神林明香音は、午前は花屋でアルバイト、昼間はカルチャースクールでフラワーアレンジ教室の助手をし、夕方からはレストランやクラブに生花を飾るディスプレイの仕事をしていた。大学は園芸か造園科を希望していたが、高校2年の終わりに父が亡くなり、フラワーアレンジの専門学校に進んだ。今は母文子と二人で暮らしている。軽トラックで走り回るようになって髪をバッサリ切った。数年たった今ではすっかり小麦色の肌になった。
 幼馴染みの伊志田颯人は海外青年協力隊に参加して農業支援を目的に2年の任期でタイに渡った。1年後、梨の礫だった颯人からほぼ毎日のようにメールが届くようになった。
「交換日記じゃあるまいし。颯人タイでちゃんと仕事しているのかなぁ」
「いいじゃない。颯人君も寂しいのよ。でも、せっかく農学部から食品会社に就職したのに3年で辞めて近所の『神代庵』で働くとは思わなかったわ」
「お蔭で颯人は蕎麦を打てるようになったし、私も蕎麦が好きになって良かったよ」
「でも、それから協力隊に参加してタイに行くとはねぇ」
「お母さんの予想外ばかりだね、ハハハ」
 明香音も1年前までは得意先のレストランのシェフ達と食事やカラオケに行ったり、クラブのイケ面バーテンダーに熱を上げたこともあった。しかし、颯人とのメールが日課になってからはディスプレイの新規開拓やNFD資格検定(フラワーデコレーター)の勉強に精を出していた。以前よりも新聞やニュースを見るようになった。
 タイのランはカラフルで日持ちがするのでディスプレイにも多用していた。トムヤムクンやタイカレーは明香音の好物だが、それ以外タイの事はあまり知らなかった。
 颯人を通して、タイの農村では家事や農作業の為に学校に行けず、未だに字の読み書きが出来ない子どもたちが大勢いることを知りショックを受けた。それについて颯人とはメールで意見交換を重ねた。おかげでタイを身近に感じられた。送られてきた写メやテレビでタイの番組を見て文子と話題にした。
「颯人でも人の役に立てることがあったんだから有り難い話だよ」
「またそんなこと言って。颯人君は小さな頃から優しかったわよ」
 半年ほど過ぎた頃、颯人からのメールが暫く途絶えた。
「颯人どうしたんだろう?メール5日も来ないんだけど」
「忙しいんじゃない。心配なの?」
「そんなことないけど、今まで3日以上来ないことなかったからさ」
 モヤモヤした気持ちを抱え毎日仕事を終えてからメールを待つ日が続いた。6日目にようやく颯人からメールが届いた時には、思いも寄らぬ安堵感が押し寄せた。同時に頭に血が上り、直ぐに明香音は返信した。
〔まったく、連絡ないから崖からでも墜ちたかと思ったよ]
[心配してくれたのか?]
[なわけないでしょ!風邪で頭やられたんじゃない]
[相変わらずキビシーなぁ。病気の時くらい労わってくれよ。こっちじゃ大事にされてんだよ]
 数日高熱で臥せっていたと分かり、本当に胸のつかえが取れ、熱いものが込み上げた。(私、颯人のことが好きなのかな?でも兄弟みたいに育ったからなのかなぁ)。
 明香音は半年後の自分を想像して一人で真っ赤になった。ベッドにもぐり、ここ数日の睡眠不足を解消するかのように大爆睡した。
 帰国が近いとの内容を最後に颯人からのメールが途絶えた。多忙だからだろうと、今度は心配せずに連絡を待った。
 明香音はこの1年で自分のビジョンを明確にした。近い将来自分の店を持ち、ネットで今より広い地域を相手に自分の花を提供すること。そして、何かタイの子どもたちにできることを探す為、今は開店資金の調達と資格検定昇級試験の勉強を優先することだった。
 一方的に自分の近況メールは送っていたが、颯人からのメールが途絶えて十日たった。
 仕事がオフで昼過ぎに起きてきた明香音を待ち構え、文子が言った。
「今、バラ園フェスタやっているわよ。今年こそ行くんじゃなかった?」
「そういえば、そうだったなぁ」
「早く行かないと又終わっちゃうわよ」
 5~6年前から神代植物公園でバラ園フェスタが春と秋に開催されていることは近所で見掛けたポスターで知っていた。ライトアップされたバラたちの香に包まれて音楽を聴きたいと思っていたが、毎年行きそびれていた。 
