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「家族の形 薔薇の香り」著者:檸檬

桐子は空港にいた。ロンドンから帰って来る息子達を迎えに。孫にも初めて会える。
離婚し一人親となっていた恵一と結婚し、初めて母親となった桐子。恵一の息子の聡はその時中学一年生。そして聡が高校一年生になった年に恵一が急死。二人きりとなった桐子と聡の関係はぎくしゃくしていった。それをスムーズに変えてくれたのがトーマス。聡の大切な人だと初めて二人に会った日に知った。二人は恋人同士だった。その後イギリスで結婚し、養子に迎えたミアを連れて日本に帰って来る。もうすぐ会える、新しい家族に。
「桐子、明日の朝日本に着くからいつものお蕎麦屋さん予約して。四人だよ」
トーマスから連絡が入った。トーマスはイギリス人で幼い頃日本のアニメに興味を持ち、日本への憧れを温め、高校生の時交換留学という形で東京に一年住んだ。その時のホストファミリーに案内され、蕎麦を食べに深大寺を訪れた時から深大寺のお蕎麦の大ファン。
聡は高校を卒業し東北の大学へ進学。一人暮らし、建築を学びたいという聡の選択を桐子は理解した。自分も少し母親としての肩の荷が下りるような気がした。血の繋がらない二人が残されて一つ屋根の下頑張って生きて来たのだ。母と子ではあったが難しかった。
 大学を卒業し東京に戻った聡だったが、会社の近くに住みたいと引き続き一人暮らしをするという。恵一のいない、聡の帰って来ないこの家にこのまま一人で暮らしていて良いものかとここ数年、桐子はこの先の過ごし方を迷っていた。それまで以上に。
聡が仕事を始めて間もなくして紹介したい人が居ると連絡が来た。カジュアルな感じにしたいから深大寺の蕎麦を食べに行こうという。桐子は散歩感覚で行くほど深大寺は馴染みのある場所なので、当日も、待ち合わせの時間より早めに行き植物園を散策した。薔薇が見頃で、深大寺周辺は予想通り賑わっていた。いつ行っても自分に優しいエリア。
「あっ、母さん」
声のする方に視線をやると、聡と外国人の男性が立っていた。
「初めまして」
三人はお店の人に案内をしてもらい席に着いた。
「母さん、トーマス。今同じ会社にいるんだ。僕の大事な人だよ」
「二人もしかして恋人なの?」
桐子は自分のこの言葉に驚いた。二人の雰囲気がとても自然にそんな感じだったから。
「ママ、僕さっき植物園でみかけたよ」
「えっ、二人もいたの?植物園に?」
「僕一人。聡は明日大切なプレゼンがあるからぎりぎりにここに来た。僕はあの植物園大好きなの、前から。ローズが好き。そこでローズをとてもエレガントに見ている女の人を見つけて少し眺めてた。今ここに来たらその人がここにいた」
「それって、母さんってこと?」
「あんな風にローズを眺める人は絶対に優しい人。聡はしあわせ。そんな人がママ」
「私も薔薇が好き。聡から聞いているかもしれないけど、私聡の本当のママではないのよ」
「ママじゃない?」
そう言いながらトーマスはあるSNSのアカウントを見せた。お弁当の写真がたくさん載っていた。
「これ、見たことある?これで聡はいじめられた。ママが素敵だったから」
「いじめられた?どういうこと?」
見るとその写真は全てお弁当の写真で桐子が聡が高校生の時に作ったお弁当ばかりだった。
「いじめられたなんて大げさだよ。クラスの女の子が僕のお弁当を可愛いとか、きれいだとか騒いで、それで近くにいたある男子生徒が僕にこう言ったんだ」
「こいつのお母さん、本当のお母さんじゃないんだぜ」
その言葉を聞いてから弁当が嫌になったんだよ。なんだかね。今思うとバカみたいな話なんだけど。でもその年齢って多感な頃でしょ。僕だってそれなりに傷ついたわけ」
「だから購買でパンを買うのが急に増えたのね。何も知らなかったわ」
「トーマスに会って僕は変わったんだ。大切なものを大切と素直に思えるようになった」
「さっき桐子はママじゃないって言った?間違ってるよ。桐子は聡のママね。プロのママね。ローズが好きなママ。聡はしあわせ、育ててもらってしあわせ」
