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「恋じゃない」著者:雪野銀

突然、何かの衝撃で私は横倒しになり、バキッという音が聞こえた。私の身体はくの字に折れた。終わった。私はその瞬間、死を覚悟した。三〇代とおぼしき女性が「すまんのぉ、すまんのぉ」と言いながら慌てて私を縦に戻した。彼女は私を買い、彼女の住むマンションに持ち帰った。それが、鯉子との出会いだった。 
神代植物公園のつばき展で「寒咲赤侘助」という名前で売られていた私を、鯉子は「侘助」と呼んだ。「カンザキアカワビスケ」なんていちいち言うてられんじゃろ、と鯉子は言った。彼女はどこからか借りてきた接ぎ木テープで私の折れた枝と枝とをあわせてぐるぐると巻き、またこれもどこからか借りてきたカルスメイトと書いてあるチューブ型の薬のようなものを上から丁寧にぬってくれた。
 鯉子は広島出身で、大学時代に地元で付き合っていた彼とめでたく結婚して東京で一緒に暮らすことになった。けれども東日本大震災の後、建築関連の会社に勤める夫は仙台に呼ばれ、今はひと月に一度戻ってくればいいくらいだ。鯉子にも早く仙台へ来いと急かしてくる。鯉子は知り合いも親戚もいない東京の地でひとり生活していた。東京の冬は鯉子にとっては厳しく、そしてとても長く感じられた。広島の両親はひとり娘の東京行きをはなから反対していた。それが結婚して一年も経たないうちに今度は仙台に行くという。まだ東北地方に対する根拠のない風評が酷い時期でもあり、両親は断固反対した。広島に戻ってこいと電話をかけてくる。昨日の夜もそうだった、と鯉子は私に愚痴っているのか独り言なのか、よくブチブチと言っている。一日中誰とも会話しない日もあるから誰かに聞いてほしいのだろう。口から出すことで日々積もってゆくストレスや寂寥感といったものを晴らそうとしているのかもしれない。
鯉子は専業主婦で、一日のほとんどを家で過ごす。ちょっとした掃除とちょっとした洗濯、ちょっとした買い物をするだけだ。料理はするときもあればしないときもある。それ以外の時間は本を読んだり、私の様子を見て水をやったり、スケッチブックをもってきて私をモデルに絵を描いたりする。気が向くとピアノを弾いたりもする。私の絵をかくとき、鯉子はその細く長く透きとおるような白い指で、三つだけついている花やその周りの葉を優しく触る。私がもっと小さな苗木だったとき、神代植物公園に運ばれてくるまで、よく日に焼けた茶褐色のぶっとい指をもつおじさんが私を育ててくれていた。その逞し過ぎる指を見慣れたせいで、鯉子の白い指は全く別のものに感じた。その感触も香りもまったく違っていた。彼女が優しく話しかけながら私に触れるとき、私は深呼吸して彼女の甘酸っぱい果実のような香りを全身に浴びる。全身を巡る養分が水の流れに乗って勢いよく駆け巡り、快感で満たされるのを感じる。宇宙の果てまで突き抜けていくようだ。そして花が、葉ひとつひとつが、根っこの先の細い細い糸のようなものまでが、生命の活力で満たされていくのがわかる。私は彼女の指を求め、それは日増しに高まっていった。けれども、いくら彼女を呼んでもその声は彼女の耳には届かない。鯉子が私を買ったのは、私を蹴りとばして傷つけてしまったためで、事故というか偶然だった。もともと私を買うことは目的ではなかった。だから今は仕方なく育てているだけだ。私は彼女のためにできることは、できるだけ美しい赤い花を咲かせ、その状態を長く保つよう心掛けることくらいだった。
ある晩、鯉子は喧嘩しているようだった。相手は仙台にいる夫だ。鯉子は仙台行きを反対している両親をなんとか説得して夫のもとへ行くことを決めたのだが、今度は夫ともめている。それはどうやら私の処遇を巡ってのことのようだった。夫は鯉子が仙台に私を伴ってくることを反対している。そのことは明らかだった。
喧嘩の数日後、鯉子は深大寺のそば屋に私を運んで行った。私が鯉子と出会った神代植物公園は目と鼻の先だ。店の玄関には、ひとりでは抱えきれないほどの大壷が置いてあり、濃い紅色の薮椿がたっぷりと豪快に活けてある。昼時を過ぎていたため、客は他にはいなかった。着物姿の女将がにこやかに出迎えた。
「ああ、侘助、この前よりも元気そうね」
 鯉子が私を無償で預かってもらうことへの感謝のことばを口にすると、
「あなた、もし東京に戻ってきたら、必ず侘助を迎えにくるのよ」
 と女将は鯉子の肩をぽんとたたいた。
鯉子の住むマンションのすぐそばに女将の自宅がある。広々とした庭は椿の生垣でぐるっと囲われている。草花のことに詳しく、私の枝が折れたときも女将が鯉子に対処方法を教えたようだった。
女将は熱い日本茶と、「これ残り物で悪いけど、いっぱい作っちゃったから良かったら食べて」と言ってそばがきを出した。正方形の皿にはきな粉と黒蜜が添えてあった。お出汁とかそばつゆでいただくのが普通なんだけど、こういうのもいいでしょ。女将の頬にえくぼができた。鯉子はそばがきにきな粉をかけ、それから黒蜜を少しつけて口に入れた。
「うまいわぁー。うち、これ、ぶち好きじゃあ」
 女将が口に手をあてて笑いを堪えているのがわかった。
 鯉子は夫との電話の内容を女将に伝えた。椿は首ごと花が落ちるから縁起の悪い花であり、家には置きたくないと夫は主張し、頑として譲らなかった。女将は身を乗り出して、
「あたしね、お花をすこしやっているから言うんだけど、椿は全然、縁起の悪い花なんかじゃないわよ」と着物の袖をまくって襷掛けをした。
「確かにそういうことをいう人はいるけど」と前置きをしてから、椿はお茶の世界では鎌倉時代から茶花として愛用されてきた歴史があり、邪気を払ってくれる神聖な木として神社の周りや一般家庭の生垣などに昔から植えられてきたのだと話した。それから店内の壁にかけている花入れを取った。鯉子に1本の枝を見せて、
「これはね、白玉っていう白色椿よ。清楚な感じがいいでしょ」と胸を張った。
 女将はたらいに水を張り枝を浸し、花鋏で端を切り、余分な葉を落として花入れに活けた。花入れは黒漆で塗られた板にガラスの花入れを組み合わせたモダンな印象の花入れだ。「バックが黒だから引き立つわよ、きっと」女将は満足げに白玉を掲げた。
鯉子がそば屋を出るとき、女将が思い出したように言った。
「深大寺には恋愛の神様が祀ってあるそうよ。あなた拝んで行ったら? ご主人が侘助を嫌がっているのは、あなたが侘助にかまいすぎているからじゃないの? 本当は」
 鯉子は軽く頷いたが、その後、実際に行ってみただろうか。だいたい鯉子は神とかそういうものを信じる性質だったろうか。何かに祈ったりすることがあったろうか。私はお参りに行くことはできないが、祈ることはできる。
 いつだったか、鯉子が風邪をひいて寝込んだときがあった。そのとき彼女の夫が彼女のために戻ってきたのか、たまたま戻る日だったのかわからないが、マンションのあの小さな部屋で鯉子をかいがいしく看病していた。水枕をつくり、はちみつと生姜とレモンの入った熱い飲みものをつくり、たまご入りの雑炊をつくり、のど飴を買いに行ったりもした。夜、咳が止まらない鯉子は横になりながら、のど飴をずっと舐めていた。口の中でカラカラと飴を動かす音がしていた。カラカラカラカラ。私はその乾いた音を聞きながらはっきりと理解した。鯉子のそばにいるのに私は何もしてやることができないのだと。時々にしか帰ってこないあの夫に比べて、私はまったく役に立たない存在なんだと。私にできることといったら祈ることくらいだ。私は祈り続けた。鯉子の笑顔や明るい声を想いながら。

