八月に入ったばかりの火曜日、都心から自宅のある荻窪を素通りし三鷹駅で降りると、足の向くままに南口からバスに乗り込んだ。
 文字通りなんにも考えず、ただ足が動くものだから、もう参道の中途に差しかかっている自分が不思議だった。
 願掛けに来たんだとしばらくして思い出すと、参道の残りを急ぐ。途端に重くなった足は秒速5センチほどにしか進んでくれない。
 それでも気晴らしにと沿道の蕎麦屋を覗くが、昼をとうに廻った店はひっそりとし、天日干しの蕎麦ざるが風にカタカタと鳴る。
 久しぶりの深大寺は、随分と寂しかった。
 右耳下の腫れに気がついたのは梅雨に入ってすぐ。ぐりっと瘤のようだが痛みは無く、しばらく放っていたが、なかなか微熱が引かないので、仕方なく近所の内科に行った。
 細菌か何かでリンパ腺に炎症が起きていると言った老医師は、急に診断を撤回するや、築地にある専門病院の受診を強く勧めてきた。
 大小の検査に耐え、通院も5回目を迎えた今朝、「戸上さん」と初めて主治医に名前を呼ばれ、一通りの経過診断を聞かされた。
 内容はよく覚えていない。ただ、いつもは億劫そうな医者が妙に迅速で、どんなに早くても一週間を要した予約が首尾よく三日後に取れた。金曜日には結果が伝えられる。
 石段を上がり寺の山門をぬけると、左手にのびる小道に沿って進んだ。草いきれでムッとした藪に挟まれ、頭上には落葉樹が生い茂るその道は、夏の盛りにしては涼しい。 
 幾分か幻想的でもあったから、その先にそこだけ木洩れ陽の注ぐ深沙堂が見えると、現実感があせて、気分が少しだけ楽になった。
 薬師様や延命観音を詣ればいいのに、恋をとり持つ深沙大王に向かったのは、昔何度も母と訪ねていて馴染みだから、それだけの理由だった。
 なぜだかやけに信心深かった母は、「疫病とか病魔だけは嫌でしょ」と大王の神通力を買ってお堂に向かうが、そこには縁結びだの深大寺の寺号の由来だの、明るい理由はなかった。もしかしたら、若くして死んでしまった父と関係していたのかもしれない。
 しかし、結局理由はわからず仕舞いで、参道に近い秘仏が宿るこの堂で、母娘は多くの時間を過ごした。
「あ......変わんないや」
 本当になんにも構えずに踏み込んだ空間は、びっくりするほど昔のままで、切妻屋根を覆う雑木林の配列や自分の重みで全体が傾ぐ赤松の微妙なラインは、ぴったりと幼い記憶に符合していた。
 お堂わきの切石に座ると、ジジジと蝉時雨が頭をめぐり、今にも気が遠くなる。
 人知れぬ痛みや孤独を抱えていた母も、こんなふうに癒されていたのか。
 現実逃避も手伝い、記憶はやがて、三十六年の人生で幾度も掘り返した、手放すことの決してないある思い出をそのまま運んできた。
 物心ついたときから父はおらず、高校を卒業するまでずっと母とふたり、三鷹市の小さなアパートで暮らしていた。
 深大寺の北にある北ノ台小学校をさらに北上した三鷹通り沿いのアパートは、古くて騒々しかったが、居心地はよかったと思う。
 通り向こうには企業の野球場があってナイターが夜を照らし、沿道の劇団から聞こえる発声練習は、憂鬱な朝を少しだけ愉快にした。 
 母を深夜まで待つ幼い娘を気にする隣人は多く、よく世話になった隣の若夫婦から、初めてゼリーではないメロンをご馳走になった。
 もちろん、アパートの外でも言うほどの苦労は無く、放課後は学童と知り合いを転々としたが、おおかた祖母と一緒にいたから、いわゆる悲壮感とは無縁だった。
 調布駅の裏通りにあった祖母の居酒屋では、時々派手な諍いが起きたが、不思議とそこには諦めに似た節度があり、引き際のタイミングという得難い教訓を、幼い娘は肌で知る。
 そして常連客が揃うころ、母は迎えに来ると、決まって自分を自転車後部の荷台にのせて、一路、深大寺付近をめざすのだった。
「うちはねえ、貧乏だけど貧しくはない」
 そう豪語する母は、週に一二度馴染みの蕎麦屋に通い、ふたりで一枚ずつ笊蕎麦を平らげ、ひとり旨そうに熱燗をちびちびやる。
 多分、この習慣は亡くなる直前まで続いていたと思う。
 甘めのつけ汁に蕎麦をたっぷりと泳がせ、くどいくらい咀嚼する母は、決して蕎麦通ではないが、その酩酊する様は見ていて気分が良く、幸せを守るのではなく分け与える、そんな類の酔い方だった。
 その後、良くない事がつづきもしたが、一応腐らずにやってこれたのは、あの酩酊の功徳かもしれないと、本気で信じている。
 そんな母娘だったから、特に反抗することもなく、家事や雑事は協力してやっていた。
 そして中学二年生の春、初めて恋をした。
 それは、どんなに通じていた母にも決して明かせない、行き場のない衝動だったが、次第にその正体が初恋とわかり、絶望に転じた。

