*

<第5回応募作品>「ムグンファの思い出」 著者: 波岡 洋

神代植物公園は、昭和三十六年十月に開園して以来、一年を通じて、様々な花の観賞を楽しむことができる場所である。中でも、特に私が好きなのは「木(む)槿(くげ)」の白だ。夏の花、木槿は、例えば同じ夏の時期に花をつける向日葵(ひまわり)に比べてみれば、主張する態度、要素が極端に少ない。
まず、向日葵はご存じの通り植物の中でも有数の背の高さを誇り、花弁(はなびら)の黄色が鮮やかで、何しろ大きな花を太陽に向けて自らを、上へ周囲へと主張する。植物公園内の「一年草園」にも見られるような、一定量の向日葵が植えてある花壇は、さながら、我先に周りから抜きん出ようとする意志の集団であり、自らの背丈と大きさばかりを気にする主張の大群のように、私には見えてしまう。
一方、木槿の花は何と言っても可憐である。まず、どこが可憐なのかと言えば、その花弁である。咲いた花弁はどの色も淡く、私の好きな白い品種さえも、その白が淡く見える。花の中心に向かっては、やや遠慮がちなインパクトを醸し出した、これまた淡い紅色の輪の模様が確認される。そして何よりも、木槿という花は、向日葵のように一夏中咲いている花ではない。そこがまた可憐なのである。木槿は、次々に別の花が咲くため、人の目には夏の間、長く開いている花のように見られるかもしれない。しかし、その実態は、丑三つ時とも言える朝の早い時刻、太陽の昇る前に人知れず開花した後、夕方には奥ゆかしくしぼんでしまう、控えめな「一日花」なのである。
可憐に咲いた木槿は即ち、一般に短いと称される花の命を、そのまま運命的に背負ってしまった花なのである。

