成田空港からのリムジンバス直行便は、香織の実家がある調布に向かっていた。朝からやる気満々に昇った盛夏の太陽が、左側の景色を鏡のように反射させている。香織は車窓に流れる景色をぼんやり眺めていた。田園風景はやがて住宅密集地に変わり、次第に高層ビルやタワーマンションの数を増やしていった。首都高速を滞ることなく進んでいるから、昼頃には予定どおり着くだろう。駅には父が迎えに来てくれているはずだ。

香織は滝沢家の長女として調布市佐須町に生まれた。地元でも知られた旧家である滝沢家は、代々農業を営み、周辺に相当な土地を所有している。祖父の代から資産活用の都合で建築業も始めたが、今でも庭先では点在して残る畑で収穫された野菜を売っている。広い敷地に建つ緑に囲まれた実家は野川の近くにあり、香織は閑静な住宅街の、自然豊かな恵まれた環境の中でおおらかに育った。
柏野小学校から第七中と地元の公立を進み、高校は都立三鷹高校に学んだ。近隣の裕福な家庭では小中学校から私立に行かせるケースが多いのだが、郷土意識の高い父はあえて公立にこだわり、香織は素直にその意に従った。
外国語大学を卒業後、外資系企業に就職し、天王洲のオフィスに勤務した。仕事にも慣れた二年後、本社があるシアトルへ異動の内示をもらった。研修を兼ねた期間限定の海外転勤だったが、両親は猛反対した。しかし、親元を離れ、一人暮らしの機会を自ら申告していた香織は、これに屈せず、単身アメリカに渡った。従順だった大事な一人娘が家を出て、しかも遠い異国に行ってしまったことに強いショックを受け、頑丈が取柄の父は数日間寝込んだという。母はすぐに、自分のやりたいことに邁進する娘の成長を喜び、子どもの親離れを内心では頼もしく思ってくれた。が、それでも父の心配と虚脱を察して、母からの国際電話やメールはほぼ毎日のようにあった。
あれから約一年半。仕事と休暇と祖母の七回忌がちょうど重なり、二週間余りの、初めての帰国となった。

家族やご近所、同級生などの歓迎攻めと仕事の処理などで、当初の昼食と夕食は友人や同僚と共にする日が続いた。早送りの映像のように慌しく多忙な数日が去り、ようやく休暇らしい落ち着いた時間を取り戻した香織は、母の手料理を味わい、実家で家族とのんびり過ごすことに専念した。
ある日は、弟のマウンテンバイクを借りて、市内をゆっくり散策した。
大きな空の下、開かれた視界の先に、おもちゃのような飛行機が離着陸する調布飛行場があった。飛田給のスタジアムでは、なでしこリーグの女子サッカーの試合が開催されていた。多摩川に出ると、河川敷の球場で少年野球の熱戦がくり広がられていた。サイクリングロードを下り、市のテニスコートがある堰の辺りからは、多摩丘陵の遊園地に立つ観覧車の奥に、うっすらと蒼い輪郭を描く富士山が見えた。街には新しいマンションや戸建てが増え、馴染みの店の入れ替わりもあったが、街の風景はほとんどそのままだった。
春になれば、多摩川住宅沿いの土手や野川の両岸に美しい桜が咲き、夏になれば、市民プールに子どもたちの歓声が響き、秋には高尾山の方角に大きな陽が落ちて、調布の空を夕焼けに染め、冬になると、雪やスキー板を載せた車両が中央高速道を行き交うのだろう。
些細な変化を探して嘆くよりも、変わらぬ大きなものを確認して安心したい。香織はそんな心境になって生まれ育った調布の街と接していた。それは、懐古や郷愁といった感傷ではなく、今の自分の土台を作ってくれた場所が、たった数年で脆弱に変容してほしくない敬愛のようなものといえる。

