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<第9回・最終審査選出作品>「~足踏み~」 著者:高尾 幸司朗

  正月3日目のせいか、深大寺の境内は人であふれている。
「やはり正月は家族連れだよなあ」
独り言を言い、私は人をかき分けながら本堂へと一人向かった。お賽銭として45円賽銭箱に入れる。
目をつぶり、おまいりをした。
「しじゅうごえんがありますように、今年こそは、いい彼が出来結婚できますように」
突然、後ろから押されて目を開けた。
「イタッ」今度は足を踏まれた。足を踏んでいる人の顔を見ると、普通のおじさんのようだ。
「いたい、足踏まれて痛いのですが」と私が言うと、そのおっさんは「すみません。でもねえお姉さん、こんなに混んでたんじゃ、足も踏んじゃうこともありますよ」と言った。そのおっさんの言い方に頭にきた。そのおっさんを睨みつけ言ってしまった。「ふざけんじゃないわよ。おっさん、人の足踏んどいて、言い訳ではなく、お詫びでしょうが」
私の叫び声でまわりにいた人達は私から少し離れた。「すみませんでした。」おじさんは深々と頭を下げた。しばらくおじさんはその姿勢を保っていた。
私は急に恥ずかしくなって、その場を立ち去った。ちゃんとお参りもできなかったし新年早々ついてない。
 昨年末、私は今まで勤めていた会社を辞めた。
今までは世間でいうところの一流企業だったが、同期の女性は結婚する人、キャリアアップと言って会社を辞める女性もいた。気づいたら同期の女性も三人になっていた。今年は三十、環境も変えれば、少しいいこともあると勝手に考えたのだ。
就職氷河期と言われた中、私はいくつか受けた面接試験の中から、IT関連の会社からキャリア採用内定をいただいたのだ。