 文子に背中を押されてやっと自転車で出掛けた。調布体育館から正門に向う木立ちの中を走っていると緩んだ風が頬に心地良かった。 
 若葉が空を覆いはじめ、葉越しに差す光が少し眩しく、ペダルを漕ぐごとに青い臭いが明香音を元気にした。この辺りの緑の多さに改めて感激した。
 植物公園の正門から入ると満開のつつじに歓迎された。樹齢40年以上の針葉樹林を抜け、個々に凛と咲いているしゃくやくを眺め、子どもの頃からお気に入りの球根ベゴニアの温室に入った。ここは明香音にとってディズニーランドだった。天井から迫るカラフルに咲き誇る大輪のベゴニアたちに囲まれるとワクワクして、久々におやゆび姫になれた。
 温室を出てバラに圧倒されていると肩を捕まれ「わっ!」と驚かされた。
「明香音! あぁ母さんたちにやられたな」
「颯人帰ってたんだ。連絡くれればよかったのに」
「ワリ、昨日帰ったけどバタバタしててさ。けど明香音、色黒くない」
「うるさい......」
 明香音はドキドキするのを誤魔化しながら 久しぶりに会う颯人と面と向い会った。真黒に日焼けして白い歯が浮立ち、精悍になった颯人にしばし見とれた。明香音は手持ち無沙汰と気恥ずかしさで黙ってバラ園から足早に藤棚を抜けて階段を上ると売店の前にでた。慌てて颯人も後を追ってきた。
「ここも何年振りだろう、懐かしいなぁ」
「私たち、よく放牧されていたわよね」
「あの人達の話は、俺たちそっちのけで長いからなぁ、今もね」
 子どもの頃には広いと思った芝生広場も今では一面見渡せる。明香音はかつてお弁当をよく食べた雑木林のベンチに颯人と向かい合って座り、今度は瞳をじっと見つめた。
「私、落葉を踏むとサクサク音がするのが好きだったな」
「僕は枯れ葉蒲団に転がるのだな」
「颯人君は見えなくなっても、お腹が空くと戻って来たから誰も心配しなかったわね」
「ヒドいなぁ、ワハハ」
 二人で深大寺をお参りしようと植物園の深大門を出ると、赤い毛氈の茶店が並んでいる。
「ねぇ、遠足に鬼太郎茶屋で駄菓子買って持って行ったよね」
「良く覚えているなぁ」
「だって、颯人私の目玉のおやじキャンディー全部食べたじゃない」
「そういえばお腹すいたな」
 石畳の坂を下り花屋を横目で見ながら参道に出ると、最初に目に入った軒先に向かった。明香音は小豆おやきを、颯人は野沢菜おやきを歩きながら食べた。
 階段を上り『天台宗浮岳山深大寺』と書いてある山門をくぐり、手水でお清めをしてから、本堂前の常香楼の煙を互いにかけ捲った。ちょっと触れた颯人の腕は逞しかった。鈴を鳴らして賽銭を入れ本堂に手を合わせた途端、 "ありがとうございます"が、心の底から自然に明香音の口をついて出た。満開のなんじゃもんじゃの木を見上げると、大声で叫びたいほど笑みがこぼれた。
 左手奥の元山大師堂では、賓頭盧尊者の頭を撫でながら
「颯人の頭が少しでも良くなりますように」「こらっ!」
 明香音は颯人と久しぶりに大笑いした。 夢中で話していたので東参道の終点の多聞院ばしまで歩いていた。 
 明香音は戻りながらハッ! と思い出して急に落ち着かなくなった。
「ついでに開福不動堂もお参りして行こう」
颯人が階段を上りはじめた。
「いいよそこは......参道に戻ろう、ねぇ颯人」
「えぇ?なんか変だな。行くよ」
 颯人が足早に階段を上り境内に入り(思いの儘にノート)に近づいた。明香音は必死で前に立ちはだかったが、颯人は制止を振り切りノートをペラペラと捲った。
「ダメ! 見ないで!」
《颯人が1日も早く無事に帰って来ますように》3日前の書き込みだった。
「明香音、お参りしてくれたのか」
「だって!いつ帰るって教えてくれなかったじゃない」
 颯人は黙って明香音を引き寄せた。
「会いたかったぞ」
「私も......」
 明香音の瞳から涙が溢れた。
 颯人と手を繋いで階段を下りると、もう陽が傾き始めていた。
「おやきだけじゃお腹すいたな。取りあえず蕎麦食いながら一杯やるか」
「もう颯人ったら。でも、あとでライトアップしたバラ園にもう1度行くわよ」
「これからは何度でも行けるよ」
 2人は泣き笑いしながら、賑やかな売り子や呼び込みの声がする参道を再び通り、蒸籠の蒸気をくぐりながら『神代庵』に向った。

