瑠璃子に会ったのはその日が二度目だった。
 深大寺の釈迦堂、ガラスをはさんで釈迦如来と向き合っていた私は、映り込む背景の中に人の気配を感じて振り返った。瑠璃子は、濃紺のノースリーヴのワンピースを着て右手奥に立っていた。外国の血が幾分混じっているのではないかと思わせる白い肌であったが、漆黒の髪は今風にショートボブにしていた。
 私は一瞬、はっとした気を発したのであろう。瑠璃子の方も釈迦如来の前にいるのが、私だと気づいたようだ。弓なりの眉は目の前の仏像と似ていたが、丸顔で扁平かつ切れ長の目をしたお釈迦様とは違って、瑠璃子の瞳は大きく、彫りの深いつくりである。
「いつかお会いましたね」
「お邪魔して恐縮です。その節は有り難うございました。失礼ですが、白川先生でいらっしゃいますか? 私、岡部と申します。あの時は挨拶もせず申し訳ありませんでした」
 そう言って瑠璃子は、私に名刺を差し出した。都内の私立大学の大学院生で、日本美術の専攻だった。

 瑠璃子と初めて出会ったのは、奈良の興福寺であった。興福寺には白鳳彫刻の代表作とされる仏頭がある。私は関東郊外の私立大学で日本美術史を担当していたので、学生を引率して、奈良の仏たちを見学していた。興福寺の国宝館で仏頭を見ようとやってくると、若い女性が一人熱心にメモを取っている。私は邪魔をしないように、とりあえず阿修羅像など他の名品の前に学生を連れて行き解説をした。一通り説明が終わって仏頭の前に戻ってくると、相変わらず先ほどの女性がじっと立っている。私は多少ためらいつつも、この後の旅程もあったので、思い切って声を掛け、少しの間大勢で騒がしくすることを詫びた。
 女性はむしろ自らの鈍感さを恥じるようにさっと場所を空けてくれたが、立ち去ることはせず、学生の輪の外で私の話に耳を傾けていた。私はその女性が専門の研究者なのか単なる愛好家なのか分からなかったため、幾分話しづらい思いをしたが、女性は静かに頷くだけだった。話を終えたとき、互いに簡単に目礼を交わした。わずかに青光りのする黒い瞳が印象的であった。それが瑠璃子であった。

 名刺を見て同じ研究者だと知った私は、幾分打ち解けた心地になって、瑠璃子と言葉を交わした。彼女は修士論文の準備中であった。
「白鳳仏の研究をしているのですか?」
「はい、実は大きなテーマは薬師如来像についてです。その中の一部として白鳳時代の薬師如来について研究しております。興福寺の仏頭も、元々は山田寺の薬師如来像であったということで、あの時拝見しておりました。」
 あとで知ったことだが、瑠璃子という名前は、薬師如来の正式名称、薬師瑠璃光如来からとったそうで、父は医者か薬剤師にでもなって欲しかったのかしらと瑠璃子は笑っていた。瑠璃子の研究は、自らのルーツを探る関心から来ているようであった。

「でも、こちらの仏様は釈迦如来ですね。やはり同じ白鳳仏として無視することは出来ないということですか?」
「はい、それもありますが、私はもっと端的に、この仏様が御薬師様ではないかと考えております。」
 その意見に私は研究者として一気に引き込まれた。未発表の研究内容を、指導学生でもない大学院生に根掘り葉掘り訊くのはマナー違反ではあったが、瑠璃子はあまり頓着していないようであった。
 白鳳仏の特徴の一つに童顔であるというのがある。深大寺の釈迦如来も童顔であるが、同じような特徴を持つ興福寺仏頭や千葉・龍角寺の仏は薬師如来である。一方、同じ白鳳期の仏でも蟹満寺の釈迦如来像は、つり上がった鋭い目をした姿である。そこから瑠璃子は深大寺の御像も釈迦如来ではなく薬師如来ではないかと考えていた。
 また深大寺は元三大師信仰の東の拠点であるが、薬師もまた東方の浄瑠璃世界を住処とすること、施無畏・与願という印相は薬師如来にも共通することなども根拠として挙げた。

