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<第5回応募作品>「やきものの行方」 著者: 相原 文生

 訪れるのは何年ぶりだろう。辰彦は改めて重ねられた年月を数えてみた。あえて避けてきた部分もある。辛いというより、切ない想い出の方が強いからだった。漸く気持ちも落ち着き、その気になった。
『むさし野深大寺窯』と書かれた焼き物の店の前に立ち、何気なく並べられた沢山の焼き物を見ていて、「おやっ」と思った。その一つに眼が吸い寄せられた。本焼きのほっそりした花瓶。真紅の薔薇一枝が描かれ、〈薔薇にほふはじめての夜のしらみつつ〉という句が端正な文字で添えられ、「平成二十一年三月、凛子書く」とあった。句の作者は西尾榮子。
 この句を選んだとすれば、雨宮凛子の可能性が高い。彼女は三月にここに来ていたのだろうか?もし、そうだとしたら・・。
「この花瓶はどうしてここに・・?」
 辰彦が、応対に出てきた店の男性に聞いた。
「ああこれですか・・。本焼きにして欲しい、というので、焼いたのですが、未だ引き取りに来られないもので・・」
「取りに来ると・・?」
「ええ、楽焼だと二〇分ほどで焼き上がりますけど、本焼きにすると最短三日から一週間ほどかかります。宅急便でお送りすることが多いのですが、受け取りに来たい、というお客様のご希望でしたのでね」
「なるほど・・。でも、もう五月ですよ」
「ええ・・。二ヶ月近くというのは少し遅すぎるかなあ、と」
「連絡は取られたんですか?」
「ええ、受け付けのとき、住所と電話番号をお書き頂きますのでね」
「なるほど・・?」
「連絡したのですが、現在はそこに住まわれていないみたいで・・」
「連絡が取れない・・?」
「失礼ですが、あなたはこの絵付けをされた方にお心当たりでも・・?」
「確信があるわけではありませんが、かつて、俳画に堪能で、この句に心当たりのある女性がいましてね・・」
「じゃあ、その方かも・・。タウンファッションの似会う素敵な方でした。よく覚えているんですよ。普通だと、まず店に入るのに躊躇され、絵付けも、何を書くか迷われる方が多いのですが、その方はスッと店に来られて、迷うことなくこの花瓶を選ばれ、句も絵も何の躊躇いもなく描かれたので・・」
 相当な技量の持ち主と分かった。だから、取りあえず見本として飾らせて貰っているのだ、と。凛子に間違いない、と辰彦は思った。
「なるほど。その女性が書いた住所と電話番号、もし宜しかったら見せて頂けませんか?」
「通常はお見せ出来ないのですが、連絡つかないのでは隠す意味がありませんから・・」
 店の男性は、奥から受付の書類の綴りを持って来て、その部分を見せた。
「あっ」と辰彦は声を漏らした。
「何か・・?」
「連絡が取れないはずです」
「どういう意味でしょう?」
「これ、五年程前になりますが、私が住んでいたアパートのものですから」
「何ですって・・!」
 男性は目を丸くして辰彦を見た。
「やっぱり、私が思っていた人だったようです。消息を知りたい、と思っているのですが・・残念ながら、現在の住いも連絡先も知らないのです。」
「そうでしたか・・。品物を預かっている手前、何か手懸りでもあれば、と思ってお見せしたのですが・・」
「あくまで、私の推理ですが、この女性、必ずここに来ると思うのです」
 辰彦は、そう言い、「私も絵付けしたいのですが・・」と店に並んだ大皿の中から、ふっくら厚みのある一つを選び、〈あねいもと性異なれば香水も〉と吉屋信子の句を書き、小さな香水の壜の絵を添え、ラベルの部分に「paco」と書き入れ「本焼きでお願いします」と言った。パコラバンヌのメタルは凛子が愛用していた香水だった。
「やはり、受け取りは店で・・?」
 店の男性は苦笑いしながらそう言った。
「ええ・・。さ来週の日曜受け取りに来ます。出来れば、あの花瓶と、並べて展示しておいて頂ければ有難い。お代はいくら・・?」

 牧丘涼子から妹の凛子を紹介されたとき、辰彦と凛子は同時に「アッ」と声を挙げた。
「あなた方、姉妹だったんですか・・」
「あら、お知り合いだったの?」
「ええ、まあ・・」
 涼子から都心のホテルの和食処に誘われた。辰彦は気が進まなかったが、『断るのも悪いかな』と考え直し、仕方なく来た。
 男と女に真の友情は生まれない、とは先人の言葉だが、辰彦は、涼子に友情以上のものを感じたことは無かった。逆に、凛子とは、『人生を共に歩みたい』と考えていた。
 逆に涼子は辰彦に特別の感情を抱いていたのだろう。だから、家族紹介の積りで妹を誘い、食事に招いたに違いない。それが選りによって凛子だったとは。食事会は重い雰囲気に終始した。

