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<第8回・最終審査進出作品>「薫草」 著者:島津 弥生

「わあ、深大寺って、こんな賑やかなところだったんだ」
「鬼太郎フィギュアと一緒に写真撮ろうよ」
 学生らしき若い女性グループが、はしゃぎながら深大寺門前の『鬼太郎茶屋』の店先に駆け寄っていく。その会話を耳にした妻の千草(ちぐさ)が、静かに微笑みを浮かべた。
「深大寺も、三十年前とはずいぶん様子が変わったみたいね」
 私は千草の肩にそっと手をあてながら答えた。
「そうだね。あの頃はもっと静かで落ち着いていた。まあ、観光客が多くて活気があるのも悪くない。近くの駐車場に大型バスが停まっていたから、団体客も多いみたいだね」
 五月半ばの深大寺周辺は新緑に染まっており、強くなり始めた日差しをほどよく遮ってくれている。参道を歩いていると、心地よい風がさっと通り過ぎていった。私は思わず深呼吸をした。すると、傍らにいる千草も深く息を吸い込み、しみじみと言った。
「緑が多いと空気がおいしいわ。ねえ、健さん」
 千草は二人きりになると、私のことを「健さん」と呼ぶ。その優しい声が心地よく耳朶に響く。私は妻の手を取った。結婚して三十年、こうして一緒に歩く際に再び手を握り合うようになったのは、一年ほど前からだ。
 千草の手は昔と変わらず小さくてすべすべしている。セミロングの髪は定期的に染めているのだろう。明るい日差しの下で年齢はごまかしようもなかったが、柔和な微笑みを絶やさないその表情は少女のようにも見える。
「きみは、あの頃とちっとも変わっていないね」
 妻は「やあね」と言って照れた。そんなところも昔と変わっていない。
 深大寺のシンボルツリーである樹齢四百年のナンジャモンジャの木が、白い花をいっぱいにたたえていた。その香りは、まるでキンモクセイのように甘くかぐわしい。しかし、このプロペラ型の花はすぐに散ってしまう。満開の時期に来られたのは実に幸運だった。
「千草、ナンジャモンジャの花が満開だ。まるで大木に真っ白な雪が積もっているかのようだよ」
 千草が小さく頷きながら言った。
「三十三年前に健さんがここでプロポーズしてくれた時も、真っ白な花が満開だったわね」
 あの時、千草はこの可憐な花のように真っ白なワンピースを身にまとっていた。突然のプロポーズに驚いたまん丸の瞳を、今でもはっきりと覚えている。
「ああ。きみはもったいぶって、返事を一ヶ月も先延ばしにした」
「だって、あの時のあなたは、ずいぶんと頼りなく見えたんだもの」
 そう。当時の私ときたら、とっくに社会人になっていたくせに、私生活ではサーフィンに夢中で給料のほとんどを趣味と車につぎ込んでいた。高校卒業後、すぐに地元の信用金庫に就職した千草から見れば、さぞかし軽く幼い男に見えたことだろう。
「縁結びの神様が、きっと千草を説得してくれたんだな」
 深大寺には「深沙大王」という水神が祀られている。寺の開創にまつわる伝説は、ずいぶんとロマンティックなものだ。
約千三百年前、福満という青年が身分違いの美しい娘と恋に陥った。父親は嘆き悲しみ娘を幽閉してしまうが、福満が深沙大王の功徳を得たという話を聞いて二人の仲を許す。そして二人の間に生まれた息子・満功が、両親の縁を結んでくれた深沙大王を祀り、深大寺を開創したのだという。
あの時、私はその話をどこからか聞きつけて、千草を深大寺に誘ったのだ。今はパワースポット巡りが若者たちの間で流行しているようだが、私はその走りだったわけだ。困ったのは、福満と同様、千草の父親から結婚に反対されたことだった。私は一大決心をし、好きだったサーフィンをキッパリとやめ、車を売り払い、三年かけて結婚資金を貯めた。千草はそんな私のことを辛抱強く待っていてくれた。
生まれた子供は男の子だった。福満青年にあやかって、私の名前「健吾」から一文字取って、息子に「健介」と名付けた。最初、千草は私を「健さん」、息子を「健ちゃん」と呼んでいたが、紛らわしいのでいつしか私は「お父さん」になった。だが、こうして二人きりの時は「健さん」になる。
 私たちは仕事の都合でずっと東京を離れていたが、今また居を戻し、深大寺にも気軽に足を運べるようになった。特別な思い出が詰まったこの地が、私たちを青春時代に戻してくれたようだった。
私は妻に言った。
「お参りしたら、蕎麦を食おう」
