<第8回公募・選外作品紹介>「神代植物公園恋物語」 著者:堤 裕之
今日は年に何度もない、ほんとに気持ちのいい朝。こんな日は車のフォロを全開で女の子とドライブに行くのが第一希望。でも今日はじいちゃんの誕生日だ。電車に乗って調布の神代植物公園に行くことになっている。
「アツシに一生に一度の頼みがあるんだ」
八十歳のじいちゃんの一生に一度のお願いをされたのは正月だった、じいちゃんの名前は宗次郎、昭和7年生まれの今年八十歳。酒屋の長男として生まれ六十歳の時に親父に代替わりした。どうやらそんなじいちゃんには初恋の人がいるらしい、その初恋の相手は小学一年の夏に深大寺小学校に転校してきた同い年の女の子で、名前は伊達祥子さん。誕生日が同じだったことからクラスの誰よりも先に仲良くなった。一九三二年二月二九日(土)。閏年生まれ。ふたりは家も近かったから、学校への行き帰りはいつも一緒だったし、よく遊んだ。その頃から人を笑わせることが大好きだった宗次郎少年は祥子ちゃんを笑わせたり、花畑で花を摘んできては祥子ちゃんにプレゼントしていたそうだ。しかし、戦争が始まってしばらくすると、離ればなれになってしまった。祥子さんは家の都合で八王子へ、じいちゃんは品川に越してばらばらになってしまった。手紙のやり取りはしていたそうだ。
お昼前の電車に乗って神代植物公園に向かった。品川から山手線で新宿、そこから中央線で三鷹に出て約四〇分。そこからはバスで約二〇分。待ち合わせは午後一時に公園の正門だった。
ふたりは毎年会っているわけではなかった。神代緑地の時代から、閏年の二月の第2日曜日にこっそりふたりだけ会っていた。つまり四年に一度、それも数時間一緒の時間を過ごすだけだった。なぜ第二日曜日かというと、もちろん誕生日当日はお互い家族と過ごすからだ。だけど今日は誕生日当日で、ふたりの成人式だというのだ。つまり二月二九日の日は四年に一度しか来ないから。四年に一つしか年をとらないというちょっとロマンチックな話だ。うちのじいちゃんとばあちゃんはとても仲が良く、どこに行くにもいつも一緒だった。そんなばあちゃんは、五年前に亡くなってしまったけど。お墓にばあちゃんひとり置いとけないと言って、週に一度は墓参りをしている。そんなばあちゃんとは、違う愛。
一時少し前に正門前についた。僕はじいちゃんの後について行き、入り口のベンチの前で祥子さんらしき女性に会釈した。祥子さんは背がすらっと高く、年も八十歳とは見えない。何かを信じて待ち続けていられる人はこうも若々しくいられるのだろうか。笑顔がとても素敵だった。若い時分の祥子さんを容易に想像できた。こんな笑顔の素敵な女性がずっと自分のことを待っていてくれる。その笑顔だけで男として、生きてきた甲斐があると言うものだ。祥子さんの隣にも僕と同じお孫さんらしい女性が立っていた。最初に僕が紹介された。
「はじめまして新井淳です、おじいちゃんが大変お世話になっております」
次に祥子さんがお孫さんを紹介してくれた。
「この娘は私の孫で木戸あかねと言います。今年で二十四になります。今日は私のわがままに付き合ってもらって、宗次郎さんとのデートに付いてきてもらったのよ。最近はひざが痛くてね」とにっこりと笑った。
「アツシは今年で幾つだ」
「二十三になります」
入口を入るとすぐ左手にぼたん園、その奥には大温室がある、大温室の中では熱帯の花々が六百種類以上見ることができ。初めて目にする美しい花もたくさんあった。
僕らの今日の役割はただの老カップルの付き添いではない。ふたりにとっての記念日をまるまる一冊の写真集にまとめることだった。最近はフォトショップで簡単なフォトブックにしてくれる。
ゆっくり十メートルくらい離れてじいちゃん達について行った。
「素敵なお婆さまですね」
「宗次郎さんもすごく素敵ですね」
「なんかこっちが照れますね」
少し不思議だったのは、二人は手をつなぐでもなく、腕を組むわけでもない。ふたりの青春期はきっとそんなもんだったのだろう。そんなふたりの様子をカメラに収めながら、時々あかねさんを見ていた。ひとつ年上か、祥子さんのお孫さんなら、将来あかねさんは祥子さんみたいな女性になるのだろうか。
大温室を出て、バラ園をゆっくり歩いた。二月のバラはまだ花は咲いていない。見頃は五月と十月。世界のめずらしいバラも見られる。ひとつひとつのバラに名前が書いてあったので、それだけでもけっこう楽しめた。一番のお気に入りは、ノックアウト。最近はスマホにつぶやくと何でも教えてくれる。スマホの液晶画面には、普通に想像するバラとは違い、朱色に近い赤で、ふんわりとした花びらが特徴のバラが写っていた。花の咲いていないバラの木を見るのは初めてだったけど、棘だけはかなり痛そうだった。
