母が嫌いだった。
 そんな想いが、夕暮れ近い深大寺の境内に立ち尽くしていると心をよぎる。
 いつから嫌いになったのだろう。きっと子供のころは好きだったはずだ。
 考えてみるときっかけは三回あったと思う。
 一つ目は小学生の時。苦手な算数のテストで98点も取れたので母に見せると、90点以上はクラスに何人いたの? と聞かれて傷ついたこと。
 二つ目は高校の時。彼氏の親がスナックを経営しているという理由で、無理やり別れさせられたこと。
 三つ目は結婚の時。相手が再婚だからといって、暗に結納金を吊り上げたこと。
 母のそういう下品さがいつも私を傷つけた。
 ほんの数分、過去を振り返っている間にも、深大寺に夕闇が迫ってくる。
 人影もだんだんとまばらになり、湧き水の流れる音が次第にはっきりと耳に届く。
 このまま暗くなったら母を見つけるのが難しくなる。焦る気持ちが高まったとき、携帯電話が鳴った。田形君からだ。
「滝沢さん、どないしたん?」
「急に呼び出してごめん、田形君今どこ?」
「深大寺の入口。駐車場の側に置いてある車椅子、もしかしておふくろさんのとちゃう?」
「実は母を見失ってしまって。本堂の前に居るの。悪いけど車椅子を持って来てくれない」
「よっしゃ。任せとき」
 田形君の明るく甲高い大阪弁が、私の心を少し前向きにしてくれる気がした。
 田形君は同僚で、数ヶ月前大阪支社から転勤で東京に来た。確か私より六つほど下だ。爽やかな笑顔と大阪弁ですぐ人気者になった。
 年上の私の方が気楽なのか、色めきたつ女子社員達より、彼は私によく質問をした。 話しているうちに家が近いことが分かり、先週の日曜日、深大寺を案内したばかりだ。
 数分後、田形君が車椅子を抱え走ってきた。
 その姿を、私は少し他人事の様に見ていた。
 心のどこかで事態の解決を拒んでいたのかもしれない。

 母は二年ほど前から認知性になり、深大寺から二駅ほど向こうの病院に入院していた。
 その病院へ毎日通うのが私の日課だ。会社帰りに面会に寄り、土日は朝から行く。看護士さんがついているが、病院に居る間は食事や排泄の世話、お風呂などにも入れる。
 年齢のせいだ、病気のせいだと自分に言い聞かせても、未だに食事の介助は慣れない。
 母は運ばれてきた病院食を大口でほおばり、くちゃくちゃと噛んだかと思うと、楽しそうに笑いながら全部はきだしてしまう。
 子供帰りしている、いたずらなのだと、看護士さんは笑いながら言う。だが、言いしれぬ怒りの感情がこみ上げ、思わず病室を飛び出しトイレで手を洗ったこともあった。
 冷静になると自分の大人気なさが嫌になる。
 深大寺の境内に風が強く吹き始めた。
 4月も終わりとはいえ肌寒い。自然に包まれたこのお寺も、夕刻を過ぎれば、また違う表情を見せ始める。
 不安な心がそう思わせるのかもしれない。木陰から異界へ繋がる扉が開きそうな気がした。

「おふくろさん、病院抜け出したんか?」
 田形君の問いかけが私を現実に戻した。
「違う、深大寺に来たがったら連れて来たの。珍しく車椅子は要らないって。そうしたら急にかくれんぼしようって言い出して......」
「かくれんぼ?」
「子供と同じ。もう自分の歳も分からないの」
 ここ数ヶ月病院に行く度に、母は子供のように甘えた声でかくれんぼを誘った。
 困っている私を尻目に、もういいかい~まぁだだよ、と口ずさみながら狭い病室内を動き始める。そして、大抵はベットを囲むカーテンかソファの横に身をかがめた。
「私が鬼で、母が逃げる役になったの」
「滝沢さんが見失うほど、おふくろさん、早く動けるんかなぁ?」
 私は田形君から一瞬目を反らした。
「私が不注意だった。油断したのよ」
「まぁ、そんな落ち込まんと。順を追って考えてみようや。スタート地点はどこなん?」
 私は田形君をしだれ桜の下に連れて行き、木に当てた両手の上にそっと顔をうずめた。
「こうやって、振り向いたら居なかったの」
「よっしゃ、ほんなら子供の気持ちで考えよう。まずはどこに隠れようと思うんかなぁ」
 私たちは境内を探した後、脇道を通り植物公園へ続く道へと向かった。
 田形君の協力がありがたかった。だが、私は彼に嘘をついていた。
 母を見失ったのではない、見捨てたのだ。