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<著者紹介>
櫻 染子(東京都/女性/専業主婦)

 大学進学のために始めて上京してから、東京生まれの人は皆怖いのかと僕は思っていた。
 でもクラスメートとして君に会ったときに、そうでもないのかなと初めて思ったんだ。
「だって二十三区出身じゃないですから」
 拗ねたように言われたけれど、そんな違い、よその人間にはわからない。現に昔の僕にはぴんと来なくて、どう答えたらいいのかわからなかった。
 そのときの女の子と結婚することになるなんて。
 あのときの僕には予感の欠片もなかったとは、君にはとても言えない。

「手土産、これでよかったのかな。もっと高いものがよかったんじゃないか?」
「食べきれないよ。もったいないでしょ」
 君は呆れたように言う。先週、君は先に僕の実家に挨拶を済ませたから明るい。今度は僕の番と言うことで、少し楽しんでいるようにさえ見える。
「大丈夫、これお母さんの好物だから」
「お父さんの好物はいいんだ?」
「いい」
 はっきり答えるけど、本当にいいのかなあ。
 普段乗ることのない、クリーム色の電車ががたごと揺れる。
「そういえば不発弾発見されたの知ってる?」
「ああ、ヤフーで見た。よく今まで見つからなかったもんだね」
「ね、びっくりした。ずっとあの側電車で通ってきたのに」
 一応すこしよそ行きの服を着てきた君と、一番のスーツの僕。
 彼女の実家に伺うのは久しぶりだ。
「やだ、緊張してるの」
 彼女はちょっと笑う。
「会ったことあるじゃない」
「それとは違うだろ」
 言い返したけど君は真剣に聞いてない。
 食事くらいはしたことあるけれど、今日は結婚の申し込みなんだから。
「大丈夫うちのお父さん、殴ったりするタイプじゃないから」
 もの凄いこと、さらりと言うなあ。
「ね」
 でもにっこり笑われると、怒っていられない。しょうがないから窓の外の流れる景色を見つめる。
 緑の多い住宅街は、日頃僕の馴染んだオフィス街とも、僕が一人暮らしを続けている学生街とも違う。
 彼女が育ったこの町を見ると、なんだか彼女っぽいといつも思う。
 きれいで、でも攻撃的な感じじゃなくて、優しいけどしっかりもので、少しやんちゃで涙もろい。
 それが、僕の結婚したい女の子だ。

「まあまあ、遠いところに」
 玄関のベルを鳴らすと、まずは彼女のお母さんが飛び出てきた。
「いえ、新宿から特急使いましたので」
「それでもねえ。......あら、お気遣いなく」
 手土産を受け取ったお母さんの反応は良くて、好物を持ってきた彼女の作戦は当たりだったらしい。
「お父さん、草むしりしてるから」
「大丈夫、日射病とか? 外暑くて......麦茶飲んでいい?」
 いつもしっかりものの彼女の顔が、実家では少し変わる。
 少し甘えたような、たぶん娘の顔なのだ。
 彼女の気づいていないそれを覗くのは、ちょっと秘密めいた楽しみだ。
「スリッパ、いらないでしょ?」
「美香」
 お母さんがたしなめるが、僕はうなずいた。
 たぶん彼女流の気遣いなのだ。僕を「お客さん」にしないための。
 なんだったら草むしりだって手伝おうと僕は決心する。新宿の丸井で買った八万のスーツだけど、今日のためなら惜しくない。