聡は高校時代桐子のお弁当を感謝していたが、それが上手く言えず、その代わりに写真を撮って、匿名である時からSNSに載せていた。サンキューとだけ毎回コメントが添えられていた。桐子はそれまで全く知らなかった写真の存在をトーマスに見せてもらいながら、迷いの中にあったこの何年間が報われた気がした。自分の運命を受け入れられた気がした。
「ここね、恵一さんと何度も来たお蕎麦屋さんなの。植物園も歩いた。初めてのデートも深大寺。家に薔薇を植えたのも恵一さんが植物園に連れてきてくれたから。私ね、若い頃手術をして子供は望めなかったの。聡さんの話を初めて聞いたのもここ。新しい家族の形」
「けいいち?」
「あっ、聡のお父さんね。私のかつての恋人。大好きだった。優しくて」
「そっか、母さんは父さんの恋人だったんだね。そんな風に考えたことなかったよ」
「僕は日本のアニメに興味を持って、高校の時日本に来て、その時深大寺のお蕎麦を知って、それからはずっとここのファンね。ロンドンに大学で戻ったけど、大学院は東京を選んで、それから今の会社で聡に会った。僕は自分の運命を楽しく生きたい」
「二人は本当に恋人なのね。恋人って素敵な響きね。恋人同士には薔薇が似合うわね」
「ねえ、あの家に三人で住むのは無理?あそこ広いでしょ?桐子一人。ローズも綺麗」
「あの家?ローズ?トーマス、うちに来たことあるの?」
「ごめん、母さんがいないとき、必要なものを一緒に取りに行ったことがあるんだ」
「そうだったの。もちろん平気よ。あなたの家だもの」
その二カ月後、桐子が一人で住んでいた国領の家に、二人はやって来た。トーマスがいると不思議なほど三人の関係はスムーズだった。桐子は久しぶりに聡に朝食を作って、ただしあわせだった。休みの日にはトーマスがランチを作ってくれることもあった。庭の手入れも楽しそうに積極的にしてくれた。興味がある事は何でもトーマスは聞いてきた。三人の生活が始まる前にシェアハウスのように簡単なルールは作った。ワクワクする楽しい会議だった。トーマスは大好きな深大寺が近くになりとても喜んだ。自転車で頻繁にあの辺りには出かけて行った。聡の嬉しそうな顔を間近で感じる生活、それが一番幸せだった。
「僕ね、あそこに行くと気持ちがニュートラルになるの。僕、日本のアニメに出会って良かった。日本に来て良かった。聡に会ってよかった。ママが聡を育ててくれてよかった」
事あるごとにトーマスは桐子が嬉しくなる言葉を言った。部屋にはいつも薔薇を飾っていた桐子。三人の生活を薔薇の香りが包み、見守っていた。恵一とあの頃植えた薔薇だ。
三人の生活が数年経った頃、聡とトーマスは自分たちの為に大切な計画があると、三年間を目処にイギリスに行くという。そしてその計画が終わったら日本に、この国領の家に帰ってきたいと言う。桐子もイギリスに誘われたが、自分は日本で二人を待つと言った。
「どこにいても家族だから」きっぱりとそう言える自分が居た。自分の運命を迷った時期が嘘のようだった。二人の計画が二年で終わり日本に帰って来る。待ちに待った日だった。
「母さん」
「ママ」
空港で二人は桐子を見つけると手を振りながら出て来た。聡がミアを抱っこしていた。
ミアが照れながら桐子に小さなお土産を渡した。自分で桐子の為に選んだという。桐子もミアの為に買っておいた犬のぬいぐるみを渡した。庭から摘んできた小さな薔薇の花束も。
「このまま行くの?家に荷物を置いてから?」
「僕が運転するよ。トーマスはお蕎麦を待ちきれないんだ」
「ミアちゃんはアレルギー大丈夫かな?」
「ロンドンでお蕎麦食べたけど大丈夫だったよ。でもロンドンだと無駄に高いよ。深大寺のお蕎麦より全然美味しくなくて、あのエリアの雰囲気も何もないからさ」
桐子は自分の運命を大いに楽しもうとシェアハウス開始の為の会議の日から決めていた。いきなり母親となり、今度はいきなり孫ができた。
「母さん、いきなりおばあちゃんになったね。嬉しい?」
聡が快活に言った。そして車の中でミアが言った。「桐子、あのね、ミアもローズが好き」
桐子は目の前の運命を抱きしめた。ミアの笑い声が家族の形を作り、薔薇の香りが柔らかく桐子の家族の形を包んだ。思い思いの笑顔が車の中に、薔薇の香りとともに広がった。

檸檬(東京都)