 帰国して一週間が経った日、伯母から電話があった。伯母は活発かつ豪快な自由人で、若かりし頃のかなりのお転婆ぶりには父も随分手を焼いたらしい。今は祖父から相続した調布ヶ丘の家に住み、空いている部屋を貸して悠々自適に暮らしている。その下宿に、最近、電気通信大学に通う一人のアメリカ人留学生が住み始めたそうだ。
 「深大寺に行きたいと言っているが、私はもう若い人と同じに歩けないし、英語で案内できないから、あなた、代わりに付き合ってあげてくれない」。そういう用件だった。香織のアメリカ行きで滝沢家が大騒動になった時、伯母は加勢し、熱心に後押ししてくれた。その恩義もあって断れない。
だが、香織にとって、深大寺は鬼門だった。幼稚園の遠足で神代植物公園に行った時、バラ園で蜂に刺され、頭が漫画のように腫れ上がった。小学生の時、水生植物園で遊んでいたら、誤って池に落ち、溺れそうになった。中学の時、バスケットボール部だった香織は深大寺に隣接する総合体育館で試合に出場し、対戦相手のロングパスを阻止しようとして、ボールを顔面で受け、そのまま真後ろに倒れ気を失った。最悪なのは高校の時だった。初めて同級生とデートを約束し、深大寺に行った。山門をくぐり、本堂や元三大師堂、深沙大王堂などを参拝し、門前を散歩した。ここまではいい感じだった。名物のお蕎麦を食べようと店に入り、蕎麦をたぐった時、悲劇は起きた。不吉な予感と初デートの緊張の余り、蕎麦を中途半端にすすって、むせてしまい、激しく咳き込んだら、蕎麦が一本、鼻から出てきてしまった。以来、香織は一切、深大寺およびその周辺には立ち入っていない。毎年、家族で初詣に行っていたが、それも拒絶した。「何が縁結びよ」。同時に、その日から香織は恋愛にも臆病になった。
 なのに、初対面の留学生を連れ、深大寺を案内しなければいけない。困った。憂鬱で体が岩のように重たくなった。
次の日。伯母は留学生とともに現れた。彼の名はパトリック。本人の発音が伯母には「ハットリ君」と聞こえるらしく、伯母はハットリ君と呼んでいた。パトリックは何度も訂正したそうだが、もう諦めたと言った。気さくで明るい大きな好青年だった。

「何も起こりませんように」と香織はひたすら祈った。
二人はまず野草園へ出発した。ここは中央道を挟んだ東南の深大寺自然広場にあり、小さい頃、蛍を観に行った公園だ。周辺は自然のままの鬱蒼とした湿地帯になっている。
深大寺へと続く急な坂を登り、中央道に架かる歩道橋を渡り、住宅地を抜け、三鷹通りに出て青渭神社に着いた。パトリックに参拝の方法を教え、深大寺の本堂の裏をめぐる路を歩き、神代植物公園を見学し、自由広場で休憩した。武蔵野の原生林が時空を超えて残り、大きな樹木の葉が幾重にも覆い真夏の陽光を遮っていた。時折、心地よい風が吹き抜けていく。蝉の鳴き声も元気だ。
少し汗が治まった頃、武蔵境通りの近くを迂回し、深沙の杜から深大寺へと向かった。深大寺は以前と変わらず賑わっていた。日本の自然・伝統文化・歴史に興味関心がいっぱいのパトリックは、道中、「素晴らしい!」を大袈裟に連発している。地元を褒められることが、あたかも自分が褒められているようで、うれしく誇らしかった。 
ただ難儀なのは、いろんな質問を浴びせられることだった。シアトルでも日本について、あれこれ聞かれるが、どれも基本的な話題で返答は容易かった。しかし、来日するほどの親日家であるハットリ君は知識も豊富で、そのうえでの質問だから、じつに手強く厄介だ。「深大寺と神代は同じ発音なのに、なぜ異なる漢字なのか」。「万霊塔とは何か」。等々。
英語が話せることと、話せる中身を持っていることは全然違う。語学ができても、話せる教養がなくては意味がない。忌み嫌っていた深大寺のことだとしても、自分の引き出しの空っぽさに香織は恥じ入った。
門前のお蕎麦屋さんで食事をした時も、パトリックの好奇心に充ちた質問は続いた。香織は答えに窮し、下を向いて黙った。その様子を見て、横の席の男性客がさりげなく間に入ってくれた。パトリックの知りたい疑問に的確に答え、それを英語でわかりやすく説明した。流暢な英語ではなかったが、内容は充実していた。三人の会話は弾んだ。
親切な男性の博識のおかげで、パトリックの深大寺ガイドは無事に終わった。帰り際、彼は香織に名刺を差し出し、自己紹介した。名前は渡部和哉とあった。深大寺の近くにある国立天文台で観測や研究の機器開発に携わる技術職員で調布駅に近い布田に住んでいるという。年齢は香織の1つ下。独身なので休日にはよく一人で深大寺近辺を訪ね、蕎麦を食べ歩いていると笑った。
 香織は胸の奥深くで発熱するのを感じた。パトリックに感じた友情のような親近感とはまったく別の微熱だった。
夏の朝、水面を出た蓮の花は、突然、ポッと音を立てて咲くという。
夜、滝沢家で夕食を囲み、パトリックは満足気に伯母と帰って行った。楽しく有意義に過ごした濃厚な一日だった。香織は、深大寺を見直し、愛着をもった。不運続きだったが、ほんとは元々好きだったのかもしれない。

