*

<第5回応募作品>「縁を絆に」 著者: こん たっけ

きっかけはラジオでした。
調布で新生活を始めて二ヶ月程が過ぎた五月の半ば頃だったと思います。ちょうど桜が終わり、自宅近くの深大寺の周りにはピンク色のつつじの花が鮮やかに咲き乱れていましたから。
調布の街は緑に溢れていて過ごしやすく、私は気に入っていました。そんなある晴れた土曜日の午後、私は洗濯をしながらラジオを聴いていたんです。ほら、コミュニティFMっていうんですか。調布から発信されているラジオです。自分の好きな曲が流れていた事もあり、リズムに乗りながら洗濯物を干していたんです。ラジオからは美園新吾という人気パーソナリティーの番組が流れていました。すると静かなピアノの曲をバックに彼は便りを読み始めたんです。何やらリスナーからの便りを読むようでした。
「調布市内の陽子さんからこんなお便りを頂きました。…いつも楽しく拝聴しています。私は所謂シングルマザーです。息子の圭太と二人で細々と生活をしています」
便りはそんな始まりだったと思います。それを聴いた時、私の手は止まりました。陽子と圭太という聞き覚えのある二つの単語が耳に入ったからです。私はボリュームを上げてラジオに聴き入りました。
「…先日、私は帰宅した息子の姿を見てびっくりしたんです。全身泥だらけなんですよ。髪の毛には砂を被っているようでした。その理由を尋ねると友達とサッカーをやっていたって言うんです。親は子供の嘘を簡単に見抜けます。私は圭太の背中に足跡が付いているのを見た時に嘘をついていると確信しました。私は圭太と向かい合って彼を問い質しました。すると圭太は観念したように話し始めました。案の定、圭太はいじめに合っていたのです。一週間程前から始まったといういじめの発端はサッカーの試合の際、圭太のミスのせいで圭太側のチームが逆転負けしたそうなんです。その鬱憤がエスカレートして、毎日圭太を蹴飛ばしたり、鉛筆を隠したり、水溜まりに投げ飛ばしたり、頭から砂をかけたり、靴を投げ捨てたりしていると言うんですよ。でも、圭太は泣きませんでした。いえ、逆に信じられないような事を口にしたのです。ママ、僕は平気だよ。いじめなんて、いじめだと思うから辛いのであって、強い人間になるための試練だと思えば耐えられるもんさなんて言うんですよ。私の方が泣いてしまいました。そんな台詞を幼い息子に吐かせる自分が情けなくて、申し訳なくて仕方ないです。こんな時に男親がいてくれたら頼もしいと思いますね」
私はラジオを聴きながら涙が溢れてきました。便りの主は明らかに別れた陽子であり、圭太とは私の息子に違いありません。夫婦のすれ違いが原因で三年前に離婚しましたが、陽子と圭太がこんなに厳しい想いをして生きているなどとは思ってもいませんでした。
 大学三年生の時、私は陽子と出逢いました。私はいつの頃からか陽子を意識するようになっていました。陽子を特別な目で見ていたし、特別な関係になりたいと思うようになっていました。陽子は名前の通り太陽のような人で、いつも笑顔が絶えなかった。いま振り返ってみても、陽子が笑っていなかった日なんて一度もなかったんじゃないかと思います。私は陽子への想いが募り、ある日、深大寺の境内に陽子を呼び出して自分の想いを告白しました。とても風が強い日でした。陽子が「私もあなたの事が好きだった」という台詞を言ってくれた時、私は生まれて以来、一番と言えるほど嬉しかった。
初めて二人きりでデートをしたのは陽子のアパートの近くの神代植物公園でした。
「見せたいものがあるの」と陽子は言って、辺り一面に咲く薔薇の花を見せてくれました。薔薇の花なんて切り花でしか見た事がなかった私は、咲き誇る薔薇の華麗さに圧倒されたのを覚えています。
「私ね、いつか大好きな人とこの素敵な薔薇を見るのが夢だったの。でも、それがあなたで良かった」
陽子は笑顔でそう言ってくれました。そんな陽子を私は強く抱きしめました。そして、紅く鮮やかな薔薇の前で私達は唇を重ねたんです。結婚したばかりの頃、私は陽子と共にこの神代植物公園を訪れたことがあります。そして二人で話したんです。
「いつか、子供が出来たら三人でここに来ようか」
「そうね。必ず来ましょ。そして、私は子供に教えてあげるつもりよ。ここで初めてパパとママはデートしたのよって」