「待たせちゃったね」
 草むしりはやはり暑かったらしくて、お父さんはシャワーを浴びてから現れた。ほんとよ、と彼女が悪戯な口を聞く横で、お邪魔してます、と僕は慌てて頭を下げる。
 お父さんは僕らの到着で草むしりを中断したので、結局僕は手伝いをしなくて良かった。それでよかったのかもしれない。言われたらなんでもやるつもりではあったけれど、僕もお父さんと二人きりになる心の準備がまだできていなかったから。
 昼食はビールで乾杯して、和やかに始まった。
 お母さんが取ってくれた、近くから取ったという寿司は食べきれないほどあった。こっちは家で準備したらしい、涼しく冷えた蕎麦がつるつるとおいしくて、勧めるられるままにお替りをする。
「このあたりのお蕎麦は有名なのよ」
「深大寺ですよね、よく見ます」
 彼女のことがあるせいで目に付くのかもしれないが、結構都内でも深大寺蕎麦を謳っている店があることには気がついている。
「あらそうなの、どうお父さん?」
「そうだな、わりに見るな」
「やだお父さん、ビールもう二杯目なの?」
 僕はこっそり、お父さんとお母さんの会話を聞いていた。
 お父さんは彼女に顔が似ているし、お母さんには将来の彼女の姿をだぶらせてしまう。ふたりはいつも穏やかに仲が良くて、それを見るたび僕は少し安心する。
「そういえばこないだ一緒に神代植物公園行ったよ。温室に」
 彼女が口を挟んだ。
「ああ、お父さんたちも行ったわよ。温室は行かなかったけど」
「なんで、温室がいいのに」
 彼女はその公園が好きなので、結構僕らは遊びに行く。それから深大寺のほうに抜けるか、調布か、吉祥寺か。付き合い出しは結構渋谷や新宿にも出たけれど、最近はもう、仕事の疲れか(年とは思いたくないけど)そういうデートのほうが気楽だ。
 そこで沈黙があって、僕は今だと思った。
「あの、お父さん」
 隣に座った彼女が緊張したのがわかる。

「お嬢さんを僕にください」

 もう少し前振りをするつもりだったのに、頭の中にあった台詞がするりと出てしまって、一気に僕は本題に入ってしまった。
 失敗した、と僕は硬直する。
 お父さんはその僕の目の前で、コップのビールをじっと見つめた。
 それから一気にそれを開けた。
「一志君」
 お父さんが僕の名前を呼んだのは、初めてかもしれない。いつも君、とか、ほら、とかそんな感じだったのだ。
「はいっ」
「今日は泊まっていきなさい」
「お父さん」
 彼女が口を挟むけれど、お父さんは僕をまっすぐ見た。
 負けまいと、僕も力を込めて視線を返す。
「明日一緒に深大寺にお参りに行きましょう。我が家では大きなことがあると、いつも家族で報告に行くんですよ」
「お父さん、一志さん明日は」
「わかりました。ご一緒させてください」
 彼女に目で合図して、僕は腹の底からの声で返事した。
 明日の予定は、後で友達に謝っておこう。
 お父さんが満足そうにため息をつく。僕は慌ててビールを注いだ。

 返事はOKなんだろうか。僕はお父さんを見るけれど、穏やかな表情からは読み取れなかった。
 家族で報告、にいれてもらえるん、だからたぶんそうだと思うけど。
 とりあえず、明日まで確認する時間はたっぷりある。
 お父さんが僕にビールをついでくれようとしたので、僕は急いで自分のカップを干して差し出した。僕があまりお酒が強くないことを知っている彼女が僕を肘でつつくけど、無視をした。
 だってこんな日は、一生に一度だけだろう。
 目を閉じてぐっとコップを干す。目の裏に、深大寺の参道の濃い緑が浮かんだ。
 僕は明日、あの坂をこの人たちと登るのだ。
 じわじわと腹の底が熱くなってくる。

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<著者紹介>
和倉 ちとせ(東京都品川区/35歳/女性/会社員)

第5回の応募作品は事前審査が完了し、最終審査に残った方々には9月29日~10月1日にかけてお電話等でご連絡させていただきました。
ご連絡がなかった方は、今回は残念ながら落選となります。
最終審査結果は、原則入賞された方にのみ10月末までにご連絡させていただく予定です。

尚、今年の受賞式に関しましては、11月28日(土)15:30より深大寺境内にて開催します。

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