「おなか、すいたでしょ。蕎麦でも食っていく?」
とっくに一時は過ぎているから、おなかはすいている。でも、はじめてのお得意様回りは、腹の虫を気にしている余裕なんてなかった。
 深大寺周辺のお得意様を訪問した、というより、訪問する先輩の後ろにただついていった、という方が正解。結局私はお得意様の前で、自己紹介するのが精いっぱいだった。
 先輩は5歳年上、主任。背が高く、職場内の女性からは、韓流スターに似ているとかで評判だった。が、仕事では厳しい先輩に、毎日びくびくしていた。今日もすでに全神経を使いきってしまった気がする。

 「いらっしゃいませ!」
威勢のいいおばさんの声が聞こえた。深大寺にあるお蕎麦屋さん。蕎麦つゆのいいにおいと天ぷら油の香ばしいにおいに、私は少しほっとした。
「俺、天ざる。清水さんは?」「あ、ざるそばで。」
 私は運ばれてきた水をぐいっと飲み干してしまった。
「喉、かわいてた?」というと先輩はクスっと笑いながら私の顔を覗きこんだ。
 「す、すいません!」私は慌てて下を向いてしまった。
 「いいんだよ、緊張するよな。すいません、お冷おかわりください!」
 蕎麦屋のテーブルは意外と小さくて、真正面に座った距離がとても近くに思えた。蕎麦が来るまでの間、先輩は、今日のお得意様のこと、これから社にもどって報告することなどを話していた。でも、私はあまり耳に入っていなかった。
近くで見る先輩の首、そして整った顔立ちにちょっと意識してしまっている自分がいる。
「お待ちどうさま」
運ばれてきた蕎麦に、はっと我に帰った。
「さ、食べよう。俺、ここの蕎麦好きなんだ。」
 先輩は箸を割ると、蕎麦を食べ始めた。
 (わ、きれい!)
先輩が蕎麦を食べる姿を見て、そう思った。箸で蕎麦を運ぶ姿、勢いよく、でも上品にすする姿。とてもおいしそうに食べている。私も一口食べた。
「まきちゃん、蕎麦はすすってたべるもんなの。その方が香りを楽しめるんだから。」
 学生時代付き合っていた彼氏が「ラーメンとかすする女ってやだな。」という一言から、麺類を食べる時は箸で少しずつ口に運ぶ癖が付いていた。
「え?香り?」
「そう、蕎麦とつゆの香り。」
 そう言って先輩はもう一口、蕎麦をすすった。
 学生時代の彼氏や友達は、みな箸の持ち方が悪かったり、肘をついたりしながら、おいしくなさそうに食事をしていた印象しかない。
 私は先輩を呆然と見てしまった。さっき、名字ではなく、まきちゃん、と下の名前で呼ばれていたことも思い出した。
 「どうしたの?食べなよ。」と先輩が笑顔を見せた。さっきのお得意様の前での営業スマイルとは違う、とてもいい笑顔。
その後はどんな話をしたか、蕎麦はどんな味がしたか、ほとんど覚えていない。ただ、先輩の箸を持つきれいな手つきは、はっきりと覚えている。

 その日から、私は仕事に打ち込んだ。足しげく深大寺に通い、蕎麦を食べた。先輩みたいに蕎麦をきれいに食べたい、蕎麦のおいしさをもっと知りたい一心で。精一杯自分を磨いて、先輩と蕎麦を食べるに相応しい大人の女性になることをめざして。

「藤木先輩、もうすぐ結婚するかもよ。」
「え~、ショック~!どうして知ってるの?」
「美人と一緒に、不動産屋で部屋を探しているとこ、見ちゃったもん。」
職場の女友達と行ったランチでの会話に、私は目の前が真っ白になった。
 先輩とは何度もお得意様回りに行ったけど、一言もそんなこと言ってなかった。それどころか、最近は二人でいると、「まきちゃん」と親しげに呼んでくれて、私もそんな先輩に答えようとがんばった。毎日がとても充実していたのに。

