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<第8回公募・選外作品紹介>「私が一番、美しくなれる場所」 著者:松井 司

 死んだ父さんがいってた。私には、一番美しくなれる場所があるって。「それはどこなの?」と訊ねると、父さんは空を見上げた。
 ――ここだよ。
 ここって、どこだったんだろう……。
1.
「ねえ、アカリ、アカリってば」
「あっ、ごめん」瞬きを二度すると、視界の歪みがとれ、幼なじみのレイの輪郭が浮かんだ。
「大丈夫? もう、そろそろ来るんじゃない」
「ほんと?! もうそんな時間?」
 私は腕時計の時刻が十七時を示していることを確認してから、窓の外へ目をやった。参道の向こうの、なんじゃもんじゃの木が、大きなカリフラワーのように映る。満開の白い花は、今週が一番の見どころのようだ。
 私たちは、深大寺の蕎麦屋にいた。空腹だというレイはせいろ蕎麦を、家で母が夕飯の仕度をしている私は、ぜんざいを注文した。放課後、自転車を走らせてやって来たのは、レイからある噂を聞いたからだった。
 ――ユウが深大寺でお祈りしているとこ、見た人がいるんだって。サッカー部の女子マネの先輩と一緒だったらしいわよ。
 確かめようよ、といったのはレイの方だった。私も同じ気持ちだったが、「何でよ」と引いた。「今日も来るか、分からないじゃない」
 すると、レイは鼻を鳴らした。
「それが、今週の月火水、目撃情報があるのよ。私の勘だと、ユウは今日もきっと来るわよ」
私は今日の日付を思い出す。五月一週目の木曜日だ。
「しかも、深大寺でお祈りってやばいでしょ」レイは興奮気味だった。
「どうして?」
「深大寺っていったら縁結び! ユウは恋しているのよ」レイは自信たっぷりに断言した。赤縁の眼鏡の奥で、スクープを見つけた記者のように好奇心に満ちた目が晃った。実際、レイは新聞部に所属している。パソコンにも詳しく、コンピューターグラフィックも学んでいるらしい。
 一方、私は気が気じゃなかった。ユウが恋している……。通学途中に大事な忘れ物に気がついたときのような、焦りに似た感覚をおぼえた。
 西陽が路面に薄らと夕影を作り始めた時、入口の方に見えた人影が、山門の方へ小走りで近づいてきた。その走り方を見て、私は即座にユウだとわかった。小さい頃から変わってない。
「来た来た!」レイは、はしゃぐような声を出してから、「夕焼け時を狙って、ユウが現れました」と、レポーター口調でいった。ユウの名前は「夕」と書くのだ。
 私たちは蕎麦屋を出て、ユウに気づかれないよう距離を保ちながら、彼の様子を伺った。
 ユウは本堂で賽銭し、手を合わせた。その、静かに祈る背中を眺めていると、胸が痛くなった。先輩との恋が成就するようにと、祈っているのだろうか。
 祈り終えると、ユウは辺りを見渡した。誰かを探しているようでもあったが、やがて、ベンチに腰掛けた。それから暫くの間、ユウはじっと座っていたが、夕闇が辺りを包み始めると、腰を上げ、どこか重い足取りで帰っていった。
 その後、私たちはユウの座っていたベンチに近づいて座った。
「ユウ、何を祈ってたんだろうね」レイがいった。
「さあ……」頭の中で、色々な言葉と想いが駆けずり回っていた。私は唇を結んで下を向いた。
 そのとき、レイの足下に、白い落し物があることに気がついた。カードのように見えた。
 拾ってみると、写真だった。裏返しにして、私は思わず息を呑んだ。自然と言葉が洩れた。
「わあ、綺麗な人」
 背中の半分程まで髪を伸ばした女性が、なんじゃもんじゃの木の下で微笑んでいる。雪のように白い頬と、涼やかな秋波に施された化粧が、大人の気品と色気を漂わせていた。
 どこかで見たことがあるような気もしたが、誰だかわからなかった。
 ――女子マネの先輩と一緒だったらしいわよ。
  嫌な想像が膨れ上がった。先輩ならば、私も校舎ですれ違ったこと位、あるのかもしれない。
「この写真、ユウが落としてったんだよね」私の手元を覗き込んだレイがいった。私も異議はなかった。
 ユウは、恋しているのだろうか。
2.
 その晩、私は部屋の机で、高一になって初めて知る、恋煩いの辛さに打ちひしがれていた。夕食時も、お風呂で髪を洗っている時も、気づけばユウのことを考えてしまっている。不意に、何故だか昔の写真が見たくなり、アルバムを開いた。
 幼い頃、毎日のようにレイと三人で遊んでいたユウを、異性として意識し始めたのは、中学二年生のときだ。
 サッカー部に入部したユウは、レギュラーは無論、試合に出させてすらもらえなかった。
 冬休みのある日、用事があって学校へ行くと、誰もいない校庭で、シュート練習をするユウを見つけた。声をかけようとして、息を止めた。
