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【第10回公募】「私と彼との距離」著者:望都道ジロー

「万結ちゃんはさ、どうしてシマウマは白黒の模様になったんだと思う?」
 私はうんざりした。遊園地や動物園などの賑やかなレジャー施設は好まない彼の意向に合わせて来た深大寺公園でも、この有様だ。
現在、お付き合いを続けている鳴樹くんは知的好奇心という物が強いのか、度々答えを求めているような、求めていないような問いを私に投げかけて一人で思考に耽る。
元はと言えば、大学の図書室で物憂げな横顔を毎日見つめているのを気付かれ、声をかけられた事から始まった恋だが、彼がここまでの考察魔とは思わなかった。
 ふと下から見上げる視線を感じ、鳴樹くんが私の返事を待っているのに気付く。慌てて顎に手をやり、首を傾げた。少しわざとらしかっただろうか。
「そ、それは普通に考えて、何か色々と環境に適応して体毛がああいう状態に変化したんでしょ?」
 何となくネットで得た知識で鳴樹くんに応戦するが、子供みたいな澄んだ目は容赦なく私に踏み込んでくる。
「じゃあシマウマにどういう心境の変化があってそういう風になったの?」
 動物の心境なんて、過酷な自然界から生き延びるぐらいしか思い浮かばない。
「えっ、そ、それはやっぱり草食動物だし、元々草の間に紛れるように縞々になった訳でしょ。てことは、自己防衛からじゃないかな」
「でもサバンナで白黒って逆に目立つじゃん。真昼間に草食べてたら僕はここにいますよーって言ってるようなものじゃん」
 やはり彼には付いて行けない。私はため息を喉元に留めて、苦笑いをこぼした。
「……降参です」
 そう言うと、彼は私から興味を失ったように眼下の小川に目を落としてから、立ち上がってぶつぶつと呟く。
「んー、何でシマウマ……シマウマ……」
 彼は顎に手をやりながら、本堂の入口へと向かう。私は半ば腑に落ちない気分で彼の後ろを追う。まだ三度目のデートで、手さえ繋いでいない。
私の求める恋人像からは全くかけ離れているし、鳴樹くんは私の事が好きなのかたまに不安になる。
 本堂は都内の喧騒から外れ、神秘的な静けさに包まれている。少し心が現れるような気がして、沈んだ気分も豊かな緑の風景と穏やかな雰囲気に顔を上げる。
 鳴樹くんもいつの間にか思考を止めて、感心したように本堂を見上げていた。黙っていれば物静かな美青年に見える。けれど、一旦会話をすれば自分の世界に入り込むマイペースな人。
奔放な鳴樹くんに私の理想を押し付けるのはどうかと思うけれど、少し恋人として意識してもらいたいと思うのは間違っているだろうか。
「見て、万結ちゃん。あの木、白い花が咲いてる。近くに行ってみよ」
「あ、うん」
 鳴樹くんの弾んだ声に引きずられるように付いていく。周りの人から私達はどう見えているのだろう。恋人同士に見えたのなら、運がいいかもしれない。
 鳴樹くんは子供みたいに目をきらきらさせて、白い花をつけた木の幹を見上げている。こちらに覆いかぶさるように垂れている木は見上げると、日に透けて眩しい反面、とても美しかった。
「綺麗だね」
「うん」
 ふと鳴樹くんの方に顔を向ける。てっきり木を見上げていると思っていた彼がこちらを向いていたので、驚いた。そして、少し恥ずかしくなる。私は彼の前でどんな顔をしていたのか気になった。
「万結ちゃんはさ、どうして俺と一緒にいるの?」
 脈絡もなく尋ねられた問いに呼吸が詰まる。それは私の中でも、最近心の底に溜まった叫びだからかもしれない。鳴樹くんのまっすぐな瞳が私に突き刺さる。たまらず、逸らした。
「な、何でそんな事聞くの?」
「だって、万結ちゃん俺といても全然楽しくなさそうだから」
「そんな事……」