 当時所属していた吹奏楽部の同じフルートのパートに、藤原泉という一つ上の先輩がいた。フルートの腕はピカイチで文武に秀で、おまけに透ける肌と薄茶の目をした美人だったから、常に教師のご贔屓に与かっていた。
 彼女に接すると何か自分までが特別になったような、そんな優越感を抱かせてしまう存在。今でいうスクールカーストの頂点に君臨するような、特別の生徒。
 しかもそれでいて、性格だって良かった。
 大人の目や評価の枠外にあっても、後輩や同級生への配慮を怠らず、ちょっとの根回しで、誰もが傷つかない方法でいじめを解決することもしばしば。まさに完璧なひと。
 間違っても、藤原さんに避けられることだけは、絶対に絶対にいやだった。
 五月にしては蒸し暑い日だった。中間試験前の水曜日、早帰りした折り母につかまった。
 これから調布駅近くの果樹園に行くという母は、袖机をもらいに行くからと誘ってきた。
 まあ助手席にいればよいし、末は自分の勉強机になるのだからと、仕方なく承諾した。
 しかし、実際の机は意外に大きく我が家のミニカーには積みきれず、譲り主の好意で、代わりに軽トラをお借りして運ぶことに。
 けれども母は、なにを思ったか、不慣れな軽トラの運転に躊躇しだすと、突然、納屋に立てかけてあった古いリヤカーをせがんだ。
 今にも崩壊しそうな代物で、車輪や持ち手の塗料はすっかり剥げ落ち、触れば赤錆特有の臭いと鉄粉が手のひらに付着した。
 そんな事情から、リヤカーの旅が始まる。
 優に30キロを超す塊を載せたリヤカーは本当に重く、停止の状態から引き始めるには、母と二人、腹筋を張り歯を食い縛ってようやく一歩を踏みだすほどであった。
 逆に坂道では、惰性がついた車輪の下敷きにならないよう相当に気を使った。
 臭い汗が滴る。楽しさなんて微塵もない、ただの羞恥と苦痛の道のり。
 思春期の自分は、こんな姿を知り合いに見つからぬよう、唯それだけを祈っていた。
 しかし事態は、最悪を迎えてしまう。
 幹線道路を避け、迂回のため深大寺の敷地を突っ切ろうと、参道の向かいで信号待ちしていたその時、山門の黒い茅葺の下に目が留まった。全身が強張る。そこに母と並んで慎ましく歩く藤原さんの姿を一瞬で捕えていた。
 穴があったら......そんなものじゃない。万事休す。数多の部員に紛れて借り物のフルートなんかを持つ戸上純という存在を藤原さんが覚えていないこと、それだけに賭けた。
 しかし、藤原さんはやはり藤原さんだった。
 彼女は信号を待って一目散に駆けつけると、矮小な後輩の頑張りを親たちに讃え、意外な、いや最も藤原さんらしい展開をみせる。
 突如、藤原さんは右手の楽器ケースを親に託すと、自分と並んでリヤカー前方のバーを握り、「せーの!」っと力一杯に引き始めた。
 リヤカーはなぜか素直で、順調に滑りだす。
 汗で湿った藤原さんの腕と擦り合うたび、初めて、動悸に酷似した息苦しさを覚えた。
 と同時に、手の甲から汗が噴き上がる興奮と歓喜が湧きおこり、それが一気に体芯へと流れ込む感覚が走る。恋する素晴らしさ。
 しかしそれは、絶望と表裏のものであった。
 「試験前なのに、私達って外に出てるね」そう悪戯っぽく微笑み、ふたりだけの秘密の連帯を感じさせる藤原さんの隣で、自分はあの日、深く深く傷ついていた。
 この坂を登り切れば二度とない時間。確実に報われない恋。共有できない傷だけが残る。
 たまらなく好きな人、彼女の楽園にはきっと入れない......解りきったことなのに、いつまでもあのときの感情が綺麗で、自分を支え続けているのはなぜなんだろう。
 純、そりゃ初恋だからよ! ......母ならそう言うだろうか。今となっては分からない。