香織がシアトルに戻る前々日、祖母の七回忌が行なわれた。集まった親戚は口々に香織の結婚を話題にした。笑顔でかわしつつも、そろそろ封印を解いてもいい時期かと香織は思い始めていた。翌日。その第一歩になるかもしれない電話を渡部にかけた。
恋愛は不思議な引力をもつ。どんなに遠くに離れていても、縁ある男女は運命の糸に操り寄せられ、いつか出会い結ばれる。

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<著者紹介>
望月 吾妻(東京都調布市/53歳/男性/自営業)

約束より結局三十分も早く到着してしまった。深大寺に多く立ち並ぶ蕎麦屋の中でも「市川」は古く小さい。それなのに、念入りに磨かれたような清潔さと、静かな佇まいは二年振りに訪れてもまったく変わっていない。
 二年前に父が亡くなるまでは、母と三人でよく訪れた場所だった。大学教授だった父は留守が多かったが、たまの休日に三人そろうと「市川に行くか!」と私たちを誘った。家からたった一駅先だったが、私にとっては小旅行のように楽しみなことだった。
店の前に立っていると、古い引き戸が開いて、その奥から蕎麦を食べ終えてお腹一杯の私と両親が笑顔で出てくる光景が瞼に浮かんでくる。父はいつも通り日本酒をちびりちびりと飲み、私はその嬉しそうな父の顔を見ながら酒のつまみに好んだ揚げそばに手を伸ばすことが大好きだった。
大学に進学して就職すると、当然に訪れる回数は減ったが、それでも三人で「市川」に行く習慣は不思議と途絶えなかった。
父が亡くなった途端、母と二人で来ることさえなくなってしまった。もっと長生きして当然だと思っていた父の早過ぎる死は、驚きとともに残された私たちの生活に色々な影響を及ぼした。それは死に対する悲しみより、現実的な重量感があった。母との関係もそうだった。父が亡くなっても元通りの関係には戻らず、それは三人いての二人と、本当に二人しかいなくなったことがまったく違うという現実だった。それにイラついて恋人の雅人に八つ当たりが増えると、その関係までもが悪くなっていった。
 思わず、小さな店の前から尻込みしたい気持ちになるが、しっかり背筋を正した。父が亡くなってからの二年、理解不能な母の行動に、ようやく答えを見出せる日が今日なのだ。
「とりあえず」と、心のざわめきを落ち着かせるように言葉に出すと、深大寺まで参拝に行こうとUターンした。気もそぞろな三十分をここで過ごすには、あまりに時間が長すぎる。もう一度背筋を真っ直ぐに正した。

