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<第1回応募作品>『金賞のカップル』著者:佐藤洋一郎

 何を隠そう私の彼は亀だ。
 別に甲羅があるわけではなし、のそのそ歩くわけでもない。苗字にも名前にも「亀」が入っている訳でもないし、持ち物全てに亀のエンブレムが入っているとか、家紋が亀の模様だとか、水の匂いがするとか、そんな事もない。
「俺、実は亀なんだ」
彼は昨日の夜、ビールを飲みながら言った。
それは「俺、明日仕事なんだ」というようにとても日常に溶け込んでいて、私はびっくりもしなかったし、泣いたりもしなかった。なぜかそれはそれでいいような気がした。
「そうなんだ」と私。
「びっくりしないの?」
彼は新しい缶ビールを開けながら言った。
びっくりしなかったけど、こういう時には何か聞いてあげた方がいいような気がしたので「じゃあ証拠は?」と聞いた。
彼は首から下げた鼈甲のペンダントを見せてくれた。
「親父の形見だよ、昨日送られて来たんだ」と彼。
その鼈甲は濃い琥珀色で子供の頃に食べた美しい等軸晶系の飴のようでとても懐かしい感じがした。
「親父はまだ生きてるんだけどね。でも親父が形見って言うから形見なんだ、きっと」
彼はキムチを一つまみ食べてビールを飲んだ。
「僕は明日、約束があるんだ」
私もキムチを食べた。
「それは慎吾として?亀として?」
彼はグラスに注いだビールが泡だらけになって慌てて口を付けた。
「まぁどっちかと言えば亀の方かな」
「ふうん」
私もビールを飲んだ。
 慎吾は畳に横になってサッカー中継を見ている。日本代表がWカップ出場を賭けて闘っていた。
「日本の亀は歴史上でも活躍しているんだ」
慎吾の背中が語る。
「浦島太郎の亀は僕の遠い親戚の正広さんだし、うさぎと亀のあの亀は、吾郎さんと言って僕のヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイぐらいのお爺さんなんだ」
「へぇ、慎吾の家って凄いんだね」
「亀ってとても鈍い感じがするけど実はそうじゃないんだ。鈍いのはどっちかというと外国の亀で、日本の亀は働き者で、いや、働き亀で、教訓やなんかもいっぱい残してるんだ。全部、亀島さんの受け売りだけど」
日本代表のFWが決定的なチャンスを外して大歓声が大きな溜息に変わる。
「亀島さんって誰?」
「えっ?なんだって?」
慎吾はTVのヴォリュームを下げる。
「亀島さんって誰?」
「ああっ、亀島さんね。昨日携帯に連絡があってさ、亀の中でも凄く偉い亀らしいよ。今どきの亀は携帯を持っているんだね。そういえば俺も持ってるけど」
「ふうん」それはそうだ。亀も携帯を持っていた方が便利だ。
「それで?」
「明日の午後、深大寺で待ち合わせをしたんだよ」
「調布の?」
「そう、香織さんも一緒にって、さ」
慎吾と私は深大寺で亀島さんに会う事にしなった。その時、日本代表のFWがゴールを決めてTVから大歓声が上がった。
 翌日、深大寺の待ち合わせ場所に向かうと、亀島さんが右手をしなやかに上げ、私達を出迎えてくれた。亀島さんは、私が思っていたような白くて長いヒゲや杖を持った仙人風ではなく、オーダーメイドのスーツを着こなした上品でお洒落な叔父様だった。帽子を取って挨拶をした。
「やぁ慎吾君、そちらは香織さんだね」
五月の光と風のような笑顔に私はうれしくなって微笑んだ。
「はい。初めまして」
亀島さんの微笑みは消えない。
「深大寺と言えば蕎麦だね、お二人は、蕎麦は好きかい?」
深大寺の蕎麦は有名だ。私達は幾つも並ぶお蕎麦屋さんのひとつ、「剛」に入った。亀島さんはこのお店の常連みたいで、迷うことなく奥のテーブルに着いた。どうやらそのテーブルは亀島さんの特等席らしかった。
「まかせて貰っていいかな?」
亀島さんは日本酒を二合と卵焼き、板わさ、焼き海苔を頼んだ。
亀島さんの笑顔と同じくらいに深大寺は素敵だ。お店の外を寄り添い歩く若いカップル。熟年のカップル。そして家族連れ。深く濃い木々の緑と枯れる事のない優しい水の流れが、みんなの日常のわだかまりをゆっくり溶かしてくれるのか、笑顔が溢れてる。