 晩鐘の音で思い出が途切れた。
 気がつくと、ついさっきまで感じていた寒さはなく、首筋にじっとりと汗をかいている。
 すると急に笑いがこみ上げてきた。下腹部を締め付ける動悸や明日が待ち遠しい興奮。こんな感覚が蘇るなんて、命の一大事に。
 しかし、もう一度愛しそして愛される時間は残っているのだろうか、誰か教えてほしい。
 小一時間前、うなされたようにこの寺に辿り着いたのが随分と昔に思える。
 立ち上がると妙な胸騒ぎを覚え、お堂に近づく。そして、格子の奥をそっと覗いてみた。
 そこには白木の厨子がひとつ。けれども実は、箱の中に仏はなく、母や父、そしてまだ世界の中心にいる藤原さんがこっそりといて、じっと箱の隙間からこちらを見つめている。
 そんな気がしてならなかった。

広瀬有(東京都国立市/41歳/女性/会社員)
 手織りの特別柔らかい布で指先まで丁寧に拭い、角度を確かめては撫でるように指股に薄い布片を差し込んでいく。直手で仏像に触れないよう左手で台座をくるみ、二尺八寸もある金剛仏は、磨き終えるまでにゆうに一刻はかかってしまう代物であった。
木片に刃を入れることすら許されていない修行中の身の上でありながら、朝夕の手入れ時には湧水でみそぎを済まさなければ堂にすら立ち入らない市(いち)助(すけ)に、師匠であり大仏師の上樂(じょうらく)は少しだけ面白そうに片眉を上げる。
「魅入られるは仏師の素質でありますれば」
 仏像を彫る職人を目指すならば磨くのも一生、そう言って、市助の気の済むようにさせてくれるのが常であった。
 四月に慶応と改元されてから早四カ月。武蔵野の風景も少しずつ変化してきた。
当世は動乱の世でもある。
新選組などと息巻く武蔵野の若者達はいったいどうなってしまうのか。
しかし当世が動乱の世であるのならばなおのこと、腕の中の白鳳仏を心より磨かねばなるまい、市助はそう決意するのであった。
「市助様、白鳳様のお手入れでござりますか」
本堂正面にひっそりと立つ鮮やかな緋色の着物を身に着けた年の頃十六、七の少女の姿を認め、市助は糸目を和らげた。
「お鈴さん、どうされました」
「もう昼九つを半刻も過ぎております。昼食をお持ちしました」
 お鈴が風呂敷包みを上げて笑む。
「これはかたじけない。昼刻の鐘の音をすっかり聞き逃しておりました。上樂様は?」
「父は先に済ませてござります」
 市助は頷き、布にくるめたまま白鳳仏を香炉脇の床に安置すると、蒸し暑い本堂を出たのであった。

