<第5回応募作品>「花めぐり 」 著者: 牧野 さつき
私達が出会ったのは、春まだ浅き弥生のこと。大学の卒業旅行の夕食のバイキングの時、
「僕、高本翔次、これからよろしく」
と話しかけてきた。予期していなかったので、「私は、藤元つつじ」
とあわてて名前を言うのが精一杯だった。卒業旅行で「これから」はおかしいと思うだろうけれど、私達は大学院の修士への進学が決まっていて、彼の名前だけは知っていた。彼は他大学の英文科を卒業してから国文科に入学したためか、それまで出会うこともなく、この夜が「はじめまして」になった。
翌日朝方に河口湖畔を散策した時、少し離れて翔次がいた。何となく目があった私は、そっと微笑んだ。そして翔次も、そっと返してくれた。二人の間にぽっと点った灯り。翔次との空気感はこんな風にして生まれた。
卯月になって大学院が始まり、大学四年と比べたらはるかにキャンパスにいる時間は長くなった。彼は調布、私はつつじヶ丘と同じ私鉄沿線に住んでいて、朝からキャンパスへ向かう途中で彼と出会うことも少なくなかった。翔次と「おはよう」で始まる清々しい一日。教室に入ってから出会っても、彼は必ず微笑みを投げかけて、私の緊張をほどいてくれた。年齢は私より五歳上だったので、同級生といっても大きな包容力を感じていた。
皐月に入る頃には、私達は家に帰ってからの電話でも話すようになっていた。
「今度の日曜日、一緒にレポートやろうか」
と翔次が言ってくれたので、
「ねぇ、天気がよかったら、神代植物公園でやらない?」
と私も思い切って問いかけた。
「いいよ」
あっさり翔次の答が返ってきた。その日曜日が晴れますようにと、私は幼子のようにてるてる坊主を作った。そんなお願いが天に届いたのか、日曜日は空が高く青く澄んでいた。
翔次が住んでいる調布からも神代植物公園へ行けるバスはあるが、
「つつじ住む つつじヶ丘まで お迎えに」
と彼がおどけて言い、つつじヶ丘からバスで一緒に向かった。花の季節は過ぎていたが、桜の樹木の並木をバスは進む。バスを降りた場所で、私は桜の樹下から太陽を見上げた。無数の桜の花びらが降りしきるような白い光を感じる。
「私、小さい頃はこの近くに住んでたの。ここに来ると、降るように舞い散る桜の花びら追いかけてた」
少女の目に戻っていた私を、翔次はあったかく見ていてくれた。
「ねぇ、葉っぱごしに太陽を見ると、緑の光が見えるのよ」
とさも私が発見したかのようにはしゃいでも、彼は優しく、
「そうだね」
と私の話を聞いてくれた。公園に入ってちょっと進むと、満開のつつじが私達を迎えてくれる。
「私が咲いてるって、ちっちゃい頃から思ってた」
「確かにすごいな。ここはつつじだらけだ」
そう言って、翔次は掌で軽く私の頭の上から小突いた。彼の茶目っ気は私にはうれしいもので、
「そう、つつじがいっぱい!」
と放った私の声は、伸びやかに皐月の空に溶けていった。園内を進んで、藤棚がある所まで翔次を連れて行くと、
「藤のもとにつつじで、私そのものでしょ」「あぁそれでつつじは、ここで勉強したがったんだな」
「うん」
と頷きながらも、翔次にここに来てほしかったんだよ…と心の中で呟いた。この景色の中に、大好きな翔次と一緒にいたいと思ったんだよ…。私達はもちろん勉強にも精を出し、佐藤春夫の詩に時に意見を交わしながら、レポートを仕上げた。
「ふぅ、やっと終わった。一生懸命やってたらおなか空いたね」
「深大寺そばってつつじの顔に書いてある」
と翔次は私の顔の前でそばという文字をなぞるようにからかい、さっと私の手を掴んだ。「つつじ、行こう」
「はい」
素直にそう答えたくなる翔次の爽やかさが、私の心に響いていた。私達は神代植物公園を奥まで進み、深大寺へ行ける道を辿った。小さい頃箱庭の品々を買い揃えたお土産屋さん沿いに、坂をちょっと下って行くと、見ていて飽きない水車がお店の前にあり、風情のあるたくさんのおそば屋さんが軒を連ねる。
「いっぱいあって迷っちゃうね」
「とにかく入ってみようっか」
と応じる翔次の後に続いて店内に入る。二人とももりそばを注文し、程なく運ばれてきた深大寺そばが、私達の空腹を満たしてくれる。
「さっぱりしてて美味しいね」
「おかわりしたくなるよな」
「勉強して深大寺そばのコース、いいと思わない?」
「うん、また来よう」
私達の楽しい語らいはそれからも尽きなかった。そして、また翔次とこういう時をもてそうなことが、私には何よりうれしかった。