「そうね。深大寺まで来たら、お蕎麦を食べないとね」
 参拝後、私たちは再び手を取り合って深大寺通り沿いにある蕎麦屋に入った。
 この蕎麦屋も三十年ぶりだ。店の内装のことまでは覚えていなかったが、屋外のテーブルに座ったことは覚えている。今回も、私たちは屋外の席を選んだ。
初夏の日差しの中なら、ざるに限る。私は天ざる、千草はおろし蕎麦を注文した。まずは深大寺ビールで乾杯した。
この店で飼っているらしき小さなキジ猫が、千草の足に体をすり寄せながら、にゃあと鳴いた。
「あら、猫」
 千草が身をかがめて手を差し出すと、人懐こい猫はその手をペロリと嘗めた。私は思いつきで言った。
「猫を飼うのもいいね」
 すると、千草の表情がパッと明るくなった。
「すごくいいアイデア。大賛成よ」
 猫の話で盛り上がっていると、蕎麦が運ばれてきた。やや白みがかった光沢のある蕎麦が涼やかに盛りつけられている。音を立てて豪快に蕎麦をすすってみる。ほどよい弾力と甘みがあり、喉の奥から蕎麦の香りが鼻腔に抜けていく。うまい。つゆが細麺によくからまるので、口の中で絶妙な加減になる。
「おいしいわ」
 千草も満足そうだった。私は大きく伸びをしながら言った。
「ああ、蕎麦屋はいいよ。昼間から何の気兼ねもなく酒が飲める」
 見上げると、広く澄んだ青空が広がっている。舌も腹も満たされて、実に気分が良かった。
「もう少し、散歩しようか」
 私たちは参道に戻り、神代植物園へ向かうことにした。先ほどよりもずいぶん人通りが多くなっている。千草が右手に持つ白い杖が、前を歩く人の足にからまってしまった。
 大きく舌打ちをしながら、茶髪の若者がこちらを振り返った。しかし、千草の目が不自由だと分かると、急に戸惑ったような素振りをした。私が口を開きかけた時、気配を察した千草が謝罪した。
「ごめんなさいね」
 若者が、慌てて言った。
「いや、いいっす。大丈夫っす」
 千草の顔に、再び柔和な笑みが戻った。
私はつくづく、その横顔を美しいと思った。
 千草が遺伝子の異常で起こる「網膜色素変性症」だと判明したのは、彼女が五十二歳の時のことだった。最初は夜になるとものが見えにくくなり、やがて昼間の視力もどんどん低下していった。私は最初「老眼だろう」と気にもとめなかったが、事態は想像以上に深刻だった。
 失明すると判った時、千草はあまりの恐怖から平常心ではいられなくなった。息子は大学を一時休学して、母親に付ききりで介抱してくれた。私は早期退職という苦渋の選択を余儀なくされたが、後悔はすまいと思った。
 千草は立ち直ってくれた。彼女は一年前、私と息子にこう言った。
「失ったものを数えるのは、もうやめにしたわ。これからは、私がこれまでの人生で得たものを大事にしたい。一番は、やっぱり家族。何といっても、健さんと、健ちゃんだわ」
 私と健介は、思わず顔を見合わせて笑った。千草の顔にも笑みが戻っていた。それから私は妻の手を取り、外出するようになった。
「何をしたいのかわからない」と悩んでいた健介は、福祉関係の仕事に就いた。私も以前の勤め先の系列会社で、契約社員として働くようになった。むろん給料は格段に安くなったが、会社側がこちらの事情を知っているため何かと融通が利く。今日は三十回目の結婚記念日ということで休暇を取った。
 神代植物園はちょうどバラの季節だった。なんと四百品種以上もあるらしい。千草が鼻をくん、とさせて言った。
「健さん、バラ園はこっちの方角じゃない? 花の香りがするもの」
 指さされた方向へ進んでいくと、広大なバラ園に出た。私はひどく感心して言った。
「きみの言ったとおり、本当にバラ園に着いたよ」
千草は視力を失った代わりに、嗅覚や聴覚がみるみる発達した。彼女は香りを頼りに苦もなく一輪のバラの花を手の平ですくい取り、顔を近づけた。
「ああ、いい匂い」
 まったく、惚れ直すとは、こういうことを言うのか。
 健介には、どうやら片思いの女の子がいるらしい。今日家に帰ったら、息子に深沙大王の伝説と、私たちの恋物語を聞かせてやろう。
私は千草に説明した。
「華やかなローズピンクのバラだよ。名前は、『恋心』だ」 

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<著者紹介>

島津 弥生(東京都調布市 /48歳/女性/自営業)

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