 日曜日、一人で神代植物公園に行った。ちょうどバラフェスタがやっていた。先週、先輩と営業していた時、バスの中に広告が貼ってあり、それを見て「薔薇かぁ」と先輩が呟いていたのを聞き逃さなかった。薔薇になにか思い出があるのかな?もしかして彼女が好きな花なのかな?
 そう思ったら、なぜか足が向いてしまった。
 明け方まで雨が降っていたので、綺麗な薔薇たちは花びらに露をつけていた。
 深紅の大きな薔薇が、まるでベルベットの生地のような花を見事に咲かせていた。
 (先輩の彼女って、こんな感じかな・・・)
 綺麗で香り立つ、こんな深紅の薔薇のような女性だろう。
 すぐ横に、小ぶりで薄ピンクの薔薇があった。私はこれかな?この薔薇にも届かないかな。鼻の奥がツン、とした。薔薇の香りは雨上がりのせいか、今の私には少し強すぎる気がした。
 散歩のあと、深大寺に蕎麦を食べにいった。あの日初めて先輩と行ったお店に。
 「いらっしゃいませ!」
 あの日と変わらない、元気のいいおばさんの声。
 私も今では、上手に蕎麦を食べられるようになった。箸の使い方も練習した。きれいに蕎麦が食べられるようになるために。先輩にふさわしい女性になるように。別の蕎麦屋にも入ったが、やっぱり先輩と初めて食べたこの店が一番気に入っていた。
 蕎麦を一口すすった。また、鼻の奥がツンとして涙で目が曇った。
(ワサビのせいだ、絶対に。)
 一人蕎麦をすすって泣いている女なんて、演歌にもならない。あわててバックからハンカチを出した。

 「いらっしゃいませ!」
 おばさんの声に顔を上げると、ガラガラっと戸を開けて長身の男性と若い女性が入ってきた。
 「先輩?」
 「あれ?まきちゃん、何してんの?って蕎麦食べてるのかぁ。」
 とびきりの笑顔で先輩は声をかけてきた。
 (彼女もいっしょだ!)
 私はほとんど食べ終わった蕎麦に目を移した。
 そんな私の気も知らず、先輩はすぐ横のテーブルに座った。
「一人で蕎麦を食べに来てるなんて・・・言ってくれれば付き合ったのに」
 先輩は無邪気に笑った。
 (彼女の前で何言ってんの・・・)
 私は、上目使いで彼女を見た。
「お兄ちゃん、彼女?」
 若い女性は先輩を冷やかすように言った。
「お、にいちゃん?」
 私は蕎麦猪口をもったまま手が止まった。
「はは!まぁ、ね。」先輩は白い歯を見せた。
「妹の朝子。就活で東京に来ててね、ちょっと面倒みてるんだよ。」
「お兄ちゃんがいつもお世話になってます!」
元気にあいさつをした女性は、どことなく先輩に笑顔が似ていた。

「お待ちどうさま!」
おばさんは天ざるを二つ、運んできた。
先輩と妹は、東京は郊外でも家賃が高いとか、女の一人暮らしは心配だとか、話している。(美人と不動産屋さんて・・・)
「お兄ちゃんって心配症なんだよね。」妹はちょっとむくれながら海老天を口に入れた。
「まきちゃんも飲む?」
いつのまにかコップが差し出され、冷えた瓶ビールを注がれていた。
「昼間のビールと蕎麦は最高だね!」と先輩は私に乾杯するそぶりを見せた。

