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「かっぱの恋文」著者:浦野奈央子

『盆踊りの日、やぐらの前で待っています。河童』
 朝、学校の下駄箱から落ちて来た手紙には、角張っていかにも生真面目そうな筆文字で、そう書いてあった。
 私は言われた通り、深大寺の深沙大王堂前に組まれた、小さなマンションくらいはありそうなやぐらの前で待っていると、河童は走ってやってきた。
「よく来てくれました」
と言って身をくねらせた河童は、おろしたてみたいに糊の効いた甚平を着ていた。はだけた胸は本来鮮やかな緑色なのだけれど、朱色の提灯に照らされて黒っぽく光った。
河童は何か言いかけて、酸欠の金魚みたいに嘴をぱくぱくとさせた。それから急に思い切りよく駆け出して、やぐらの上まで一気によじ登り、太鼓を叩く子供たちの前で踊りだした。それは盆踊りとはまるで違う、つま先立ちの小刻みなステップを踏んだかと思えば、掌の大きな水かきを目一杯広げて、飛び魚のように弧を描いて跳ねる、見たことのない独特な踊りだった。
「やあ、失礼。どうも血が騒いでしまって」
息を切らして戻って来た河童は、さっきと
違って大きく構えた感じになっていた。
「今日、お呼び立てしたのはですね」
河童は懐に手を入れると、おもむろに白い封筒を取り出し、早口でこう言った。
「これをあの、フ、フミエさんに届けて頂くわけにはいかないでしょうか」
 フミエというのは市外の介護施設に暮らす私の祖母である。
 頭上の皿を深々と下げながら私の顔色を何度も伺う河童は、元のもじついた河童だった。

次の日、私は祖母に会いに行った。祖母は最近では窓際の定位置に車椅子をつけ、ぼんやりと過ごしていることが多かった。
 河童が帰りに持たせてくれたそば饅頭と一緒に手紙を渡すと、祖母は早速老眼鏡をかけ、封筒を開けた。
見ると、時代劇のような蛇腹折りの長い紙に、やっぱり角ばって緻密な筆文字がびっしり並んでいる。祖母の心がぽきりと折れるのがわかった。近頃の祖母は、しょっちゅう心が折れるのである。遠い目でその蛇腹折りをひとしきり眺めただけで、再びそっと折り畳みはじめたものだから、私は慌てて、音読しようか、と提案した。祖母は案外、気楽そうに承諾した。
手紙には、こう書かれていた。
『前略フミエ様、大変ご無沙汰いたしております。あれからもう五年になります。お体の具合は如何ですか。
貴方様が突然のご病気で、今は専用の施設に移り住んでいらっしゃることは、ある日偶然、風の便りで聞かされました。このようなこととわかっていれば、貴方様のお辛いときに少しでも力になれたか知れないのに。役立たずの河童をどうかお許しください。そしてまた、よくぞご無事でいてくださいました。
貴方様がご存じの、若造のわたくしなら、このような文など書いている間にも、貴方様の処まで飛んで参ったでしょう。それが、今のわたくしには叶いません。河童は長寿といいますが、いったん老いがくれば急激です。この五年、わたくしにとってとても長い歳月でした。河童の老いは皿の渇き具合でわかります。そちらに着く頃には干からびてしまうでしょう。情けないことです。ですが、そうやって嘆いておりましたら、ちょうど、貴方様に瓜二つ、とはいかないまでも、ふんわりとした可憐な雰囲気、ふとしたときの横顔などは貴方様をそっくり引き継いでおられるお孫様が、わたくしの目の前に現れたのです。それはそれは胸が躍りました。文でも書かずにはいられなくなりました。
わたくしは本当に、この手紙が貴方様のもとへ届くことを願っております。
さあ、あまり長くなっては貴方様に嫌われてしまいますね。実は、今度の文に書くことはもう決めてあるのです。もしお許し頂ければ、ということですけれども。河童』
読み終えて祖母を見ると、いくらかしっとりしたような表情で首を微かに傾け、ふう、と色っぽい吐息を漏らすので、私は思わず視線を逸らした。
祖母はたっぷり間を置いてから、
「返事を書くわ」と言った。
祖母はもともと筆まめな人だけれど、脳梗塞を患ってから文字が覚束なく、年賀状さえ書けなくなっていた。なので祖母が言ったのは、私に代筆を頼むという意味である。
最初の代筆は、
『ご無沙汰しております。
お手紙嬉しく拝読しました。
老いは容赦のないものです。
どうかお体を大切に。』
というたったの四行で済んだ。
拍子抜けする私に、祖母は涼しい顔で、い
いのよ、と答えるばかりだった。