「ソミンさんは、どんな花が好きですか。」
二十年前の夏、調布にある大学に入り立てだった私は、六つ年上で大学院に在籍していた留学生、イ・ソミンさんに、淡い恋心を抱いていた。
「私は、この花、『無窮花(ムグンファ)』が大好きです。」
初めてのデートで歩く神代植物公園の、どこの入り口からも遠い場所にある「木槿園」に差し掛かったとき、微笑みながら、彼女は、うつむき加減でそういった。
「韓国では、ムグンファって言うのですか。この花は。私の発音、合っていますか?」
「ケンチャナヨ(=大丈夫)。」
「この花、日本では、ムクゲと呼ぶのです。韓国では「無窮花(ムグンファ)」は、どんな意味があるのですか。」
「韓国では、ムグンファは、国の繁栄を意味する花、国の花。国民、みんなから大変好かれています。」
「ソミンさん、この花のこと、とても詳しいですね。どうして、ムグンファは、韓国の国の花になったのですか。」
「質問ばかりですね。シンちゃんは。」
「ごめんなさい。自分が、日本のことも全然説明できないのに、ソミンさんに韓国のこと、聞いてばかりで。」
「思い出したら、少しホームシックに、なって来ちゃった。」
「ワタシ、変なことばかり聞いて、本当にごめんなさい。」
元々早口な私は、当時、ソミンさんと話すとき、わざと、ゆっくりとゆっくりと、はっきりと話をするようにしていた。来日して一年目だというのに非常に流暢に日本語を操る彼女だったが、私は彼女が外国人であることを意識して、できるだけ難しい日本の言葉を使わないつもりで話していた。少なくとも、自分はそういうつもりで話をしていたと思う。わざとらしく、ゆっくりだった私の口調は、もしもその場に他の日本人がいたら、きっと、自分のことをとんでもなく気障(きざ)な男だと思ったことだろう。十九歳の私は当時、彼女の前以外では、自分のことを「ワタシ」と言ったことさえなかったけれど。
「お寺の側(そば)の、涼しいところまで行って、座って少し休みませんか。」
また知った風な私がそういうと、
「はい。」
彼女は素直な目を見せながら、優しく応えた。
蝉の鳴く木陰の道を、潜(もぐ)るように深大寺門の方に抜けて、私たちは屋外の席でも涼しげな風が通る蕎麦屋「多聞」まで足を運んだ。
  私は、二人で冷たい餡蜜を食べながら、できるだけ彼女を悲しませたり怒らせたりしないように、ムグンファの話の続きができないものかと頭を掻いていた。私は話のつなぎのつもりで、大学のゼミや自分の故郷のこと、東京に来て、一人暮らしを始めて気づいたことなど、やはりわざとらしいほどに自らの口をはっきりと開けながら話した。しかし、何よりも彼女のこと、そして彼女の国のことを知りたかった。
「シンちゃん、サークルは、どこに入ろうと思っているのですか?」
「シンちゃんはぁ、早口なので、きちんとした発音で、ゆっくりと話ができるようになるため、弁論部に入ろうと思っています。」
もはや、ロボットのようになった私の口調に、彼女は、その小さい丸い顔を、もっと小さくしながら笑った。これで良し。
「ところで、少し、先ほどのムグンファの質問をしても、構いませんか?」
「ケンチャナ、ケンチャナ。」
彼女は、朝鮮王朝時代、ムグンファが、朝鮮の高級官僚合格者に対して国王が御賜花として授けていた花であったこと、また、朝鮮国王が出席する宴会では、臣下たちが部屋の隅にムグンファを生けて、それを王と臣とをつなぐ信義のしるしとして扱っていて、そこから国の花として定着するようになったことを話してくれた。
「本当に自分の国のこと、ソミンさんは良く勉強しているのですね。感心します。」
「シンちゃんだって、外国に行けば、日本のことを話さなくてはならなくなるでしょ。きっとそうなるでしょ。」
「確かに、ソミンさんの、おっしゃるとおりだと思います。」
 「ムグンファは、韓国が、いえ朝鮮の残してきた時代が、そのまま感じられる花だと思います。」
「といいますと?」
「ムグンファは、無に窮(きゅう)する花と書くの。それは、日本語で考えても同じ意味。無に窮する、何も無いことに困るくらいのたくましさを持っているわけ。ムグンファは朝早く花を開いて、開いた花は午後にはしぼみ、日が暮れると落ちてしまいます。毎日毎日、夏の間、それは咲いては散る花なのだけれど、夏から秋まで百日もの間、途切れることなく次々と咲く花なの。一つの花の花びらは一日だけで、その花自体は無くなってしまうのだけれども、次々に咲いてくるから、ムグンファの種(しゅ)は死んではいないの。力強く種が続くことが判るわけ。それが私たち朝鮮民族の歴史と重なっていると思います。」
後から聞いた話だが、無窮花は本当に非常に強い花で、枝を切って地面に刺しておくと、いつの間にか根づくらしい。それくらい、その生命力は強い。
「だから、韓国人は、日本人より強いのよ。」
「きっと、そうだと思います。ソミンさんを見ていると、そう思います。」
彼女は、日本から日本の奨学金で招聘された国費留学生だった。受験競争の激しいソウルの学生時代を優秀な成績で過ごし、狭き門を通り抜けて日本までやってきていた。日本の地方で平々凡々と生活してきた自分の何倍も努力をしてきたことだろう。その証拠が、自国のことを異国の言葉でしっかりと説明できる話力に現れている。
「シンちゃん。だから、シンちゃんとは、もうこれっきり。私は、日本では好きな人は作らないことに決めているから。」
最初のデートの中盤で、私の東京での初めての恋は、幕が閉じられてしまった。まだ、追うことができないわけでもなかったが、ムグンファの散り際の潔さを考えれば、これはスパッと断念するのが心地よい。
「ソミンさんという、可憐な人に出会えただけでも、自分は幸せです。スッパリとあきらめます。」
そのとき、初めて彼女に対して、何の意識もせずに自分の使いたい日本語が使えたような気がした。
「ソミンさん、最後に、もう一つだけ質問させて下さい。ソミンさんの嫌いな花はありますか。」
「そう、嫌いな花、嫌いなのは紫陽花(あじさい)。だから、シンちゃんには紫陽花にはならないで欲しい。」
「難しいですね。どういう意味ですか。」
「全然難しくない。紫陽花は日本では雨の日に綺麗に咲く花だけど、それだからかもしれないけれど、冷たい花なの。紫陽花の花言葉、『冷淡』だって、知らなかったでしょ。」
「全く、存じ上げませんでした。」
「シンちゃんは、私のことを気に
して、一生懸命に簡単な日本語で話をしようとしてくれていた。そのこと、良く分かります。そんなシンちゃんには、これからも紫陽花にはなって欲しくないの。」
彼女は私のことを、全部判っていた。そのことが改めて彼女への恋心を断ち切るに当たっての障害になってしまいそうで、自分は俯(うつむ)いてしまった。
木槿の花言葉は「信念」だという。彼女は翌年の春、電子工学の博士課程を卒業した。今、祖国で大学教授となって最先端のエンジニアリングのアドバイスを企業に行う職務に就いているという。結婚しているかどうかは知らないが、きっと幸せに違いない。

波岡 洋(東京都小金井市/39歳/男性/公務員)

   - 第5回応募作品