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<第8回公募・選外作品紹介>「初恋のいた場所」 著者:大塚 鈴

「ねぇ圭ちゃん、覚えてる?」
 中学校生活最後となる夏休みを二週間後に控えた七月上旬の日曜日。俺は幼馴染の真耶と二人、深大寺を訪れていた。
「ほら、あそこ!あそこでお賽銭あげたんだよ」
「そうだったっけ?あんま覚えてないわ」
 真耶とここに来るのは今日が二回目。小学校四年生の時に遠足で来た以来だった。
 とは言っても、一回目にこの場所を訪れた時の記憶はほぼゼロに等しかった。ただ一つの出来事を除いて。
「うわ~全然変わってないねぇ」
 そんな俺とは対照的に、真耶は当時のことを良く覚えていた。わざわざ探し出して持ってきたのだろうか、右手には『四年二組・西田真耶』と書かれた遠足のしおりを握りしめ、軽い足取りでどんどん先へ進んでいく。
「ほら~。早く早く~。置いて行っちゃうよ!」
「ちょっと待ってくれよ。お前、歩くの速過ぎ」
 いつもと変わらない真耶の様子に、俺は少し安心していた。

『二人で深大寺に行きたい』は
 真耶がそんなことを言い出したのはつい三日前の事。
俺たちは幼馴染とう関係ではあったが、さすがに中学生になってから二人で出掛けるというような事はほとんどなかった。
あまりに唐突な誘いだったということもあり、正直何かあるんじゃないかと警戒していたのだが、どうやら俺の思い過ごしだったみたいだ。
「なぁ、腹減らないか?その辺で蕎麦でも食おうよ」
「もうちょっとだから頑張ってよ。ほら、ここ上がったらすぐだから」
 そう言うと真耶は、俺の手を取り引っ張るようにして歩き始める。
「圭ちゃん、前に来たときも『蕎麦食いてー、蕎麦食いてー』って言ってたよね、フフッ」
「俺、そんな事言ってたのか?全然記憶にないぞ」
 人の記憶力というのはここまで差が出るものなのだろうか。当時の思い出をちっとも共有することの出来ない自分に、俺は少し苛ついていた。
「でさ~圭ちゃんがあんまり蕎麦、蕎麦って言うから……」
「だから覚えてないって」
「そっかぁ……」
 その時、真耶が少し寂しそうな表情を見せた。
まずい、今のはちょっと言い方が冷たかったか?
急に覇気がなくなってしまった様子に罪悪感が込み上げる。
「ごめん。俺、忘れっぽいからさ」
「じゃあ、あの時私がここで言ったことも忘れちゃったのかな?」
「ん?」
 いつの間にか、俺たちは本堂の前まで来ていた。いや、いつの間にかではなくて、たぶん真耶はこの場所を目指して歩いて来ていたんだと思う。
 俯きながら俺の少し前を歩いていた真耶が、くるっとこちらを向いて口を開いた。
「圭ちゃん、私……私ね、転校することになったんだ……」
「えっ?」
 それは何の前触れもない、突然の報告だった。どう返していいのか分からず、黙ってしまった俺に真耶は言葉を続ける
「お父さんの転勤でね、一学期が終わったら、大阪に引っ越すんだ。今まで言えなくてごめんね……」
「そっか……また突然だな。びっくりしたよ」
 それ以上、言葉が出てこない。
 ただ、俺にはどうしても気になっていたことがあった。他に聞くことなんていくらでもあっただろうに、それよりも何よりもこの時の俺が一番聞きたかったこと。
「なぁ、どうして今日は深大寺に来たいなんて言い出したんだ?」
「ううん、もういいの。本当は、最後にやり残したことがあったんだ。あの遠足の日に私がここで言ったこと、圭ちゃんが覚えててくれてたら言おうと思ってたんだけど……忘れちゃってるんならいいんだ」
 あの日ここで言われたこと。忘れるはずがない。あんなこと、忘れられるわけがない。
「いや、覚えてるよ」
「本当に?」
 真耶の顔からさっきまでの寂しそうな表情が消えてゆく。
「うん、覚えてる。お前、あの時ここで」
「圭ちゃん、大好きだよ」
「……真耶?」
「あの時から私、ずっとずっと圭ちゃんの事、
大好きだったよ」
 それは、真耶から俺への二回目の告白だった。
 俺が覚えていた深大寺でのたったひとつの思い出。それは真耶からの告白だった。
この場所で真耶に言われた「大好きだよ」。それは、遠足当日にあった他の事を全て忘れてしまうくらい、強烈に俺の記憶に残っていた。
「私ね、初恋の場所でもう一回圭ちゃんに告白したかったんだ。だから今日はここに来たの」
 これが、今日真耶が俺をここに連れてきた理由だった。
 あの時は告白されたことにただただ驚いて、何も言わずにその場から逃げ出してしまったことをよく覚えている。
 そんな俺のことをずっと好きでいてくれたのか?
 そんな俺にもう一度告白をしてくれたのか?
「圭ちゃん……私のこと……好き?」
 いつになく真剣な表情で真っ直ぐに俺の目を見て真耶は言った。
「俺……俺は……」

 二週間後。一学期の終わり、そして夏休みの始まりと共に、真耶は大阪へ引っ越していった。
 結局俺は、真耶に気持ちに答えることが出来なかった。
 その時の俺にとって真耶は、幼馴染みという関係以外の何ものでもなくて、当たり前のように近くにいる存在だった。
 だから、本気の気持ちに本気で答えられない以上、付き合うとかそういうのは違うと思った。
 だけど、離れ離れになって少し経って、俺は真耶の存在の大きさに気付かされることになる。その気持ちが恋心だったということに気付いたのはそれからさらに後のことだった。

あれから五年後の今日。久しぶりに再会した二人は、三度目となる深大寺を訪れていた。誘ったのは俺の方から。
「全然変わってないな」
「ほんとだね~」
 あの時より少しだけ大人になった二人。何気ない会話をしながら、どちらからともなく真っ直ぐに本堂を目指す。
 俺の初恋があった場所。二人の初恋があった場所。
 今日ここで、俺は真耶に告白をする。
 十年分の気持ちを、俺の本気の気持ちを伝えようと思う。
 
「なぁ、真耶。覚えてるか?」
 振り返った真耶の目には、もう涙が浮かんでいた。


大塚 鈴(東京都小金井市/25歳/男性/会社員)

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