学校帰りに駅のホームでばったり、同じクラスの橋倉梢に会った。梢は俺の顔を見るなり、傘を小さく振りながら、満面の笑みで近づいてきて、いいところで会った、と言った。
「これから深大寺に行くんだけどさ、一緒にどう?」
 なんだよ深大寺って、と俺が訊くと、梢は目を丸くして大げさに驚いたあと、気を取り直すようにして言った。
「帰り道だからさ。どうせ家に帰ってもすることないでしょ?」
 昼過ぎから降り出した雨は相変わらずしとしとと降り続けていた。そのおかげで今日はサッカー部がなく早く家に帰れるのだった。
 梢によると深大寺というのは調布にある縁結びで有名なお寺らしく、ここ中央線立川駅から荻窪の自宅に帰る途中に、三鷹で降りてバスに乗って行けるらしい。俺も梢も地元は同じ荻窪で、小学校からの腐れ縁なのだった。
「お前、俺と縁結びしたいわけ?」ためしに訊いてみたら、梢は「キモイこと言わないで」と吐き捨てるように言った。
 夏休みを前にしたころで、高校生活にも慣れてきたせいか、周囲がバタバタとあわただしくなっていた。梢もその例外ではなかったようで、野球部の大野先輩とやらと明日の土曜日にデートする約束をとりつけたらしい。
「どうしても大野先輩と会う前に深大寺で縁結びの神様にお祈りをしておきたくて」
 梢の話を聞いている途中で心臓がどくんと鳴った。線路を挟んだ向かいのホームに坂田美雪の姿を見つけたからだ。坂田美雪の方でも、顔を上げて俺を見た――気がしたが、ホームに入ってきた新宿行の電車が視界を遮ってしまった。
 電車に乗り込んだあとも、梢の話を聞き流しながら、窓越しに坂田美雪の姿をちらちらと見ていた。坂田美雪は文庫本に目を落したまま結局一度も顔を上げなかった。
 