 その日の朝、深大寺の桜が見たいと母はせがんだ。桜の季節が終わったと告げても言うことを聞かない。
 私は外出許可を取り、車で深大寺へと向かった。花見の時期が終わったとはいえ、日曜日の深大寺は観光客で賑わっていた。その雰囲気に母も私も少し気持ちが高揚した。
 一時間ほどゆっくりと境内を散歩し三時半を過ぎた頃、私は母に帰ろうと言った。しかし母は植物公園の方を指差し、立ち上がった。  
 車椅子無しでも歩けるとはいえ足取りは弱弱しい。何度止めても行こうとするので、私は母の腕をぐっと掴み引き寄せた。一瞬変なにおいが鼻をつく。母は粗相をしていたのだ。
 慌てて鞄を開けるが代えのオムツがない。必死でテッシュを探す間にも、母は嫌々をしながらすごい力で歩き出そうとする。
 苛立った私が母の腕をおもむろに離すと、反動で母は地面に倒れこんでしまった。俯く母を無言で見下ろしていると、急にたまらなく涙がこぼれ始めた。
 母さんさえいなければ......思わず、私の口から言葉がもれた。それが母に聞こえたのかは定かでない。だが、その時母は振り向き、ポツリとつぶやいたのだ。
「あんな男と結婚するから......」
 私の心は凍りついた。
 そうだ、母はいつだって平然とした顔をして私の心臓にぶすりと包丁を突き刺すのだ。
 私は固まった表情のまま、母にかくれんぼをしようかと誘った。
 母の顔は一瞬で明るくなり、いつものように、もういいかい~まぁだだよ、と一人口ずさみながら隠れる場所を探し始めた。
 こうして、私は鬼になったのだ。
 私は目を開けたまま、たどたどしく歩いていく母の後姿を見ていた。
 夕暮れの赤い光を、風に吹かれて揺れる木の葉が隠してゆく。母の姿はゆっくりと見えたり隠れたりしながら次第に遠のいていった。
 それからどの位時間が経っただろう。境内には誰もおらず、母の姿は無かった。
 いけない、母が事故にでもあったら。
 素に戻った私は自分の愚かさが恐ろしくなった。もう自分の客観性に自信が持てなくなっていたのだ。

「それにしても、急に滝沢さんから電話があったからびっくりしたわ」
「なんか動揺しちゃって、ごめんね」
「気にせんといてや。むしろ嬉しかってん」
 田形君と深大寺周辺の小道を歩きながら、私はもう母に会えないような気がしていた。
「遅くまで遊んじゃだめって、よく母に言われた。夕暮れ時は人を鬼に変えるからって」
「なんか物騒な話やなぁ」
「なんでかくれんぼなんかしたんだろ」
「そういえばかくれんぼって、見つけられたいから隠れるようなもんやんなぁ。意外と近くに居るかもしれへんで」
 私と田形君は顔を見合わせ、再び本堂前へと戻った。階段を登り、少し高い位置から境内を見渡してみる。
「お堂の下なんか入ってないかなぁ」
 田形君の言葉に私は階段を駆け下りた。その時、絵馬かけの後ろに座っている母の姿を見つけたのだ。母は野良猫を大事そうに抱えてしゃがみこんでいた。
「母さん!」
 母は私を見上げて無邪気に笑うと、
「見つかっちゃった」と言った。
「遅くなってごめん」
 私は母をぎゅっと抱きしめた。
 田形君が車椅子を広げると、母は嬉しそうに腰かけた。
 車椅子を押す私の横で田形君は言った。
「さっきの話しやけど、鬼は誰の心の中にも必ずおるんとちゃうかなぁ。みんなその鬼が暴れんように生きてるだけかもしれんなぁ」
「田形君の心の中にも?」
「もちろん、すごいの飼ってるでぇ」
「ほんと? 全然そんな風に見えないけど」
「だからたまに、鬼が顔出す前に、誰かに見つけてほしいのかもしれんなぁ」
「私、自分の鬼を調教する自信がない」
「僕がずうっと見張っといたろか?」
 私は田形君の顔をじっと見つめた。
「私、バツ一ですけど」
「僕もやねんけど」
 二人の笑いが深大寺に響いた。
「今度、深大寺の蕎麦でも食べに行く? こないだ行きたがっていたでしょ」
「それは滝沢さんと会う口実。僕大阪出身やで。うどんの方がええに決まってるやん」
「それは、まだ蕎麦の良さを分かってないからだよ。深大寺の蕎麦は絶品なんだから」
 田形君は笑いながら車椅子の取っ手を片方持った。一瞬断ろうと思ったがやめた。少し押しにくくなったが、心は軽くなっていった。
 深大寺の屋根の向こうに星がうっすらと輝き始めていた。

