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「深大寺恋心中」 著者:中村 達彦

夕暮れ近く、時を告げる鐘の音が、澄みきった空に響き渡る。
音色を背に、深大寺境内にある大木に隠れて、若者と娘が互いの名を呼び合った。
「麻衣殿」「早治郎様」
澄んだ大きい瞳の小柄な娘は、身だしなみから武家の娘らしい。長身で整った顔立ちをした男の方は、黒い袴を着て、髪の形からして浪人のようだ。
「き、今日を一日千秋の想いで、待ち焦がれておりました」
 麻衣は、はやる想いを口にする。早治郎はやや顔を背けていたが、はっきりと応えた。
「それは、拙者も同じこと」
心地よい微風が吹き、二人の顔や服をなでていく。
「ですが、会うのは、もう終わりに」
「えっ?」
「拙者は一介の浪人で、麻衣殿は千石取りの旗本の家、身分が違います。何より拙者の家と麻衣殿の家は、仇同士でしょう」
麻衣は悲しそうな顔を浮かべ、首を振った。
「何をおっしゃいます。早治郎様の家が取り潰されたのは、我が父の策謀によるもの。恨まれるのは当然なのに、こうして好いてくれて、私は覚悟しております」
 早治郎は、苦しそうに言った。
「我々は、結ばれることが許されぬ身です」
「ああ早治郎様 なぜあなた様は早治郎様なのですか?」
 麻衣は恋しくたまらないとばかり。
「夜盗に襲われた時、早治郎様にお救いいただいた。何という出会いでしょう」
 麻衣は、なおも己の愛おしさを語るのを止めなかった。
「家が仇同士であると知り、悩みましたが、ですが麻衣は、やはり早治郎様無しでは、生きていけませぬ」
「し、しかし見つかれば……」
 麻衣は、早治郎の胸に頭を寄せた。
「この寺の近くにある深沙堂。ずっと昔、親の反対で裂かれた若き男女が、水神深沙大王のお導きで結ばれたと、言い伝えがあります。私たちも、そのお力におすがりしましょう」
 再び風が吹き、木々の葉や枝を揺さぶる。
沈黙を経て、早治郎は沈黙を破った。
「麻衣殿の言う通りに。共に深沙堂に詣で、御加護にすがりましょう」
 と、数人の武士たちが山門から境内に乱入すると、二人を目ざとく見つけた。
 先頭の武士は、麻衣の父である戸田笹ノ蒸、腰の太刀を今にも抜かんばかり。供の者たちも身構えていた。
「もしやと後を追ったが、やはりそうか」
 早治郎は太刀を差していないが、うろたえず、正面から仇を睨み返してみせた。
「戸田笹ノ蒸、家を潰された無念は、今も忘れてはおらん」
「何を言う! わしの父こそ、貴様の父にだまし討ちにされた。その恨みに比べれば」
「お、お止めください、父上様も早治郎様も」
 麻衣は両手を広げ、間に割って入った。
「仇の息子と通じるとは、何たる恥ぞ麻衣!」
「私は早治郎様と、結ばれることを約束し合った身、決して離れませぬ」
「おっ! おのれえっ!」
 笹ノ蒸はその言葉に、太刀を引き抜き、自分の娘に斬りかかった。
 とっさに、早治郎は麻衣をかばう。鈍い音が響き、赤いものが地面にほとばしった。
 早治郎は苦悶の表情を浮かべ、ひざを突く。麻衣は慌てて寄り添った
 笹ノ蒸は、飛び散る血と、仇を気遣う娘の姿とに、感情高ぶらせて言い放った。
「父の情けだ。一太刀であの世に送ってやる」
 そこへ、別の寺の入口から新たな一団が現れた。それぞれ棒きれや包丁を持った十人ほどの町人たち。
「早治郎の旦那が大変だ」「加勢しろ!」
 日頃、何かと面倒を見ている、長屋の住人たちが異変を聞いて、駆けつけてきた。
 笹ノ蒸ら武士たちは刀を抜き、にらみすえたが、町人たちはひるむ様子がない。