 凛子とは、ある絶好の行楽日和の休日、深大寺の波郷の墓の前で偶然出会い、門前の蕎麦屋の混み合う店内で、また相席になり、親しくなった。互いに句帳を手にした初心者、というのもきっかけとしてあったと思う。そこで互いの句を見せ合ったのだから。
 辰彦はサラリーマン。ギスギスした世界に生きる反動として、潤いを求め俳句を始めた。
 凛子は中堅のグラフィックデザイナー、或るデザイン事務所に勤務していたが、プラスαを求め、俳句の世界に足を踏み入れた。
 知り合ってから交際は順調だった。偶の休日には、誘い合ってあちこち吟行に出かけ、その場で二人だけの句会を催した。
 その一つ、洗足池の勝海舟夫妻の墓所の近くの公園を散策しながら、辰彦は「一緒に暮らしませんか」とプロポーズした。凛子は「嬉しい」と短く答えた。
 涼子から食事の誘いがあったのは、それから間もなくのことだった。
 俳句は『座の文芸』と言われる。辰彦は住いの近くにあった『さがみ野句会』に参加。会の幹事が涼子だった。年齢は一つ下だが、俳句の世界では、面倒見のよい先輩だった。句会では、参加者が互選した句の講評を行う。
 不思議なことに、涼子はよく辰彦の、自分では初心で拙い、と思うような句を選び、辛辣だが、的確な評を下す場面が多くあった。
「いつも拙い句を選んで頂いて恐縮です。自分でもここが、という箇所を的確に指摘して頂くので有難い」と謝辞を述べると、「フィーリングが合うのかしらね」と笑った。そんなことが重なり、親しくなったが、辰彦には『俳句の世界』での先輩、という以上の意識はなかった。一方、涼子は辰彦を真剣に愛し始めていた。凛子が、そんな涼子の気持ちを知り、悩んだのは事実だった。
 辰彦の、凛子に対する想いに変わりはなく、それを今一度確かめ合う必要を感じていた。そこで、週末の土日を利用し、凛子を秩父への一泊旅行に誘った。
「一緒に暮らしたいのは君なんだ」
 長瀞のホテルから続く遊歩道の先の潅木の森の中で、辰彦は凛子をそっと抱き締め、柔らかく接吻した。凛子の眼から涙が零れた。
 そのときだった。ふと、背後に視線を感じ、辰彦は歩いて来た道に眼をやった。そこに信じられないものを見た。涼子が、哀しみとも、怒りともつかない複雑な表情で、呆然と立ち尽くしていたのだった。
 涼子が睡眠薬自殺を遂げたのは、それから一週間後だった。
〈姉とは、父親が違う姉妹、苗字も違ったけど、それ以上に、『負けたくない』という気持ちが強かったように思う。私が俳句を始めたのもそうだし、姉が皮肉にも恋人としてあなたを紹介したのも、そう。その姉が私とあなたの関係を知り、プライドを傷つけられ、悲観して自殺した。私は恋の勝利者になった。でも、あなたとこのまま、何の躊躇いもなく結ばれるのは、許されない気がする。気持ちの整理がつくまで、考える時間を貰えないだろうか〉
 凛子はそう言って辰彦の前から姿を消した。
 あれから五年あまりが経った。
 花瓶に認めたのは二人で過した秩父の夜、凛子が口ずさんだ句だった。その凛子が、二人が初めて出会った場所に来て、その句を書き、真っ赤な薔薇を描き添えた。その行動は、心に渦巻く姉への蟠りが解け始めた証拠なのではないだろうか。真紅の薔薇は辰彦が凛子の誕生日に、ささやかなプレゼントと共に届けた花だった・・。

「あなたの予想どおり、あれから間もなく、あの方、花瓶を受け取りに見えました。それで、あなたのお書きになった絵皿を見ると、思わずニッコリ頬笑んで、『やっぱり見えたのね。忘れていなかったんだわ』とおっしゃって。来られたとき、少し暗い顔つきだったのが、パッと明るい表情をされて・・」
 こないだと同じ男性店員が言い、飾ってあった辰彦の絵皿を、丁寧に箱に収めた。
「それはよかった」
「それで・・。あなたが見えたら、これを渡してください、と言われまして」
 男性は、辰彦に封筒を手渡した。
〈待って待ってわたしの洞を血が削る〉
 小ぶりなメモ用紙に、彼女が尊敬する上野千鶴子の無季の句が書かれ、「ご迷惑でなければ、次の日曜日、初めてお会いした時間、波郷のお墓の前でお目にかかれれば幸いに存じます」との言葉が添えられていた。

相原 文生(神奈川県相模原市/70歳/男性/業界紙編集委員)

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