私たちは店を出た。私はコップ一杯のビールで頬が赤くなっていた。
「じゃ、私はここで、約束があるから!」と妹は無邪気に手を振った。
「え、あの、ちょっ」と声をかけたが、妹は「じゃ!お邪魔しました!」と小走りにバス停へ向かってしまった。
 気まずい雰囲気と雨上がりの蒸し暑さと昼間のビールに、私はくらくらした。
「あのぉ・・」
「薔薇、見に行こうか。」
「え?」
「神代植物公園の薔薇、見に行こうよ。腹ごなしにさ。」
 (今、行ってきたとこ・・・)
 そう言おうと私は顔をあげた。先輩は私の手を引っぱった。
「まきちゃんの誕生月の花だもんな。」
「え?」
 誕生月・・6月の花は薔薇だったっけ。
「薔薇なんて、まきちゃんにはちょっと大人っぽ過ぎるけどな。」
 先輩はまた無邪気に笑った。いつものスーツ姿の営業スマイルとは違う。
「そんなこと、ないですよ!」
手を引っぱられて慌ててついていく。
 深大寺の参道は、初夏の太陽に照らされ、いつの間にか乾いていた。

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<著者紹介>
ばあと(東京都三鷹市 /41歳/女性)

神代植物公園は、昭和三十六年十月に開園して以来、一年を通じて、様々な花の観賞を楽しむことができる場所である。中でも、特に私が好きなのは「木(む)槿(くげ)」の白だ。夏の花、木槿は、例えば同じ夏の時期に花をつける向日葵(ひまわり)に比べてみれば、主張する態度、要素が極端に少ない。
まず、向日葵はご存じの通り植物の中でも有数の背の高さを誇り、花弁(はなびら)の黄色が鮮やかで、何しろ大きな花を太陽に向けて自らを、上へ周囲へと主張する。植物公園内の「一年草園」にも見られるような、一定量の向日葵が植えてある花壇は、さながら、我先に周りから抜きん出ようとする意志の集団であり、自らの背丈と大きさばかりを気にする主張の大群のように、私には見えてしまう。
一方、木槿の花は何と言っても可憐である。まず、どこが可憐なのかと言えば、その花弁である。咲いた花弁はどの色も淡く、私の好きな白い品種さえも、その白が淡く見える。花の中心に向かっては、やや遠慮がちなインパクトを醸し出した、これまた淡い紅色の輪の模様が確認される。そして何よりも、木槿という花は、向日葵のように一夏中咲いている花ではない。そこがまた可憐なのである。木槿は、次々に別の花が咲くため、人の目には夏の間、長く開いている花のように見られるかもしれない。しかし、その実態は、丑三つ時とも言える朝の早い時刻、太陽の昇る前に人知れず開花した後、夕方には奥ゆかしくしぼんでしまう、控えめな「一日花」なのである。
可憐に咲いた木槿は即ち、一般に短いと称される花の命を、そのまま運命的に背負ってしまった花なのである。