 ラジオからは、なおも陽子の便りが読まれていました。私は涙を拭きもせず聴き続けました。陽子も圭太もこんな苦労をしていたなんて知らなかった。我が息子が他人にいじめられていたというのに、全身を泥まみれにされたというのに、背中を蹴られたというのに、父親の私は助けてやるどころか、その叫びを聞いてやる事も出来なかった。
陽子と圭太に会いたい。もう一度、やり直したい。一から、いや、ゼロからやり直したい。三人で神代植物公園に行きたい。
想えば想う程、二人の顔や共に過ごした日々が私の脳裏に浮かんできました。
初めて出逢った時の陽子の笑顔、初めて手を握った時の陽子の温もり、初めて唇を重ねた時の甘い感触、初めて身体を重ねた時の互いの愛情、陽子が作った料理の味、陽子さんを嫁に下さいとご両親に挨拶した時の緊張、婚姻届に判を押した時の互いの決意、真っ白なウエディングドレスに身を包んだ綺麗な陽子、共にケーキをカットした時の互いの幸福、新居のドアを二人で開けた時の互いの微笑み、毎朝目覚めると横に陽子がいる嬉しさ、帰宅するとテーブルに料理が並べてある感動、陣痛で苦しむ陽子の格闘、産まれて来た圭太の寝顔、産み終えた陽子の安堵、もみじのような圭太の手、祝福してくれた友人達の笑顔、爺ちゃんだよ婆ちゃんだよと喜ぶ互いの両親、ハイハイして歩く圭太の顔、夜泣きする圭太の声、初めてパパと呼んでくれた時の圭太の姿、親子三人で川の字になって寝た柔らかい布団、圭太を真ん中にして三人で歩いた深大寺の境内、アヒルのおまるにまたがる小さな圭太、保育園の水色の制服と黄色の帽子、チューリップの形をした「けいた」と書かれた名札…想い出す出来事の随所に笑顔が溢れていた。
陽子と圭太にもう一度会いたい。もう一度やり直したい。出逢った頃に戻りたい。私は溢れる涙を拭き、深大寺へと走りました。陽子に自分の気持ちを伝えた想い出の場所が深大寺なんです。
 縁結びの御利益があるとされる深大寺の境内はその日も静寂に包まれていました。湧水の流れる音までもが聞こえました。私は深妙大王堂の前に跪き、そして祈りました。深妙大王は縁結びの神です。もう一度だけ、もう一度だけ、陽子に出逢いたい。圭太を抱きしめたい。そう強く祈りました。
 大学時代に陽子と出逢った事は偶然ではなかったと思います。この縁は必然だった。偶然も五年続けば必然になりますし、縁も十年続けば絆になります。しかし、続けるためには互いの努力が必要です。その縁を絆にまでするという努力を私はしていなかったのです。縁があって男女が出逢っても、それを続ける努力をしなくては縁は続きません。一本の糸を半分ずつ持ち合って、離れないように強く握り合って、縁を絆にまでしていかなくてはなりません。
本当に馬鹿ですよ私は。陽子を失ってから、そんな事に気付いたのですからね。もういまさらそんな事を思ってみても遅いのかもしれません。けれど、私は祈りました。そして、二人のもとを訪れたのです。
いま、私がこうして過去の話をするのは、二度と人との出逢いを無駄にはしたくないからです。人と出逢う事は素晴らしい事だと思います。人は独りでは笑えませんし、前にも進めません。出逢いが自分を前向きに歩かせてくれるのです。
私は陽子という人と出逢い、それを学びました。そして、二人の間に出来た圭太が私と陽子を前向きに歩かせてくれています。もう二度と二人を失いたくはない。ですから、私は縁を絆にまでしていく努力を惜しまずに続けるつもりでいます。
私はいまこうして深大寺の境内の隅に腰をかけながら、二人の姿を眺めています。蝶を追いかけて走りまわる圭太を陽子も追っています。二人とも笑顔で走っています。この笑顔を絶やさぬようにこれからを生きていこうと思っています。

こん たっけ(東京都世田谷区/32歳/男性)

   - 第5回応募作品