 本堂を出ると八月の熱射に照らされ、市助は右手でひさしを作った。
「これは暑い。しかし不思議と空気は乾燥しておりますような」
「茅葺屋根の下はきっと涼しいでしょう」
 数十歩先にそびえる薬井門まで歩く道すがら、お鈴の抱える弁当の風呂敷を黙って引き受けるとお鈴は少しだけ嬉しがった。市助はお鈴の控え目で素直な性分が好ましかった。 
茅葺屋根の日陰に入り、二人は遠慮するように門の端に蓙(ござ)を敷いて、並んで腰掛けた。
「白鳳様の魅力はその純粋で優しいお顔立ちにござりますか?」
 昼食を忘れ手入れに没頭していた市助をからかうようにお鈴が笑う。市助も少し笑った。
「白鳳様を磨いていると心が洗われる気持ちになるのです。左手の五指からは宝珠をもたらし甘露水を降らす。あの仏さまは、まさしく衆生の希望でござりましょう?」
 お鈴が握り飯を持ったまま、すっと視線を上げた。黒目のふちに朱が走り、白目の清廉さは市助の網膜に反射する。
「鈴のことも......もっと見てくださりませ」
蜜桃のように頬を染めるお鈴は眩しくて、市助はそっと視線を逸らした。自分はもう二十二にもなるのに、お鈴の愛らしい瞳に見つめられる度にはやる心臓が恥ずかしく、身体の芯はしびれるような心地があった。
遠くを望めば多摩の松林の青々とした緑が盛夏をいろどり、左右に分かつ池中の島には祠がいくつも祀られている。
市助はふいに幼き日のことを思い出した。まだ十に満たない自分を「いち兄さま」と慕い後を追いかけてきた四つのお鈴。
もみじのような手を握り、遠くに傾く夕焼けの扇状に輝くその息を呑む美しさを。
「深大寺は真に美しき場所にござります」
「はい」
 お鈴が秀でた額を空に向けた。
その時、風が凪いだ。
直後に地鳴りのような轟音が響く。
「な、なに? ア! 熱い......ッ」
 お鈴が手を伸ばすより早く、市助はお鈴を懐にかき抱き、本能的に門を飛び出していた。
「ああ......市助様、そんな......」
 お鈴の瞳は恐怖に染まっていた。
 木々がざわめいている。鳥獣はキィキィと警戒の鳴き声を仰ぎ、堀に四方を囲まれた本堂、太子堂の方から僧侶の声が、庫裡(くり)からは女房衆や子供の悲鳴が聞こえた。
 空が夕闇にあえいでいる。
赤紫の火花を一面に散らし、灰塵が風に攫われ雪のように舞っている。
 ――深大寺は炎に包まれていた。

「あ、あ......そんな、深大寺が......」
 ひざから地面に崩れ落ちるお鈴を背で守り、吹き付ける熱波にチリチリ全身を晒されながら、市助は鋭利な刃物の切っ先で背を撫ぜられるような恐ろしさを感じていた。
(......深大寺が燃えている......)
 風の関係なのか炎が到達しない薬井門の太い柱の陰に身を隠しながらも、視線は本堂から外せなかった。なぜもどうしても混乱の渦の中。本堂は龍がとぐろを巻くように太い火柱にからめとられ燃え盛り、火の玉がまやかしのようにそこかしこで生まれては市助の頬を叩いた。熱湯に肩まで浸かったような動悸と汗が幾筋も顎先から滴り落ち、時折薬井門を吹き抜ける熱風は炎を吐く地獄の使者のように容赦がなかった。
「市助様、逃げましょう!」
 お鈴が背に片頬を押し付ける。市助は頷きかけ、動きを止めた。
(――白鳳仏が本堂に取り残されている)
 どっと鼓動が嫌なふうに高鳴った。
 いけない、あれを残してはいけない。あの仏像は衆生の希望なのだ――!
 市助はそっとお鈴を振り返った。お鈴は市助の瞳に宿る意志を悟って瞳を潤ませた。
「いや、いやでござります......行かないで」
 泣いてうつむくお鈴の頭を抱き寄せたい。――抱き寄せられない。
「希望を取り戻さなくてはなりませぬ」
「あの炎の中では無理でござります。......鈴はあなた様が大事です。白鳳様よりも」
 潤んだ瞳ですがりつくお鈴が愛しかった。
 それなのに、市助の両手はこぶしを握り、優しい言葉の一つもかけられない。
「お許しください」
そう言うと、もう振り返らなかった。
「市助さまあっ!」
 お鈴の悲痛な叫びが背を打ったまま、市助は炎の本堂に飛び込んだ。