「ソミンさんは、どんな花が好きですか。」
二十年前の夏、調布にある大学に入り立てだった私は、六つ年上で大学院に在籍していた留学生、イ・ソミンさんに、淡い恋心を抱いていた。
「私は、この花、『無窮花(ムグンファ)』が大好きです。」
初めてのデートで歩く神代植物公園の、どこの入り口からも遠い場所にある「木槿園」に差し掛かったとき、微笑みながら、彼女は、うつむき加減でそういった。
「韓国では、ムグンファって言うのですか。この花は。私の発音、合っていますか?」
「ケンチャナヨ(=大丈夫)。」
「この花、日本では、ムクゲと呼ぶのです。韓国では「無窮花(ムグンファ)」は、どんな意味があるのですか。」
「韓国では、ムグンファは、国の繁栄を意味する花、国の花。国民、みんなから大変好かれています。」
「ソミンさん、この花のこと、とても詳しいですね。どうして、ムグンファは、韓国の国の花になったのですか。」
「質問ばかりですね。シンちゃんは。」
「ごめんなさい。自分が、日本のことも全然説明できないのに、ソミンさんに韓国のこと、聞いてばかりで。」
「思い出したら、少しホームシックに、なって来ちゃった。」
「ワタシ、変なことばかり聞いて、本当にごめんなさい。」
元々早口な私は、当時、ソミンさんと話すとき、わざと、ゆっくりとゆっくりと、はっきりと話をするようにしていた。来日して一年目だというのに非常に流暢に日本語を操る彼女だったが、私は彼女が外国人であることを意識して、できるだけ難しい日本の言葉を使わないつもりで話していた。少なくとも、自分はそういうつもりで話をしていたと思う。わざとらしく、ゆっくりだった私の口調は、もしもその場に他の日本人がいたら、きっと、自分のことをとんでもなく気障(きざ)な男だと思ったことだろう。十九歳の私は当時、彼女の前以外では、自分のことを「ワタシ」と言ったことさえなかったけれど。
「お寺の側(そば)の、涼しいところまで行って、座って少し休みませんか。」
また知った風な私がそういうと、
「はい。」
彼女は素直な目を見せながら、優しく応えた。
蝉の鳴く木陰の道を、潜(もぐ)るように深大寺門の方に抜けて、私たちは屋外の席でも涼しげな風が通る蕎麦屋「多聞」まで足を運んだ。
  私は、二人で冷たい餡蜜を食べながら、できるだけ彼女を悲しませたり怒らせたりしないように、ムグンファの話の続きができないものかと頭を掻いていた。私は話のつなぎのつもりで、大学のゼミや自分の故郷のこと、東京に来て、一人暮らしを始めて気づいたことなど、やはりわざとらしいほどに自らの口をはっきりと開けながら話した。しかし、何よりも彼女のこと、そして彼女の国のことを知りたかった。
「シンちゃん、サークルは、どこに入ろうと思っているのですか?」
「シンちゃんはぁ、早口なので、きちんとした発音で、ゆっくりと話ができるようになるため、弁論部に入ろうと思っています。」
もはや、ロボットのようになった私の口調に、彼女は、その小さい丸い顔を、もっと小さくしながら笑った。これで良し。
「ところで、少し、先ほどのムグンファの質問をしても、構いませんか?」
「ケンチャナ、ケンチャナ。」
彼女は、朝鮮王朝時代、ムグンファが、朝鮮の高級官僚合格者に対して国王が御賜花として授けていた花であったこと、また、朝鮮国王が出席する宴会では、臣下たちが部屋の隅にムグンファを生けて、それを王と臣とをつなぐ信義のしるしとして扱っていて、そこから国の花として定着するようになったことを話してくれた。
「本当に自分の国のこと、ソミンさんは良く勉強しているのですね。感心します。」
「シンちゃんだって、外国に行けば、日本のことを話さなくてはならなくなるでしょ。きっとそうなるでしょ。」
「確かに、ソミンさんの、おっしゃるとおりだと思います。」
 「ムグンファは、韓国が、いえ朝鮮の残してきた時代が、そのまま感じられる花だと思います。」
「といいますと?」
「ムグンファは、無に窮(きゅう)する花と書くの。それは、日本語で考えても同じ意味。無に窮する、何も無いことに困るくらいのたくましさを持っているわけ。ムグンファは朝早く花を開いて、開いた花は午後にはしぼみ、日が暮れると落ちてしまいます。毎日毎日、夏の間、それは咲いては散る花なのだけれど、夏から秋まで百日もの間、途切れることなく次々と咲く花なの。一つの花の花びらは一日だけで、その花自体は無くなってしまうのだけれども、次々に咲いてくるから、ムグンファの種(しゅ)は死んではいないの。力強く種が続くことが判るわけ。それが私たち朝鮮民族の歴史と重なっていると思います。」
後から聞いた話だが、無窮花は本当に非常に強い花で、枝を切って地面に刺しておくと、いつの間にか根づくらしい。それくらい、その生命力は強い。
「だから、韓国人は、日本人より強いのよ。」
「きっと、そうだと思います。ソミンさんを見ていると、そう思います。」
彼女は、日本から日本の奨学金で招聘された国費留学生だった。受験競争の激しいソウルの学生時代を優秀な成績で過ごし、狭き門を通り抜けて日本までやってきていた。日本の地方で平々凡々と生活してきた自分の何倍も努力をしてきたことだろう。その証拠が、自国のことを異国の言葉でしっかりと説明できる話力に現れている。
「シンちゃん。だから、シンちゃんとは、もうこれっきり。私は、日本では好きな人は作らないことに決めているから。」
最初のデートの中盤で、私の東京での初めての恋は、幕が閉じられてしまった。まだ、追うことができないわけでもなかったが、ムグンファの散り際の潔さを考えれば、これはスパッと断念するのが心地よい。
「ソミンさんという、可憐な人に出会えただけでも、自分は幸せです。スッパリとあきらめます。」
そのとき、初めて彼女に対して、何の意識もせずに自分の使いたい日本語が使えたような気がした。
「ソミンさん、最後に、もう一つだけ質問させて下さい。ソミンさんの嫌いな花はありますか。」
「そう、嫌いな花、嫌いなのは紫陽花(あじさい)。だから、シンちゃんには紫陽花にはならないで欲しい。」
「難しいですね。どういう意味ですか。」
「全然難しくない。紫陽花は日本では雨の日に綺麗に咲く花だけど、それだからかもしれないけれど、冷たい花なの。紫陽花の花言葉、『冷淡』だって、知らなかったでしょ。」
「全く、存じ上げませんでした。」
「シンちゃんは、私のことを気にして、一生懸命に簡単な日本語で話をしようとしてくれていた。そのこと、良く分かります。そんなシンちゃんには、これからも紫陽花にはなって欲しくないの。」
彼女は私のことを、全部判っていた。そのことが改めて彼女への恋心を断ち切るに当たっての障害になってしまいそうで、自分は俯(うつむ)いてしまった。
木槿の花言葉は「信念」だという。彼女は翌年の春、電子工学の博士課程を卒業した。今、祖国で大学教授となって最先端のエンジニアリングのアドバイスを企業に行う職務に就いているという。結婚しているかどうかは知らないが、きっと幸せに違いない。

