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「もう一度、あなたと」著者:山口友紀恵

「ほおずき市?」
出張先のホテルに妻から電話がかかってきたのは、午後十一時を少し過ぎた頃だった。シャワーを済ませホテルの部屋で缶ビールに手を伸ばした瞬間、携帯電話が鳴った。

―そう。深大寺でね、明後日からやるんだって。行ってみない?

電話の向こうで妻が言う。ほおずき、ほおずき・・・あまりピンときていない僕に気付いたのか、妻が続けて言う。

―あのオレンジ色のさ、風船みたいな植物だよ

あぁあれか、と合点がいくと同時に疑問が湧く。そんなもの見に行ってどうするんだろう?
「うん・・・時間があればね」我ながら気のない返事だとは思ったが、出張先にわざわざかけてくる電話としては少し実のない話のような気がしてしまった。
その後も電話の向こうで何か話していたが、適当に返事をして話を切り上げてしまった。悪いとは思ったが、どうせ明後日になれば会えるのだ。

三日間の出張を終え、帰途に着く。東京へ向かう新幹線の中で家に帰ったら何をしようか・・・と思案していた。帰ったらちょうど週末だ。小学生になったばかりの愛娘、美香を連れてどこか行こうか・・・などとあれこれ考えているうちにあっという間に調布駅に着いた。

「ただいま。」
いつも通り玄関の扉を開けたが、何か違う。家全体が静まり返り、人気がない。
「ただいま」と先ほどより大きめに声を出してみたが返事はない。おかしいぞと思いつつ靴を脱ぎかけたそのとき後ろから声を掛けられた。
「お帰り。早かったね。」
突然予想外のところから声を掛けられ身を強張らせたが、妻の美晴だった。
「ただいま・・・どこか行ってたの?」
「うん、今美香をおばあちゃんの家に送ってきたとこ。」
「おばあちゃん家?」
「え?前に言ったじゃない。美香が『小学生になったから、ひとりでおばあちゃん家に泊まりたい!』って言うからこの週末にって。」
「え・・・あ、そうだったね」確かにそんなようなことを言っていた気がするがすっかり頭から抜けていた。
「お昼は?食べてきた?」
「いや、まだ。」
「私も。少し遅めだけど、ランチしよっか。」
そう言って妻はそそくさとキッチンへ行き、準備を始めた。その間に僕はスーツケースを片付け、三日分の洗濯物を洗濯機に突っ込み、さっとシャワーを浴びた。
部屋着に着替えリビングへ戻ると、キッチンにはいつも通りの妻の姿があり、慣れた手付きで料理の支度をしていた。そんな妻を眺めつつ僕はソファに寝転がり、寛ぎながらテレビを見ていた。
妙に静まり返る家の中に響く、リズミカルな包丁の音。僕の見ているテレビの音。何気ない休日のはずだが、いつもよりゆっくり、ゆったりと感じられる。

「お待たせー」キッチンから妻が料理を運んでくれる。僕の好きなオムライスだ。
食卓につき、手を合わせる。そこで再び妙な静寂を感じる。そうか…久々の二人きりなのだ。いつもならここに美香がおり、賑やかな食卓になっているはずだ。
気付いた途端、妙に照れくさくなる。二人きりなんていつぶりだろう。
「二人なんて久々だね。」
僕と同じことを考えていたのか、少しはにかんだように妻が言う。そうだね、と相槌を打ちながらよく冷えた缶ビールに手を伸ばす。プシュッ、と開けふと妻の方を見る。
「あれ?アルコールフリー?らしくないね」妻の持つ缶のラベルを見て尋ねる。学生時代の妻はかなりの酒豪だった。大学のサークルで出会い、2つ下だった彼女は先輩の飲み会にまで顔を出すほどのお祭り好きでよく知られていた。自分も飲み会となれば俄然やる気を出すタイプだったので、あの頃は始発までどちらが飲み続けられるか、なんて遊びもよくやったもんだ。
「うん、最近はね。ダイエット、ダイエット。」
「ダイエット?太ったの?」
「三十七にもなればねー。」
そう語る妻をしげしげと眺め、確かに昔に比べればふっくらはしたものの、三十七歳にしてはなかなかのプロポーションじゃないか、と心の中でひとりごちる。そういえば、冷蔵庫の中の缶ビールがなかなか減らなくなったのはいつからだろうか。
改めて妻を見る。出会って十八年、結婚して十年。思えば美香が生まれてからというもの、なかなかゆっくりと話す機会も減っていた。

