<第5回応募作品>「モノクローム・プラン」 著者: 加藤 はるき
懐かしさに誘われて、ふと立ち寄ろうと思ったのは取引先から戻る京王線の車内で「調布」という駅名を見つけたからだ。駅で降りバスに乗ること十五分ほどで目当ての停留所に到着した。
「神代植物公園前」
周りの道路などは舗装されているが深大寺に向かう石畳の道は今も薄暗く、見渡す限り緑に覆われたこの趣は今も変わっていない。
ネクタイを緩め、缶コーヒーでも買おうかと販売機に小銭を入れる自分の後ろを自転車に乗った高校生が通り過ぎていった。振り返るとその高校生を追うようにしてモノクロのニキビ面した自分が通り過ぎて行く―。
高校生になった自分はある決意を胸に今日も必死に自転車を漕いでいた。そして祈れば「縁が結ばれる」という深大寺の前を通り過ぎる度に目を瞑りこう願う。
「初めてのデートは神代植物公園に行く!」
無論、そのデートすべき相手はまだ見つかっていない。
缶コーヒーを持ったまま、遠くへ小さくなっていくモノクロの自分を見送る。きっとニキビ面少年はあの必死な自転車の漕ぎ方から見て今日も遅刻だったはずだ。
「大人を一枚ください。」
高校時代、勝手に神聖なデートコースとして任命した植物公園へ入るのも二十年ぶりだ。入口も当時より綺麗で大きくなったような気がする。入場券を渡し、中へ入ろうとすると懐かしい匂いが鼻先をかすめた。匂いがする方向を見るとまたモノクロのニキビ面が立っている。今度の自分はちょっとオシャレな格好でかなり緊張をしている様子だ。
初めてのデートは願いどおり神代植物公園となった。相手の名前は「高崎さん」。一年生の時から同じクラスメイトで、ずっと気になる存在だったがデートを申し込んだのは二年生になってからだった。顔を紅潮させ高崎さんの目も見られずカチカチになった自分に笑いながら
「いいよ。一緒にいると楽しいもん。牧田君お勧めの植物公園に行こうよ!」
と返事をくれたのだ。天にも昇る気持ちというのはこういう事なのかと感じた瞬間だった。
あの日の帰りは高校から家までの最短通学時間を更新し、深大寺に願い事のお礼として小遣いを全額お賽銭として投げ入れ、それでも興奮が収まらず植物公園の周りをぐるぐると五周もして帰宅した。帰ってからもずっとニヤニヤして母親に気味悪がられた記憶が思い出される。
「あの時、何で小遣いを全額お賽銭に入れちゃったのだろうな…。デート代に使えば良かったのに。」
舞いあがるとロクな事は無い。今月の小遣いが無くなってしまったためデートは来月にしてもらうよう翌日お願いをした所、高崎さんはちょっとガッカリした顔を見せたが快くOKの返事をくれた。
懐かしい匂いは植物公園の中へと続いている。匂いに誘われ奥へ進んでいくと艶やかなバラ園が目の前に広がってきた。バラ園、神聖なデートコースの栄えあるスタート地点として「必勝!デートプラン」に赤字で大きく書いた懐かしき場所だ。
待ちに待った初めての植物公園デート、期待と妄想が先行し過ぎた自分は高崎さんと一緒に歩く姿を想像しながら、勉強そっちのけで「デートプラン」を作る事にした。家に帰れば時間はたっぷりある、一週間ああでもないこうでもないと悩んだ結果、最終的には園内を巡る順序まで細かく書きあげたスケジュール表が出来上がっていた。
「あのマメさが勉強にも発揮されていれば毎回テストで困る事も無かったのに…」
バラ園は高貴ながらもどこか優しい雰囲気で出迎えてくれた。あの時と全く同じだ。感傷に耽っていると懐かしい匂いがまた鼻先を通り過ぎていく。匂いの先にモノクロの自分がいないか探してみるが見つからない。その理由も今の自分は分かっている。ニキビ面の少年は今も入口で彼女を待ち続けているからだ。温くなった缶コーヒーに口をつける。苦い。この苦さも懐かしい気がする。
デート当日、待ち合わせ場所の植物公園入口で心躍らせながら高崎さんを待っていた。家を出るまで何回も読み返してクシャクシャになった「必勝!デートプラン」をもう一度チェックする。
【プラン①・十一時に入口で待ち合わせ】