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<著者紹介>
波岡 洋(東京都小金井市/39歳/男性/公務員)

 成田空港からのリムジンバス直行便は、香織の実家がある調布に向かっていた。朝からやる気満々に昇った盛夏の太陽が、左側の景色を鏡のように反射させている。香織は車窓に流れる景色をぼんやり眺めていた。田園風景はやがて住宅密集地に変わり、次第に高層ビルやタワーマンションの数を増やしていった。首都高速を滞ることなく進んでいるから、昼頃には予定どおり着くだろう。駅には父が迎えに来てくれているはずだ。

香織は滝沢家の長女として調布市佐須町に生まれた。地元でも知られた旧家である滝沢家は、代々農業を営み、周辺に相当な土地を所有している。祖父の代から資産活用の都合で建築業も始めたが、今でも庭先では点在して残る畑で収穫された野菜を売っている。広い敷地に建つ緑に囲まれた実家は野川の近くにあり、香織は閑静な住宅街の、自然豊かな恵まれた環境の中でおおらかに育った。
柏野小学校から第七中と地元の公立を進み、高校は都立三鷹高校に学んだ。近隣の裕福な家庭では小中学校から私立に行かせるケースが多いのだが、郷土意識の高い父はあえて公立にこだわり、香織は素直にその意に従った。
外国語大学を卒業後、外資系企業に就職し、天王洲のオフィスに勤務した。仕事にも慣れた二年後、本社があるシアトルへ異動の内示をもらった。研修を兼ねた期間限定の海外転勤だったが、両親は猛反対した。しかし、親元を離れ、一人暮らしの機会を自ら申告していた香織は、これに屈せず、単身アメリカに渡った。従順だった大事な一人娘が家を出て、しかも遠い異国に行ってしまったことに強いショックを受け、頑丈が取柄の父は数日間寝込んだという。母はすぐに、自分のやりたいことに邁進する娘の成長を喜び、子どもの親離れを内心では頼もしく思ってくれた。が、それでも父の心配と虚脱を察して、母からの国際電話やメールはほぼ毎日のようにあった。
あれから約一年半。仕事と休暇と祖母の七回忌がちょうど重なり、二週間余りの、初めての帰国となった。

