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「ばあちやんの手打ちそば」 著者:伊地知 順一

 みずきからメールが届いた。三か月ぶりの着信だ。
 今頃になって一体なんの用だという、突っ張った気持ちと、建前とは裏腹な、待っていたものが来たという、うれしい気持ちとで、ぼくの心は千千に乱れた。
 恐る恐るメールを開く。
「おばあちゃんの手打ちそばが食べたくなったよ。でも、ムリか。深大寺のおそば食べに行かない?」
と、あった。

 鹿児島のばあちゃんの家で、ばあちゃんが孫の女友だちのためにと、ふたりの目の前で手際よく打ってくれたそばを、みずきは「美味しい、美味しい」と言って食べた。東京に戻ってからも、みずきは思い出したようにばあちゃんのそばの美味しかったことを話題にした。あの時もそれを口にしたのだ。そのくせに、美味しかったことに付け加えて、ばあちゃんのそばは、東京のそばと比べたら、そばの部類には入らないと、深大寺のそばをすすりながら、そう断言したのだ。
 みずきの言葉に耳を疑ったぼくは、その言葉の真意を探ろうとしたが、それより先に憤怒の感情が体全体に沸々と湧きおこって来て、それを制御するのに手一杯だった。
 みずきと付き合いだしてからの約半年の間に、今回と似通った軋轢は度々起こった。しかし、東京のおそばを基準にしたら、ばあちゃんのそばは、そばの範疇に入らないと言われたこの件については、ぼくはいつもより一層、腹立たしさを募らせた。
 目の前にある当の深大寺そばは、確かにばあちゃんの手打ちそばとは麺の太さも麺の色合いも、それから味も異なった。器にきれいに盛られた細い麺のそばを、時代がかったそば猪口のおつゆに、麺のはしっこだけをほんの気持ちだけ浸し、たちどころに喉に流し込む食べ方はいかにも東京風で、鹿児島の田舎から出て来たばかりのぼくの眼には、それがとてもカツコよく映った。
 ばあちゃんの作るそばは、そば粉からして自家製である。麺にはつなぎとして山芋を使う。山芋も家の裏山で掘り当てた自然薯や、さもなくば家の畑で栽培したものを使う。山芋が入るせいか、麺は少し白っぽくなる。麺は太め。それも途中でプチプチ切れて短い。だし汁は鳥ガラか鰹節で作る。かけそばが主流。どんぶりの麺の上には一般的にネギのぶつ切りと、甘辛く煮た地鶏の切身とさつまあげが添えられる。
 みずきが言うように確かに、ぼくが東京に来て、江戸っ子の末裔のみずきに誘われて、好んで食べるようになった深大寺のそばと、ばあちゃんの作る昔ながらの薩摩のそばとは、繰り返しになるが、見た目も味も、それからそばに対する人の向きあい方というか、そばを食する場の趣も正直に言って、かなり隔たりがある。でも、ばあちゃんのそばを、美味しい、美味しいと言っておきなから、ばあちゃんのいないところで、あれはそばの部類には入らないという、その言い草は許せないと思った。
 ぼくは以前、東京の人は、人の問いかけに対して「はい」とか「いいえ」とか、明確に返事をすることを好まない傾向があると本で読んだことがあった。それは、返事をはっきりすることで相手を落胆させたり、窮地に追い込んだりすることをなるべく避けるための人づきあいの心得だと説かれていて、なるほどと感心したものだった。
 でも、この東京人の習性は、言いたいことは遠慮なく言い、白黒をはっきりつけたがるみずきには、どうも受け継がれていないらしいと、ぼくは判断せざるを得なかった。
 ところで、彼女は東京を知らないぼくを、休日や講義の合間に色々なところに案内してくれた。新宿や六本木や渋谷や池袋と云った、若者が好んで集まる街に連れて行ってくれた。ぼくは繁華な高層ビル街が物珍しかったが、人込みにひどく疲れた。正直に言うと、みずきが案内してくれた場所で唯一、芯からゆっくりできたのは深大寺の周辺だった。
 ぼくが遠慮がちにそのことを伝えると、
「これからよ、東京の良さが分かるのは。東京の良さが分かって初めて世界のどこでも通用する男になれるはずだわ。あなたが拘る故郷はあくまであなたを育んでくれたところで、
あなたの人生の出発点に過ぎないと捉えるべきよ」
と、みずきは突き放したような言い方をした。東京に慣れることで精一杯のぼくはみずきの言っている意味がよく分からなかった。
 さらに、みずきは自分が東京人で、生粋の江戸っ子であることを楯に取って何でも自分でリードしたがった。
 ばあちゃんは、常々、将来、嫁さんを貰うときは、男を立てる控え目な性格の人を選ぶようにぼくへの忠告を怠らなかった。みずきは、そのばあちゃんが理想とするぼくの嫁には似つかわしくない姿を度々披露した。そして、付き合い始めて五カ月くらい経った頃から、みずきはぼくと一緒に居てもつまらなそうな表情を垣間見せることが多くなった。
おとなしめなぼくだがプライドは高い。彼女のぼくを差し置いて、自分の主張や趣味を押し通すところが癇に障っていたし、みずきの方から付き合いをやめようと言われて傷つくのも嫌だったから、ぼくの方から先に意識的にみずきから遠ざかった。
 ぼくは、みずきが一度だけ許してくれたキスに蕩めいた日のことや、ふたりで通った深大寺のそばの味を未練がましく反芻しながら、わびしく寂しかった五月以前の生活に戻っていったのだった。