一週間前の土曜日の電話は、一人の夕飯を終えたタイミングだった。電話の音ですぐに相手は分かった。見ていたようなタイミングでの電話はいつも母からだった。
「お母さん?」
「違っていたらどうするの?」
 電話口で笑う声はやはり母だった。
 思わず電話先の相手に聞こえるようにため息をついた。それを無視するように母は、
「ねえ、来週の土曜は休み?市川にお蕎麦を食べに行かない?話があるの」
口には出さなかったが「きた!」という心境だった。黙っている私に、
「雅人さんとデート?仲良くしている?」
きっと雅人は、最近妙に続く休日出勤だと言いかけてぐっと抑えた。来週正午の待ち合わせを決めると、何度目かのため息が出た。
理解に苦しむ母の行動の最初は、父が亡くなった一カ月後だった。急に家を売って私とも別居することを提案したかと思うと、実行に移す勢いはすごかった。さらにそのあと二回引っ越しを繰り返した。二回目は私も知らないうちに、数回転送される郵便物でようやく母の住所が変わったことに気付く始末だった。今は深大寺から徒歩十分程度のマンションに暮らしている。
それでも、私は基本的に何も聞かずに母の言う通りにした。どうしてと母を問いただすことで、母までも失いたくなかった。二人でもめるより、別居を言い出した母に従って、休日に一人で荷物をまとめ、会社に近いところにアパートを見つける方が余程楽だった。
何の相談もしてくれなくなった母への疑問と、責める気持ちは常につきまとうようになり、たまに会っても気まずさとわざとらしい気遣いばかりが表に出た。
こんなことになった原因を一つ一つ羅列したことも、夜中に起きて突発的に考え始めることもあった。答えはいつも分からなかった。いずれはと待ちながら、母が何も話してくれない二年が驚くほどあっというまに過ぎた。
ふと気付くと、深大寺の前まで来ていた。
紫陽花も終わったばかりで人もまばらだが、初夏を待つ緑が瑞々しく目にしみて感じる。
 父の病気が分かる数ヶ月前に、顔合わせ程度に雅人を両親に紹介したときは、まだ紫陽花が笑うようにほころんでいた。「市川」で蕎麦を食べたあと、四人で深大寺に参拝した。その晩「結婚はまだ早いよな!」と赤い顔で言う父を見て、母と苦笑した覚えがある。あれから二年交際は続いていたが、休日出勤が理由だけではなくすれ違いが増えていた。
なんじゃもんじゃの木の下に立つと、待ち合わせまであと十分になっていた。慌てて引き返そうとしたところで、こちらに来る女性の人影があった。
名残惜しそうに深大寺を振り返りながら出てきた母は、私の顔を見ても驚かず、すぐ笑顔になった。
「久しぶり」
「うん。お母さん早いね」
「参拝に寄ったら遅くなって。今から向かうところだったの」
 よそよそしい会話に、あんなに仲が良かったのにと唇を噛んでしまう。父が亡くなったことがすべての元凶のように思えてくる。そう思うことが悲しくて、目の奥が熱くなった。 
母が私の表情を見守りながら、意を決したように手にした紙袋を見せた。
「ねえ、真結。これを見せようと思ったの」