家族やご近所、同級生などの歓迎攻めと仕事の処理などで、当初の昼食と夕食は友人や同僚と共にする日が続いた。早送りの映像のように慌しく多忙な数日が去り、ようやく休暇らしい落ち着いた時間を取り戻した香織は、母の手料理を味わい、実家で家族とのんびり過ごすことに専念した。
ある日は、弟のマウンテンバイクを借りて、市内をゆっくり散策した。
大きな空の下、開かれた視界の先に、おもちゃのような飛行機が離着陸する調布飛行場があった。飛田給のスタジアムでは、なでしこリーグの女子サッカーの試合が開催されていた。多摩川に出ると、河川敷の球場で少年野球の熱戦がくり広がられていた。サイクリングロードを下り、市のテニスコートがある堰の辺りからは、多摩丘陵の遊園地に立つ観覧車の奥に、うっすらと蒼い輪郭を描く富士山が見えた。街には新しいマンションや戸建てが増え、馴染みの店の入れ替わりもあったが、街の風景はほとんどそのままだった。
春になれば、多摩川住宅沿いの土手や野川の両岸に美しい桜が咲き、夏になれば、市民プールに子どもたちの歓声が響き、秋には高尾山の方角に大きな陽が落ちて、調布の空を夕焼けに染め、冬になると、雪やスキー板を載せた車両が中央高速道を行き交うのだろう。
些細な変化を探して嘆くよりも、変わらぬ大きなものを確認して安心したい。香織はそんな心境になって生まれ育った調布の街と接していた。それは、懐古や郷愁といった感傷ではなく、今の自分の土台を作ってくれた場所が、たった数年で脆弱に変容してほしくない敬愛のようなものといえる。

 帰国して一週間が経った日、伯母から電話があった。伯母は活発かつ豪快な自由人で、若かりし頃のかなりのお転婆ぶりには父も随分手を焼いたらしい。今は祖父から相続した調布ヶ丘の家に住み、空いている部屋を貸して悠々自適に暮らしている。その下宿に、最近、電気通信大学に通う一人のアメリカ人留学生が住み始めたそうだ。
 「深大寺に行きたいと言っているが、私はもう若い人と同じに歩けないし、英語で案内できないから、あなた、代わりに付き合ってあげてくれない」。そういう用件だった。香織のアメリカ行きで滝沢家が大騒動になった時、伯母は加勢し、熱心に後押ししてくれた。その恩義もあって断れない。
だが、香織にとって、深大寺は鬼門だった。幼稚園の遠足で神代植物公園に行った時、バラ園で蜂に刺され、頭が漫画のように腫れ上がった。小学生の時、水生植物園で遊んでいたら、誤って池に落ち、溺れそうになった。中学の時、バスケットボール部だった香織は深大寺に隣接する総合体育館で試合に出場し、対戦相手のロングパスを阻止しようとして、ボールを顔面で受け、そのまま真後ろに倒れ気を失った。最悪なのは高校の時だった。初めて同級生とデートを約束し、深大寺に行った。山門をくぐり、本堂や元三大師堂、深沙大王堂などを参拝し、門前を散歩した。ここまではいい感じだった。名物のお蕎麦を食べようと店に入り、蕎麦をたぐった時、悲劇は起きた。不吉な予感と初デートの緊張の余り、蕎麦を中途半端にすすって、むせてしまい、激しく咳き込んだら、蕎麦が一本、鼻から出てきてしまった。以来、香織は一切、深大寺およびその周辺には立ち入っていない。毎年、家族で初詣に行っていたが、それも拒絶した。「何が縁結びよ」。同時に、その日から香織は恋愛にも臆病になった。
 なのに、初対面の留学生を連れ、深大寺を案内しなければいけない。困った。憂鬱で体が岩のように重たくなった。
次の日。伯母は留学生とともに現れた。彼の名はパトリック。本人の発音が伯母には「ハットリ君」と聞こえるらしく、伯母はハットリ君と呼んでいた。パトリックは何度も訂正したそうだが、もう諦めたと言った。気さくで明るい大きな好青年だった。