 俺は三鷹駅で梢とともに途中下車した。車中、梢に滔々と語って聞かされた、深大寺縁結び大社の力に賭けてみたくなったからだ。
 ロータリーに深大寺行のバスが到着したころには、雨脚がだいぶ強くなっていた。
 雨粒に車体を叩かれながら、バスはざぶざぶと水をかくようにして走った。七月の、まだ夕方も早い時間だというのに、厚く垂れこめた雲のせいで外は薄暗く、水しぶきをあげて走る車はみなヘッドライトをつけていた。
「深大寺っておそばでも有名なの。お寺の周りにおそば屋さんが軒を連ねてるんだって」
 俺は窓ガラスにたれる水滴を見るともなく眺めていた。
「腐れ縁っていうくらいだから、やっぱり縁にも鮮度みたいのがあるんだろうねえ。縁結びしてもらったあとの縁っていうのは、やっぱり新鮮なんだろうなあ」
 そんなことを梢がぶつぶつとつぶやいていた。
 二十分ほどバスに揺られて、俺たちはようやく目的の深大寺に到着した。バスを降りた瞬間に、遠くで雷鳴が鳴った。それを契機に雨はいよいよ激しくなった。とにかく境内を目指そうと、俺たちは看板の地図を頼りに、車道から石畳の敷きつめられた路地に入った。
「へえ、すごい」
しばらく雨のことも忘れて、俺と梢は住宅街にぽっつりと現れた風情ある街並みに、口をそろえて感嘆の声を上げた。学校を出てせいぜい四、五十分ほどなのに、どこか遠い所に来たような、不思議な錯覚に陥った。
 問題は人の姿がまったく見えないことだった。ひっそりとしずまり返った界隈で、雨だけが激しく音を立てながら石畳を打ちつけている。立ち並ぶそば屋はみな店を畳んでいた。
 豪雨のせいではなかった。
 午後、五時二十分。
 すでに閉門の時間を回っていたのだった。
「ごめん、ちゃんと調べとくんだった」
ようやく梢がつぶやいた。
「いや、ついてきた俺がバカだった」
「大丈夫、まだ境内には入れるみたい!」
 俺の愚痴をかき消すように梢が大きな声を上げて小走りに駆けだした。こうなればやけだ、と俺も傘を閉じて梢のあとを追いかけた。        傘をさしていたところで、風にあおられ生き物のようにうねる雨が四方から襲い掛かり、びしょ濡れになるのは避けようがなかった。
 濡れ鼠で境内をかける俺達を、おみくじ売場らしい小屋の中から、二人のお坊さんが目を丸くして見ていた。
 本堂前の軒下に転がり込むと俺たちはようやく人心地ついた。
「よかった。参拝できるよ」
同感だった。
 梢は賽銭箱に五百円玉を投げ入れた。もったいない、と俺が咎めると、梢は満面の笑みで言った。
「あんたにおごるつもりだったおそば代」
 梢は両手を合わせ、目を閉じて祈りはじめた。
 躊躇したが俺も五百円玉を放った。それから梢と肩を並べるようにして、坂田美雪のことを真剣に祈った。さっきホームであったばかりの、目鼻立ちの整った白く小作りな顔を思い浮かべて、胸がうずいた。
 参拝を終えた俺たちは身をひるがえして境内を横切り、山門を出て今度はそば屋の軒下に駆け込んだ。
 梢は鞄からハンドタオルを取り出し額や首筋を軽く拭いた。それから梢はタオルを絞って水を切ってから、
「使う?」と俺に差し出した。
 少し逡巡したが、結局俺はそのタオルを受取り、顔と髪を遠慮なくごしごしと拭いた。それから梢がそうしたように、タオルをきつくしぼった。ボタボタと水が垂れた。もう一度同じ動作を繰り返した後で、梢にタオルを返した。
 それからずいぶん長い間、二人で雨を眺めていた。
 まるで二人きりで時空のはざまに閉じ込められたみたいだ、バチバチと音を立ててきらめく稲妻に驚かされながら俺が言うと、「大丈夫、ここは調布だから」梢が真顔で答えた。
「通り雨かな」梢が言った。
「いや、嵐だよ」俺は答えた。
濡れ鼠になり体力を奪われたせいか、家路につくのがひどくかったるく感じられた。梢も同じ気分だったのだろう。何度か小さくため息をこぼしていた。
「で、あんたはちゃんと坂田さんのことお祈りした?」
 空を切り裂くような激しい雷鳴が轟いた。
「あんたも男ならさ、当たって砕けろでしょ。大丈夫、深大寺の神様がついてるから!」
「うっせーよ!」
 思わず大きな声を上げてしまった。梢はびくんと体を震わせた。
 たぶん、梢に分かったような口を聞かれたのが癪にさわったのだ。ややしばらく沈黙の後、梢はおそるおそる口を開いた。
「坂田さん、超絶可愛いから、意外と分かんないよ」
「どうして?」
「男の子たち、みんな距離を置いてる感じでしょう? 坂田さん自身も、わりと引っ込み思案な感じだし。あんたみたいのが、急に言い寄ったら、意外と喜ぶと思うけどな」
 帰路、俺たちはほとんど口をきかなかった。俺の頭の中は坂田美雪のことでいっぱいだった。梢の頭の中もきっと大野先輩のことでいっぱいだったに違いない。
 別れ際に梢が、思い出したように、「今日はありがとう」と言った。俺も思い出したように、「デートがんばれよ」と返した。

 その翌日、梢は予定どおりに大野先輩とデートをした末に、「まずは友達からはじめましょう」と丁重に断られたらしい。風邪気味で本調子じゃなかった、などと強がっていたが、人並みに落ち込んでいたのは確かだ。

 一方、俺の方はといえば、梢に言われたことを何度も反芻し、とうとう意を決して、坂田美雪にコクって、見事に玉砕された。
 身長百六十センチしかないニキビ顔の俺には、初めから叶うはずのない恋だった。分かっていても、俺は体重を五キロ落とした。学校に行くのが苦痛だった。申し訳なさそうにしてすり寄ってくる梢を、俺はしばらくの間無視し続けた。

「土砂降りの雨の中、わざわざお参りに行ったのに、神様も非情だな」
 ようやく心の傷が癒え、三か月ぶりに梢と会話を交わした俺は、そんな愚痴をこぼした。
 梢は真顔で答えた。
「やっぱり開門してる時間じゃないとマズかったのかもね」