果たして、翔次の言葉に嘘はなかった。水無月は梅雨の合間を縫って、紫陽花を愛でつつ万葉集のレポートをまとめたし、文月は、サルスベリを目にしつつ、修士に入って初めての試験勉強に二人で集中した。もちろん深大寺そばも食べに行き、小さい頃らくやきの絵を描いたお店を、翔次に案内もした。葉月はぎらぎらする太陽の下、暑いさ中だったが、
「自然の中で勉強するのが一番」
と彼は言ってくれ、スイレンで涼を取りながら夏休みの課題に取り組んだ。深大寺では、私が小学生の頃は釣りができるようになっていて、亡き父と鯉を釣った思い出話もした。ようやく暑さをしのげるようになった長月には、揺れるコスモスを目で楽しみつつ課題に追い込みをかけ、ほっとして後期を迎えた。
国文科共同研究室では、私達二人を指して、「もとじ」と呼ばれることもあった。たかもとしょうじとふじもとつつじで、自分達でも気づかない名前の偶然を先輩が見つけ、「二人まとめて速く呼べる」とは言われたものの、やはり仲の良さをからかわれていたのかもしれない。二人の時を楽しく穏やかに過ごせていたので、私達自身はお互いに何も口にはしなかった。私は翔次と一緒にいられればそれでよかった。むしろ気持ちを口にすることで壊れてしまいそうな純粋なものを、必死に守ろうとしていたのかもしれない。
神無月は神代植物公園のバラ園の散策を楽しみに明月記のレポートをまとめ、霜月には菊花展に感嘆した後、源氏物語の課題を二人で長考した。大分風が冷たくなって野外での勉強は難しいとも思われたが、霜月は翔次の誕生月で、お誕生日に神代植物公園に行くのは、二人の暗黙の約束のようになっていた。午後も遅くなって課題を終え、深大寺への道を二人で落葉を踏みしめ歩いていた。
「寒くなったね」
と翔次の方を見ると、彼がそっと肩を抱いてくれた。そして一瞬時がすべて静止したかのようになり、翔次は初めての口づけを私の唇にそっとしてくれた。どこまでも翔次の優しさが心に沁み入るような口づけで、このままいつまでも時が止まっていればいいと、私はその瞬間心底願った。翔次が私の唇から離れた時、「翔次…」と私が囁くと、翔次も「つつじ…」と囁いてくれた。私達二人には、もうそれがすべてのように充分な世界だった。
師走、睦月、如月の冬の季節はさすがに屋外での勉強はやめた。一度二人で勉強の息抜きに訪ねた時、落葉の狭間に黒い玉を見つけ、私は宝物のように大事に拾い上げた。
「これ、小さい時にも両親とここで見つけて、羽根突きの羽根の玉だって、植物図鑑で名前を調べたの。ムクロジっていうんだよ」
夢中になって喋る私を、翔次はいつものようにちゃんと見守っていてくれた。武蔵野の空の下で育んだ想いは、寒い季節も私達の心を温めてくれ、年末年始のレポートの山や、修士の学年末試験を乗り切らせてくれた。
やがて私達が出会った弥生が訪れる頃、翔次は中学校の英語の非常勤講師の職が決まった。翔次には英語の才能もあり、それで仕事に就ける翔次が、急にすごく立派に見えた。「つつじ、ごめん。今準備ですごく忙しくて、お花見に行けない」
「わかってるよ。それより健康に注意してね。応援してるから」
卯月を迎え、彼はいよいよ正式に先生になった。大学院に比較的近い中学だったから修士の授業には来ていたが、なかなか電話もできない忙しさが続いた。彼がまぶしいほど大人に見え、私も真剣に就職を考える時期に来ていた。修論を書きつつ、私は念願の、辞書を作る仕事ができる出版社に就職が決まった。こうして私達がそれぞれの道を歩き始めたのも、まっすぐな、ごく自然な流れだった。
二十五年前、確かに翔次と刻んだ日々だったのに、私は壊れ物のようにあまりに大事にし過ぎて、指の間から砂がこぼれ落ちるように喪失してしまった。…と、少し前までは思っていた。でもそうじゃないと今はわかる。きらめくような日々は明確に刻印され、その後の二人の人生は別々に歩んでも、今もこれほどまでに実り豊かに私の心の襞を震わせてくれる。失われてなんていない。精一杯生きた日々には、喪失なんて無縁だった。これからも、武蔵野の大空のもとの四季の記憶は色鮮やかに、翔次の二十八歳とつつじの二十三歳は輝き続ける。美しい自然の中で、深大寺の神様に見守られて青春を彩った恋は、年月を経てより強く私の心の中で生き続けている。
牧野 さつき(東京都新宿区/48歳/女性/主婦)