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<第5回応募作品>「君という名の奇跡」 著者:神堂 瑠珂

「男の子と話せるようになりますように」

私は大学進学とともに引っ越してきたこの地にある深大寺にお参りに来ていた。
深大寺は厄除けと縁結びで有名なお寺。お寺で縁結びって不思議な感じがするけど、私はここが好きだ。
ちょっとした観光地になっているこの場所は、そばが有名で参道にはそば屋が立ち並ぶ。まだ食べたことはなかったが、日によっては通りにまで行列が連なるのを見るときっとおいしいのだろう。
ただ・・・
私は引っ込み思案で、一人でお店に入ることすらできなかった。こうして一人でお参りに来ることも、今までだったらきっとしなかったんだろうけど・・・・大学に入学したと同時に、変わりたいと思った。普通の女の子のように、おしゃれして、学校帰りにはお茶をしながら誰かの彼氏の話をしたり、ともかくこの引っ込み思案でうじうじした性格をどうにかしたいと思った。
それから毎週週末になるとここ深大寺に通っている。神頼みなんて、やっぱり暗いかもしれないけどそれでも何もしないよりは私に少しだけ勇気をくれる。
「あの、落としましたよ」
その声に振り向くと、漆黒の髪がさらさらと風に流れ柔らかく微笑む男の人がこちらに向かってハンカチを差し出していた。
お、男の人だ。
私はそのことだけで、思わず身体が固く緊張してしまう。
「あ、ありがとうございます」
顔を見ないままなんとか手を出してハンカチを受け取ると、途端に私のお腹がきゅうっと恥ずかしい音をたてた。
「お腹すいてるの?」
その人の言葉に、私は思わず真っ赤になってしまう。
こんなところに一人でお参りに来て、お腹鳴っちゃうなんてかわいそうな子だと思われてしまうんじゃないかと、受け取ったハンカチを強く握り締めた。
「良かったら、おそば食べに来ない?」
上目遣いで少しだけその人を盗み見ると、その人は笑うだけでもなく、ただ柔らかく私に微笑みかけてくれている。
私はその微笑みに、気がつかない間に首を縦に振っていた。

その人は、文哉さんと言ってこの深大寺のおそば屋さんで週末はアルバイトをしているらしい。その優しい笑顔のせいか、文哉さんはすごく年上に見える。実際はいくつなんだろう?アルバイトなら、大学生かな・・・そう思いながら、彼の隣を歩く。彼は相変わらず優しく微笑みながら、私をそのお店に連れていってくれた。
文哉さんの声は不思議なほど柔らかく私の耳に溶け込み、聞いていてすごく心地いい。
男の人なのに、私、男の人すごく苦手だったはずなのに、お店に向かうまでのほんのちょっとの道のりですっかり打ち解けてしまった。

「そっか、それでお参りにね」
お昼の時間を過ぎた店内はまばらにしかお客さんがいなくて、文哉さんが直々に私のところにそば湯を運んできてくれた。
「・・・男の子とまともに話せないなんて、イマドキ珍しいですよ、ね・・・」
文哉さんはふっと笑うと、「じゃあ、僕は?」と聞いてくる。
本当不思議。初めて会ったのに、初めてじゃないような、文哉さんの声を聴いていると心がふんわりあったかくなるような、そんな懐かしい感じがする。
「君さえよければ、また会いたいな」
そう言って文哉さんはレシートの裏に携帯番号とメールアドレスを走り書きした。

家に帰ると、私はベットに寝転がってそのレシートを見つめた。
「くれたってことは、連絡していいんだよね」
私はドキドキしながら、自分の携帯に文哉さんの番号を登録する。携帯の画面には登録された文哉さんの名前が数少ない名前の一覧に追加され、なんだか私は嬉しくなった。
早速今日のおそばのお礼をしようと、メール作成画面を開いた。
結局あのあと再びお客さんが多くなり、文哉さんとはあまり話せないまま家に帰ってきてしまったのだ。
おそば、おいしかったな・・・
初めて一人で入ったお店。正確には文哉さんが連れていってくれたんだけど、あのおそばのおいしさと、初めてのドキドキ感は今も忘れられない。私は思いつくままにメールを綴った。
送信ボタンを押すと、5分もしないうちに文哉さんからの返信が届く。その内容はさっきの私が送ったメールの内容の返事ではなく、明日会えないかという内容だった。
明日は、特に用事もないし・・・私も文哉さんともう少し話をしたかった。あの柔らかい笑顔を、優しい声をもっと聴いていたい。私は自然と微笑みながら、メールを返信した。

まだあまり土地勘のない私のためにと、待ち合わせをしたのは深大寺の正門前だった。今日は日曜日なだけあって、まだ十一時前だったけど、結構人が出ていて正門前のおせんべい屋さんも隣のおそば屋さんもかなり繁盛しているようだった。
「朱里ちゃん」
私が周りをきょろきょろしていると、後ろから肩を叩かれた。思わずびくっとしてしまった私に文哉さんが「ごめんね」と微笑む。その手が触れた場所は次第に熱を持ち、私の心を再び沸き立たせた。
「まずはお参り、しようか」
文哉さんの優しい微笑みがまるでお日様みたいに見える。私は文哉さんのあとを追って、石段を登った。いつものように手を洗い、いつものようにお賽銭を投げる。ただ違うのは、今日は隣には同じように手を合わせる文哉さんがいること。私はいつに増しても長い間、目を閉じていた。
 気がつけば、文哉さんは微笑むわけでもなくただ優しい瞳で私を見つめていた。
「何をお願いしてたの?」
その言葉に心臓がドキンと音をたてた。
「ふ、文哉さんこそ何をお願いしたんですか?」
私は自分が今お願いしていたことを悟られないように、文哉さんに質問を振り返した。
「僕?僕はね」
並んで歩き出した肩が時折かすかに触れる。お互いの指先がぶつかった瞬間、そのまま文哉さんの大きな手が私の手を包み込んだ。
「ふ、文哉さん?」
私は驚いて文哉さんを見上げた。
「君をデートに誘えますように、って」
少しだけ頬が赤くなっているようにも見える。
「だめ、かな?」
文哉さんの困ったような照れたような笑顔が私の胸を締め付ける。私は返事の代わりにつないだ手を少しだけ強く握り返した。そうして私たちは深大寺の参道を歩き出す。温かい日差しが私たち二人を包み込み、ただ微笑みあっているだけで幸せだった。
『この先も文哉さんの笑顔を見ていたい』
そう願ったことは秘密だけど、私たちはお互いのことを歩きながら、すべて話そうとした。文哉さんは実は同じ大学の先輩だったこと、いつもお昼を一人で食べている私に実はずっと声をかけたいと思っていたこと、そして私に一目惚れだったということ。
 柔らかい微笑みに包まれて、私の心は解き放たれ、私も素直になることができた。本当はもっと普通の子みたいに恋愛をしてみたかった。ふんわりとそこから救い出してくれたのは文哉さん。他の子は暗い、つまんない子だって見放してた私の手を取ってくれたのは文哉さんが初めてだった。
 出会えたのは深大寺の奇跡、なのかな。偶然この土地に住むことになって、偶然深大寺で文哉さんと出会って、偶然が偶然を呼んで出会えた奇跡。
 私は文哉さんの手を握ったままその横顔を見つめると、来週は二人でお礼を言いに行かなくちゃいけないかなとぼんやりそう思った。

神堂 瑠珂(東京都調布市/31歳/女性/会社員)

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