 深大寺での出会い以来、瑠璃子は名刺にあった私のアドレスに時折メールを寄越すようになった。瑠璃子の指導教員の西村敬三は、学会の大物であったが、それだけに学内行政や政府関係の仕事などに多忙で、学生の指導までは十分に行き届かないようであった。
 私はどちらかというと法隆寺などが専門であったが、瑠璃子の研究内容を評価していたこともあって、丁寧にメールを返した。数ヶ月はメールだけのやりとりであったが、論文執筆が本格化する秋口になると、瑠璃子は直接私の研究室にやってくるようになった。当初は、資料を借りて帰るだけであったが、論文がある程度仕上がると、その内容についての講評を求めたりもした。
 私は他大学の学生に深く関わるのはまずいと自覚していたし、のめり込んでくる学生に距離を取る術もそれなりに心得ているつもりでいた。しかし、同年代の学生にはない落ち着いた瑠璃子の物腰は、当初の警戒心を和らげさせた。瑠璃子はどこか節度を保ったところがあった。それは大人同士のつきあいという安心感に繋がったが、逆に向こうから軽く拒絶されているようでもあった。年に似合わぬ空気感がかもし出す理解しがたさに、私の方が十以上も年下の彼女に主導権を奪われ、次第に意図せざる方向へと引き込まれてゆくようであった。論文を建前に本音を明かさぬ二人の関わりには、いつしか密約めいた艶めかしさが生じていた。正式の教師でも生徒でもない定義され得ない関係ゆえ、私たちはいずれ甘美なる共犯者へと変貌せざるを得ないことを暗黙の内に感じ取っていた。

 瑠璃子と最後に会ったのは、その年の年末であった。年明けすぐに修論を提出するとのことで、九割方完成した原稿を私に見せに来た。御用納めの後だったので、学内はほとんど人がおらず、冷えた空気がしんとしていた。
 一通り目を通し終える頃には、終わりの予感が二人の間を満たしていた。もうすぐ会うべき理由は消える、その緊張に堪えかねたのか、瑠璃子は切羽詰まったように問いかけた。
「この研究、世の中に出しても良いものなのでしょうか?」
「そりゃ、西村先生次第だけど、学会誌に掲載できるだけの質の高さはあると思うよ」
「いえ、そうではなくて、人々がずっとお釈迦様だと信じていたものを、本当は薬師如来だなんて。学問だからといって真実を暴いて良いものなのでしょうか。虚構はすべからく欺瞞に過ぎないのでしょうか?」
 私は何も気の利いた答えは出来なかった。学問とはそういうものだ、真実にこそ永遠の力が宿るものだとしか言えなかった。瑠璃子は一瞬失望したような表情を見せたが、すぐにいつもの節度ある態度に戻って、静かな笑みを湛えた。その時、私は瑠璃子が言外に含めた必死の訴えを受けとめきれなかったのだ、ただはぐらかしてしまったのだと悟った。失ったものを取り戻そうと私は、
「瑠璃子っ」と初めて下の名前で彼女を呼んだ。しかし、伸ばしかけた手を振り払うように彼女は立ち上がった。
「私、先生が好きです。でも先生は学者です。虚構には生きられません」
 そう言って、瑠璃子は私の部屋を出て行った。年明け、論文を提出した旨のメールが入ったのを最後に、彼女との連絡は途絶えた。

