<第5回応募作品>「緑のまち」 著者: 南部 浩
道路整備は必ずしも周辺の人々の賛成を得られるわけではない。反対が多いのが実状である。新しい道路が地域の生活に溶け込むまでにはかなりの時間が掛かかる。その間の漠然とした不安が多くの人々の反対を生んでいる。そのため道路が創る新たな環境の姿をどれだけ親しみを込めて地元に伝えられるかが勝負所であると長年の経験から朝倉は学んできた。ゆえに地元との話し合いで一見無駄と思われるような場合も結果としては道路完成を早めることにもなるし、なにより質の高い環境の創出に繋がると考えていた。
『神代植物公園』の目の前で東京都の建設する大規模な道路工事が行われている。完成すると車道の両脇に十メートル幅のまるで小公園のような街路樹の帯を伴った道路が、南は多摩川を越え北は埼玉県まで続く。
朝倉は先月までその事業の陣頭指揮をとっていた。五十歳の声を聞いたときこの事業の現場の責任者に任ぜられた。道路建設一筋で身につけた技術を存分に発揮し役所人生の残りすべてを賭けようと密かに覚悟をきめた。
住民対応を巡り朝倉と道路建設事務所のトップとの意識にちょっとした齟齬が生じた。どちらにも理はあったが朝倉は課長への昇格はしたものの全く経験のない公園業務へ突然、異動となった。皮肉にも彼の担当をしていた道路が傍らを通る『神代植物公園』で特命担当課長の職についた。(特に決まった仕事はない特命で定年までの数年をのんびりやってください)と、朝倉は言われたような気がした。
『神代植物公園』の事務室に掲げられた公園内の案内図に『かえで園』と命名された場所を見つけた。朝倉は持て余していた時間に任せてそこを訪ねた。
朝倉が予想していた景色と違い、茶色と黄色が薄汚く混じっていた。(九月初旬なら、こんなものか)と思い、それ以上、公園のほかの場所に行く気もなくなり事務所に戻り、椅子に身体を預け時の過ぎるのを待っていた。
「どうですか、この職場に慣れましたか。公園での勤務は初めてなんですよね」陽子の飛び跳ねるような声が耳に届いた。
彼女は急遽、朝倉の異動に伴い公園事務所内で朝倉の付けられた唯一の部下である。
「こんな面白みのない場所で働くとは思ってもいなかったよ」椅子の背にだらしなくもたれ、顔だけを彼女に向けて応えた。
陽子は何が面白くないのか、いい年をして会話一つ満足に出来ない数日前に上司となった男には呆れていた。が、彼のやる気のない風情を見ていると文句を言うのも馬鹿らしくなり、彼の返事が聞こえないふりをして
「公園やその周辺でも歩かれたらどうですか、案内しますよ」と大声で言葉を返した。
朝倉も娘のような年頃の彼女に嫌味を言ってしまう自分にうんざりしていたので、(特にやることも無い特命だからな)自嘲気味に独り言を言って
「おう、案内してくれよ」
と、面倒くさそうに立ち上がった。
「植物公園なのになんだよ、これは?この草茫々なのは」
何が植栽されているのか全く分からない雑草だらけの草地をみて思わず朝倉は訊いた。
「見た目悪いでしょ。このあたりの在来の虫の保全のために芝生ではなく草を自生させているんです。ボランティアと一緒に三年越しで事務所に認めさせました。雑草を生やしたままにしていると思われ地元だけでなく事務所でも評判が悪くて困っています」
朝倉の部下に急遽、異動させられるくらいだから公園事務所では彼女は重用されていないと憶測していた。話してみると自分の考えを主張し過ぎて損するタイプなのかと感じはじめ、朝倉は不思議と彼女に親近感を感じた。赴任して三日目にして初めてじっくりと彼女の顔を見た。化粧をほとんどしていないのに目鼻立ちが極めて明瞭なことに気がついた。
彼女が、何?という表情で朝倉を見返した。
「俺に似ているな」心に浮かんだ気持ちを朝倉は半ば無意識に声にしていたようだ。
いつまでも不貞腐れているのも馬鹿らしくなり特命の立場をいいことに陽子やボランティア達と公園近辺の緑の調査を始めた。
朝倉は街路樹を道路の付属物程度に考えていたが調査を通して様々の虫が街路樹の中を飛び回る姿を発見するとそれが公園や寺社の大きな緑と細かな宅地の緑を繋いでいることを理屈で無く肌で感じた。
「街路樹を自分の庭の樹木のように皆で育てられないのか」と朝倉が話すとボランティアの中には道路整備に批判的な者も多く
「道路を作らなければいいんだ。緑が減るだけだ」と吐き捨てるように言う者もいた。