 足を踏み入れた瞬間、猛烈な熱風と空気圧に押され、市助は一歩よろめいた。
(こ、これはひどい......)
あちこちで炎を吹き上げる本堂は、今にも崩れ落ちそうだった。どす黒い煙が充満し視界もかすんでいる。とっさに屈みこんだがわずかに煙を吸ってしまい、空咳を繰り返すと喉が焼けて痛かった。黒煙と炎に眼球が乾いてひりひりする。炎塵で腕や首に火傷を作りながら必死に周囲を見渡すが、白鳳仏の姿を見つけるのは困難を極めた。炎火は激しく燃えうねり呼吸もままならず、焦りが募り始めた頃、市助は堂の奥の香炉脇で何かが燃えていることに気がついた。
(白鳳様!)
 飛びつくように白鳳仏の元に辿りつくと、たもとの帯で素早く火種を消した。白鳳仏は災厄の中でもその穏やかな微笑を絶やしてはいなかった。市助はほっとしたのも束の間、すぐさま踵を返し、唖然となった。
「あ......」
 そこはすでに炎の海。堂は一筋の光すら通さない一面の業火に埋め尽くされていた。
 この状態は――これではもう戻れない。
 市助は腕の中の金剛仏をそっと床に下ろすと、力が抜けてその場に座り込んだ。
(私の命もここまでか――)
 燃える炎は絶望と共に今や市助の袴の裾近くまでチロチロと舌を伸ばしていた。  
(白鳳様、最後までご一緒いたしましょう)
 瞳を閉じて覚悟を決めた時、脳裏に浮かんだのはお鈴の顔だった。
 愛らしい笑顔ではない。泣き顔だ。それが最後のお鈴の表情だとは、少し寂しい。
(お鈴さん......本当は無事に戻れたらあなた様を妻にしたいと上樂様にお願いしようと思っていたのです。今度こそ抱きしめたかった)
 それも今はもう叶わない――。
 市助の頬に何かが穿たれた。
 ぽつん、ぴちゃん。
 この熱気の中ではすぐに蒸発してしまうけれど、それは炎ではない、儚い感触であった。
(なんだ......この感触はまさか、しずく?)
 天井を見上げても紅蓮が全体を覆い、水滴などどこにもついていない。それなのに、堂の中がわずかに湿気を帯び始めた気がする。
 いったいこれは......? そう思考を巡らせる間もしずくは絶え間なく降ってきた。最初は一滴だったのが、二滴、三滴と増えていく。
 そのうちに炎を打ち負かす勢いの豪雨に変わり、朽ちかけた本堂を滝のように打ち始めた。あまりの出来事にぽかんと口を開ける市助の口中にも大粒のしずくが滴り落ちる。
しずくは舌の上で溶けると甘かった。
(なんとこれは甘露のようだ!)
 驚き、市助ははっと床に鎮座する白鳳仏を振り返った。吸い寄せられるはその左手。
白鳳仏は――釈迦如来倚像は――衆生の願望に応えるもの。その左手の印相からは宝珠をもたらし、甘露水を降り注ぐ――。
市助の胸の内に奇跡と歓喜が満ち溢れた。
(――白鳳様がお助けくださった)
とめどなく涙が溢れ、またしずくとなった。