 中には大判のノートが入っていた。新聞や雑誌のスクラップが丁寧にはりつけてある。のぞきこむと、それは賃貸マンションの情報で、それも深大寺周辺の物件ばかりだった。思わず「またか」という思いが頭を過ぎる。
「また引っ越すの?」
「これ、お父さんがずっとしていたのよ。入院してからも新聞や不動産雑誌を買ってくるようにうるさくて」
「お父さんが?家があったのにどうして?」
 思わず問いただすような口調になった。
「真結は一人っ子だけど嫁に出すんだ。俺ら二人、最後は好きな場所でのんびり暮らすぞって。本当にこの周辺が好きだったのね」
 大学教授で頭が固い父は、てっきり私に婿養子でももらえと言うのかと思っていた。だから、長男の雅人との交際にほっこりした顔をしないのだと思いこんでいた。
「でも、それとお母さんが私に内緒で引っ越しばかりするのとどう関係があるの?」
「だって」
 母がちょっと目を斜めにそらした。
「お父さん、自分の病気を知る前に、死ぬとは思わずに探していたの。病気が分かってからも、良い物件を調べては私に細かく意見を言って。どういうことか分かる?」
 答えになってないと思ったが、黙ってもう一度ゆっくりノートに目を落とした。不動産情報の下に一つ一つコメントが書き込んであった。交通事情に始まって、日当たりや見える花まで丁寧に書き込まれてある。右上がりの見覚えのある字だった。
「この字・・・」
「雅人さんから真結へラブレターみたいね」
「へ?」
「これ雅人さんよ。お見舞いに来てくれて、お父さんが不動産情報をはるたびにコピーして、下見に行っては書き込んでくれていたの。いつもお父さん寝たふりだったけど」
「でも、お母さんが何の相談もなく勝手に引っ越すことと関係ないじゃない。私一人で寂しかったのよ」
「寂しかったのは、真結だけじゃないのよ」
冷たいくらいにはっきりした声だった。
「雅人さんの書き込みは、お父さんが私一人で住む心配を察して、それを解決していけるコメントで。お父さんが亡くなって一人でこれを見ていたら、色々なところを見てみようって前向きになったの。今のところは五階で、春には植物公園の桜がきれいに見えたのよ」
そうだ。母が勝手に引っ越して、置いていかれて、自分だけが寂しい気でいた。母は一人で引っ越しをして、一人で気持ちの後かたづけをしていたのだ。そんなことにも、父が一人残る母を思う気持ちにも、その父を思う雅人の行動にも、二年経つ今まで気が付かなかった。
 最後の物件のページの裏の糊が少しはがれかけていた。それを見た瞬間、今までたまっていたものが溢れ出してきた。
『雅人くん、わがままな真結を頼む。もし少し余裕があれば、ついでに妻もたのむ』
『二人ともおまかせ下さい』
母は私が止まっているページを見た途端、声をあげて泣き出した。父が亡くなってから、母が泣くのを見るのは初めてだった。
「来年は、雅人さんと桜を見にきて」
母が今日一番言いたかったのは、この一言なのかもしれない。
 泣き顔を隠すように言った母に、つい最近もケンカをしたことを話してしまった。早く雅人さんのところへ行けという母は、
「お蕎麦を食べてからね」
と笑った私に呆れ顔を見せた。父が亡くなる前の母らしい顔だった。
「だめ!走りなさい」

