*

「君が見つめる先にある羽」著者:桜田ゆう菜

「つぐみちゃん、明日空いてる? 引っ越す前に鳥見に行こうよ」
 大河が最後の探鳥に誘ってくれたのは、彼が大学に進学するため、北海道へと旅立つ 二日前のことだった。
ラインに入ったメッセージに、私はもちろん行くと返事をした。

 探鳥の時は必ず早朝に家を出る。深大寺に行って、鳥たちが目覚め、歌い出すのを聞くのだ。深い緑の間に立って目をつぶり、ただ鳴き声に耳を傾ける。
この日もいつもと同じように、大河が私に向かって言った。
「つぐみちゃん、いくよ。三、二、一、はい」
 同時に目を閉じる。三月の早朝の空気は、ぱきんと凍ったように透明で冷たい。剥き出しの頬はもちろん、帽子や服、手袋で覆われた部分でさえも、皮膚の表面に突き刺さってくる。そして青くさい草木の香りを伴って、鼻の中を通っていく。
 足を一歩動かせば、ざくりと霜柱の崩れる音。それをかき消すように、近くで、遠くで、鳥たちが鳴き交わす。私たちはしばらく無言で、朝の静けさを受け止めた。
「ヒヨドリでしょ、キジバトでしょ、シジュウカラ、エナガ、遠くにオナガもいるね」
 少しの沈黙の後、私は聞こえてくる鳥の鳴き声を片っ端からあげた。
「あっ、アオゲラ鳴いた」
私は目を見開いて、「大河、さすが。私、聞こえなかったよ」と言い、大河の顔を見た。
 いつもと同じように目が合い、大河が微笑む。これまで何万回、こうして笑顔を向けてくれただろう。それが明日にはいなくなってしまう。そんなことを思うと、鼻の奥がつんと痛くなって、「あっちの方行ってみる?」と、涙が出るよりも先に口と足が動いた。

 私たちは深大寺元町に生まれ育ち、小さい頃からよく二人で深大寺周辺で遊んだ。
 大河には特別な才能があって、一緒に歩いていると、私の目には入って来ない鳥や虫や爬虫類を次々と見つけ出したり、鳴き声に敏感に反応した。その度にしゃがみこんだり、空を仰いだりして視線の先を凝視し、何分間も動かないのだ。
目がいいとか、耳がいいとかそんな単純なことではなく、きっと彼は五感以上の感覚を持っているのだと思う。幼い私には、そんな大河こそが不思議な生き物に映った。そして彼は私一人では見つけることができない、足元に広がる世界を教えてくれた。
バードウォッチングをするようになったのも、大河が誘ってくれたからだ。彼はとりわけ鳥が好きで、小学校の高学年になると、どうしても神代植物公園でカワセミの観察をしたいと親に懇願し、双眼鏡を買ってもらったのだ。
「水生植物園に青い鳥がいるんだよ。つぐみちゃんも一緒に見に行こうよ」
 青い鳥という言葉の響きに魅了されて、私はわくわくしながら大河について行った。
 カワセミは小さい体に短い足、大きな頭と嘴を持つ。そのバランスの悪さが滑稽で、文句を言っているような顔つきも見ていて飽きない。背中から尾羽にかけて、水色やコバルトブルーの羽に覆われ、飛ぶ時に広げた翼は太陽の光線に反射して、青が緑から紫に色彩を変え、天然のグラデーションを放つ。
その美しさにすっかり魅了されて、私は毎日のように大河と一緒に神代植物公園や深大寺へ出かけ、カワセミだけではなく、いろんな種類の鳥を探した。
そして鳥を見ながら、「カワセミってさ、メスにプロポーズする時、捕まえた魚を差し出すんだって」とか、「つぐみちゃんの名前のツグミは、秋になるとシベリアから飛んできて、日本で冬を過ごすんだよ」とか、どこで知識を得るのか、大河は動物の赤ちゃんのように一点の曇りもない目で、喜々としていろんな話をしてくれた。
 中学に上がってからは部活が始まったこともあって、少しずつ二人の間に距離ができた。けれど大河は変わらず鳥の観察を続け、春だから営巣が始まったとか、冬鳥が渡って来たとか、何かの折には探鳥に誘ってくれた。いつしか彼は幼い頃からの私を知る数少ない人物で、私にとっては絶対的な安心の砦のような存在になっていたのだ。
「僕、鳥の研究したいんだ。だから北海道の大学受験することにした」
 こう言われたのが高校二年の秋だった。最初は大河らしい選択だなと思っただけだったのが、三年に進級し、受験が迫ってくると釈然としない感情が私の中に広がっていった。
 合格発表の知らせを聞くと、寂しいという言葉では補えない、薄ぼんやりと光る孤独が闇の中にひっそりと生まれた。そばにいてあたりまえの人がいなくなる不安。この時私は初めて、ずっと前から大河に恋していることに気づいたのだ。