「何も起こりませんように」と香織はひたすら祈った。
二人はまず野草園へ出発した。ここは中央道を挟んだ東南の深大寺自然広場にあり、小さい頃、蛍を観に行った公園だ。周辺は自然のままの鬱蒼とした湿地帯になっている。
深大寺へと続く急な坂を登り、中央道に架かる歩道橋を渡り、住宅地を抜け、三鷹通りに出て青渭神社に着いた。パトリックに参拝の方法を教え、深大寺の本堂の裏をめぐる路を歩き、神代植物公園を見学し、自由広場で休憩した。武蔵野の原生林が時空を超えて残り、大きな樹木の葉が幾重にも覆い真夏の陽光を遮っていた。時折、心地よい風が吹き抜けていく。蝉の鳴き声も元気だ。
少し汗が治まった頃、武蔵境通りの近くを迂回し、深沙の杜から深大寺へと向かった。深大寺は以前と変わらず賑わっていた。日本の自然・伝統文化・歴史に興味関心がいっぱいのパトリックは、道中、「素晴らしい!」を大袈裟に連発している。地元を褒められることが、あたかも自分が褒められているようで、うれしく誇らしかった。 
ただ難儀なのは、いろんな質問を浴びせられることだった。シアトルでも日本について、あれこれ聞かれるが、どれも基本的な話題で返答は容易かった。しかし、来日するほどの親日家であるハットリ君は知識も豊富で、そのうえでの質問だから、じつに手強く厄介だ。「深大寺と神代は同じ発音なのに、なぜ異なる漢字なのか」。「万霊塔とは何か」。等々。
英語が話せることと、話せる中身を持っていることは全然違う。語学ができても、話せる教養がなくては意味がない。忌み嫌っていた深大寺のことだとしても、自分の引き出しの空っぽさに香織は恥じ入った。
門前のお蕎麦屋さんで食事をした時も、パトリックの好奇心に充ちた質問は続いた。香織は答えに窮し、下を向いて黙った。その様子を見て、横の席の男性客がさりげなく間に入ってくれた。パトリックの知りたい疑問に的確に答え、それを英語でわかりやすく説明した。流暢な英語ではなかったが、内容は充実していた。三人の会話は弾んだ。
親切な男性の博識のおかげで、パトリックの深大寺ガイドは無事に終わった。帰り際、彼は香織に名刺を差し出し、自己紹介した。名前は渡部和哉とあった。深大寺の近くにある国立天文台で観測や研究の機器開発に携わる技術職員で調布駅に近い布田に住んでいるという。年齢は香織の1つ下。独身なので休日にはよく一人で深大寺近辺を訪ね、蕎麦を食べ歩いていると笑った。
 香織は胸の奥深くで発熱するのを感じた。パトリックに感じた友情のような親近感とはまったく別の微熱だった。
夏の朝、水面を出た蓮の花は、突然、ポッと音を立てて咲くという。
夜、滝沢家で夕食を囲み、パトリックは満足気に伯母と帰って行った。楽しく有意義に過ごした濃厚な一日だった。香織は、深大寺を見直し、愛着をもった。不運続きだったが、ほんとは元々好きだったのかもしれない。

香織がシアトルに戻る前々日、祖母の七回忌が行なわれた。集まった親戚は口々に香織の結婚を話題にした。笑顔でかわしつつも、そろそろ封印を解いてもいい時期かと香織は思い始めていた。翌日。その第一歩になるかもしれない電話を渡部にかけた。
恋愛は不思議な引力をもつ。どんなに遠くに離れていても、縁ある男女は運命の糸に操り寄せられ、いつか出会い結ばれる。

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<著者紹介>
望月 吾妻(東京都調布市/53歳/男性/自営業)

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