<第5回応募作品>「見えないバトン」 著者: 杉本 絵理
約束より結局三十分も早く到着してしまった。深大寺に多く立ち並ぶ蕎麦屋の中でも「市川」は古く小さい。それなのに、念入りに磨かれたような清潔さと、静かな佇まいは二年振りに訪れてもまったく変わっていない。
二年前に父が亡くなるまでは、母と三人でよく訪れた場所だった。大学教授だった父は留守が多かったが、たまの休日に三人そろうと「市川に行くか!」と私たちを誘った。家からたった一駅先だったが、私にとっては小旅行のように楽しみなことだった。
店の前に立っていると、古い引き戸が開いて、その奥から蕎麦を食べ終えてお腹一杯の私と両親が笑顔で出てくる光景が瞼に浮かんでくる。父はいつも通り日本酒をちびりちびりと飲み、私はその嬉しそうな父の顔を見ながら酒のつまみに好んだ揚げそばに手を伸ばすことが大好きだった。
大学に進学して就職すると、当然に訪れる回数は減ったが、それでも三人で「市川」に行く習慣は不思議と途絶えなかった。
父が亡くなった途端、母と二人で来ることさえなくなってしまった。もっと長生きして当然だと思っていた父の早過ぎる死は、驚きとともに残された私たちの生活に色々な影響を及ぼした。それは死に対する悲しみより、現実的な重量感があった。母との関係もそうだった。父が亡くなっても元通りの関係には戻らず、それは三人いての二人と、本当に二人しかいなくなったことがまったく違うという現実だった。それにイラついて恋人の雅人に八つ当たりが増えると、その関係までもが悪くなっていった。
思わず、小さな店の前から尻込みしたい気持ちになるが、しっかり背筋を正した。父が亡くなってからの二年、理解不能な母の行動に、ようやく答えを見出せる日が今日なのだ。
「とりあえず」と、心のざわめきを落ち着かせるように言葉に出すと、深大寺まで参拝に行こうとUターンした。気もそぞろな三十分をここで過ごすには、あまりに時間が長すぎる。もう一度背筋を真っ直ぐに正した。
一週間前の土曜日の電話は、一人の夕飯を終えたタイミングだった。電話の音ですぐに相手は分かった。見ていたようなタイミングでの電話はいつも母からだった。
「お母さん?」
「違っていたらどうするの?」
電話口で笑う声はやはり母だった。
思わず電話先の相手に聞こえるようにため息をついた。それを無視するように母は、
「ねえ、来週の土曜は休み?市川にお蕎麦を食べに行かない?話があるの」
口には出さなかったが「きた!」という心境だった。黙っている私に、
「雅人さんとデート?仲良くしている?」
きっと雅人は、最近妙に続く休日出勤だと言いかけてぐっと抑えた。来週正午の待ち合わせを決めると、何度目かのため息が出た。
理解に苦しむ母の行動の最初は、父が亡くなった一カ月後だった。急に家を売って私とも別居することを提案したかと思うと、実行に移す勢いはすごかった。さらにそのあと二回引っ越しを繰り返した。二回目は私も知らないうちに、数回転送される郵便物でようやく母の住所が変わったことに気付く始末だった。今は深大寺から徒歩十分程度のマンションに暮らしている。
それでも、私は基本的に何も聞かずに母の言う通りにした。どうしてと母を問いただすことで、母までも失いたくなかった。二人でもめるより、別居を言い出した母に従って、休日に一人で荷物をまとめ、会社に近いところにアパートを見つける方が余程楽だった。
何の相談もしてくれなくなった母への疑問と、責める気持ちは常につきまとうようになり、たまに会っても気まずさとわざとらしい気遣いばかりが表に出た。
こんなことになった原因を一つ一つ羅列したことも、夜中に起きて突発的に考え始めることもあった。答えはいつも分からなかった。いずれはと待ちながら、母が何も話してくれない二年が驚くほどあっというまに過ぎた。
ふと気付くと、深大寺の前まで来ていた。
紫陽花も終わったばかりで人もまばらだが、初夏を待つ緑が瑞々しく目にしみて感じる。
父の病気が分かる数ヶ月前に、顔合わせ程度に雅人を両親に紹介したときは、まだ紫陽花が笑うようにほころんでいた。「市川」で蕎麦を食べたあと、四人で深大寺に参拝した。その晩「結婚はまだ早いよな!」と赤い顔で言う父を見て、母と苦笑した覚えがある。あれから二年交際は続いていたが、休日出勤が理由だけではなくすれ違いが増えていた。
