「陽だまりの一葉」著者:栗太郎
山門をくぐると今を盛りと咲く梅の香が、千早の身に染み付いた出汁の匂いをそっと洗い流した。フリーのカメラマンとして独立したばかりの千早は、実家の蕎麦屋を手伝ってなんとか生計を立てている。ランチタイムの前に戻ると約束して店を飛び出した十一時前、平日のこの時間だと境内の人影はまばらだ。落ち着いて被写体と向き合うことができる。
白梅の木の枝で毛づくろいする三毛猫は、葵やのハナさんだ。
千早は父の形見である一眼レフを構えた。もはや骨董品だから仕事には使わないが、趣味で撮影する時には一番手に馴染んだこのカメラを使うことが多い。
「精が出るわね」
団子を焼いている奥さんが声をかけてきた。
「麻ちゃんの写真、楽しみにしてるのよ」
実家の蕎麦屋の一角には千早が撮った写真を飾ったコーナーがある。「深大寺の四季」と言うヒネリのないタイトルをつけて、界隈の写真を定期的に入れ換えている。多くは植物だが、ご近所さんの日常を切り取ったスナップもなかなか人気があって、ちょくちょく欲しいと言ってくれる人もいる。
「梅も、もう二、三日かしらねえ」
奥さんの声に、千早はうなずいた。
花の季節が終わると、いささか厄介だ。千早が本当は何を撮っているのか、カムフラージュしてくれるものがなくなってしまう。今、周囲の者は千早が梅の花にピントを合わせていると思っているのだろう。真の被写体であるハナさんを見ているのは、千早だけだ。だってハナさんは秋の終わりに老衰で亡くなったのだから。
千早が自分の不思議な目に気づいたのは小学生の時だった。生まれる前から家にいた愛犬ベルが十六歳で天寿を全うした後のこと。
一人っ子の千早にとってベルは兄弟同然だったから、その死を受け入れることは難しかった。千早は朝から日が暮れるまで、灰になったベルが眠っていると教えられた万霊塔の周りをウロウロするようになったのだ。ランドセルを背負って家を出た娘が小学校に行っていないことは、その日のうちに学校からの電話で発覚したが、両親は千早を叱らなかった。その代わり、昼になると母か父が弁当を手にやって来た。
店が忙しい母は千早に弁当を渡すとすぐに帰って行ったが、父はたいてい自分の分も弁当を持ってきて、千早と一緒にそれを食べると並んでしばらくおしゃべりをした。生涯、売れない写真を撮り続けた父は普通の大人とは違っていて、あまり地に足がついていない人だった。それだけに、彼のカメラは不思議なものを捕えた。
ベルが死んでからはじめて千早がその姿を見た時も、父だけが当たり前のこととして受け止めてくれたのだ。父は、他の大人のように千早のことを笑ったり叱ったり、オロオロ取り乱したりしなかった。
「そうか、ベルがお前を心配して姿を見せてくれたんだね」
父はそんな風に言った。
「残念ながらお父さんには見えないけれど、写真には写るかもしれない」
そうして確かに、父が撮った写真にははっきりとベルの姿が写っていたのだ。
「カメラのフィルムは不思議なものでね、人の目には見えないものを焼きつけることがある。その逆もね。デジタルカメラはそういうことが起こらないからつまらないな」
父はその写真を現像して引き伸ばし、千早にくれた。いつ撮った写真か、お母さんには内緒だよと言って。二ヶ月ほどたつとベルが姿を現すことはなくなったけれど、千早の中にもう絶望的な悲しみはなかった。いつでも振り向けば、陽だまりの中にベルがいる。そう感じられるようになったから。
それから千早はもとの生活を取り戻し、自分の不思議な目のことはほとんど忘れてしまった。
思い出したのは、父が若くして亡くなり、あのカメラが千早の物となった時だ。高校生になっていた千早はカメラを下げて、幼い日ベルを見たあたりに行ってみた。
残念ながら父が姿を見せることはなかったが、千早は代わりに沢山の動物を見たのだ。犬や猫だけでなく、ハムスターやイグアナ、カナリア・・・・・・多くは陽炎に揺らめいて覚束ない影だったが、中には生きていると変わらない存在感のものもいた。
もはや子どもではない千早は、自分が見たものについて人に語ることはしなかった。ただ、ひたすらにシャッターを切った。動物たちはみな陽だまりの中で穏やかにくつろいでいる。その姿を留めておきたいと願ったのだ。
