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<第9回・最終審査選出作品>「レゲエマンの蕎麦」 著者:ゆきち

深大寺には、パパと一緒じゃなきゃ行ってはいけない。
深大寺の本堂で、梁の木鼻に彫られた獅子を二人で見上げる。パパは本堂の破風板を指で指し、あそこに機械が埋め込められている、と言った。
「悪い宇宙人が、あの機械で宇宙と交信しているのだ。狙いは人類破滅計画。人間を不幸にしようと常に見張っている。愛し合う男女を引き裂き大切な物を奪う」
鼻にしわを寄せ、口をイーっとしながらパパが拳を振り上げる。
「友麻(ゆま)ちゃんは大丈夫だ。パパは宇宙人バリアが使えるからね。パパ以外の男と来ちゃいかん。特に深妙堂は絶対にダメ!」
その教えを破ったせいで、友麻は何度か宇宙人にやられた事がある。
中学校の卒業式が間近に迫ったある日、初めての彼氏ができた。相手はずっと憧れていた悟志くんだった。
突然、手をつながれ、恥ずかしさとドキドキで周囲が見えなくなる。そうして、うっかり山門をくぐってしまった。
ここはダメよ、と説明しながら慌てて戻ろうとする友麻を見て、彼はプッと噴き出した。
お前の親父、やっぱりイカレてるな。蕎麦を打ちながら頭も打っちゃったんじゃねーの。
ははっと笑うその姿に、胸がスッと冷えていくのを感じた。
その後の恋も、似たようなものだった。
宇宙人はどこまでしつこいのだろう。

多少の不幸を経験しながらも無事に大学を卒業し、友麻は東京の会社に就職をした。
配属先は、九州だった。
「え!友麻ちゃん、九州に行っちゃうの?」
ドレッドヘアーを振り乱し、タイダイ染めの派手な甚兵衛を着たパパが両手をあげて驚く。みるみるうちに目に涙がたまり、その場でうずくまった。そのまま、下唇を突き出して拗ねた表情でつぶやく。
「友麻ちゃんがいなきゃ、パパ死んじゃうでしょ」
その夜は、パパ特製友麻ちゃんLOVE蕎麦でお祝いをしてくれた。
ハート型に切った小さな海苔がかけられた盛り蕎麦に、大きな海老の天ぷらが二本。
つけ汁に溶き卵を入れ、そこに蕎麦をつけて食べる。つるりとした絶妙な食感の九割蕎麦を噛むと、マイルドな味わいが口に広がる。
趣味の蕎麦打ちが高じ、パパは十年前に脱サラをした。ママと一緒に食べた、深大寺蕎麦が忘れられない。その思いによって、深大寺通り沿いに蕎麦屋を開く。
ママは、産後の弛緩出血がひどく、友麻が生まれて数日のうちに亡くなった。
いつもボブ・マーリーが流れている店は蕎麦屋らしくなく、パパの容姿も相まって当初はあまり繁盛しなかったらしい。

もやぁっと、あたりを包むこの空気は、夏だけの特殊な存在に感じる。強い日差しが、空気を茹でているみたい、と友麻は思った。
歓迎するかのようにセミの鳴き声が聞こえる。
友麻は4年ぶりに深大寺通りを歩いていた。
SOBA・YAHH!と書かれた、ブルーの生地に、タイダイ染めされた暖簾が見えてくる。
変わってないなぁ。
友麻は思わずニンマリしてしまう。
店を入ろうとした瞬間、中から人が出てきた。危うく、ぶつかりそうになる。
「スミマセーン。ダイジョブ?」
片言の日本語?
ハッと顔をあげると、ブルーの瞳がこちらを見ていた。色素が薄く、長い睫毛がきれいなカーブを描いている。
「あ、はい。ダイジョブ。」つられて片言になる。
「ガッテンショーチノスケ!ワタシ、デマエ。ココ、ソバまいうー!チュウモン、タクサン」
ふと見ると、手には岡持ちが握られている。顔をくしゃっとさせて微笑み、ウェーブがかった短めの金髪をサラサラと揺らして、彼は走り去って行った。
まいうーは良いけれど、ガッテンショーチノスケの使い方が間違っている気がする。