走りながら、深大寺の神様は怖い顔だぞと、小さい私を震えさせていた父の言葉を思い出した。今なら、それが深沙大王像のことで、いつもは姿を見せないけれど、実は縁結びの神様のことだと分かる。
疑っていた私を雅人は怒るだろうか。すごい形相の雅人と深沙大王が一緒になって笑うところを想像してみると、少しだけ笑えた。ずっと見送っている母の視線を受けながら、懸命に走り続けた。

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<著者紹介>
杉本 絵理(富山県富山市/32歳/女性/会社員)

深沙大王堂を通り過ぎてしばらく往くと、懐かしい山門が見えた。小さい頃によく遊んだなぁ。道路は舗装されて綺麗になっているし、以前はなかったお店もちらほらと見える。
「そりゃ、そうか。もう...八年も経つからな」
僕はポツリと呟き、立ち止まって時計を見た。午後八時五四分。約束の時間まであと五分と少し。上出来だ。五月にしては蒸し暑い夜、ふと目を向けると、山門は静かに佇んでいて、その静謐さはまるで、「落ち着きなさい」と僕に告げているようでもあった。そう、確かに僕は緊張している。何しろ八年ぶりなのだから。山門をくぐれば深大寺の本堂で、その隣には今も変わらず「なんじゃもんじゃの木」が雪のように白い花を咲かせているのだろう。そして、手紙に書かれたメッセージが僕の考えた通りなら、きっとあの木の下で、君が待っているはずだ。僕は、八年前のことをふいに思い出した。
 転勤族だった父の影響で、中学まで過ごした東京を離れることになった。行き先はイギリス。父や母は海外駐在を出世だと喜んでいたけれど、僕はちっとも嬉しくなかった。友達と離れ離れになるし、いきなり英語だなんて言われても、ピンとこない。それに、由香里のことだって...。
 由香里は、幼稚園からずっと一緒の、いわゆる幼馴染みってやつだ。家族ぐるみの付き合いで、どこに行くにも大抵一緒だったように思う。卒業を待たずに渡英すると言われた時、真っ先に考えたのが彼女のことだ。当時はそれが"恋"だなんて思いもよらなかった。だって、好き嫌いよりも近い距離間で僕らは時間を過ごしてきたから。クラスメイトの中には大人びた奴もいて、彼氏だ彼女だと騒いだり、年上の高校生と付き合ったりしていたけど、僕も由香里も、その点はすごく純粋で、恋愛を究極の約束事のように考えていた節がある。
「ねぇ、ヒトツバダコって知ってる?」
 渡英を目前に控えたある日、深大寺本堂の境内に座って二人で話していると、由香里が聞いてきた。
「ヒト...何?」
「ヒトツバダコ。ほら、そこの木」
言って指差した先には、僕らがなんじゃもんじゃの木と呼んでいる木があった。
「なんじゃもんじゃだろ?あれ」
「それはニックネーム。正式名称はヒトツバダコなの」
 なんだか馬鹿にされているみたいに感じた僕は少しムッとしながら返した。僕がもう海外に行くっていうのに、どうして木の話なんか。
「なんじゃもんじゃでいいじゃんか。ってか、それがどうしたんだよ」
 由香里は、微笑みながら繰り返した。
「今はまだ咲いてないけど、ヒトツバダコの花って、白くてまるで雪みたいだなーって思うことない?昔の人はね、すごく綺麗なものを、雪と月と花に例えて『雪月花時最憶君』、つまり、美しい物を見ている時に、遠くにいる君を思い出します、って歌に詠んだりしたんだよ」
 「...イギリスでも、月は見えるけどさ...」
 今思えば、僕はなんて馬鹿な返事をしたんだろうと思う。だけど、夕陽が差し込む境内で、少し大人びた話し方をする彼女を隣に見ながら、心の中にいつもと違った感情が芽生えて、それが僕を素直にさせなかった。由香里の笑顔が、すこし曇って、戸惑い、何かを決意した表情に変わった。
「...イギリスにも桜は咲くのかな、雪は、降るのかな。私には分からないけど、でも、もしも雪が降ったら、月が綺麗だったら、桜を見つけたら、啓は、私の事思い出してくれる?」
 心臓が弾け飛びそうな感覚だった。そして、その瞬間、僕は二つのこと知った。由香里が僕を好きだということ。そして、僕も由香里を好きだということ。
「...なぁ、深大寺ってさ、縁結びの寺だって知ってた?」
 僕は、出来る限り平静を装って話しかけた。
「知ってるよ。深沙大王の話でしょ?」
「由香里は本当なんでも知ってるよな。あれはさ、小島に隔離された恋人を、彼氏が亀に乗って迎えに行くって話じゃん?」
「うん」
「俺はたぶん亀には乗ってこないと思うけど、大学を卒業したらさ、あー...」
「何?」
「卒業したらさ、迎えに来るよ。だからさ、約束しよう。大学を卒業した年に、このなんじゃもんじゃの木の下で会おうって」
「...私ね、啓がいつも羨ましかったの」
