「せせらぎになるまで」著者:よしか
中央線は周囲に高くそびえたつ建物に見守られるように東京駅から走り出し、程なくして街並みを高い位置から見下ろす高架線を進み始めた。
加奈子は深大寺に向かっている。乗客の少ない車両でドア横に立ち、七年前まで暮らしていた沿線の風景を懐かしく眺める。
学生だったあの頃、東京はどの駅も同じだと結論付けていた。大きな駅であれば駅ビルがあり、構内に出店のようなものがいくつかある。駅を出ればコンビニとチェーンの飲食店、少し歩けばワンルームマンション、もっと行けばファミリー向けのマンションが現れる。一軒家は大抵居心地悪そうにマンションの隙間に挟まっていて、それらはどれも新しすぎるか古すぎるかのどちらかだ。そういう物事の捉え方を都会的だと思い込んでいた。
今暮らしている横浜の駅から電車に乗り、中央線に乗り換えた瞬間から、懐古の念はみるみる湧いてきた。今はもう、そういう感覚を田舎者の憂いだと片付けたりしない。下車した三鷹駅にも、三鷹駅にしかない郷愁があった。
駅から少し離れたバス停から深大寺行きのバスに乗り込む。終点まで行くつもりの加奈子はいちばん後ろの最後列の席に一人でかけた。流れゆく景色の中、マンション、学校、スーパー、企業、種々の建物を見るともなく眺める。時々見覚えのある場所を通った。学生時代の加奈子が自転車や友人の車でうろついたことのある道だ。当時暮らしていた場所から深大寺はそれほどに近かったのだ。なのに加奈子は、深大寺に行くのは今日が初めてだった。
存在はもちろん知っていた。雑誌の表紙にでかでかと真っ赤な文字で書かれる深大寺。日曜昼間のテレビで、有名タレントがそぞろ歩きをしている深大寺。よく行くチェーンの書店が『深大寺店』で、上京したばかりの自分の生活圏内に雑誌やテレビが取り上げるほどに洗練された地名があると思った加奈子はそのことではしゃいだ。
「ミーハーすぎる」大学で入ったサークルの先輩だった恋人が、よくそう言って加奈子をたしなめた。東京出身のその男は、加奈子の虚栄心と傲慢が入り混じったみっともなさにめざとかった。件の書店は三鷹市内にあった。だから調布市の古刹の名称である深大寺とそれは別の地名だ。そんなことも分からず、自分が立っている土地が三鷹市なのか調布市なのか武蔵野市なのかさえ知ろうとしないで、当時の加奈子はほっつき歩いていた。彼は深大寺という言葉にまつわる自分の勘違いにも気が付いていただろうし、訂正する手間すら鬱陶しくて聞き流していたのだろうと、振り返って加奈子は思う。
平日の正午手前。休日出勤の代休を取って一人遠出してきた加奈子のような客は他にいないらしく、用事ありげな人々は順にバスを降りていく。神代植物公園の手前で乗客は加奈子だけになった。休日出勤をすれば手当が出て代休を取るように総務から催促される、そういう会社に勤めている今の生活を加奈子は気に入っている。
学生時代のあの恋人は、卒業したら起業すると周囲に宣言していた。そんな話をする時は、田舎から出てきた洗練とは無縁の加奈子の存在に自尊心を満たされることもあるようだった。機嫌よく将来設計をまくしたてた後は、『将来のこと』を何も決めていない加奈子が自分の向上心を阻害すると言って責めた。五ヶ月と少しの短い交際期間はそんなことの繰り返しだった。彼が責めた通り、あるいは好んだ通り、あの時の加奈子は無知だった。
バスは緑の深いエリアに入り、六月の梅雨の晴れ間、雨によく当たった新緑の眩しさに包まれる。
終点でバスを降りると、すぐに非日常と懐かしさの入り混じったような空気が胸に迫ってくる。お寺に来たな、と加奈子は思う。見なくてもひとつ息を吸うだけでそうと分かるような、美しい水の気配がそこここに満ちていた。
大黒天と恵比寿尊の石像をパシャパシャ写真に撮った。深沙堂の文字を確認して短い階段を上がり、お堂の前に進み出で手を合わせ目を閉じる。濃い緑の匂いと、遠くで誰かが誰かを呼ぶ声と、かすかな水音。深沙堂の階段を下り、清らかで小さな水の流れに沿うように歩いた。東門を潜ろうとすると、「信徒以外は自転車での乗り入れ禁止」という看板が目に入った。加奈子はしばらくそれを眺めてから歩を進めた。
