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<第8回公募・選外作品紹介>「ながめせしまに」 著者:青野 苗

 花屋に行けばいつでも買えるバラに、「いい季節」があるなんて考えたこともなかった。
 だからその人に「ちょうど見ごろですよ」と植物園に誘われた時、まったく興味はわかなかったのである。それでも話しの流れから断りづらかったし、気楽そうでかえっていいかもと思ったので行くことにしたのだ。
 結婚相手を見つけようと小規模な婚活パーティーに参加するようになった。そこで会った何人かの人とデートしたけれど、相手をよく知るという目的のためにわざわざ高いお店で慣れない食事をしたり、遠くまででかけたりすることは煩わしかった。
 婚活を始めたきっかけは単純だ。大学時代の友だち二人が相次いで遅い結婚をしたのだ。
 実加ちゃんは、今さらのできちゃった結婚。とは言っても、十年近く一緒に暮らした事実婚状態だったわけで、それが妊娠をきっかけに入籍したのだ。
 一方の佳乃は、電撃婚。結婚すると思っていたスマートな彼と別れた二ヶ月後に、六つも年下の新しい彼との結婚を決めた。
 その結婚式が決定的だった。安定期に入った実加ちゃんは顔色もよく、つわりで痩せた分も取り戻し、心なしか肌艶も増していた。そして佳乃は言うまでもなく、その日の主役としてキラキラと輝いていた(ラメのせいもあったか)。
 注目の年下の旦那さまはと言うと、早くも広くなり始めた額と、垂れた細目が売れない芸人風で、そのせいか新郎用のモーニングがコントの衣装みたいだった。いやはや彼を選んだ決め手を佳乃から聞きたいなどと、実加ちゃんと二人で茶化しながらも、新郎新婦の幸せそうな顔には泣きそうになった。
 そんな二人の友だちの影響を大いに受け、また年齢のこともあり、焦って婚活を始めた私は単純である。しかし単純な私とて、「婚活」が何とも身も蓋もないようで、今でも葛藤はあるのだ。結婚相手に対する恋愛感情は必要か否か。何度も会いたいと思えるかの鍵はそこにあるのではないか。
 そんな中、三回目の婚活パーティーで出会った宮内さんと今日神代植物公園で会うのである。
 彼はバラが好きなのだ。

 空(から)梅雨(つゆ)気味の6月の空は青く、日差しも充分に夏のものだった。
 自転車で正門に乗りつけると、宮内さんはもう来ていた。天気がいいので歩いて来たのだと言いながら入園チケットをくれた。
「すみません」
「僕の希望で来てもらったので当然です」
 パーティーでの宮内さんの第一印象は「印象と押しは弱いが感じは悪くない人」だった。誰に対しても柔らかな表情で聞き手に徹していて、果たしこの人は自分に興味を抱いたのか、それとも対象外なのかが分かりにくかった。
 それが良かったのか、彼に対して緊張感なく接することができ、話の流れから婚活開始以来四人目のデートの相手となった。
 植物園には初めて入った。隣の深大寺には、本厄だった昨年護摩祈願に来たけれど。
 年月を重ねた高い木々や、整えられた広場。晴れた空も相まって清々しい。
「六月がバラの季節だなんて、知りませんでした」
 私は正直に打ち明けた。
「ああ、今しか見ることができないわけではないんですよ。バラは繰り返し咲きますからね。冬が終わって咲き揃う季節ということなんです」
 宮内さんは続けて、バラの種類による咲く季節の違いの説明を始めようとしたけれど、すぐに
「すみません。それほど興味ないですよね?きっと」
と私を見た。
 ひょろりとした体型と、前髪をおろしたヘアスタイルのせいかもうすぐ四十になるようには見えず、私に対する気の使い方にも年上らしい頼もしさはない。
「アジサイもよく咲いていますね」
 植物園らしいコメントを述べてみる。初めてのデートでは、とにかく会話をすることが大事だと学習している。
「そうですね。僕はアジサイにはまったく詳しくないのですが、梅雨の時期のアジサイはいいものです。しかしここのアジサイは、堂々としていますね」
 確かに、住宅の庭先などで見るアジサイに比べて生命力旺盛に生い茂っている。
「あ。この花、うちの実家にあります」
 薄暗い茂みに、見覚えのある白い可憐な花が咲いていた。
「ああ、これは」
 宮内さんが、一呼吸おいて私を見た。
「これはどくだみですね」
「え!これがどくだみなんですか」
 よく耳にするどくだみすら知らなかったことに恥ずかしくなり、私は笑ってしまった。
「植物を全然知らないことがばれちゃいましたね」
「いや、申し訳なかったな。お近くだと聞いて、一緒にバラを見に行ってもらえる人を見つけたと舞い上がっちゃったから」
 そう。パーティーで私が調布寄りの三鷹市に住んでいると言ったとき、彼は急に眼を輝かせたのだった。
「いいえ。たまにはいいものです」
 実際、ピンクと水色だけでなく、薄紫、純白、黄緑色などのアジサイを見ると、気にとめてこなかった事柄の中にはそれぞれたくさんの奥行きがあるのだと思ったのだ。