相変わらずふたりはゆっくり歩きながら、時々足を止めては話していた。まるで天皇皇后両陛下のようだった。一番のシャッターチャンスはバラ園から上がる階段だった。そっとじいちゃんは手を差し出して、祥子さんの手を取った。ゆっくりゆっくり階段を上った。祥子さんのほうを振り返るじいちゃんの顔と、手を差し出す祥子さんの後ろ姿が、何とも言えずほほえましかった。うしろを振り返ると、あかねさんも笑っていた。あかねさんにカメラの液晶画面を見せた。すごくいい表情ね。
僕たちの共通点はないんだろうか。
「あの。あかねさんの誕生日はいつですか」。「十月よ、十月二日」
「僕は四月八日です。十月ですか、僕の誕生日の頃は桜が満開で、みんなが祝ってくれるんです」
「私の頃はコスモスね。コスモスはいろんな色の種類があって毎年友達と見に行くわ」
「確かコスモスって、秋桜と書くんですよね」
桜つながり。小さな、小さな共通点。
それから芝生広場に移動して少し休むことにした。あかねさんが作ってきたという、ヨモギ入りの草餅を食べた。何でもふたりの誕生日の花が、ヨモギだという。スマホに聞いた。花言葉は幸福。まさしくふたりにはお似合いの言葉だった。何でも同じもいいもんだ。あかねさんがつぶやいた。
「ふたりはどうやって連絡を取り合ってるの」
年賀状くらいですかね。祥子さんが答えた。
「でも年賀状にいつどこでなんて、書いてあったら、みんなにばれるじゃない」
じいちゃんと祥子さんは顔を見合わせて、少し吹き出し気味に笑った。
「それはなアツシ、ほんとは秘密だが、今日手伝ってくれたからと特別に教えてやろう、あかねさんも参考にするといい」と得意げにじいちゃんは言った。
「これは今年の年賀状だ」見ると、「謹賀新年、皆様お変わりないですか。お元気で」と書いてある。でもその横には。「今年は待ちに待った成人式ですね、楽しみにております。それではいつものように一時にいつものところで」でも明らかに文字の色が違う。祥子さんが少照れたように、じいちゃんの顔を見てから、
「あぶり出しよ」とぽつりと言った。 あの小学生の時に理科で習ったあれか。二人はスパイか。あかねさんも僕もちょっとびっくりしてから、笑った。
「でも四年に一度って、待つのは辛くないの、おばあちゃん」とあかねさんが聞くと
「あかねちゃん、来ると信じた人を待つのは辛くないものよ」と祥子さんが言った。
今度は僕が祥子さんに聞いてみた。
「祥子さんはこのままでいいんですか。たとえばもう少し、じいちゃんのそばにいたいとか」「そうは思わないわ、宗次郎さんはいつでも私のそばにいてくれてるわ。最近はメールをくれるの、おはよう、おやすみって、毎日毎日。それだけで幸せよ。でも、もしも願いが叶うなら。せっかく同じ日に生まれたのだから。同じ日に死ねたらいいわね。悲しまなくて済むし。いつまでもふたりのままでいれるでしょ」。
なんて幸せなじいちゃん。
一週間後フォトブックが出来上がってきた。フォトブックを見せると、一ページずつゆっくりめくっていった。じいちゃんは、「ありがとう」と言った。翌日じいちゃんが
「すまんがアツシ、今度の日曜日に祥子さんにフォトブックを届けてきてくれないか。調布の駅まであかねさんが出て来てくれるそうだから。よろしく頼む」と言った。
日曜日、お昼に調布の駅で、あかねさんを拾い、祥子さんの家に向った。あかねさんは桜色のワンピースに若葉色のコートを着ていた。不思議と五十年後のあかねさんを想像できた。
「ねえアツシ君、今日はわざわざあの二人が私達を会わせたのよ」
「えっそうなんですか」
「カーナビだってあるのに。無理やり私に道案内させるって決めちゃってさ。でも気持ちいいね。ぽかぽかドライブ。アツシ君はあんなおじいちゃんになるのかしら」
「あかねさんは祥子さんみたいなおばあちゃんになると思うよ」
「アツシ君の誕生日四月だったよね」
「四月八日です」
「あら日曜日じゃない。神代植物公園も桜がきれいらしいわね。今度は二人で来てみる。神代植物公園。桜の樹の下で記念写真撮りましょうよ。いつか素敵なフォトブックが出来るかも知れないじゃない」と言ってあかねさんはフォロ全開の助手席で、祥子さんに似た笑顔で空を見上げた。
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<著者紹介>
堤 裕之(東京都品川区/43歳/男性/自営業)