 五月は学会の季節である。私は会場で瑠璃子がいないか隈無く目を配ったが、見つからなかった。最終日の午前のセクションが終わると、気の早い連中は引き上げはじめる。私は諦めきれずに講堂のホールで人の波を見ていた。向こうから西村敬三が歩いてきた。
「いやー、何かうちの学生が大変世話になったらしくて、済まなかったね」西村は気さくに話しかけてきた。自分の指導学生に横から口を出されたにしては意外に鷹揚であった。
「こちらこそ、差し出がましいまねをして済みません」と応じつつも、私は瑠璃子の消息を聞けるのではないかと期待に胸が高鳴った。
「岡部君の論文はおかげさまで、大変出来が良かったよ。私は博士課程に進むよう薦めたんだけどね」
「彼女は今どうしているのですか?」
「うん、それが、年の離れた旦那さんが体を壊して田舎に引っ込んだのについて行っちゃったんだ。自分の本分は妻として旦那の健康を回復することなのだそうだ。薬師如来の研究をしたのもそんな含みがあったのかな。」
「それに、今となっては学生として過ごした時間は仮初めゆえに美しく煌めいて見えると言っていたよ。真実は辛く悲しいが、受け入れるしかないと悟ったような様子だったね。随分残るように説得したのだけどね」
 迂闊にも気づいていなかったが、瑠璃子は既婚者だった。年の離れた夫と結婚したのはどんな事情があってのことだったのだろうか。夫が体を壊したのはいつからだったのだろう。その現実を背負いながらも、瑠璃子は私には何も見せず、あり得べきもう一つの自分を仮現させていた。指輪をはずすほど結婚生活は何か苦しいものだったのだろう。だから必死に私に問いかけたのだ。仮初めの世界に生きても良いかと。一緒に儚い夢に漂いたいと。
 私は何も出来なかった。だが彼女は、あの時間は美しいものだと最後に言った。そこに生きる縁を求めたのだろうか。それとも消えることのない悔恨から私を救わんとしてくれたのだろうか。彼女の静かな微笑みが目に浮かんで、私は思わず涙した。

舞田楓依(愛知県)
 みずきからメールが届いた。三か月ぶりの着信だ。
 今頃になって一体なんの用だという、突っ張った気持ちと、建前とは裏腹な、待っていたものが来たという、うれしい気持ちとで、ぼくの心は千千に乱れた。
 恐る恐るメールを開く。
「おばあちゃんの手打ちそばが食べたくなったよ。でも、ムリか。深大寺のおそば食べに行かない?」
と、あった。