本堂手前のムクロジも、左手にあるナンジャモンジャの木も、正午過ぎの陽光を柔らかに通して参拝客に差し掛ける。元三大師堂に向かい歩くと、「ナンジャモンジャ見ごろは過ぎたけど晴れてよかったね」と言い合う夫婦とすれ違った。「来年は五月の満開に来ようね」という声を背後に聞きながら、加奈子は伸びあがるようにし、見ごろが過ぎたと人の言う大木を見上げる。幹も、枝も、葉も、どこをどう切り取っても美しい。
枝葉の間を抜けてくる光は、この境内のどこかで眠る骨にも射しているだろうか。
学生時代に恋人だったあの男は、死んでこの寺に眠っている。
葬式も何もかも済んだ後、昔の友人の集まりで加奈子はそれを知った。彼は海外留学に行って以来その場にいた全員と疎遠になっていたらしい。恋人だった加奈子の反応を気にする向きはあったが、全員がその死を身近なこととして扱うのが難しいと感じていた。驚きと戸惑いの後、話題は何となく他に移っていき、加奈子自身もその雰囲気に迎合した。五ヶ月と少しの短い付き合いだった。だから死を悼まないわけではないが、集まりの気安い雰囲気を壊してまで悲しみを表出する権利が自分にあるのか、加奈子には分からなかった。あったとして、そうしたいのかどうかも。宴もたけなわとなった頃、彼と親しくしていた男が加奈子に近づき酒臭い息を吐いて言った。「あいつのことはまぁ…カナちゃんが責任感じることじゃないから」加奈子自身はその男を大してよく知らない。彼と付き合っていた当時も、彼氏とよく一緒にいる人、という存在でしかなかった。その時知ったばかりの昔の恋人の死について自分が責任を感じているのかいないのかも分かりようがなかった。別れて以来一切連絡を取らずに、その時は五年が経っていた。「責任感じることじゃないから」と言った男が、加奈子に責任を感じていてほしいと思っていることだけはよく分かった。墓が深大寺にあるのは、訃報とあわせて知った。
みっともないのはあなただけではないと、彼に伝えられたらよかった。私のみっともなさにも愚かしさにも、だからあなたがそんなに怯えることはなかった、と。生きているうちにそう言えていたら。
振り返って考える時はどんなことも簡単だ。彼と今も言葉を交わすことができたら、全然そういうことじゃないと言ったかもしれないのだし、それはもう永遠に分からない。
植物公園に続く道を上に進みながら加奈子は、お堂の裏の土が濡れて発する匂いを吸い込んだ。前日は大雨だった。
延命観音の前で立ち止まった。斜面の陰になる涼やかな空間で、長生きをしたいのかなんて分からないが手を合わせる。願い事のためではなく荘厳さのためだった。
しばらくそうした後、斜面を下り、水流の上に渡された小さな橋の上で立ち止まった。蕎麦屋に入るか思案していて、ふと「蕎麦だけは決めてる店がある」と言った彼の声が頭に浮かんだ。
立川で互いのクリスマスプレゼントを選ぶ買い物をした帰りのことだった。
駅のホームが寒くちょうど昼時でもあり、加奈子は「おソバ食べてこうよ」と立ち食い蕎麦の建物を指した。彼は「こんなとこのはお蕎麦じゃない」と言った。「蕎麦だけは決めてる店がある」とも。加奈子はふて腐れひとりで立ち食い蕎麦に入り、彼は中央線の上りに乗って行ってしまった。小一時間ほどして、「結構旨い」という文字と一緒に三鷹駅の立ち食い蕎麦屋の写真がメールで送られてきた。加奈子は電車の席でそれを眺め笑った。それから吉祥寺で落ち合い、二人で喫茶店に入った。次はあなたの『決めてる店』に行ってみたいと加奈子は言った。彼はコーヒーの湯気をくゆらせながら、「その店の近くに植物園があるから、バラの見ごろになったら行こう」と言った。見ごろっていつ?と尋ねると、「初夏と秋。俺は秋のが好きだな」と、笑っていた。
一度だけ一緒に過ごした冬の、ある日の出来事だった。
今まで思い出しもしなかったし、またすぐに忘れてしまうだろう。次はもう二度と思い出さないのかもしれない。
加奈子の足元で清流が絶え間なくサヤサヤと鳴っていた。この水底まではっきりと透かして見せる水は、この寺に眠る遺骨のそばも巡ってきただろうか。
美しいその水流を見ていて加奈子は、自分は本当にあの人に恋していたと思った。それは過ぎ去ったことで、記憶は薄れるばかりかもしれないが、消えることはないのだと。
遠慮がちに、セミが一匹、鳴き始めるのが聞こえた。
よしか(神奈川県)