なんじゃもんじゃの木の下に立つと、待ち合わせまであと十分になっていた。慌てて引き返そうとしたところで、こちらに来る女性の人影があった。
名残惜しそうに深大寺を振り返りながら出てきた母は、私の顔を見ても驚かず、すぐ笑顔になった。
「久しぶり」
「うん。お母さん早いね」
「参拝に寄ったら遅くなって。今から向かうところだったの」
よそよそしい会話に、あんなに仲が良かったのにと唇を噛んでしまう。父が亡くなったことがすべての元凶のように思えてくる。そう思うことが悲しくて、目の奥が熱くなった。
母が私の表情を見守りながら、意を決したように手にした紙袋を見せた。
「ねえ、真結。これを見せようと思ったの」
中には大判のノートが入っていた。新聞や雑誌のスクラップが丁寧にはりつけてある。のぞきこむと、それは賃貸マンションの情報で、それも深大寺周辺の物件ばかりだった。思わず「またか」という思いが頭を過ぎる。
「また引っ越すの?」
「これ、お父さんがずっとしていたのよ。入院してからも新聞や不動産雑誌を買ってくるようにうるさくて」
「お父さんが?家があったのにどうして?」
思わず問いただすような口調になった。
「真結は一人っ子だけど嫁に出すんだ。俺ら二人、最後は好きな場所でのんびり暮らすぞって。本当にこの周辺が好きだったのね」
大学教授で頭が固い父は、てっきり私に婿養子でももらえと言うのかと思っていた。だから、長男の雅人との交際にほっこりした顔をしないのだと思いこんでいた。
「でも、それとお母さんが私に内緒で引っ越しばかりするのとどう関係があるの?」
「だって」
母がちょっと目を斜めにそらした。
「お父さん、自分の病気を知る前に、死ぬとは思わずに探していたの。病気が分かってからも、良い物件を調べては私に細かく意見を言って。どういうことか分かる?」
答えになってないと思ったが、黙ってもう一度ゆっくりノートに目を落とした。不動産情報の下に一つ一つコメントが書き込んであった。交通事情に始まって、日当たりや見える花まで丁寧に書き込まれてある。右上がりの見覚えのある字だった。
「この字・・・」
「雅人さんから真結へラブレターみたいね」
「へ?」
「これ雅人さんよ。お見舞いに来てくれて、お父さんが不動産情報をはるたびにコピーして、下見に行っては書き込んでくれていたの。いつもお父さん寝たふりだったけど」
「でも、お母さんが何の相談もなく勝手に引っ越すことと関係ないじゃない。私一人で寂しかったのよ」
「寂しかったのは、真結だけじゃないのよ」
冷たいくらいにはっきりした声だった。
「雅人さんの書き込みは、お父さんが私一人で住む心配を察して、それを解決していけるコメントで。お父さんが亡くなって一人でこれを見ていたら、色々なところを見てみようって前向きになったの。今のところは五階で、春には植物公園の桜がきれいに見えたのよ」
そうだ。母が勝手に引っ越して、置いていかれて、自分だけが寂しい気でいた。母は一人で引っ越しをして、一人で気持ちの後かたづけをしていたのだ。そんなことにも、父が一人残る母を思う気持ちにも、その父を思う雅人の行動にも、二年経つ今まで気が付かなかった。
最後の物件のページの裏の糊が少しはがれかけていた。それを見た瞬間、今までたまっていたものが溢れ出してきた。
『雅人くん、わがままな真結を頼む。もし少し余裕があれば、ついでに妻もたのむ』
『二人ともおまかせ下さい』
母は私が止まっているページを見た途端、声をあげて泣き出した。父が亡くなってから、母が泣くのを見るのは初めてだった。
「来年は、雅人さんと桜を見にきて」
母が今日一番言いたかったのは、この一言なのかもしれない。
泣き顔を隠すように言った母に、つい最近もケンカをしたことを話してしまった。早く雅人さんのところへ行けという母は、
「お蕎麦を食べてからね」
と笑った私に呆れ顔を見せた。父が亡くなる前の母らしい顔だった。
「だめ!走りなさい」
走りながら、深大寺の神様は怖い顔だぞと、小さい私を震えさせていた父の言葉を思い出した。今なら、それが深沙大王像のことで、いつもは姿を見せないけれど、実は縁結びの神様のことだと分かる。
疑っていた私を雅人は怒るだろうか。すごい形相の雅人と深沙大王が一緒になって笑うところを想像してみると、少しだけ笑えた。ずっと見送っている母の視線を受けながら、懸命に走り続けた。
杉本 絵理(富山県富山市/32歳/女性/会社員)