 鹿児島のばあちゃんの家で、ばあちゃんが孫の女友だちのためにと、ふたりの目の前で手際よく打ってくれたそばを、みずきは「美味しい、美味しい」と言って食べた。東京に戻ってからも、みずきは思い出したようにばあちゃんのそばの美味しかったことを話題にした。あの時もそれを口にしたのだ。そのくせに、美味しかったことに付け加えて、ばあちゃんのそばは、東京のそばと比べたら、そばの部類には入らないと、深大寺のそばをすすりながら、そう断言したのだ。
 みずきの言葉に耳を疑ったぼくは、その言葉の真意を探ろうとしたが、それより先に憤怒の感情が体全体に沸々と湧きおこって来て、それを制御するのに手一杯だった。
 みずきと付き合いだしてからの約半年の間に、今回と似通った軋轢は度々起こった。しかし、東京のおそばを基準にしたら、ばあちゃんのそばは、そばの範疇に入らないと言われたこの件については、ぼくはいつもより一層、腹立たしさを募らせた。
 目の前にある当の深大寺そばは、確かにばあちゃんの手打ちそばとは麺の太さも麺の色合いも、それから味も異なった。器にきれいに盛られた細い麺のそばを、時代がかったそば猪口のおつゆに、麺のはしっこだけをほんの気持ちだけ浸し、たちどころに喉に流し込む食べ方はいかにも東京風で、鹿児島の田舎から出て来たばかりのぼくの眼には、それがとてもカツコよく映った。
 ばあちゃんの作るそばは、そば粉からして自家製である。麺にはつなぎとして山芋を使う。山芋も家の裏山で掘り当てた自然薯や、さもなくば家の畑で栽培したものを使う。山芋が入るせいか、麺は少し白っぽくなる。麺は太め。それも途中でプチプチ切れて短い。だし汁は鳥ガラか鰹節で作る。かけそばが主流。どんぶりの麺の上には一般的にネギのぶつ切りと、甘辛く煮た地鶏の切身とさつまあげが添えられる。
 みずきが言うように確かに、ぼくが東京に来て、江戸っ子の末裔のみずきに誘われて、好んで食べるようになった深大寺のそばと、ばあちゃんの作る昔ながらの薩摩のそばとは、繰り返しになるが、見た目も味も、それからそばに対する人の向きあい方というか、そばを食する場の趣も正直に言って、かなり隔たりがある。でも、ばあちゃんのそばを、美味しい、美味しいと言っておきなから、ばあちゃんのいないところで、あれはそばの部類には入らないという、その言い草は許せないと思った。
 ぼくは以前、東京の人は、人の問いかけに対して「はい」とか「いいえ」とか、明確に返事をすることを好まない傾向があると本で読んだことがあった。それは、返事をはっきりすることで相手を落胆させたり、窮地に追い込んだりすることをなるべく避けるための人づきあいの心得だと説かれていて、なるほどと感心したものだった。
 でも、この東京人の習性は、言いたいことは遠慮なく言い、白黒をはっきりつけたがるみずきには、どうも受け継がれていないらしいと、ぼくは判断せざるを得なかった。
 ところで、彼女は東京を知らないぼくを、休日や講義の合間に色々なところに案内してくれた。新宿や六本木や渋谷や池袋と云った、若者が好んで集まる街に連れて行ってくれた。ぼくは繁華な高層ビル街が物珍しかったが、人込みにひどく疲れた。正直に言うと、みずきが案内してくれた場所で唯一、芯からゆっくりできたのは深大寺の周辺だった。
 ぼくが遠慮がちにそのことを伝えると、
「これからよ、東京の良さが分かるのは。東京の良さが分かって初めて世界のどこでも通用する男になれるはずだわ。あなたが拘る故郷はあくまであなたを育んでくれたところで、
あなたの人生の出発点に過ぎないと捉えるべきよ」
と、みずきは突き放したような言い方をした。東京に慣れることで精一杯のぼくはみずきの言っている意味がよく分からなかった。
 さらに、みずきは自分が東京人で、生粋の江戸っ子であることを楯に取って何でも自分でリードしたがった。
 ばあちゃんは、常々、将来、嫁さんを貰うときは、男を立てる控え目な性格の人を選ぶようにぼくへの忠告を怠らなかった。みずきは、そのばあちゃんが理想とするぼくの嫁には似つかわしくない姿を度々披露した。そして、付き合い始めて五カ月くらい経った頃から、みずきはぼくと一緒に居てもつまらなそうな表情を垣間見せることが多くなった。
おとなしめなぼくだがプライドは高い。彼女のぼくを差し置いて、自分の主張や趣味を押し通すところが癇に障っていたし、みずきの方から付き合いをやめようと言われて傷つくのも嫌だったから、ぼくの方から先に意識的にみずきから遠ざかった。
 ぼくは、みずきが一度だけ許してくれたキスに蕩めいた日のことや、ふたりで通った深大寺のそばの味を未練がましく反芻しながら、わびしく寂しかった五月以前の生活に戻っていったのだった。

 ぼくは、すぐにはメールを返さなかった。待ってましたとばかりに返すのは男の沽券に関わる。仮にそんなぼくの様子を知ったらばあちゃんがきっと悲しむと思った。他人にさもしいと思われるような行動は絶対に取るなということも、これまた、ばあちゃんの教えの一つであった。そのばあちゃんの声が何度も耳鳴りのように響いたが、ぼくは我慢し切れなくなって、メールを返した。
「ちょうどお腹が空いていた。良いタイミングでメールしてくれてありがとう」
とだけ、打った。折り返し、
「久しぶりのメールなのに、随分味気ないメールね。お昼に例のところで待ってるわね」
と、これもまた、あっさりとしたメールが届いた。

