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「王子とダルマ」 著者:MIKA☆

 カランコロン、カランコロン
小柄な下駄が石段を蹴る音が深大寺の境内に響く。蒸し暑い夏の日、祭りの提灯でオレンジ色に染まる空。参道脇には様々な露店が並ぶ。ヨーヨー釣り、金魚すくい、射的にリンゴ飴、たこ焼き、から揚げ… 優子はそれらを傍目に眺めながら友人の明日香に手を引かれ人ごみの中を掻き分けて本尊の祀られた本堂へお参りに行く。
「急いで早く」
明日香が振り向き急かすように言う。
「待ってよ明日香、早すぎるって」
 慣れない浴衣姿でもみくちゃになりながらやっとの思いで本堂の賽銭箱前に辿り着いた。
私は巾着の口を開け中から小銭入れを取り出し中から五円玉を取り出した。五円玉を握りしめ賽銭箱に入れようとした時声がした。
「たった五円でお願い事叶えてもらおうっての? せこいね」
 私は、はたと一瞬動きを止めた。振り向くと横には自分と同年代の男の子がいた。「あんたには関係ないでしょ」と言おうとしたが声が出なかった。
「どうしたの優子?」
明日香の声で我に返る。「ちゃんとお願いした?」との問いに「ううん、まだこれから」と答えた。私は五円玉を小銭入れに戻すと中から代わりに五十円玉を取り出し賽銭箱に投げた。お願いをし終わると横に居た男の子は消えていた。
 帰りの参道でヨーヨー釣りをした。私はピンクのヨーヨーを、明日香はグリーンのヨーヨーをすくった。ヨーヨーをボヨンボヨンとつきながら左手にはリンゴ飴を持って参道を歩いた。リンゴ飴は甘酸っぱくガリッと噛むと爽やかなリンゴの香りがした。リンゴ飴を食べ終えると近くの屑(くず)籠(かご)入れに棒を捨て再び参道を歩いた。
 参道を十分ほど歩いていると多くの人で賑わう店に出くわした。ダルマ屋だ。ガラス扉の向こうを見ると多くの浴衣を着た客でごった返している。大変な盛況ぶりだった。
「入ってみようよ」と明日香に促されて入店する。奥から「いらっしゃいませー」と声がする。
 中は冷房が効いているのだが人で埋め尽くされとてもじゃないが涼しいと言える雰囲気ではなかった。猫も杓子もダルマ、ダルマである。店内の一角から声がする。人だかりの奥だ。
「このピンクのダルマは、恋愛成就、そっちのは学業成就、そこのおっきいのは家内安全…」
 明日香と二人で人だかりに割って入る。人だかりの一番前に行き私は思わず声を上げた。
「あっ」、相手も「あっ」と声を上げる。
「五円」と私の顔を見て呟く。
「五円って言わないで」
「知り合い?」と明日香が私の顔を覗き込む。
「違う」とすぐさま答える。
「あんたそうだダルマ買ってかない?」
「人のお賽銭にケチつけといて。買う訳ないでしょ」
「王子、このダルマに目入れしてー」と一人の女性客が言う。
「あっ、はいはい了解」
「王子?」
「ダルマ王子」と少年は呟く。手元では器用に墨でダルマの左目に梵字の『阿』の字を目入れしている。見事な文字だと思った。
「はい三千円ね」
「三千円!?」私は開いた口が塞がらなかった。少年の目入れしたダルマは高さ十四、五㎝ほどの小さなダルマである。女性客はありがとうと言って満面の笑みでそれを受け取る。
「高すぎない?」と私は少年に問う。
「お賽銭五円の人にしたらそれは高い買い物かもね」と少年は言う。
「高すぎるんだったらこっちに小さいのも有るよ。六百円、プラス目入れ料五百円で千百円」と五㎝程のダルマを差し出す。
「そんなちっさいので千百円!?」
「お金じゃないんだって」と少年は別の女性客のピンクのダルマに目入れしながら話す。
「ねえ、王子。ダルマと一緒に写真撮って」
と女性客が言う。
「いいよ」
「はいチーズ!」
 まるでアイドルである。その場の空気に飲まれてか、隣にいた明日香が「私もダルマ買おうかな」と言い出し始める。「こんなのサギだって」と明日香に言う。すると私の隣にいた高齢の女性客が目を剥いて私に反撃する。
「あなた、サギなんて言うけれど私は昨年ここのお店でダルマ購入して宝くじが当たったのよ」
「宝くじ?」
「一千万」と耳元でその女性客が囁く。
「いっ…」思わず押し黙る。
「うちのお客は殆どリピーターさんなの、分かった?」と王子は得意気に言う。
「王子が目入れしたダルマはお願い事が叶うことで有名なのよ」と高齢の女性は言う。
「へええ」と明日香が目の前にあった六百円のダルマに手を伸ばす。
「ねえ、優子買ってみない?」明日香が言う。
「二人とも買ってくれるならサービスで二個で目入れもして二千円にまけとくよ」と王子は言う。商売上手である。結局、王子に押し切られ私は明日香と二人でダルマを一個ずつ購入した。目入れする時に王子が何の願掛けか問うた。私が「合格祈願」と答えると意外にも「受かると良いね」と言ってくれた。ダルマを受け取ると左目をマジマジと見た。これで志望校に受かる。半信半疑だった。王子は千円札を受け取りながら「お願いが叶ったらダルマ持ってきて。右目に『吽』の字入れてあげるから」と言った。
 私はその年の二月、第一志望の高校に見事合格した。ダルマのおかげだとは思わなかった。自分が努力したからだ。すぐさまそう思った。しかし明日香は合格が決まって一週間もしないうちに「目入れしてもらいに行こうよ」と言ってきた。しかしあまり気は進まなかった。だって…
「ほら、叶ったでしょ? ダルマさんのおかげだって」王子は当然のことのように言った。
「私たちのこと覚えてるの?」購入したのは半年も前である。
「覚えてるよ、五円さんとそのお友達でしょ?」
「五円さんって言わないで」
王子はクスクスと笑う。
「で、目入れ料取るの?」
「五百円」
「はあ」と私はため息を吐く。王子は丁寧に右目の文字を書き終わると「はいどうぞ」と言ってダルマを渡してくれた。
「これ持ってていいの?」
「寺では奉納したりもしてるけどせっかくだから合格記念に持っておくといいよ」と言った。それより、と言って王子は続けた。
「高校生になったら彼氏なんかも欲しいでしょ? どう恋愛成就。今なら二人で三千円にまけておくよ」
 私は買わなかった。しかし、明日香が一人で二千円かけてピンクのダルマを購入した。
「商売上手よねえ」と帰りに立ち寄った蕎麦屋で明日香が呟く。「商売上手? どこが?」と言いたかったがそれは黙っておいた。かわりに
「絶対ダルマのおかげなんかじゃないって」と言った。しかし、高校に入学して三カ月もしないうちにモテた試しの無い明日香に彼氏が出来た。明日香は予想通り「目入れしてもらいに行こう」と言った。