河童の二通目はすぐに来た。
『ああ、まさかこんなに早くお返事を頂けるなんて、思いもしませんでしたので、大変浮かれております。声に出して読み返しておりますと、フミエ様のお声を久方ぶりに聴いたような錯覚を覚えるのです。わたくしはしあわせ者です。
覚えていらっしゃいますでしょうか。はじめてフミエ様に出逢ったのは、盆踊りの日、やぐらの前でした。あの時も、こんな風に浮かれたものです。わたくしの踊りをフミエ様は大層褒めてくださいました。河童の家にはそれぞれ、代々伝わる舞があるのです、と説明しましたら、フミエ様は教えて、と仰いました。それからわたくしたちは、暇を見つけては深大寺で落ち合い、舞の練習をしたのです。はじめのうちはかなり熱心に練習したので、腹を空かせて帰りがけに蕎麦を頂くのも常でした。わたくしは元来、食わず嫌いのたちで、それまで蕎麦など口にしたことはありませんでしたから、深大寺の蕎麦の味は、フミエ様に教わりました。わたくしはこの辺の湧き水で生まれ育ってきたものですから、その水にさらされた蕎麦の風味がとても喉に心地よく馴染んだものです。云々』

祖母の二通目はこうだった。
『この前はそば饅頭をご馳走様でした。お礼を忘れていてごめんなさいね。孫と二人で、懐かしく頂きました。あなたには舞の才能があると、あのときの私は自信たっぷりに言いましたね。けれど考えてみると、私は舞のマの字も知りません。今更ですが、お恥ずかしい思いがしました。残暑の厳しき折、どうぞご自愛を。』

こんなやりとりが週に一、二通の頻度で、二十は往復しただろうか。そこには若かりし祖母が、見合いの日にも、赤ん坊を抱いて退院した日にも、夫の四十九日にも、何も特別でない日にも、何をするでもなく河童と二人で深大寺の森を歩いたり、門前に並ぶ店々でそば団子をつまんだり、きまぐれに植物の苗を買ってみたり、木陰に腰掛け今日一日のことを話し合ったりしたことが鮮明に綴られていた。
祖母は相変わらずの短文だったから、ほとんどは河童の手紙から知り得たことだ。

 河童の最後の手紙を受け取った日、祖母はそれを読むことなく亡くなった。
通夜の前日、私は家族が別室で休んでいる隙に、祖母の亡骸に手紙を読んで聞かせた。
 手紙はいつものように、『覚えていらっしゃいますか』という一文から始まり、後半、深大寺に隣接する神代植物公園でのある日の話に移った。すると俄かに語調が変わってきたのだった。
『わたくしはあの大輪のバラの前で、フミエさんを人の中で最愛だと言いました。これ以上、信頼の置ける人間にまだ出逢ったことがないのも事実です。時に方向性の揃わないことがあっても、途方もない種族の違いを思えば、何事も素晴らしい遭遇に思えたものです。
しかしあのとき、人の中で、と言ったのは間違いでした。世界中の全河童を含めても、わたくしはフミエさんのことが誰より、忘れられなかったのです。』
 読んでしまうと私は、文面の熱っぽさにおかされて、少しの間ぼうっとしていた。そうしながら、祖母がまた艶っぽく微笑するのを待っているような気になった。
祖母の頬は、上気したように子供じみた色のファンデーションを載せられていたけれど、触れると冷たく、弾力を失っていた。

告別式の後、私は河童のもとへ向かった。
河童は水の湧く岩場に腰掛け、私が言いだ
す前に、すでに一人で泣いていた。
「フミエさん、とうとう逝かれたんですね」
手紙を渡せなかったことを謝ると、河童は大きく腫らした目を無念そうに伏せた。
「仕方のないことです。人は短命な生き物ですから」
 河童はその手紙を焼くと言った。手元に置いておくよりその方が、もしかしたら祖母に読んで貰えるかもしれないから、ということらしい。
「あちらで旦那様と笑い話にでもして頂ければ本望です。きっと罰は当たらないでしょう」
 深大寺の森の寝静まる頃、私と河童は深沙大王堂の前で、ひっそりと手紙を燃やした。
河童は、細かな灰になって飛ばされていく手紙の周りを、小刻みなステップで舞った。
私の頬にぽつりと降ってきたのは、河童の涙だった。

浦野 奈央子(千葉県習志野市/34歳/女性/無職)

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