「こんにちは、久しぶりね」
 造りが大きくて目鼻立ちのはっきりしたみずきが、ぼくに笑顔で声をかけた。化粧は以前から巧かったが、さらに大人っぽい表情の顔になっていた。ぼくはみずきが眩しくてすぐに視線を池の水面に向けた。
 ぼくらの行きつけだった店は、普段通りの客の入りだ。みずきは明るい紺色のオーバーコートを脱ぎ、ぼくのダウンコートと一緒に畳んで空いた椅子の上に置いた。
「三か月ぶりよね、航くん。おそばは例の調子で食べてた?」
 ぼくは、かぶりを振った。みずきと別れてから一人だけで深大寺に来ることはなかった。意識的にここを避けていた。
「わたしね。航くんと会わなくなってからもここに通ったわ。一人では寂しかったけど、そば好きの私としては、おそばの誘惑には勝てなかったの」
 ぼくには出来ないことを、みずきはこうしてやってのける。ぼくとみずきの感覚の違いや行動パターンの違いを改めて思った。
 いつものことだが、みずきが何か改まった口調で言葉を発するとき、みずきは、身体はここにあれども心はここに在らずと云った、虚ろな表情になる。しかし、しばらくすると、時計の振子のように、ぼくの居る場所に再びみずきの心は帰って来て、その虚ろな表情もすぐに才気渙発な大人っぽい女の表情に戻る。その繰り返しなのだ。
 みずきとこれからずつと一緒にいるのであれば、ぼくは、みずきの発する言葉や行動がもたらす、曰く言い難い複雑な感情に耐え、慣れていかなければならないのだと思った。
「おばあちゃんのおそば、また、食べに連れて行ってくれる? 今すぐはだめにしても約束してくれる?」
「どうしてそんな気になったの? また、東京のそばとばあちゃんのと食べ比べてみたくなったの?」
 ぼくは、ばあちゃんのそばが食べたいとせがむみずきに皮肉っぽく問いかけた。
 みずきはそれには答えず、
「おばあちやん、こんなこと言ったらなんだけど、お歳でしょ。おばちゃんが元気なうちに作り方を習っておきたいのよ。だって東京じゃ、絶対に食べられないでしょ、おばあちゃんのおそば」
と、早口にそう言った。
 ぼくは、みずきの願いに応えてやろうと思った。この際、ばあちゃんにみずきのことを良く知ってもらおうと考えた。僕は包み隠さずに言うが、みずきがとっても好きだ。みずきに会わなくなってからぼくは、彼女にぞっこん参っている自分に改めて気がついたのだ。でも、相容れないところもたくさんある。これからも感情的な摩擦は頻発するだろう。そんなふたりの接点と言えば、そば好きだということに尽きる。なんとも心細いふたりの絆だ。でも、案外、そばの麺と違って切れにくいのかも知れない。
「おまちどうさま」
 もりそばが運ばれてきた。みずきは、早速、食べにかかる。そばを食べるときだけは、みずきは、都会の鼻っ柱の強い生意気な女から、無邪気であどけない顔の少女に変わる。

伊地知 順一(鹿児島県姶良市/66歳/男性)

「寝たきりだったのに、ふと立ち上がって足を引きずってさ」と、おばあさん。
その潤んだ目を悪戯好きの少年のように初夏の風がくすぐる。
「子猫の頃は抱っこして哺乳瓶でミルクを与えたもんだ。何しろ私達夫婦には子供がいないもんだからね」
我が子を慈しむように育てた野良猫――その名は『男爵』だった。ペルシャ猫の血を継ぎ、エレガントな毛並みをしていたからだ。
けれど、どんなに高貴な位でも猫は知恵者で世渡り上手なのだ。おまけに彼には誇りも節操もなかった。一人前になると、召使いのようにかしずくおばあさんの目を盗んで夜遊びにふけり、ある日、妻と三人の子供を連れて凱旋した。
「あんた、その子供達ときたら母親似で三匹とも薄汚いわ、意地汚いわ、人の顔色覗うわで下品なのよ。すっかり男爵にも嫌気がさしちまってね。餌もあげずにほったらかしにしておいたら、ウチに寄り付かなくなったよ。家族一同引き連れて、どこかに行っちまった」
露骨に疎ましげな顔をするおばあさんに、『男爵』がカケルで私がおばあさんの役どころ――私達とよく似ていると思った。