「五円さんも買っておけば良かったねー」
ピンクのダルマに目入れをしながら王子は言った。私の事はほっといてよ、そう思った。
「それよりどう? 彼氏とずっとうまくいく様に大きめの恋愛成就」
と二〇㎝程のピンクのダルマを差し出してきた。明日香は思わず手を伸ばす。
「四千円」
明日香は財布を取り出そうとする。
「やめなよ! 明日香! 勿体無いって」
 王子の口元には、してやったりの笑みが浮かんでいる。明日香は止めるのも聞かず購入しようとする。私は思わず王子の手の中のダルマを叩(はた)き落とした。ゴトンと重たい渇いた音がする。
「優子! 何すんのよ!」
明日香は怒ったような素振りを見せた。
「明日香! 騙されてるんだって。ぼったくりだよこんなの」
「人聞き悪い事言わないでよ。自分が信じてないからって人の幸せまで邪魔するようなことしないでよ」
 明日香と喧嘩するのは初めてだった。私はいたたまれなくなり店を出た。そして帰り道
の参道を走って駆け抜けた。いつの間にかぽろぽろと雨が降り出していた。濡れながら信号待ちをしているとふと後ろから手を引かれた。振り返ると傘を差した王子が居た。
 
「…相場の倍」
「はあ?」
「だからうちのダルマの代金」と王子が呟く。
「ごめん、あんたの言う通り。ぼったくり」
「そんなの改めて言われなくても分かってるわよ」
「そうでもしないと店やってけなくって」
「そんな風には見えないけど」
「これあげるから許して」
王子の手の中のピンクのダルマの目に書かれていた文字… 右目に『ス』、左目に『キ』…続けて読むと『スキ』
「要らねえよ!」私はダルマにパンチをした。王子はケセラセラと笑った。

MIKA☆(高知県高知市/30歳/女性/フリーター・アルバイト)