そうしてからからくも助け出された市助は、泣きながら市助の胸を叩くお鈴を今度こそ抱きしめたのであった。

町田さくら(東京都稲城市/34歳/女性/会社員)
『盆踊りの日、やぐらの前で待っています。河童』
 朝、学校の下駄箱から落ちて来た手紙には、角張っていかにも生真面目そうな筆文字で、そう書いてあった。
 私は言われた通り、深大寺の深沙大王堂前に組まれた、小さなマンションくらいはありそうなやぐらの前で待っていると、河童は走ってやってきた。
「よく来てくれました」
と言って身をくねらせた河童は、おろしたてみたいに糊の効いた甚平を着ていた。はだけた胸は本来鮮やかな緑色なのだけれど、朱色の提灯に照らされて黒っぽく光った。
河童は何か言いかけて、酸欠の金魚みたいに嘴をぱくぱくとさせた。それから急に思い切りよく駆け出して、やぐらの上まで一気によじ登り、太鼓を叩く子供たちの前で踊りだした。それは盆踊りとはまるで違う、つま先立ちの小刻みなステップを踏んだかと思えば、掌の大きな水かきを目一杯広げて、飛び魚のように弧を描いて跳ねる、見たことのない独特な踊りだった。
「やあ、失礼。どうも血が騒いでしまって」
息を切らして戻って来た河童は、さっきと
違って大きく構えた感じになっていた。
「今日、お呼び立てしたのはですね」
河童は懐に手を入れると、おもむろに白い封筒を取り出し、早口でこう言った。
「これをあの、フ、フミエさんに届けて頂くわけにはいかないでしょうか」
 フミエというのは市外の介護施設に暮らす私の祖母である。
 頭上の皿を深々と下げながら私の顔色を何度も伺う河童は、元のもじついた河童だった。

次の日、私は祖母に会いに行った。祖母は最近では窓際の定位置に車椅子をつけ、ぼんやりと過ごしていることが多かった。
 河童が帰りに持たせてくれたそば饅頭と一緒に手紙を渡すと、祖母は早速老眼鏡をかけ、封筒を開けた。
見ると、時代劇のような蛇腹折りの長い紙に、やっぱり角ばって緻密な筆文字がびっしり並んでいる。祖母の心がぽきりと折れるのがわかった。近頃の祖母は、しょっちゅう心が折れるのである。遠い目でその蛇腹折りをひとしきり眺めただけで、再びそっと折り畳みはじめたものだから、私は慌てて、音読しようか、と提案した。祖母は案外、気楽そうに承諾した。
手紙には、こう書かれていた。
『前略フミエ様、大変ご無沙汰いたしております。あれからもう五年になります。お体の具合は如何ですか。
貴方様が突然のご病気で、今は専用の施設に移り住んでいらっしゃることは、ある日偶然、風の便りで聞かされました。このようなこととわかっていれば、貴方様のお辛いときに少しでも力になれたか知れないのに。役立たずの河童をどうかお許しください。そしてまた、よくぞご無事でいてくださいました。
貴方様がご存じの、若造のわたくしなら、このような文など書いている間にも、貴方様の処まで飛んで参ったでしょう。それが、今のわたくしには叶いません。河童は長寿といいますが、いったん老いがくれば急激です。この五年、わたくしにとってとても長い歳月でした。河童の老いは皿の渇き具合でわかります。そちらに着く頃には干からびてしまうでしょう。情けないことです。ですが、そうやって嘆いておりましたら、ちょうど、貴方様に瓜二つ、とはいかないまでも、ふんわりとした可憐な雰囲気、ふとしたときの横顔などは貴方様をそっくり引き継いでおられるお孫様が、わたくしの目の前に現れたのです。それはそれは胸が躍りました。文でも書かずにはいられなくなりました。
わたくしは本当に、この手紙が貴方様のもとへ届くことを願っております。
さあ、あまり長くなっては貴方様に嫌われてしまいますね。実は、今度の文に書くことはもう決めてあるのです。もしお許し頂ければ、ということですけれども。河童』
読み終えて祖母を見ると、いくらかしっとりしたような表情で首を微かに傾け、ふう、と色っぽい吐息を漏らすので、私は思わず視線を逸らした。
祖母はたっぷり間を置いてから、
「返事を書くわ」と言った。
祖母はもともと筆まめな人だけれど、脳梗塞を患ってから文字が覚束なく、年賀状さえ書けなくなっていた。なので祖母が言ったのは、私に代筆を頼むという意味である。
最初の代筆は、
『ご無沙汰しております。
お手紙嬉しく拝読しました。
老いは容赦のないものです。
どうかお体を大切に。』
というたったの四行で済んだ。
拍子抜けする私に、祖母は涼しい顔で、い
いのよ、と答えるばかりだった。