頭の中では「逢って最初の一言目は何と言おうか」等を考えたりしている。ふと腕時計に目をやると、針は十二時近くを示していた。そろそろ約束の時刻から一時間が過ぎようとしているが高崎さんの姿は見えない。
「彼女が来ない間、周りの時間も止まっているように見えたな…」
さらに三十分が過ぎたところで急に不安に襲われてきた。待ち合わせ場所を間違えたかな?後ろの看板を確認する。書かれた文字は「植物公園入口」、ここで合っているはずだ。初めてのデートに対する胸の高鳴りが段々胸騒ぎへと変わっていく。落ち着かせるため販売機で缶コーヒーを買った。一口目、味が全くしない。何か事故にでも遭ったのだろうか?不安を打ち消すため二口目を飲む。苦い。もしかしたらデートをするのが嫌になったのだろうか?慌てて首を振りながら三口目で一気に飲み干した。とてつもなく苦い。コーヒーの苦さが今の心境を表しているようで悲しくなってきた。
約束の時刻から二時間が過ぎても高崎さんはまだ現れなかった。
「もう諦めて帰ろう…」
この世の終わりのような顔をしてトボトボ引き返そうとしていると、入口受付のおばさんが見かねて話しかけてきた。
「あなた、さっきから人を待っているようだけど、こちらではなく正門の方の入口には行ったのかね?」
「はい、じゃあ待っているから。よろしく。」
通話ボタンを切り液晶画面を見つめた。あの頃にも携帯電話があれば、待ち合わせ場所で出会えない等という事は無かっただろう。
前を見ると、モノクロのニキビ面少年が必死に彼女に謝っていた。二人の上には看板がある。書かれた文字は「植物公園入口(正門)」、
神代植物公園には入口が二つあったのだ―。
「待ち合わせ場所を間違えるなんて牧田君らしいや。」
高崎さんは笑いながら許してくれた。どちらもやっと逢えて緊張がほぐれたのか、会話はほどよく弾んだ。ただ、彼女の顔にうっすら見える涙の跡については聞く事が出来なった。
待ち合わせ場所からすでに「必勝!」では無くなったデートプランはこの後も全敗街道を歩んでいく。【プラン③・園内の大温室でさりげなく手をつなぐ】は、肝心の大温室が改修中で入れなかったり、【プラン⑤ 花について薀蓄を語り賢いところを見せる】では、逆に「チャイコフスキー」というバラは有名な音楽家にちなんで付けられた事をクラシック好きの高崎さんに教えてもらったりと、一日中しどろもどろな自分に対して彼女はずっと微笑んで接してくれた。
×印ばかりの「必勝!デートプラン」も気がつけば最後にして最大の目標、【プラン⑫・境内の前で告白、深大寺そばを一緒に食べる】だけが残った。
肩を並べて歩くモノクロの二人、深大寺はもうすぐだ。境内の前に来た所でニキビ面少年が覚悟を決めて立ち止まった。一呼吸置く。
「高崎さん!」と「ごめんね。」
二人の言葉はほぼ同時だった
「バスの時刻が迫っているから、今日は帰らないと。」
人生、自分が思っていた通りに行く事などほとんどない。初めてのデートは告白の前で終わってしまったのだ―。
場面はまだ屋根の付いてない停留所へ移る。
「今日はありがとう。」
そう言って高崎さんはバスに乗り込んでいく。振り返りバイバイと手を振ってくれたが、ニキビ面の少年は俯いたままだ。バスは定刻どおり発車し、彼女はみるみる小さくなっていく。少年はバスを全力で追いかけ叫んだ。
「君が好きだ!」
手を振り続ける彼女に聞こえてはいないだろう。それでも何だか心がスッキリしていた。
「神代植物公園前」
またこの場所に戻ってきた。停留所にバスが停まり、学生、サラリーマンたくさんの人が降りてくる。最後に降りてきた女性が懐かしそうに辺りを見回した。そして、自分を見つけると手を振ってきた。彼女の名前は裕美子、私の妻だ。そして旧姓は「高崎」―。
「ここは変わってないわね。でもビックリしたわよ、いきなり電話で呼び出して。」
「久しぶりの深大寺、あの日のデートの続きをしたくてね。」
深大寺は縁結びの神様、二人が結ばれたお礼を言わなくては。お賽銭もたくさん入れよう。そして、一緒におそばを食べに行こう。二十年ぶり「初めてのデート」の続き、きっと今日はプランどおりに行くはずだ―。
「あなた、このお店今日は定休日ですって。」
加藤 はるき(東京都府中市/28歳/男性/会社員)