「道路の本質を分かっていない偏見だ」
と朝倉は言い返し道路の意義を話し出す。
言い争いながらも地域マップを作ろうとする点では一致し調査は進んでいった。
陽子は朝倉の必死で自分の意見を伝えようとする姿に父親の面影を思い出していた。
建築家で誰とでも議論を厭わなかった父親は陽子が高校に入る直前に亡くなっていた。
十月も半ばをすぎる頃「かえで園に行って見ませんか」と陽子は朝倉を誘った。建築家の父親は樹木へのこだわりも強く公園や山に陽子を連れていき樹木の素晴らしさを語ってくれた。今の職を選んだのもそのことの影響がかなりあると陽子は思っていた。
特にカエデは父の好みの樹木であった。
「なんて色なんだ」朝倉は異動早々に訪れた時よりは紅葉していると思っていたが、想像をはるかに超えていた。真っ赤な小さな葉が幾重にも重なり合うイロハモミジの艶やかさに思わず唸ってしまった。
「でも、山のモミジは全然違います。それを見るとこの風景の味わいもまた違ったものになるかもしれませんよ」
中学に入る前に父と登った三頭山(みとうさん)の風景を思い出し陽子は遠くを眺めるような眼差しをして誰にともなく言った。
東京都と山梨県の境にある三頭山を朝倉と陽子は歩いていた。
「テングの団扇のようなのがハウチワカエデ、板屋根を連想させる葉はイタヤカエデ、どれも葉の一枚一枚がイロハモミジより大きいから、遠くからでも見栄えがするでしょ」
山の斜面に絡みつくような木々を指しながら夢中で話している陽子。微妙に違う赤や黄色の葉のが織り成すグラディエーションがブナやミズナラの冬枯れの枝のなかを乱舞している姿は、時を止める。
朝倉は絵画の中に自分が迷い込んだ気がしていた。絵画の中には陽子もいた。
三頭山から戻ってから朝倉は周辺の樹木をみても山々に自生する草木に繋がっていく感覚を覚えるようになった。その感覚の中にいつも陽子の存在を感じていた。しかし、それは女性として陽子を見ているわけではない、と自問自答していた。
緑調査から作成した地域マップは評判が良くもう少し範囲を広げることになった。市街地の光を避けるため三鷹の森の中に建てられた『国立天文台』が毎年十月末に関連研究の公開展示をする。「行ってみませんか、マップもあのあたりまで広げたいですし」陽子から提案があった。神代植物公園からいくつかの樹木農園や宅地の緑を辿って三十分程歩いていった。
陽子が防音ガラスの向こうから朝倉に向かって一音ごとに区切りながら四つの音の言葉を伝えようとしている。音の伝わらない空間での意思疎通の手段として研究されている読唇術(読話ともいうそうだ)の公開展示のシミュレーションコーナーに二人は居た。
陽子の口元の動きに意識を集中した。すぐに朝倉はその言葉を理解した。が、どうしても唇に同じ言葉を乗せ彼女に返すことはできなかった。その言葉は父親の代わりとしての自分に掛けられていることが分かっていた。
しかし、ここで同じ言葉を陽子に言ってしまえば、今と違う気持ちが自分の中に生まれることを朝倉は予感していた。
帰り道、朝倉の脇を軽やかに歩く彼女を目を細め眺め、声に出さずに何度も同じ言葉を繰り返していた。「ダ・イ・ス・キ」と
朝倉は、赤く熟した実の房がたわわについたイイギリの枝にひときわ目を引かれた。その赤い実を通してみると、雲ひとつ無い冬の空が、一層青く感じられる。
その青空から『まち』を見下ろすと冬枯れの様相が混ざった緑の塊がいくつも見られる。
七十年近く前になるがこの地に紀元二千六百年事業として深大寺に隣接して広大な『神代大緑地』が設定された。『緑のまち』になる運命が芽生えた。戦時は食料や燃料調達の農地や薪炭林に姿を変えながら約半世紀前『神代植物公園』が誕生した。
いつのころからか豊かな緑の『まち』として評判が高まりこの地に新しい生活を求める勤め人の住宅が増え始めた。それに伴い朝倉も建設に関わった道路の構想も登場した。
昔ながらの緑は減り『まち』は様々の困惑を抱え込みながらも、新たな緑と人は交わり『緑のまち』の歴史は重なり合っていく。
今も次のステージの鼓動が聞こえて来る。
朝倉は自分の持てる技術がこの『まち』を育てることに繋げられないかと考え始めていた。
陽子にもその技術を伝えられればと思っている。「父親のように…」
周りに誰も居ないのを確認して、小さな声で照れくさそうに言う朝倉が居た。
南部 浩(東京都青梅市/55歳/男性/公務員)