僕を入れてくれ。
「この池、亀島弁才天池って言うんです、結婚を反対されていた二人を大きな亀が助けたんですって。亀って夢を運んでくれるのよね」
 亀が立派なのはうれしいが、結婚という言葉が僕の胸にぐさりとつきさし、僕はまるで明後日のことを言ってしまった。
「こ、このあたり、てづくりそばが体験できるんですね」
 近くの張り紙を指差す。
「あら、おもしろそう。やってみたいわ。おそば、大好きなんです」
「ぼ、僕もです。楽しそうですね」
「お料理するんですか」
「一人暮らしですから」
 夢のようなひと時を僕は心から感謝した。くだんの彼女のことなど、すっかり忘れていた。本当は、そばよりも、かつどんとかラーメンとかカレーの方が好きだ。二十八の健康な男ならそんなものだ。でも、千鶴さんが好きなものは僕だって好きになるさ。なんたって、結婚したら羽鳥千鶴だぜ。ぴったりじゃないか。
 鶴と、鷹と、亀。めでたい。
 家に帰ると、インターネットで、深大寺周辺でそば打ち体験できる場所と時間をチェックした。
 今度こそ、誘うんだ。
 あたって砕けてやる。粉々に。いや、砕けてなんかやるもんか。そば粉がそばになるように、僕だって僕だってそばになる。千鶴さんのおそばにゆく。ぬはははは。
「な、亀吉、応援してくれよ」
 亀吉に餌をやりながら妄想する。隣に千鶴さんがいて、亀吉のことをかわいい、ってほめてくれるんだ。目をつぶると、いや、つぶらなくても千鶴さんの顔が脳裏に浮かぶ。やさしい笑い声が耳に響く。
 数日後、○×会社に意気込んで行ったが、千鶴さんはいない。
「あの、宮城さんは…」
「お休みをいただいております」
「じゃ、こ、これを」
 急いで名刺の裏に、『○月×日、午前十時、蕎麦「△」、メン棒持参』、と記して受付嬢に託した。
 お昼時、愛妻弁当をニヤケ面で食う親友をしりめに、勇んで社員食堂に行き、蕎麦をすする。千鶴さんを思いながら食べれば、どんなものだってうまい。恋は最高の調味料っとくらあ。親友の顔が僕にかわり、愛妻が千鶴さんにかわる。いやさ、僕が作ってあげてもいい。千鶴さんのためなら料理学校に通ってもいい。婿養子だってかまやしない。
 宮城鷹雄。ヤギとタカか?
「蕎麦、うまいか」
 唐突に聞いたのは親友だ。ざる蕎麦を手にしている。
「まあね」
「妻がさあ、食事を作ってくれるけど量が少ないんだよね。腹へってさ」
「言えばいいじゃん」
「だって傷つけちゃうかもしれないじゃないか。よかれと思って作ってくれるんだよ」
「ふーん、そんなものなのか」
 以前だったら、嫌味に聞こえる言葉だが、今後のためには重要な知識だ。つい身をのりだしてしまう。
「お、うまい蕎麦だなあ」
 親友は言った。
「そうか?」
「なんでも、うまいって言っておけば問題はない。だから、練習しているんだよ」
「料理、へたなの?」
「そんなことはない。…ときどき口に合わないだけだ。とにかく、作ってもらった食事は、そのまま食うんだぜ。ソースかけたり、カレーとご飯をまぜたりしちゃだめなんだ」
「なるほど」
 人間、余裕があるとすべての人から学ぶことができるのだ。僕はいたく満足して、親友に心から感謝した。
 そして、当日。僕は三時間も前から、蕎麦「△」の前に立った。
 家族づれ、カップルカップル。
 千鶴さんは来ない。
 順番を次の人にゆずり、待つ。
 僕は泣きそうになっていた。
 空は快晴、子供達は元気に走り回る。
 カップルはいちゃつく。
 そばの香りがしてくる。
 千鶴さんは来ない。
 三月の空気はまだまだ冷たい。
 約束したわけじゃないけれど。
 亀吉、助けてくれよ。
 慌てて亀島弁才天池に走り、祈る。
 深沙大王様、亀様。おねがい。
 僕の恋をかなえてくださいませ。
 深沙堂に向かい、全身全霊をこめて、合掌。
 もしかすると、用事があったのかもしれない、名刺が手にわたってないのかもしれない。
 もう、帰ろうかな、と思った時、
「羽鳥さーん」
 千鶴さんは現れたんだ。
「ごめんなさい。夕べ、隣家の風鈴がうるさくて眠れなかったんです」
 だきついて、お礼を言いたい気持ちをぐっとおさえる。
「この季節の風鈴は怖いですね。けど、何か事情があったんじゃないですか」
 僕が言うと、どういうこと、と千鶴さんは怪訝な顔をした。
「風鈴をくれた方の月命日かもしれないし、大切な誰かにメッセージを送りたかったのかもしれません。一晩中なっていたと言うことは、願いが叶わなかったのだと思います…」 僕は妄想癖を発揮してしまった。
「羽鳥さん、やさしいんですね」
「いや…気の毒な人だから許してあげよう、と思って言葉をのみこむのは文句を言えない小心者が腹をたてない手段なんです」
 僕はぼそぼそと言った。
「優しいんですよ。苛々していた気持ちが軽くなったわ。ありがとう」
「いえ…そんな」
「ところで、メン棒って何に使うんですか」
 千鶴さんはきょとんとした顔で綿棒を取り出した。
「あははははっ」
 僕は腹を抱えて笑った。
 僕は宮城千鶴さんが大好きだーっ。
 亀様、ありがとーうっ。

釛子ふたみ(東京都世田谷区)

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