亀島さんは、NASAに頼まれてスペースシャトルの部品を作る会社を経営しているん
だよ、と、卵焼きを頬張りながら言う。
「亀ものんびりとは暮らせない世の中でね」
亀島さんはお店のお母さんに天ざるを三つ頼んで、天ぷらだけ先に、と言った。
卵焼きは少し甘くて、ほくほくして、とてもおいしい。卵焼きに良く冷えた日本酒。
これもまたとてもおいしい。
慎吾は板わさを食べて、うれしそうにワサビに目を瞑る。それを見て亀島さんが上品に笑う。私も板わさを食べ、卵焼きを食べ、日本酒をちびりとやり、海苔を食べる。そしてお腹が四分になって天ぷら食べたいなと思った頃、お店のお母さんがぴったりのタイミングであつあつの天ぷらを運んで来る。
「ここは塩で」
亀島さんはそう言って海老を頬張る。会話の代わりに私達のさくさくという心地良い音が三人分。さくさくの次はずるずるが三人分。亀島さんはそばつゆに蕎麦を全部つけない。先の方だけ、ちょろっとだけ。慎吾も私もその真似をした。蕎麦は素晴らしく、喉越しも風味も申し分ない。
「ところで」
蕎麦湯を飲んでいると亀島さんが言う。
「慎吾君、おめでとう。君は全日本亀審査会の金賞に輝いたんだ」
「それはありがとうございます」
慎吾は照れているが嬉しそうだ。
「先週、全国の亀の審査会があってね。君が亀・オブ・ジ・イヤーに選ばれたんだよ。今日はその授賞式なのだよ」
亀島さんは白いハンカチで口を拭き、内ポケットから一枚の封筒を取り出し、慎吾に手渡した。慎吾は表彰状を受け取るように恭しく両手で受け取る。
「開けてみたまえ」
封筒の中には一枚の申込書。
「私がその主催者なのだよ」
その申込書には「2005 深大寺そば祭縁結びそば」と書かれている。
「慎吾君と香織さんはこのイベントの特別参加の権利が自動的に授与されたわけだね。金賞のカップルという事でね」
名前のところには慎吾と私の名前がタイピングされている。
「昔は百年に一人とか、十年に一人の割合のイベントだったんだけどね。HPを立ち上げたら凄い応募になっちゃってね。まぁ途中で辞める訳にもいかないし、もともとは私があの青年を手助けしたのが始まりだからね。一年に一度ぐらいはあの頃を思い出して、手を貸してあげてもいいんじゃないかと思ってね」
亀島さんはそういうと名刺を取り出し、慎吾に渡した。
「何かあったらここに連絡してくれたまえ」
名刺には金の文字で微笑んでいる亀のロゴと、全日本亀審査会名誉会長 亀島拓也(本名 深沙大王)と携帯番号が書いてある。
「ちょっと失礼」
そう言うと亀島さんは店の外に出て携帯でなにやら話している。仕事の話しのようだ。NASAからの電話だろうか。忙しい人なのだ。お店に戻って来た亀島さんは「急に会社に戻らなくてはならなくなったから、すまないがここで失礼させてもらうよ、ゆっくりして行ってくれたまえ。十月にまたお会いしょう」そういうと帽子を被り、腕時計を見ながら急ぎ足で店を出て行った。
「俺、金賞だって」
「よかったね」
「うん」慎吾は嬉しそうだ。私も嬉しい。
私達は申込用紙に必要事項を書き込み、お母さんに渡し、お礼を言ってお店を後にした。帰り際にお母さんは「私達もずっと昔、金賞のカップルだったの」と笑顔で言った。
お母さんは亀島さんの奥さんだった。
 私達はバス停に続く小道を歩いている。小道は木々に囲まれ、木々の間から光が零れ落ちる。私と慎吾は光のシャワーを浴びながら歩いている。
 私の彼は亀だ。しかも金賞の亀。誰も信じてくれないだろうけど。
光の粒に包まれた慎吾が私の手を包む。私も慎吾の手を包む。私と慎吾の手の中には生まれたてのやさしい光の粒がいっぱい詰まっている。
私達は小道を抜ける。
「ビールを買って帰ろうよ」と慎吾。
「良く冷えた日本酒はどう?」
そう言いながら、私は五月の光と風のような亀島さんの笑顔を思い出した。

佐藤 洋一郎(福岡県福岡市/38歳/男性/ラジオ番組制作)

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