カケルと初めて言葉をかわしたのは、バレンタインデーの翌日の小雪のちらつく早朝だった。
車の急ブレーキの音で目が覚めて、カーテンを開けて窓越しに見下ろすと、明るくなり始めた路上に黒塗りの高級車が停まっていた。ドアが静かに開き、出て来たのはサングラスをかけた坊主頭で、逃げていく新聞配達を追いかける。
ああ、アイツ、またバカなことをやらかしたなと、私はその逃げていく背中を目で追った。捕まらなければいいがとヒヤヒヤしながら。
そこは一方通行の狭い道なのに幹線道路の渋滞を避ける抜け道になっていて、特に朝夕は交通量が多く、その路地に住む者にとって車は迷惑至極だった。その車の前をわざとゆっくり自転車のペダルを漕ぐ新聞配達の若者を私はしばしば目撃していた。
傍若無人の車にアイツは頭にきてるんだ、相当の意地っ張りだろうなと苦笑しつつ、
ただいつかトラブルを引き起こすのではないかと気にはなっていたのだが......。
二人の姿が人しか通れない脇道に消え、しばらくして坊主頭だけが戻ってきた。
ちらっと見上げる坊主頭に慌ててカーテンを引くと、ガシャッ、ドサッと大きな音がした。
車の立ち去る音にカーテンを開けてみると、民家の塀に立てかけてあった新聞配達の自転車が横倒しになっていて、後続の車がそれを脇にのけた。
頃合いを見計らって戻って来た新聞配達の足元で、散乱した新聞が雪と車の車輪でグシャグシャだった。
それらの経緯を二階の窓から盗み見ていた私は、憐れな新聞配達につい弟を庇う姉のような気持ちになったのだった。
片思いのあの人に渡せずまま宙ぶらりんになった真っ赤なパッケージの高額なチョコレート――渡した後の後悔よりも渡さなかった後悔の方がずっと長続きすることを四十歳目前でアパートに独り身の私はしみじみ分かっている......。
そのチョコレートを手にすると、ネグリジェの上に毛皮のコートを羽織り、道路に出た。前夜に一人でハイボールを飲み過ぎて酔っぱらい、化粧を落とさずに寝てしまった顔が気になったけれど。
「えらい目に遭ったわね」と声をかけると、新聞配達は思いがけず不敵な笑みを浮かべた。
「なあにどうってことはないさ。こんなことをしたヤツ、いつか処罰してやるさ」
「処罰?」
「当たり前だろ、こんなことをしたんだから。自分で受けた辱めは自分でケリをつけるさ。俺は執念深いし、怖いものなしだから何でも出来る」
「でも、さっき逃げたじゃないの」
「あんなヤツと刺し違えるのは沽券に関わるからさ。それにしても嫌な人だな、ずーっと見てたのか。」
 長身の身体は細身でヤワそうなのに、眼光だけは空威張りに見えなかった。
「これ食べる? 中身はチョコレートなの」と真っ赤な小箱を差し出すと、また生意気な口をきいた。
「貢物ならもらっておくよ。そうか、バレンタインデーか」
「違うわ。バレンタインデーは昨日よ」
 どう見ても惨めな状況であるはずなのに、そのときの私の目には自転車を引きずりながら去っていく(散乱した新聞を片付けもせず)新聞配達の背中が、悲運を背負って落ちのびて行く貴公子のように見えた。それは彼の肩まで垂らした真っ黒な長髪と端正な顔立ちゆえだったに違いない。それと、耳にぶらさがった紫色をした勾玉のピアス!
 その日の出来事がきっかけで、紆余曲折を経て、気がつけば私のマンションで同棲生活、新聞配達の若者――カケルの私は召使いになっていた。
 やがて新聞配達を辞めて私に寄生し始めたカケルは、私が仕事(高給取りの服飾デザイナーだ)で留守の間、時々自作の詩集を売りに井の頭公園に出かけた。
「今どき詩集売りなんて流行らない。ましてや、駅ではなく公園だろ。買ってくれる人なんかいるものか。売れなくてもいいのさ。隣の桜の木の下で、真っ白な髭をたくわえたインド人の爺さんがシタールを奏でている。それを聞いてるだけで、俺は吟遊詩人か聖者になった心地だよ。帰りに深大寺に寄って、蕎麦を食いながら猫の背中を撫でる。野良猫上がりとはいえ、ペルシャ猫の混血だぜ。蕎麦屋のおばあさんが餌付けしてるんだ」
 そのおばあさんなら深大寺の近くに住んでいた子供の頃によく可愛がってもらったし、今でもその蕎麦屋にはよく行くし、その猫も知っていた。深大寺の墓地に君臨している猫で、門前にあるおばあさんの店で赤い毛氈を敷いた客用の椅子で客がいようがふんぞり返っている傲然さが案外招き猫になっていた。
「あの猫、蕎麦汁の出汁がらの煮干しばかり食べてるけど、立派な毛並みね」
「実に見事だ。だから、『ノラ坊』と呼んでいたのを俺が『男爵』と改名してやったら、おばあさんは手を打って喜んだものだ。俺の詩なんてお遊びのガラクタだが、あの猫の名付け親になったことには満足している」
 その猫のようにカケルもまた傲慢で自由気まま、何よりも恩知らずだった。
 小遣いを渡すとバッカスを従僕にして吉祥寺近辺の酒場にでかけ、しばしば別の女の所に泊まった。
そんなある日、あろうことか赤子を抱いて帰って来たのだった。
「この子は?」と首を傾げる私に、カケルは白々しかった。
「母親が逃げちまったんだ。放ったらかしにしておくわけにはいかんだろう。誰の子か分からんが」
 もしその赤子がタケルの子であったら、あるいはもっと器量良しだったら、気持ちは変わっていたかもしれない。けれど、タケルに似もつかない、不細工で浅黒い顔をした赤子に私はすっかり冷静さを失って、「出て行って!」と野良猫のようにタケルを放逐したのだった。