ひとしきり写真を撮ると、千早は水路の側に置かれた床几に腰を下ろした。これを食べたら店に戻ろうと、しょうゆ団子を一串注文し、備え付けてあるお茶を入れる。
気がつくとハナさんが、足もとに座っていた。ちょっと太目なのは甘え上手で美味しいものを食べさせてもらっていたからだ。ハナさんが死んだ時、葵やの奥さんは自分が食べさせすぎたからだと後悔したけれど、ハナさんは幸せだったのだと思う。だってこんなに良い表情をしている。
千早は、ちょうだいポーズをするハナさんにカメラを向けた。ちゃんと写っていたら日付は入れずに葵やさんに届けよう。
ファインダーを覗くことに夢中になっていた千早は顔をあげた時、同じ床机に一人の老人が腰掛けていることに驚いた。全く気配を感じなかったのだ。
「ハナさんは、変わらずに美しいですね」
老人の言葉に千早はぎょっとした。彼の視線は、ちゃんとハナさんを捕えている。自分以外にはじめて見える人に出会い、何と言って良いかわからず黙っていると、老人が話しかけてきた。
「あなたは、見える人なのですね」
「見えるだけなんです」
あの不可思議な存在たちは、何かを求めている風ではないけれど、それでも伝えたいことがあって姿を見せているのではないかと、千早は思ってしまうのだ。
老人は小さくうなずいただけで、それ以上は何も言わなかった。間が持たず、千早は聞いた。
「こちらには良くいらっしゃるんですか?」
「いいえ十年ぶりでしょうか。連れがそこの蕎麦屋に行っているのですが、私はお腹が減っていないから、ここで休憩を」
老人はそう言ったが、団子を焼く香ばしい匂いに落ち着かない様子だったので、千早は一串奢ることにした。年配の人に失礼かと思ったが、彼は鷹揚にうなずいた。
「ご馳走になりましょう」
それで千早は老人のリクエストであるみたらし団子を買って来た。戻って来ると、ハナさんはちゃっかりと老人の膝に座っていた。
「風が気持ち良いですね」
千早が入れてあげたお茶を飲んで、団子を食べた老人は柔らかな日差しに目を細めた。
「ほんの子どもだった頃、夏になるとこちらの親戚に預けられたことがありまして、そこの境内で可愛らしい女の子に会いました。相手は二つばかり年下でしたでしょうか。私たちは仲良くなって夏中一緒に遊びました。一夏、また一夏と過ごすうち、いつか恋をしたのですよ。ですが周囲に結婚を反対されました。私の家の者は家柄がどうのこうのと彼女にケチをつけ、私たちを引き離しにかかりました。古い時代のことです。背負う物も多く、お互いに捨てられないものもあった」
恋人たちは引き離された。
深大寺に伝わる恋物語では、身分違いで引き離された恋人たちは思いを成就することができるのだが、現実はそう簡単ではない。
「最後に会った時、私たちは誓いました。いつか色々なことから自由になったら、深大寺でまた会おうと。はじめて会ったこの季節に」
「それで今日はこちらへ?」
「ええ」
「お会いできたんですか? その方に」
老人は、目を細めてうなずいた。
「ええ、会えましたよ」
老人は、そっと膝の上の猫を撫ぜた。
「ここは縁結びのご利益があるそうですね」
「はい」
「私たちの恋は実らなかったけれど、出会えて良かったと思います。出会えたことが幸福だったと」
老人は向かいの蕎麦屋から出てくる初老の夫婦の姿に目をやった。
「ああ、連れが来ました。もう行かなければなりません。記念に写真を撮っていいただけませんかな」
「ええ、もちろん」
千早は請われるままに、ハナさんを膝に抱いたままの老人の写真を撮った。
「住所を教えてください、写真を送りますから」
「いえいえ。あなたの店に伺いますよ。素敵な写真コーナーがあるとか」
誰から聞いたのかそんなことを言って、老人はハナさんを膝から下ろした。別れを告げた後、彼は優しいまなざしを千早にくれた。
「あなたにも、良い恋が訪れますように」
それからハナさんの姿を見ることもなくなり、季節は一つ動いたが、老人が店を訪れることはついになかった。そうなることを初めからどこかで知っていた千早は、実家の蕎麦屋の一角にハナさんの写真を飾った。
陽だまりの中、三毛猫のハナさんと寄り添うのは見事な毛並みのラグドールだ。
栗太郎(東京都国分寺市/44歳/会社員)