――エピローグ
 俺は高校を出たあと仙台の大学に入り、そのまま仙台の企業に就職した。
 この春で、二十七歳になった。
 祖母の見舞いに、久しぶりに帰省したついでに、十年ぶりに訪れた深大寺は、参拝客でごった返し、界隈にはそばを求める人々であちこちに行列ができていた。
 晴れ渡った空の下、店の軒先で、赤い布のかかった長椅子に座り食べる深大寺そばは、信じられないくらい美味かった。
 例の散々な思い出のことを話すと、そばをすすっていた妻は顔を上げて、
「あんた、そんな昔のこと、ずいぶんよく覚えてるねえ」と目を丸くした。
 どうやらここの神様は縁結びの相手を間違えたのかもしれないな、と考えて、俺は思わずふき出してしまった。

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<著者紹介>
旭川 今日子(東京都杉並区/30歳/女性/主婦)

 訪れるのは何年ぶりだろう。辰彦は改めて重ねられた年月を数えてみた。あえて避けてきた部分もある。辛いというより、切ない想い出の方が強いからだった。漸く気持ちも落ち着き、その気になった。
『むさし野深大寺窯』と書かれた焼き物の店の前に立ち、何気なく並べられた沢山の焼き物を見ていて、「おやっ」と思った。その一つに眼が吸い寄せられた。本焼きのほっそりした花瓶。真紅の薔薇一枝が描かれ、〈薔薇にほふはじめての夜のしらみつつ〉という句が端正な文字で添えられ、「平成二十一年三月、凛子書く」とあった。句の作者は西尾榮子。
 この句を選んだとすれば、雨宮凛子の可能性が高い。彼女は三月にここに来ていたのだろうか?もし、そうだとしたら・・。
「この花瓶はどうしてここに・・?」
 辰彦が、応対に出てきた店の男性に聞いた。
「ああこれですか・・。本焼きにして欲しい、というので、焼いたのですが、未だ引き取りに来られないもので・・」
「取りに来ると・・?」
「ええ、楽焼だと二〇分ほどで焼き上がりますけど、本焼きにすると最短三日から一週間ほどかかります。宅急便でお送りすることが多いのですが、受け取りに来たい、というお客様のご希望でしたのでね」
「なるほど・・。でも、もう五月ですよ」
「ええ・・。二ヶ月近くというのは少し遅すぎるかなあ、と」
「連絡は取られたんですか?」
「ええ、受け付けのとき、住所と電話番号をお書き頂きますのでね」
「なるほど・・?」
「連絡したのですが、現在はそこに住まわれていないみたいで・・」
「連絡が取れない・・?」
「失礼ですが、あなたはこの絵付けをされた方にお心当たりでも・・?」
「確信があるわけではありませんが、かつて、俳画に堪能で、この句に心当たりのある女性がいましてね・・」
「じゃあ、その方かも・・。タウンファッションの似会う素敵な方でした。よく覚えているんですよ。普通だと、まず店に入るのに躊躇され、絵付けも、何を書くか迷われる方が多いのですが、その方はスッと店に来られて、迷うことなくこの花瓶を選ばれ、句も絵も何の躊躇いもなく描かれたので・・」
 相当な技量の持ち主と分かった。だから、取りあえず見本として飾らせて貰っているのだ、と。凛子に間違いない、と辰彦は思った。
「なるほど。その女性が書いた住所と電話番号、もし宜しかったら見せて頂けませんか?」
「通常はお見せ出来ないのですが、連絡つかないのでは隠す意味がありませんから・・」
 店の男性は、奥から受付の書類の綴りを持って来て、その部分を見せた。
「あっ」と辰彦は声を漏らした。
「何か・・?」
「連絡が取れないはずです」
「どういう意味でしょう?」
「これ、五年程前になりますが、私が住んでいたアパートのものですから」
「何ですって・・!」
 男性は目を丸くして辰彦を見た。
「やっぱり、私が思っていた人だったようです。消息を知りたい、と思っているのですが・・残念ながら、現在の住いも連絡先も知らないのです。」
「そうでしたか・・。品物を預かっている手前、何か手懸りでもあれば、と思ってお見せしたのですが・・」
「あくまで、私の推理ですが、この女性、必ずここに来ると思うのです」
 辰彦は、そう言い、「私も絵付けしたいのですが・・」と店に並んだ大皿の中から、ふっくら厚みのある一つを選び、〈あねいもと性異なれば香水も〉と吉屋信子の句を書き、小さな香水の壜の絵を添え、ラベルの部分に「paco」と書き入れ「本焼きでお願いします」と言った。パコラバンヌのメタルは凛子が愛用していた香水だった。
「やはり、受け取りは店で・・?」
 店の男性は苦笑いしながらそう言った。
「ええ・・。さ来週の日曜受け取りに来ます。出来れば、あの花瓶と、並べて展示しておいて頂ければ有難い。お代はいくら・・?」