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<著者紹介>
川村 千重(千葉県船橋市/42歳/女性/自営業)

 人の人生には八方塞がりの時が幾度かあるという。秀雄はふとそんな言葉を思い出していた。「自分は一体この閉塞のトンネルからいつ抜け出せるのだろう。」
 振り返ってみれば、中学卒業と共に富山から上京し、本郷の老舗の蕎麦屋で修業を積み、西荻窪に小さな店を出したのは三十になった年だった。一時は繁盛したが、ギャンブル好きの常連客に誘われるままに、競輪、競馬にのめり込み、気がつけば店を手放す羽目になった。その後も心機一転と借金をして吉祥寺の駅前に店を出したが、周囲を安価なチェーンの蕎麦屋に包囲され、勝負にはならなかった。そして、逃げるように店をたたみ、流れ着いたのがこの深大寺だった。
 貼り紙を見て門前の蕎麦屋にバイトとして入り、働いているうちに五十の峠を越えていた。昔は浮いた話の一つ、二つもあり、世間並みに恋に夢中になったこともあった。しかし、今はただ与えられたこの蕎麦屋の仕事をただ平坦に務めることがすべてだった。平凡だけれど、安穏。そんな日々を過ごすことが今の秀雄の愉しみだった。
 そんな日常を打ち破ったのは、思いがけない来訪者だった。ある日、店の主人が若い女の子を連れてきた。「韓国から日本の蕎麦を勉強に来た朴恵蘭(パクヘラン)さんだ。今日からお前の弟子にするから、面倒見てやってくれ。」主人はそれだけ言い残すと、女の子を残して去っていった。
 「先生、よろしくお願いします。」頭を下げるヘランのカタコトの日本語に秀雄は内心戸惑った。しかし、真剣に自分を見つめるヘランの瞳は秀雄に蕎麦を教える意欲をもたらしていた。
 次の日から秀雄とヘランの蕎麦打ち修業は始まった。日本で勉強するためにヘランは韓国で日本語教室に通っていたとのことで、日常の会話は何とか理解できる。しかし、いざ蕎麦のいろはから教えるとなると話は別だ。秀雄にしても、自身は本郷での厳しい修業は経験しているが、人に教えることは全くの初めてだった。まして、相手は外国人で、自分とは親子ほども年の離れた女の子だ。
 「水回しはね・・・」
 「お水・・・を・・・回すのですか?」
 「そこの蕎麦ちょこ一つ、渡してくれ。」
 「?チョコ・・・ですか?あ、ありませんが。」
 万事がこの調子で、秀雄は内心これは大変な仕事を引き受けたなと思った。しかし、一方で毎日交わす珍妙なヘランとのやりとりがこれまでの平凡な繰り返しの日常に風穴を開けてくれるのを感じ取ってもいた。
 ヘランは素直で何に対してもひたむきな性格だった。秀雄の教えることも手帳にしっかりとメモをし、どんな作業も手を抜かず、できるまで粘り強く繰り返した。そんな姿は秀雄と彼女との距離を急速に縮めていった。
 ヘランとの出会いによって、秀雄の生活には一つの変化が生じた。それは誰にも内緒で休日に三鷹駅前にある韓国語教室に通い始めたことだった。まさに五十の手習いで記号のようなハングルの列に頭を抱えながらも、どこか自分の中に少年のようなときめきが湧き上がってくる。そして、教室で覚えたハングルをヘランに試して、自分の成長を確かめるのが毎日の日課ともなった。
 こうして、秀雄とヘランの日本語と韓国語の入り混じった師弟の歩みは少しずつしっかりとしたものになっていった。やがて、半年も経つ頃には言葉と共にヘランの蕎麦打ちも形になって、時に打たせる蕎麦も不揃いながらお客に出してもよいぐらいにまで上達を見せた。秀雄の教えた「蕎麦はたべるもんじゃなく、「手繰る」もんだ。」ということもヘランは理解するようになった。
 ヘランは深大寺の神代植物公園の近くに店の主人が借りてくれた小さな1Kのアパートに住んでいた。秀雄は日曜となると、よくそこへ顔を出した。買い物一つも不便だろうという気持ちで通い始めたのだったが、いつしかヘランをいろいろな所に連れていくのが秀雄の愉しみになっていった。井の頭公園、動物園。天文台や野草園。時間にゆとりがある時には故郷の香りを味合わせようと遠く新大久保まで足を伸ばした。