 図星だ。最初は、こんなかっこいい彼氏がいたら、友達に自慢できるかもしれないって思った。鳴樹くんみたいな人は、きっと私にはもったいないから、こんなチャンスないだろうって思った。
 だから、告白を受けてもらった時、すごく嬉しくて、目先の事しか考えていなかった。結局私は、ただ自分が幸せになればいいって考えてただけで、鳴樹くんがどういう人かなんて知ろうともしていなかったのかもしれない。
「俺はね、万結ちゃんと一緒にいて楽しいよ」
 だから、鳴樹くんのその言葉が衝撃的だった。鳴樹くんはいつも自分の世界にいて、私の事なんてどうでもいいんだろうって思ってたのだ。私ははっと顔を上げて、鳴樹くんを見つめる。
「万結ちゃんは俺のどーでもいい質問にもめんどくさいなーって顔しながらも答えてくれるでしょ。それがすごい嬉しくてさ。俺のわがままにもいつも自分の事我慢してるし」
 鳴樹くんは屈託なく私に笑いかけている。夢みたいだけど、ウソを言っているようには見えない。もしかしたら、私の自惚れかもしれないけれど、鳴樹くんの言葉は徐々に私の心を温めていく。心の奥底に溜まった本音が、水泡のように浮き上がる。
「……鳴樹くんは私の事、どうでもいいんだって思ってた」
 私の声は酷く掠れていて、醜く聞こえた。それがとても、純粋な鳴樹くんを汚してしまいそうで気が引けた。自然と顔が再び下を向き始める。
「……そんな事ないよ。どうでもいいって思ったら、俺が好きな深大寺につれて来ないし」
「え?」
 好きな、という単語につい顔を上げる。
「ここ、落ち着くんだ。小さい頃からじいちゃんとばあちゃんと一緒に来て、参道のお店で団子かみそ田楽を食べる。生まれてからずっと俺の特別な場所だから」
 風が吹く。春の緩やかな風が彼の栗毛を揺らす。鳴樹くんはその髪を抑え、私の視線に気付いて微笑む。それは私が今まで見てきた中でも、一番きれいな笑みだった。
「だから、万結ちゃんにもここを好きになってほしかったんだけど、やっぱり遊園地とかの方が良かった、よね?」
「ち、違うの! つまらないとかじゃないの。ただ、私……私が、鳴樹くんの事何も知らずに、理解しようとしなかったから、勝手に惨めになっただけなの」
「え? そうなの?」
 私の吐き出すような言葉に対し、鳴樹くんはきょとんとした表情で軽く聞き返してくる。彼のペースに振り回されていると知りながらも、私はこくこくと頷いた。結構勇気を振り絞って言ったはずなのに、馬鹿みたいだ。
「そ、そうです……情けないけど」
「じゃあこれから知っていけばいいじゃん」
 鳴樹くんは私の憂鬱な心なんて吹き飛ばして、手を握ってくる。男の子の大きな手になれていない私はそれだけで固まって、何も言えなくなる。彼の顔と手を見比べていると、またきれいな笑顔を向けられた。
「俺、また今日万結ちゃんの事分かったよ。上見る時、口開ける癖あるでしょ」
「み、見てたの!?」
「うん。さっき」
 私はつい口元を隠す。顔が熱い。鳴樹くんの瞳の前では、何もかも白日の下に晒されているような気さえしてきた。けれど、鳴樹くん自身に悪気はない。
「すごく、見ててかわいいなって思った」
 風の音と共に、鳴樹くんの声が私の耳をくすぐる。羞恥で逃げ出したい気分になるけれど、鳴樹くんの手は私の手を掴んだままだ。
 私は握られた手を一旦解いて、彼の指に自分の指を絡める。鳴樹くんは少し目を丸くして私を見つめた。自然と、背の高い彼を見上げて私は尋ねた。
「……これからは、他の所にも一緒に言ってくれる?」
「うん。次は万結ちゃんの好きな所に行こ」
 嫌と言われるのを覚悟して言ったのに、彼はそんな後ろ向きの私の思考を笑顔で吹き飛ばしてしまう。いつの間にか私の心はすっきりとした心地だった。
 私と鳴樹くんの恋は、まだ始まったばかりなのだ。

望都道 ジロー(千葉県浦安市/19歳/女性/学生)

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