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「夕凪に灼け付く赤色は」著者:野々和音

七月の始めのその日は、そろそろ夏がやってきたのを知らせるかのように生ぬるい風が吹いていた。

「おーい、こっちこっち。」
待ち合わせは三鷹駅。待ち人である長い黒髪の少女が改札の前できょろきょろと辺りを見回しながら僕を探しているのを見つけて声をかけた。
「あっ…!」
彼女は、はっとした表情でこちらに気が付くいた後、白いブラウスと対照的な赤色のスカートをひらひら揺らしながらはにかむように微笑んだ。
「お待たせ。久しぶり。」
少し大人びた顔は、あのころの面影を残しながらも全く違う人のようにも見えた。それがなんだか照れ臭くなって、僕は少し彼女から目線をそらした。
「久しぶり。元気だった?」
大学に通うため、と上京してきたのは今年の四月のこと。中学から高校と六年間学校が同じだった彼女とは、三か月前まで毎日のように会っていた。といっても別に付き合っていたわけではない。友達以上恋人未満。ずっと前からそんな関係を続けていた。
「さっきまでは元気だったけど電車が混んでて少し疲れちゃったよ。」
東京駅で夜行バスを降りて、混みあう電車に乗って、この街に来たのだと、大げさに眉をしかめながらも彼女は笑う。彼女の通う地元の大学が祝日で休みになったから、前々から東京に遊びに来たがっていた彼女に、それならば僕の生活するこの街を案内しようということになったのが今日のきっかけだ。
「お疲れさま。」
「ありがとう。そろそろ行こうか?」
彼女はちらりと手首にまかれた時計で時間を確認しながら返事をした。
「そうだね。今日は深大寺に行こうと思ってるんだ。いいかな?」
「深大寺?」
「縁結びの神様で有名なんだって。」
そんなに詳しいわけでもないたどたどしい知識でその質問に答える。
「…それは、私たちにぴったりかもね。」
間をおいて彼女が笑う。その笑顔はあの頃と何も変わらないはずなのに、ふわりと見知らぬ香水の匂いが漂ってきて、なぜだか少し切なくなった。
「なんだか、君は少し変わった。大人っぽくなった。」
思わず漏れた言葉は完全に無意識だった。その言葉は愚痴めいて響いて、何とも言えない気分になる。
「三か月、かあ。」
少しの沈黙が僕らの間に満たされた後、彼女は地面に視線を落としながらそう呟く。だんだん少なくなった電話。新しい環境とあわただしい毎日の中で薄れていくそれまでの日々。久しぶりの再会には思い描いていたものとは違った色合いの空気が流れていた。

「…たった三か月だ。」
重くなった空気を振り払うように、僕たちはバス亭へと歩き出した。

「日曜日だからかな、混んでる。」
目的地の目の前に到着して、外から人々が賑わうのを見つめながら彼女は言った。
「地元じゃこんなに人いること少ないから、僕も最初は驚いた。でもここは東京だからこれで全然普通なんだよ。」
三か月で慣れた東京の喧騒は、今も地元で暮らしている方からすると珍しいのだろう。
「あなたはもうこの街の人なんだね。少し不思議な感じ。」
その言葉は僕らの間にできてしまった隔たりを形にするもののように感じた。
「僕は全然変わっていないさ。ほら、まずはお参りをしなくちゃ。」

本堂を前にして、拙い作法でお参りをする。
僕は叶えたいと思ういくつかのことを頭の中に思い浮かべ終わった後、そっと隣にいる彼女を盗み見た。目を固く閉ざして、唇をかみしめた彼女はよっぽど叶えた願い事があるみたいだ。
それから、少しの時間がたって、ぱっちりとした大きな瞳を開いた彼女は、そんな僕に気が付いたように声をかける。
「叶うかな?」
その一声に、何かを見透かされたような気がした。
「そうだね、きっと。」
僕のお願い事が彼女に関することだと、気付かれてしまってるんじゃないかって。

観光をし疲れて、くたくたになるころにはあたりはほんのり薄暗くなっていた。

バス停へと向かう道を、後ろ髪引かれる思いでゆっくりと歩く。
生い茂る木々の葉の隙間からは夕暮れ色に染まったオレンジの光が包むように差し込んでいる。
「もう帰り道かあ。」
隣から名残惜しそうに聞こえる声は、今日の終わりを告げるようだった。
「今日は楽しかったよ。」
「私もすごく楽しかったよ。」
本心からそう言えば、彼女はとてもうれしそうな顔をした。
「だけども、私たちは話をしなくちゃいけないね。」
そして、彼女は嬉しそうな顔を崩さないままにそういった。
ついにこの時が来てしまった。
「今日思ったんだ。」
「…いや、違うな。離れてる三か月間ずっと考えていたよ。」
僕の返事を待たずに彼女は話し始める。
「うん。」
僕がそれに返せたのは一言だけ。
「会うのはこれで最後にしよう。将来の夢ができたんだ。海外を飛び回って、世界を知るの。」
淡々と紡がれる言葉。
「僕は東京って街が好きだから、東京で就職して仕事をするつもりだよ。」
彼女に言い返そうとは思わなかった。同じことを考えていたのは知っていたから。
「前から言ってたの覚えてるよ。」
柔らかい声音で返される。少なくなっていく連絡の中で、自然にそれがなくなってしまうことも許せず、かといってずるずると関係を持つことを良しとしなかった僕らの結末はなんとなくわかっていた。決着をつけるために今日の約束をしたことも。

「君のことが好きでした。」
過去形で告白をした。
気が付いているのも知ってた、君がどう思っているかも知ってたけど、伝えることができなかった言葉。
「私もあなたのことが好きでした。」
今日ずっと笑顔でいた彼女の表情が泣きそうに歪む。
「でも、会うのはこれが最後だ。」
きっと、僕も同じ顔をしている。
「私たちはお互いのために譲り合うことができないもんね。」
ずっと好きだった。でもどんなに想いあっていてもこの恋は両片想いで終わる恋だ。
彼女は服の袖で零れかけた涙を拭ってまっすぐに僕を見つめた。
「あなたは、誰よりも素敵な人と出会って、その人と結ばれて幸せになる。神様にそうやってお願いしたからきっと叶うよ。」
そうしてふわりとほほ笑んだ彼女はこれまで見たどの姿よりもきれいだった。
「神様が僕たちの縁を結んでくれるのなら、僕らはこれから何十年もたって、お爺さんお婆さんになった時、どこかの街で偶然再会して、自分がどれだけ素敵な縁に恵まれて幸せに生きてきたかを自慢しあうんだ。」
気が付けばもうバス停についていて、少し離れたところにこちらに向かって来るバスが見えた。ああ、もうタイムリミットだ。

「僕は次のバスで帰るよ。ここでお別れをしよう。」

僕らの間にあったこれは、最後の恋にはなれなかった。
それでも、この恋は最初の恋だった。

「バスが来ちゃったから行かなきゃ。」
彼女は晴れやかな顔をしてそういうと、僕に背中を向けた。

「さよなら、またいつか。」
僕はどうにかその言葉を絞り出して、彼女に見えていないと知りながらも精いっぱいに笑った。

「また、会いましょう。」
振り返らずに、それでも返ってきた声。
彼女も僕と同じように笑っているのだろう。

「どうか元気で。」
もう、返事はなかった。蝉の声だけが響く。

僕は、一人残されたバス停で、赤いスカートが揺れながらバスの中に飲み込まれていくのをただ静かに見つめていた。

野々 和音(東京都小平市/20歳/女性/学生)

   - 第12回応募作品