「このあたりの鳥たちとも、しばらくお別れだなあ」
 深大寺の境内を歩きながら、大河が呟いた。その言葉は明日、別れの時間がちゃんと来ることを告げているようで、私はうろたえた。言いようのない寂しさに耐え切れず、あえて話をそらした。
「幼稚園の頃、蝶が羽ばたく音が聞こえるって言ってたじゃない。今も聞こえるの?」
「うん、聞こえるよ」
「私は大河と同じ人間なのに、見えるものも聞こえるものも、ぜんぜん違う。小さい頃から大河が感じてるもの、私も見たり聞いたりできたらいいなあって、ずっと思ってた」
「人間てさ、みんな感じること、違うんじゃないの」
 私は立ち止まって、「そうなのかな」と返事をした。
「意識が向いてる先のものしか見えないし、聞こえないんだよ、たぶん」
 よほど私がきょとんとした目で大河を見つめていたのだろう。彼は静かに続けた。
「こうしてる今も、足元には虫の暮らしがあるし、微生物は微生物の都合で生きてる。鳥も縄張りを主張したり、餌を探したりしてるでしょ。生物とか植物とか鉱物とか、いろんなものが生きていて、それぞれ世界を持ってるんだよね」
「それが見えるか見えないかってこと?」
「意識するかしないかで、同じ時間、同じ場所にいても、目に入ってくるものが違う気がするんだ」
 大河はそう言う間も鳥の姿を追って、木々の重なり合う枝の間に視線を行ったり来たりさせ、時々双眼鏡を覗いた。
「人間に対してもおんなじだよ。人って別の角度から見たら違う顔って言うか、側面が見えるじゃない。きっと自分が見たいその人の顔を見てるんじゃないかな」
 こんな会話ができる相手はめったにいない。遠くを見つめて何かを思う横顔を、明日には見られなくなると思うと、私はまた泣きそうになった。
離れ離れになっても親交が続くのだろうか。「本当は好きなんだ」、なんて言葉にしたら、これまでの全てを失ってしまうのだろうか。そんなことを考えると、気持ちは宙ぶらりんのまま、私は黙っていることしかできなかった。
 その時、道の脇に植えられた低木の下を、かさかさと枯葉を踏むかすかな音が聞こえた。
「あっ、シロハラだ」
 大河が声をひそめながら叫んだ。東京での越冬を終え、もうじき迎える渡りの前に無心で枯葉の間をついばんでいる。
「シロハラってさ、東京ではいっつも地面を歩いていて、鳴き声もさせないじゃない。でも北海道ではつがいになるために、木の上でさえずってるらしいよ」
 目の前のシロハラは一、二か月もすれば、大河と同じように北へと飛び立つのだろう。そしてパートナーを見つけるためにさえずって、営巣して、子育てをするのだ。大河とシロハラが重なって、こんなに切なく感じるとは自分でも想像できなかった。
「六月頃らしいよ、シロハラのさえずり」
 大河は一瞬沈黙して、さらに続けた。
「六月の週末、北海道で一緒にシロハラのさえずり聞かない?」 
 この声は。
私はずっと大河の中に広がる世界は見えないし、聞こえないと思っていた。でも今、はっきりと大河の言葉の奥に潜む声が聞こえた。
双眼鏡を握っていた大河の腕が伸びてきて、私と手をつなぐ。それを強く握り返す。大河は小さかった頃と変わらない、動物の赤ちゃんみたいに純朴な目を向けてくれている。やっぱり私はこの目が好きだ。

桜田ゆう菜(東京都世田谷区)