 四月の初旬、女将に短い手紙が届いた。鯉子からだった。女将は私の前に座りその手紙を読んでくれた。それは「お世話になっております」ということばから始まっていた。手紙はあの聞きなれた広島弁ではなくて、標準語で綴られていた。簡単な近況報告の後で、
「侘助を買ったのは、女将さんのお屋敷の生垣に咲いていた赤い椿を見たのが始まりです。
そのとき私は冬の寒さと孤独感でなかば鬱のような状態でした。なにもかもが薄墨色に映る世界で、その濃く力強い赤が、私の眼に飛び込んできたのです。私はなにかあたたかいものを感じて、赤い椿を絵に描いてみたいと思いました。それからすぐに神代植物公園に椿を買いに行きました。深い紅の花をつけた侘助を見て、この花だと思いました。それで興奮して近寄ったときに侘助を倒してしまったのです。私は侘助といると、なぜかとても穏やかで落ち着いた気持ちになれます。お忙しいでしょうが、どうか侘助を大事にしてやってください。私の我儘を聞き入れていただいてありがとうございます」
私はそば屋の中庭で散る桜を見上げながら、鯉子の白い指を思い出していた。
手紙と一緒に花の絵が入っていた。はがきサイズの紙に一重で小ぶりな花をつけた紅色椿が鮮やかに描かれていた。背景の色は澄んだ空の色だった。

雪野銀(東京都)