赤い毛氈を敷いた椅子に座って、おばあさんの話が続く。
「泣けたよ。すべてを捨てて一人、足を引きずり、引きずり、みすぼらしいジジイになって男爵が帰って来たときにはね。きっと死期を悟ったんだろうね。象の墓場のようにここが死に場所だったのね。一月程寝たきりの男爵を心を込めて私は介護したよ。それが半年ほど前の朝、私が店の掃除をしていると、男爵がヨロヨロ立ち上がってさ、この椅子に上がろうとしたんだが、力尽きてそのまま動かなくなったよ。猫は人目につかないところで死ぬというけれど、男爵は一人ぼっちが嫌いだったから、いかにもふさわしい死に方さ。――あんたとよく来てた若い男? そう言えば、男爵が死んでから一度も見たことはないね」
ちなみに男爵亡き後、放蕩三昧の日々を過ごす彼の妻と三人の子供を引き取ったおばあさんの髪の毛はペルシャ猫のようにすっかり真っ白になり、背中も猫のように丸くなった。
そして、私はと言えば、髪を茶色に染め、あてもなくカケルの帰りをぼんやりと待ち続けている。かしずかれるよりも、どのような仕打ちにあおうが私は召使い役が好きなのだ。カケルの頭を膝に置いての耳掃除、跪いて足の爪を切るときの快感を私は忘れることが出来ない。

小川三郎(千葉県柏市/65歳/男性/無職)
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