 バラ園は広かった。
 バラのアーチをくぐったり、バラの咲き乱れる小路を歩いたりというロマンチックな空間を想像していたけれど、バラは、等間隔に整列して植えられていた。そしてバラの香りではなく、よく肥えた土の匂いがする。甘美なイメージとは裏腹に青空の下のバラは現実的だった。根が土から養分を取り、葉が光を受け、枝がたくましく花を支えている。
 宮内さんは、腰をかがめたり上から覗き込んだりと、彼なりの見どころがあるらしかった。
 私は、それぞれのバラの個性とつけられた名前を楽しみながら宮内さんの近くを歩いた。
 ノックアウトは強いピンク。バニラパヒュームは淡いクリーム。クローネンブルグは驚きのツートンカラー。友禅と名付けられた途端和風に見える不思議。
「宮内さんは、写真は撮らないんですか?」
 立派な一眼レフカメラを担いだ人たちを見かけたときに尋ねた。
「そうですね。撮った時期もあるのですが。僕の腕では、肉眼で見た色味に撮れないことがよくわかったのでやめました」
 確かに、バラの色は平面的ではないので、そのままを写真に納めるのは難しそうだ。
「同じ一つの花でも、今日と明日とでは色合いも開き具合も違ってくるわけです。季節によっても違います。秋に咲くバラは、また格別の良さがあります」
 宮内さんは自分の言葉を確認するかのようにうなずいた。
 それから全てのバラをくまなく見た後、一旦植物園を出ることにして深大寺方面への門へ歩いた。カラスの鳴き声と、遠くのヘリコプターの音、離れた場所で話す人の低い声、そんな物音が際立つくらい静かだった。

 深大寺へ出るとまた別世界である。生活から離れた静かな植物園に対し、門前には観光地の活気がある。
 お蕎麦屋さんや土産物屋に立ち寄る前に、まずは山門から深大寺に入り参拝した。
 去年の護摩祈願のお札の効果は切れてしまったろうか。まだ後厄である。ちょっとお守りを見ていいですかと宮内さんに断り選んでいたら、縁結びのお守りが目に入った。
 微妙だ。いや絶妙というべきか。婚活真っ最中の私にとってこれこそが必要なお守りだが、彼氏でない男性と一緒のときには非常に買いづらい。
 やはりここは厄除け、と手を伸ばした時、宮内さんが縁結びのお守りを取った。そして表裏を吟味すると、
「これを買ったら卑怯ですよね」
と、もとの場所に返した。
 よくわからず、どういう意味かと私は尋ねた。
「今後の良縁を祈願するのか、それともこれが良縁となることを願うのか惑わせてしまいます。あなたや、神様を」
 そうだ。私も同じように感じ、買えないと思ったのだ。
宮内さんは続けた。
「どちらを願うのか決まっていますが、まだ表明していませんから。表明せずに買うことは卑怯な気がします」
「表明して下さい」
 私は言った。
 それに対して宮内さんがそっと言った言葉に、私は自分の気持ちがほころぶのを感じた。
「秋のバラは、どんなふうですか」
 宮内さんは、私の意外な返事に戸惑いながらも答えた。
「深く、鮮やかです」
 私はそれを想像した。そして秋の景色の中のそのバラを見たいと思った。季節とともに移ろう色を、この人とまた見に来たいと思った。


青野 苗(東京都小金井市/44歳/女性/パート)

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