 そんな中でヘランが一番喜んだのは、植物公園だった。四季折々の草花に目を輝かせる彼女の横顔を見るのが秀雄には大きな喜びだった。今時の日本の女の子と違い、髪もいじらず、化粧っ気もないヘランの白い顔はその名の通り、品のある蘭の花に似ていた。
 気がつけば二人は互いの身の上を衒いなく打ち明ける関係になっていった。ヘランの実家は釜山で、幼いころに父親を事故で亡くし、母がチャガルチの水産市場で行商をしながら、女手一つで育ててくれたこと。彼女もアルバイトで学費を稼ぎながら、大学を卒業したことがわかった。
 一方の秀雄も若い時から蕎麦一筋に生きてきたこと。そして、失敗の繰り返しの中で今の店にたどり着いたことを正直に話した。
 そんなある日、いつも元気なヘランが店に顔を出さないので、電話を入れると、長い呼び出し音の後、「すみません。熱が出てしまって・・・。」と消え入るようなか細いヘランの声が聞こえた。秀雄はその日の蕎麦打ちを終えると、昼の中休みにヘランのアパートに飛んでいった。
 部屋の中のヘランは枕元に洗面器を置いたまま、布団の中で赤い顔をしたまま動かない。慌てて秀雄は途中のスーパーで買ってきた氷枕をヘランにあてがい、冷やしたタオルを額に乗せてやった。
 「何かほしいものはねえか。」
そう尋ねると、ヘランは体を拭いてくれと言う。一瞬秀雄は逡巡したが、ヘランに替えの下着とパジャマの場所を聞き、「ごめんよ。」とヘランの下着を脱がせ、新しいものに着替えさせた。見えてはいけないと目をつぶりながらの着替えだったが、それが終わるとヘランは幼子のように安心しきった顔で深い眠りに落ちた。その寝顔を眺めながら、あらためて部屋を見渡すと、一間だけの部屋は家具らしいものもなく、狭いはずの部屋が広々と見えた。そんな中で唯一違っていたのは部屋の隅の小さな台所に蕎麦打ちの道具一式が整然と置かれていることだった。几帳面なヘランらしく、フキンがかけられていた。
 それを手に取って眺めていると、ヘランが一層愛おしく思えた。蕎麦包丁を手にすると、柄のところは少しへこんでいる。恐らく、ヘランは店から帰った後も、その日秀雄に教わったことをこの部屋で一心に試していたに違いない。決して安くはない蕎麦打ちの道具をこうして揃えるために、ヘランは慣れぬ異国での生活も切り詰めていたのだろう。
 秀雄はヘランが目を覚ますまでの間、彼女の道具を使って蕎麦を打つことにした。自分にとっては一年三百六十五日繰り返してきた蕎麦打ちにもかかわらず、今日のそれはいつもと違う心が入る。静かに眠るヘラン一人のために最高の蕎麦を食べさせよう。その思いが秀雄の全身を包み込んだ。
 やがて、目を覚ましたヘランは熱も下がり、秀雄の運んだもり蕎麦をゆっくりと、おいしいそうに口に運んだ。秀雄にはその横顔がたまらなく愛おしかった。
 そんなことがあった翌週、ヘランは秀雄をアパートに誘った。「先週のお礼に私が秀雄さんのために料理を作ります。」と言ってくれる。
素直に好意に甘えることにした。部屋ですることもなく、待つこと一時間。ヘランが運んできたのは手作りの韓国冷麺だった。透き通ったスープの中にはこしのある麺。上には紅も鮮やかなキムチに白い梨の薄切りが添えられている。
 一口ずつ口に運びながら、秀雄はヘランの健気さ、そして愛をしっかりと感じていた。
 秀雄とヘランはその夜結ばれた。そこには秀雄が必死で覚えたハングルも必要なかった。そしてヘランの方も日本語はいらない。ただ、そこには優しく抱擁しながら、相手の自分を思う心を体温と共に確かめ合えばよかった。
 あれから三年。ヘランは釜山にいる。別れたわけではない。秀雄との子を宿したヘランがお産のために戻ったのだ。
 「赤ん坊が成人の時に俺は七十五か。若くいなくっちゃな。」
そう自分に言い聞かせながら、秀雄はまた昨日と同じ蕎麦打ちに戻った。

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<著者紹介>
頼富 雅博(群馬県前橋市/49歳/男性/教員)

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