 細かい助走を刻んだ末、ユウの右足から放たれたシュートは、小さい頃、一緒にボール蹴りをして遊んだときとは違って、男の子の力強さを兼ね備えていた。
廊下ですれ違う度、ユウの身長を気にするようになったのも、それ以来のことだ。
 しかし今春、高校へ入学すると、ユウと話す機会が少なくなった。クラスも違っていたし、ユウは部活で忙しそうだった。けれど、たまに一緒になる帰り道は、私の一日をより明るく輝かせてくれた。
私にとって、ユウは一番の男友達だと思っていた。けれど、女子マネとの噂を聞いた時、ユウを取られたくない、と強く思う自分がいた。
 アルバムを捲っていると、ページの隙間から紙切れが一枚、落ちた。何だろうと拾い上げて、はっとした。十二歳の頃、ユウからもらったものだ。手紙とも呼べないそれには、小学生の男子らしい、少し乱雑な字で、こう書かれていた。
――高校生になったら、スノーフラワーの下で会いましょう。花が満開になる一週間、僕は毎日待っています――
胸の奥で記憶がざわめいた。もしかして……。
私はすぐにレイに電話をした。スノーフラワーの場所を知っているか問うと、「なんじゃもんじゃの木のことよ」と答えが返ってきた。「雪のように白い花を咲かせるからそう呼ばれているの」
 翌日の夕方、私は再び深大寺に向かった。風花のように花びらが舞う、なんじゃもんじゃの木の下で、ユウを待った。待っている時間が、やけに長く感じられた。でも、きっと来てくれる。そう信じていた。
 空が夕焼けに染まり始めた頃、境内の中央を歩いてくるユウを視界に捉えた。私に気づいたユウは、目を見開いたが、すぐに花笑みを向けた。
「覚えててくれたのか」
「ごめんね、ユウ。私、大切なこと忘れてた」
  ユウは優しく微笑んで首を振った。
「この場所――アカリが一番美しくなる場所で会いたかったんだ」
「私が一番、美しくなる場所?」
「覚えてない? 前に、アカリのお父さんが教えてくれたんだよ。スノーフラワーは「雪」と「花」、それにアカリが揃うと、美しい言葉になるって」
 脳裏の奥で、父さんの声が蘇った。
 ――大切な人を照らしてあげられる、迷っている人の道しるべになれる、そんな人になって欲しい。そんな願いを込めて、月(アカリ)ってつけたんだよ――
「雪月花……」私は小さく呟いた。
 ――美しい風景のことをそういうんだ。
 ユウは私の目を見て柔らかく笑い、薫風に花弁をなびかせる、なんじゃもんじゃの木を見上げた。あの時、父さんが見上げたのは空じゃなくて、この木だったんだ……。何年も前の風景がフラッシュバックして、胸が温かくなった。
 そっと差し出されたユウの手に、私は自分の手を添えた。茜色に染まった遠くの空に、夕月が浮かんでいた。月(アカリ)をひとりぼっちにしない、そんな風に夕空がいってくれているような気がした。――なんて、ただの惚気だろうか。
3.
「お惚気さん」
 最後にそういい、アカリとの電話を切ってから、レイはプリンターから印刷された写真を手に取った。たった今、アカリから送られてきた写真だ。そこには、なんじゃもんじゃの木の下で笑う、アカリとユウが写っている。
「まったく、世話の焼ける二人だわ」
  レイは伸びをし、その後で、机の引出しから別の写真を取り出した。なんじゃもんじゃの木の下で、レイ自身が写っている。
 アカリと深大寺へ行った時、ユウが座ったベンチの前で、こっそりとこれを落とした。奥手の二人には、少し刺激が必要だった。両想いなのにくっつかない二人を見続けるのは、歯がゆくて仕方ない。
 レイは、ユウからアカリへの想いを聞かされていた。「アカリは覚えてないかもしれない。けれど、俺はあの場所でアカリを待つんだ」ユウはそういって聞かなかった。そのことをアカリに教えることも出来たが、アカリには、自分で気持ちに気づかせたかった。ちょっとした悪戯心があったのも事実だが。
 レイは、自分の写真をパソコンで少々、修正した。眼鏡を外し、髪は背中くらいまで伸ばして明るめのブラウンを入れた。目元には化粧をし、頬のそばかすは目立たなくした。
  そして最後に、女子マネとユウとの噂をアカリに聞かせたのだ。もちろん、アカリにヤキモチを妬かせ、自分の気持ちに気づいてもらう為に。我ながらおせっかいだと思う。でも、今回のことで、レイ自身にも気持ちに変化があった。アカリは、写真の女性をレイだと気づかなかった。
 ――わぁ、綺麗な人。
 アカリの口からこぼれた言葉。それを聞いた時、レイは嬉しかった。恋愛なんて、自分とは無縁だと遠ざけていた。自信もなかったから。
 私が一番、美しくなれる場所――。
  今度はわたしが、探しに行く番だ。

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<著者紹介>
松井 司(東京都品川区/26歳/男性/会社員)

   - 第8回応募作品