「なぁ」
「うん?」
「ほおずき市、行こうか。」
「ほんと?」嬉しそうに妻が笑う。最初に好きになったのは、この笑顔だったっけ。

夕方ごろ、支度をして家を出る。夏の夕方特有のこもったような空気に体が包まれ汗がじわじわと噴き出してくるが、不思議と不快感はなかった。
家から深大寺までは歩いて十五分もかからないはずだ。調布に住むようになって気付けば六年。京王線で新宿まで約三〇分、通勤に便利でかつ緑豊かなところが気に入って選んだこの街だったが、こんなにゆったりした気持ちで歩くのは初めてかもしれない。
「ここを曲がった先にね、スーパー銭湯があるんだよ。」
さすがに妻は僕より詳しいらしい。きっと美香を連れて町を散策することもあるのだろう。
「天然温泉なんだってー。すごいよね、都会の真ん中に天然温泉。」

夏の夕暮れに染まる妻の横顔をさりげなく覗き見る。西日を浴びて少しまぶしそうに目を細めながらも前を見つめるその姿に、僕はどこか懐かしさを覚えていた。

「わぁ。なんだか懐かしいなー。」
深大寺に着くなり、妻がはしゃいだ声を上げる。ほおずき市は正確には鬼燈祭りというようで、ほおずきの展示・販売はその中のイベントの一つのようだ。
しかし祭りの名を冠しているだけあって想像以上に多くのほおずきが並んでいた。門外漢にはどれも同じ様に見えるが、きっと種類も様々あるのだろう。色鮮やかなオレンジが深大寺の境内を飾る。
「懐かしい?」
「小さい頃ね、おばあちゃん家の玄関先にほおずきの鉢植えがあったの。よく鳴らして遊んでた。」
「へぇ…そんな風に遊べるんだ。」
「今時の子は知らないだろうなぁ。他にもっと面白いものがあるもんね。」
そう言いながらしゃがみこみ、並んでいるほおずきを愛おしそうに眺める妻。そんな妻の姿を見るのは久しぶりのような気がして、なんだか新鮮だった。

ふと見回してみると、境内では他にも手作りの手芸品・工芸品が売られていたり、東北復興支援の物産展が行われていたりと大勢の人で賑わっていた。また出し物もあるらしくプログラムを見ると猿回しなんてものもあって、想像以上に趣向を凝らした祭りのようだ。美晴も珍しいものを見るかのようにキョロキョロと周りを見ながら楽しんでいる。

二人で過ごすのも、二人でこうやって出掛けるのも本当に久しぶりだな、と考えながら並んで歩いていると自然に美晴の手を取っていた。指が触れた瞬間、美晴は少し驚いたようだったが離すことはなくそっと握り返してきた。美晴は右手、僕は左手。学生時代と変わらない。

「ねぇ。」
ふいに美晴が声をあげる。
「ん?」
「深大寺にゆかりある神様、知ってる?」
「え…知らないけど」そもそも寺なんだから神様じゃなくて仏様じゃないのか?なんて僕の心の声は聞こえるはずもない。
「じゃあいいや!」と言った美晴は少し照れたように笑いながら顔を逸らし、ぱっと手を離して東北物産展の方へ歩いていってしまった。
なんだろう?と気になった僕はポケットからスマートフォンを取り出し、インターネットで「深大寺 神様」と調べてみた。

山口 友紀恵(東京都江戸川区/26歳/女性/会社員)