 新しい会社では入社式があった。
しかしキャリアの入社式は形ばかり、私を含め3名だった。会社の説明のあと、直属の上司が迎えにきてくれた。しかしその顔を見てびっくりした。深大寺の時に足を踏んだあのおっさんだったのだ。
「水川です。よろしくお願いします」私の顔は赤くなっていたのだろうが、社会人としては当然の社交辞令であった。
「こちらこそ、よろしくお願いします。課長の中山です。一緒に頑張りましょう」おっさんも深々と頭を下げた。
 私は中山課長、いいやおっさんの部下になった。一緒に働いてわかったのだが、おっさん、課長としてなかなか仕事ができる。
それから、おっさんは仕事には厳しい
しかし、おっさん、深大寺でお正月に会った事、私には全く気が付いていないらしい。もちろん私の方からも何も言わない。
 ある春の日、会社での飲み会があった。
おっさんより年上と思われる小林係長は、おっさんにいつも以上にゴマをする。
「課長、お酒はなんにしますか」
おっさんはゴマをすられるのが苦手らしい。
「小林君、僕に気はつかわなくていいから、
みんなに気をつかってくれ」
一次会が終わると、みんなで二次会に向かう。
しかしおっさんは来ない。他の女性によると、おっさん 数年前に奥さんを病気で亡くしたようだ。今は独身のはずなのにあまり、仕事の用以外では飲まないようだ。
 おっさん抜きで二次会はカラオケに行ったのだが、小林係長の一人舞台となった。
小林係長、マイクはなかなか離さないし、下手すぎて、とても聞いていられない。しかし若手の男性社員はマスカラや掛け声で盛り上げ曲が終わるたびに拍手、これだからサラリーマン社会にはついていけない。目配せをして女性3名で、早めに切り上げ甘いものを食べに行った。正直、今日飲み会に参加した女性は小林係長の事が嫌いだ。小林係長は女性には変にやさしいが、女性を見る目がいやらしい。それから男性の部下には強い口調で言う。世にいう「パワハラ上司」とは小林係長のような人だ。同僚の女性によると、小林係長は極端な恐妻家のようで、家庭内のうさを晴らす為に会社で、特におっさんがいない時に自分の男性部下をいじめているのではないかとの噂だ。
 この飲み会があった後、この女性達とは会社の帰り食事に時々出かけるようになった。そんな女性達と食事にいった帰りの電車の中でおっさんに出会った。おっさんも私と帰る方向は同じ方向らしい。会社では弱気なところを見せないおっさんだが、その日は酔いつぶれているようだ、なんだか少しかわいい。
 しばらくして、80代くらいのおばあちゃんがのってきた。酔っているにもかかわらず、おっさんは席をたつ。おっさん、中々いところある。
 梅雨入りが発表されたある日、小林係長が朝から騒いでいた。フロアの全員に向かって叫んでいた。
「盗難だ。この中に絶対に犯人がいる」
同僚女性の話によると、小林係長の財布がなくなったのだ。あいにく当日は、おっさんは出張していて不在だった。
会社には絶対に外部の人が入れないから内部の犯行だと小林係長はいうのだ。警察を呼ぶとまで言われ、必死にみんなで止めていた。小林係長は当日の昼過ぎまで騒いでいた。会社のみんなも疑心暗鬼になって、とたんにその日は会社の雰囲気が悪くなった。
 そんなことがあって二日後、一本の電話があった。たまたまその電話は私がとった。
電話の相手は一方的に自分の要件を言った。「調布警察署のものですが、お宅に小林さんという方はいらっしゃいますか。実は財布が調布の居酒屋のトイレに落ちていたという届け出がありました。ご本人様はいらっしゃいますか」という電話だった。
その電話を取った小林係長は、何度も頭を下げていた。
そのことを同僚の女性に話をしたら、「小林係長、奥さんにこっぴどくやられるみたいで必死だったみたい」と言っていた。
 翌日、私は頭に来ていたので、出社したおっさんにいいつけてやった。それを聞いたおっさん、普段は感情的にならないのに、顔を赤くして、手が震えていた。
おっさんは、小林係長を会議室に呼んだ。
おっさんのすごい怒鳴り声「聞こえないのか小林さん、みんなに謝れ、それができなければ、お前はクビだ」と聞こえてきた。
 その翌日から、体調不良という理由で小林係長は会社に出社しなくなった。おっさんは何もなかったように、仕事をしていた。
 一週間後小林係長が出社したその朝、おっさんはまた、大きい声を出した。
「小林さん、私は部下の人を信用しています。その部下の人を泥棒よばわりし、結果誰も犯人ではなかった。そのことがわかった時、あなたは謝るべきだったと思います」
おっさんは声が詰まっていた。しばしの沈黙の後、「しかし、人生の後輩としてあなたに偉そうなことを言いました。申し訳ございませんでした。しかし小林さん、あなたのことを心配していました」おっさんいきなり、大粒の涙を流していた。小林係長も下を向いて泣いた。私も思わず、うるっとしてしまった。
 それから、明らかに小林係長の態度に変化が見られた。
 私も少しづつ自分の変化に気がついた。おっさんの事が気になってしょうがないのだ。とうとう夢にまで出てきた。
会社の中でも時々おっさんの方に目が向いてしまう。会社の女性からも何だか、会社に来るのが楽しそうだねと言われる始末、「あーあ、とうとう私は恋をしてしまったのか、しかも12歳も年上のおっさん」に。
 その恋がかなうようにと夏のある日に深大寺に再び出かけた。
お正月と違い、深大寺は時間がゆっくりと動いているように感じた。境内をゆっくりと散策する。本堂で「おっさんとの恋がかないますように」と私は心よりお願いしていた。
今度は足を踏まれることもなかった。もちろんお賽銭は45円だ。その後、おみくじを引いたらなんと大吉、待ち人すぐ来ると書いてあった。
なんだか気持ちがよくなったし、ちょうどお昼過ぎだったので、深大寺の中にあるそば屋に入った。今日は少し奮発をして、天ぷらそばを注文、そばをいただいた。さすが本場の深大寺そばはおいしい。今日は大満足と思い、会計をしようと立ち上がろうとした時に「水川さん」と声が聞こえた。声がする方向を向いたら、ポロシャツ姿のおっさんがいた。待ち人はすぐに来た。
おっさん、私の前に座りお酒と板わさを頼んで言った。「偶然だなあ、深大寺で会えるとは。実は毎週日曜日、深大寺には来るんだよ。色々な思い出があってね。水川さんもよくくるの」
あまりに急なことで私は黙ってしまった。
「ここで飲むお酒もおいしい」とおっさん独り言、おっさん、そばも注文した。そのタイミングで私も思い切って言ってみた。
「その思い出の話、少しづつで良いので、聞かせてもらってもよいですか」と。
不思議そうな顔をしたおっさん、お酒のせいで赤くなった顔をして考えていたが「会社ではなく、この深大寺の中であれば」と言ってくれた。
 会計の時、自分の分のお金を出そうとしたが、おっさんに「お正月の時に足を踏んだお詫びにおごってあげる」と言われた。
おっさん覚えていたんだ、心の中は「よーし頑張ろう」とうれしさでいっぱいとなった。

高尾 幸司朗 (神奈川県相模原市/47歳/男性/会社員)