 ぼくは、すぐにはメールを返さなかった。待ってましたとばかりに返すのは男の沽券に関わる。仮にそんなぼくの様子を知ったらばあちゃんがきっと悲しむと思った。他人にさもしいと思われるような行動は絶対に取るなということも、これまた、ばあちゃんの教えの一つであった。そのばあちゃんの声が何度も耳鳴りのように響いたが、ぼくは我慢し切れなくなって、メールを返した。
「ちょうどお腹が空いていた。良いタイミングでメールしてくれてありがとう」
とだけ、打った。折り返し、
「久しぶりのメールなのに、随分味気ないメールね。お昼に例のところで待ってるわね」
と、これもまた、あっさりとしたメールが届いた。

「こんにちは、久しぶりね」
 造りが大きくて目鼻立ちのはっきりしたみずきが、ぼくに笑顔で声をかけた。化粧は以前から巧かったが、さらに大人っぽい表情の顔になっていた。ぼくはみずきが眩しくてすぐに視線を池の水面に向けた。
 ぼくらの行きつけだった店は、普段通りの客の入りだ。みずきは明るい紺色のオーバーコートを脱ぎ、ぼくのダウンコートと一緒に畳んで空いた椅子の上に置いた。
「三か月ぶりよね、航くん。おそばは例の調子で食べてた?」
 ぼくは、かぶりを振った。みずきと別れてから一人だけで深大寺に来ることはなかった。意識的にここを避けていた。
「わたしね。航くんと会わなくなってからもここに通ったわ。一人では寂しかったけど、そば好きの私としては、おそばの誘惑には勝てなかったの」
 ぼくには出来ないことを、みずきはこうしてやってのける。ぼくとみずきの感覚の違いや行動パターンの違いを改めて思った。
 いつものことだが、みずきが何か改まった口調で言葉を発するとき、みずきは、身体はここにあれども心はここに在らずと云った、虚ろな表情になる。しかし、しばらくすると、時計の振子のように、ぼくの居る場所に再びみずきの心は帰って来て、その虚ろな表情もすぐに才気渙発な大人っぽい女の表情に戻る。その繰り返しなのだ。
 みずきとこれからずつと一緒にいるのであれば、ぼくは、みずきの発する言葉や行動がもたらす、曰く言い難い複雑な感情に耐え、慣れていかなければならないのだと思った。
「おばあちゃんのおそば、また、食べに連れて行ってくれる? 今すぐはだめにしても約束してくれる?」
「どうしてそんな気になったの? また、東京のそばとばあちゃんのと食べ比べてみたくなったの?」
 ぼくは、ばあちゃんのそばが食べたいとせがむみずきに皮肉っぽく問いかけた。
 みずきはそれには答えず、
「おばあちやん、こんなこと言ったらなんだけど、お歳でしょ。おばちゃんが元気なうちに作り方を習っておきたいのよ。だって東京じゃ、絶対に食べられないでしょ、おばあちゃんのおそば」
と、早口にそう言った。
 ぼくは、みずきの願いに応えてやろうと思った。この際、ばあちゃんにみずきのことを良く知ってもらおうと考えた。僕は包み隠さずに言うが、みずきがとっても好きだ。みずきに会わなくなってからぼくは、彼女にぞっこん参っている自分に改めて気がついたのだ。でも、相容れないところもたくさんある。これからも感情的な摩擦は頻発するだろう。そんなふたりの接点と言えば、そば好きだということに尽きる。なんとも心細いふたりの絆だ。でも、案外、そばの麺と違って切れにくいのかも知れない。
「おまちどうさま」
 もりそばが運ばれてきた。みずきは、早速、食べにかかる。そばを食べるときだけは、みずきは、都会の鼻っ柱の強い生意気な女から、無邪気であどけない顔の少女に変わる。

伊地知 順一(鹿児島県姶良市/66歳/男性)

   - 第11回応募作品