 レンズがにらみ合う武士と町人たちを捕らえている。撮影用のビデオカメラである。
小さい音を立てて、テープが回り、撮影は進んでいく。
「さあ、どんどん盛り上がってきました」
 嬉しそうに言ったのは、企画兼脚本兼監督を担当する祥子。握った脚本の表紙には、題名で「深大寺恋心中」と記されている。
出演者も撮影しているスタッフも、調布市内の公立高校二年B組の生徒たちと映画部の部員たち、学園祭で発表する映画の撮影中だ。
映画部部長の祥子は、親友の麻衣をヒロインにした悲恋ものを企画したところ、とんとん拍子に話が決まり、二年B組と映画部の共同制作と言うことで採用された。
「麻衣ってすごく可愛いから、絶対に受ける」
祥子が脚本も書いた「深大寺恋心中」の内容は、シェークスピアの名作「ロミオとジュリエット」のアレンジである。
麻衣を説き伏せ、深大寺と辺りに並んだ土産物店を江戸時代の町に見立てて、撮影は続けられた。
 ちなみに笹ノ蒸役は、担任の早川先生。必要以上に大げさな動作で演じている。
撮影スタッフは、先ほども笑いを堪えて撮った。祥子の横でカメラを回す映画部の部員も、肩が震えていた。
「でも一番笑うのは、委員長だな」
 祥子の横にいる別のスタッフが、早治郎を示した。手に、先ほど飛び散った血の材料、トマトケチャップのチューブが握られている。
緊張したせいで棒読みやぎこちない動きで、何度もやり直している。
嫌な噂もトラブルも何一つ無い真面目な委員長こと早治郎が、麻衣の相手役として、祥子の目に止まった。最初、早治郎は慌てて「塾があるから」と断ったが、「これもクラスのため」と押し切られた。
撮影は、二人が共に命を絶つクライマックスを迎えようとしていた。

互いに武器を持った町人たちと武士たちは、今にも乱闘になろうとしていた。不意に悲痛な叫び声が、境内に響き渡った。
「ああ、私たちは愛し合う契りを貫きたいだけなのに、この境内で、人が争い、血が流されるとは、む、無残な!」
麻衣は懐から懐剣を取ると、傷を堪え自分を守っている早治郎に告げた。
「あなた、あの世で私どもの契りを貫きましょう。先に参ります」
脚本は、麻衣が懐剣を己の胸に突き立て命を絶ち、早治郎も同じ懐剣で後を追う。
「……ざけるな。……んなの」
麻衣が短刀を抜いた時、早治郎が呟きながら、身体を大きく動かした。
「えっ?」
 早治郎は、声の限りに叫んでいた。
「俺はこんなの認めないぞーっ!」
 続いて麻衣をお姫様抱っこすると、境内から森の方へ走り出した。
 あっという間の出来事に、早川先生も、町人や武士姿の同級生や、撮影スタッフの映画部部員たちも呆然と見守るばかり。
祥子は、思わず叫んでいた。
「こんなの脚本に書いてないっ~!」

早治郎は、しばらく走ってから、森の中で止まった。麻衣を降ろし、大木に寄りかかる。
そばに小さい池が水をたたえ、周りに広がる草の中に、紫や黄の小花が点々と続く。
まだ誰も追ってこない。
「みんな、騒いでいるでしょうね」
麻衣はいつの間にかかつらが取れ、着物姿の上に、長い黒髪があらわになっていた。
「早治郎君、なぜ芝居を放り出したの?」
「結末が気に入らなかったから。二人が死んじゃうなんて、やっぱり駄目だ」
 麻衣はくすりと笑った。
「実は私も。祥子はバッドエンドの方が受けるって言っているけど、可哀想だと思った」
 麻衣は小さく背伸びして、話題を変えた。
「早治郎君とは、普段しゃべったことがなかったわね」
「そ、そうかい」
 なおも麻衣は、浪人姿でかつらをかぶったままの早治郎に尋ねた。
「ずっと気になっていたんだけど。どうして、私をまっすぐ見ないの?」
 麻衣が回りこんで尋ねると、早治郎は慌てて顔を背けた。
「いいじゃないかよ」
「ちゃんと私を見て、訳を話してください」
 早治郎は言われた通り、おそるおそる向き直ると、恥ずかしそうに言った。
「かっ、可愛い……から」
「かわいいって?」
「同じクラスになってから、気になっていたんだ。可愛いなって、だ、だから近くで見ると、恥ずかしくて。実は、脚本が駄目なのは、何より麻衣さんが死んじゃうからで……」
 告白に、麻衣は両手の細く白い指を組んで、嬉しそうに応えた。
「私、早治郎君は、真面目にいつも皆のことを考えている、素敵だなって思ってた。だから一緒に芝居をやれて嬉しかったわ」
「それじゃ僕たち、お互い……」
 二人は向かい合った。風が吹き、互いの顔や髪を優しく撫でていく。
と、人の気配を感じ、振り返るとー。
 後ろの木々の間から、いつ見つけたのか、祥子や早川先生、他のキャストや撮影スタッフの面々が注目していた。
 うち一人はカメラを握っており、そのレンズは二人を捕らえたまま。
ハイ、オッケー! 撮影終了っ!

中村 達彦(東京都三鷹市/46歳/男性)

   - 第7回応募作品