 突然話が変わって僕は少し困惑した。今、精一杯の勇気を振り絞っているのに。
「え?」
「だって、啓は五月生まれじゃない?...ヒトツバダコはね、五月に満開になるんだよ。だから、約束して。雪の花を咲かせるこの木の下で、啓の誕生日の夜に、私を迎えに来て」
「...あ、あぁ。そっか。いつ会うか決めてなかったら会えないもんな。そうだよな」
「そうだよ。もう、いつも啓は抜けてるよね。そういうとこ」
そう言った由香里は、いつもの彼女だった。
それから一週間後、僕たち家族は、イギリスへ向かって旅立った。
 イギリスでの生活は単調に過ぎていった。海外生活と言っても、駐在員とその周辺なんてミニジャパンみたいなもので、僕も学校に通いながら、同じような境遇の他の日本人たちと英語の勉強に励んだ。渡英から四年が経ち、両親は帰国したが、僕は進学していたから、一人で残ることにした。
 大学生活は特に刺激のあるものではなかった。コースはどうにもならないほどではなかったし、他の学生のように、毎週末にクラブで踊って、一晩限りの相手を見つけたりするほど人生の刺激に飢えているわけでもなかった。何より、イギリスに来てからというもの、日本にいる時よりも鮮明に、僕は由香里を、その約束を心の中に温めておくことに時間を費やすようになった。
「お前、中学生の時の恋愛なんてガキの遊びだろ?相手も忘れてるよ」
「ユングだかフロイトだかは、真面目すぎて結婚してから遊び始めたらしいぜ。過去の恋愛に囚われんなよ。出エジプトだって!」
多くの友人は、そう僕に言った。勿論、彼女が出来なかったわけじゃない。でも、心の大部分を埋め尽くしていたのは、その相手ではなく相手に重ねた彼女だった。唯一心待ちにしていた彼女からの手紙も、他の女性と関係を持ってしまった罪悪感にさいなまれて返信できなくなり、一人暮らしを始めてから2年と少しで途切れた。
 大学も終わりに近づいたある日、フラットに一通の手紙が届いた。差出人も宛先も書いてなかったけれど、その手紙はなぜか僕の心をかき乱した。封を開けると、中には紙が一
枚だけ入っていた。
『雪月花時最憶君』
たった一行、そう書かれた手紙は、僕に八年前の深大寺を思い出させた。君はまだ、憶えていてくれたのか。もうずっと昔に忘れられたとばかり思っていたのに。イギリスにも桜は咲いたし、雪も降った。夏の月はとても明るくて綺麗だった。五月に君に逢いに行こう。きっと君は、そこにいる。
 ...野良犬が吠えて、僕は我に返った。どのくらいこうしていたのだろう。時計を見ると、午後九時を五分過ぎたところだった。まずい、遅刻だ。高鳴る胸を抑えるように、僕は山門をくぐり、本堂を正面に見ながら、ゆっくりと歩いた。今更ながら、何を君と話せばいいのだろうか、と思う。
 なんじゃもんじゃの木は、その枝が広がる範囲いっぱいに、雪を降らせていた。本当に雪みたいだな、と月並みなことを考えながら、僕は君の姿を探した。果たして、君はそこにいた。白いワンピースに薄水色のカーデガンを羽織り、景色に溶けそうなくらい儚く佇んで、じっと僕を見つめていた。
 八年ぶりの再会は、しばらくの間、静寂に包まれていた。お互い言うべき言葉を見つけられず、中途半端な距離感のまま立ち尽くしていた。
「五分遅刻。相変わらずだね、啓のそういうとこ」
 最初に沈黙を破ったのは彼女だった。
「あ...、ご、ごめん。でもそれを最初に言うことないだろ、八年ぶりの再会だぜ?」
「うん。そうだね。でも、なんだか嬉しくって。あの時と、何も変わってないみたいで」
「そうかな。変わっただろ、俺たち。少しはさ」
「そうかな。私は、啓って全然変わってないと思うよ。背が伸びたくらいじゃない?」
「うるせえな。由香里こそ...」
 と、慌てて後に続く言葉を呑みこんだ。「綺麗になった」なんて、恥ずかしくて言えやしない。
「何よ?」
「なんでもねーよ」
「ふーん。ま、いいや。でも...」
 由香里が一瞬黙った。そして、あの時の、戸惑いと決意の表情をまた見せる
「来てくれて嬉しかった。憶えててくれたんだね」
「忘れるわけないだろ。俺が約束したんだぜ、迎えに来るって」
 言ってから、なんてことを口にしたんだと後悔したけど、もう遅かった。
「うん...。約束したもんね。ありがとね」
その時、微笑んだ彼女の、大人びた笑顔を彩るように、風がそっと、雪の花を散らした...。

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<著者紹介>
渡邉 伸悟(福岡県北九州市/25歳/男性/大学院生)

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