河童の二通目はすぐに来た。
『ああ、まさかこんなに早くお返事を頂けるなんて、思いもしませんでしたので、大変浮かれております。声に出して読み返しておりますと、フミエ様のお声を久方ぶりに聴いたような錯覚を覚えるのです。わたくしはしあわせ者です。
覚えていらっしゃいますでしょうか。はじめてフミエ様に出逢ったのは、盆踊りの日、やぐらの前でした。あの時も、こんな風に浮かれたものです。わたくしの踊りをフミエ様は大層褒めてくださいました。河童の家にはそれぞれ、代々伝わる舞があるのです、と説明しましたら、フミエ様は教えて、と仰いました。それからわたくしたちは、暇を見つけては深大寺で落ち合い、舞の練習をしたのです。はじめのうちはかなり熱心に練習したので、腹を空かせて帰りがけに蕎麦を頂くのも常でした。わたくしは元来、食わず嫌いのたちで、それまで蕎麦など口にしたことはありませんでしたから、深大寺の蕎麦の味は、フミエ様に教わりました。わたくしはこの辺の湧き水で生まれ育ってきたものですから、その水にさらされた蕎麦の風味がとても喉に心地よく馴染んだものです。云々』

祖母の二通目はこうだった。
『この前はそば饅頭をご馳走様でした。お礼を忘れていてごめんなさいね。孫と二人で、懐かしく頂きました。あなたには舞の才能があると、あのときの私は自信たっぷりに言いましたね。けれど考えてみると、私は舞のマの字も知りません。今更ですが、お恥ずかしい思いがしました。残暑の厳しき折、どうぞご自愛を。』

こんなやりとりが週に一、二通の頻度で、二十は往復しただろうか。そこには若かりし祖母が、見合いの日にも、赤ん坊を抱いて退院した日にも、夫の四十九日にも、何も特別でない日にも、何をするでもなく河童と二人で深大寺の森を歩いたり、門前に並ぶ店々でそば団子をつまんだり、きまぐれに植物の苗を買ってみたり、木陰に腰掛け今日一日のことを話し合ったりしたことが鮮明に綴られていた。
祖母は相変わらずの短文だったから、ほとんどは河童の手紙から知り得たことだ。

 河童の最後の手紙を受け取った日、祖母はそれを読むことなく亡くなった。
通夜の前日、私は家族が別室で休んでいる隙に、祖母の亡骸に手紙を読んで聞かせた。
 手紙はいつものように、『覚えていらっしゃいますか』という一文から始まり、後半、深大寺に隣接する神代植物公園でのある日の話に移った。すると俄かに語調が変わってきたのだった。
『わたくしはあの大輪のバラの前で、フミエさんを人の中で最愛だと言いました。これ以上、信頼の置ける人間にまだ出逢ったことがないのも事実です。時に方向性の揃わないことがあっても、途方もない種族の違いを思えば、何事も素晴らしい遭遇に思えたものです。
しかしあのとき、人の中で、と言ったのは間違いでした。世界中の全河童を含めても、わたくしはフミエさんのことが誰より、忘れられなかったのです。』
 読んでしまうと私は、文面の熱っぽさにおかされて、少しの間ぼうっとしていた。そうしながら、祖母がまた艶っぽく微笑するのを待っているような気になった。
祖母の頬は、上気したように子供じみた色のファンデーションを載せられていたけれど、触れると冷たく、弾力を失っていた。

告別式の後、私は河童のもとへ向かった。
河童は水の湧く岩場に腰掛け、私が言いだ
す前に、すでに一人で泣いていた。
「フミエさん、とうとう逝かれたんですね」
手紙を渡せなかったことを謝ると、河童は大きく腫らした目を無念そうに伏せた。
「仕方のないことです。人は短命な生き物ですから」
 河童はその手紙を焼くと言った。手元に置いておくよりその方が、もしかしたら祖母に読んで貰えるかもしれないから、ということらしい。
「あちらで旦那様と笑い話にでもして頂ければ本望です。きっと罰は当たらないでしょう」
 深大寺の森の寝静まる頃、私と河童は深沙大王堂の前で、ひっそりと手紙を燃やした。
河童は、細かな灰になって飛ばされていく手紙の周りを、小刻みなステップで舞った。
私の頬にぽつりと降ってきたのは、河童の涙だった。

浦野 奈央子(千葉県習志野市/34歳/女性/無職)
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