十六坪ほどある店の入り口から、すぐ右手にカウンター席がある。そこに座り、パパ特製友麻ちゃんLOVE蕎麦を丁寧に食べる。
カウンターには、黄色地にヘナの葉をあしらったジャマイカ風の布が飾られ、棚には焼酎の瓶がずらりと並ぶ。違和感ある組み合わせだが、パパらしさを感じてほっこりする。
「太郎、うまいかー?」
パパは仕込みをしながら、テーブル席で蕎麦をすする人物に声をかけた。
四人がけのテーブルは三席ある。席にはヨーロピアン調の白い小さな花瓶に、造花のエーデルワイスがちょこんとささっていた。
壁には赤地に白い十字の布が飾られている。赤十字の旗みたいだ。これは明らかにパパの趣味ではない。
「ハイ。パパサン。デリシャスネ」
太郎と呼ばれているのは、出前をしていた外人さんだ。外資系の生命保険会社に勤めている。3か月前に駐在員として日本にやってきた。赴任してすぐこの店に訪れ、パパと意気投合したらしい。以来、休日はいつも手伝いに来ている。
本名は『り』に濁音をつけて巻き舌で発音するという、日本人が発音できそうにない音が混ざった名前だそうだ。それでパパが太郎と名付けた。もっといい名前があったろうに。

翌日、友麻は太郎を観光案内に連れて行く事になった。
店の手伝いばかりで、太郎はろくに観光もしていない。それではあんまりだと思い、友麻が自ら案内役を買って出た。英文科を卒業した友麻なら、まだ日本語が拙い太郎と英語で会話することも可能だ。
太郎はまず、深大寺に行きたいと言った。
ふとパパの教えがよぎる。
せっかく日本に来ているのだ。恋人ではないし大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、友麻は観光ルートを頭に描いた。
木々の中に佇む平屋づくりの家や、多くの蕎麦屋を眺めながら石畳を歩く。山門をくぐって本堂でお参りをすませ、境内を散策する。
おみくじに護摩祈願、鐘楼と、太郎には、すべてが新鮮に感じるようだ。大きな身振り手振りをつけて、一つ一つに感動を表す。
「ここね、宇宙人に乗っ取られているってパパに聞いた?」深妙堂の裏にある泉を見ながら友麻は言った。
「宇宙人?」怪訝そうな顔で、太郎は聞き返した。
「そう。人類破滅計画を実行する、悪い宇宙人。人を不幸にするの。だから本当は、パパがいない時に来ちゃいけないのよ」言い終わると同時に、友麻は通りに戻って歩き始めた。
太郎が止まっている。
どうしたのだろうか、と太郎を見る。
顔が真っ青だ。大きな瞳は、より一層大きく見開かれていた。
「それは大変だよ、どうしよう、どうしよう!」右に左に、せわしなく体を動かす太郎。
思わぬリアクションに、友麻はぽかんと口を開けてその様子を眺めていた。
友麻が蕎麦を茹でる際に、火傷を負ったことがあった。その時のパパの反応に似ている。頬がゆるみ、自然に笑みがこぼれる。
「友麻、早
く帰ろう」そう言うなり、太郎は友麻の手を取って走り始めた。
「あ、ちょっと」友麻は、ソーリー、ソーリーと叫ぶ太郎に合わせて走ろうとした。その瞬間、サンダルが脱げそうになり、バランスを崩す。
「危ない、友麻ちゃん!」
背後で声がしたかと思うと、友麻は太郎に抱き抱えられるかたちで支えられていた。
細身に見えた太郎の、意外にもがっしりした胸板を感じ、友麻は飛び起きるように身を起こした。太郎の顔が見られず、友麻は顔をそむけるように声のした方を向いた。
たくさんの葉っぱが絡まったドレッドヘアーに、土で汚れたタイダイ柄の甚兵衛姿の人物がこちらを見ている。
「パパ!なんで?」
「あ、いや、太郎といえども、ほら、男だし」落ち着きなく、目をさまよわせていたかと思うと、すぐに何かを思いついたようにパパは顔を輝かせた。
「それにしても、友麻ちゃんはパパの話を覚えていたねぇ。嬉しいねぇ」
ふぅ、とため息をつき、友麻は地面にお尻をついたままでいる太郎に手を差し出した。
「帰ってお蕎麦、食べようか」
太郎がブルーの瞳をキラキラ輝かせ、嬉しそうに頷く。
「ユマ、ヨカッタ!パパサン、イタネ。エイリアン、ワルイコトデキナイ」立ち上がった太郎は、がばっと友麻に抱き付いた。

スイス行きの飛行機に乗り、席を見つけて友麻は体をすべりこませる。
7年間の勤務お疲れ様、お幸せに。そんな言葉でいっぱいの色紙に一通り目を通すと、友麻は大きくなったお腹をなでた。
大きな手が友麻の手に重なる。顔をあげるとブルーの瞳がこちらを優しく見つめている。 
パパが放つ宇宙人バリアの威力は絶大だ。
ゲートで大泣きするパパを思い出す。
世界のすべてが愛しく思えた。

ゆきち(埼玉県/会社員)