 牧丘涼子から妹の凛子を紹介されたとき、辰彦と凛子は同時に「アッ」と声を挙げた。
「あなた方、姉妹だったんですか・・」
「あら、お知り合いだったの?」
「ええ、まあ・・」
 涼子から都心のホテルの和食処に誘われた。辰彦は気が進まなかったが、『断るのも悪いかな』と考え直し、仕方なく来た。
 男と女に真の友情は生まれない、とは先人の言葉だが、辰彦は、涼子に友情以上のものを感じたことは無かった。逆に、凛子とは、『人生を共に歩みたい』と考えていた。
 逆に涼子は辰彦に特別の感情を抱いていたのだろう。だから、家族紹介の積りで妹を誘い、食事に招いたに違いない。それが選りによって凛子だったとは。食事会は重い雰囲気に終始した。

 凛子とは、ある絶好の行楽日和の休日、深大寺の波郷の墓の前で偶然出会い、門前の蕎麦屋の混み合う店内で、また相席になり、親しくなった。互いに句帳を手にした初心者、というのもきっかけとしてあったと思う。そこで互いの句を見せ合ったのだから。
 辰彦はサラリーマン。ギスギスした世界に生きる反動として、潤いを求め俳句を始めた。
 凛子は中堅のグラフィックデザイナー、或るデザイン事務所に勤務していたが、プラスαを求め、俳句の世界に足を踏み入れた。
 知り合ってから交際は順調だった。偶の休日には、誘い合ってあちこち吟行に出かけ、その場で二人だけの句会を催した。
 その一つ、洗足池の勝海舟夫妻の墓所の近くの公園を散策しながら、辰彦は「一緒に暮らしませんか」とプロポーズした。凛子は「嬉しい」と短く答えた。
 涼子から食事の誘いがあったのは、それから間もなくのことだった。
 俳句は『座の文芸』と言われる。辰彦は住いの近くにあった『さがみ野句会』に参加。会の幹事が涼子だった。年齢は一つ下だが、俳句の世界では、面倒見のよい先輩だった。句会では、参加者が互選した句の講評を行う。
 不思議なことに、涼子はよく辰彦の、自分では初心で拙い、と思うような句を選び、辛辣だが、的確な評を下す場面が多くあった。
「いつも拙い句を選んで頂いて恐縮です。自分でもここが、という箇所を的確に指摘して頂くので有難い」と謝辞を述べると、「フィーリングが合うのかしらね」と笑った。そんなことが重なり、親しくなったが、辰彦には『俳句の世界』での先輩、という以上の意識はなかった。一方、涼子は辰彦を真剣に愛し始めていた。凛子が、そんな涼子の気持ちを知り、悩んだのは事実だった。
 辰彦の、凛子に対する想いに変わりはなく、それを今一度確かめ合う必要を感じていた。そこで、週末の土日を利用し、凛子を秩父への一泊旅行に誘った。
「一緒に暮らしたいのは君なんだ」
 長瀞のホテルから続く遊歩道の先の潅木の森の中で、辰彦は凛子をそっと抱き締め、柔らかく接吻した。凛子の眼から涙が零れた。
 そのときだった。ふと、背後に視線を感じ、辰彦は歩いて来た道に眼をやった。そこに信じられないものを見た。涼子が、哀しみとも、怒りともつかない複雑な表情で、呆然と立ち尽くしていたのだった。
 涼子が睡眠薬自殺を遂げたのは、それから一週間後だった。
〈姉とは、父親が違う姉妹、苗字も違ったけど、それ以上に、『負けたくない』という気持ちが強かったように思う。私が俳句を始めたのもそうだし、姉が皮肉にも恋人としてあなたを紹介したのも、そう。その姉が私とあなたの関係を知り、プライドを傷つけられ、悲観して自殺した。私は恋の勝利者になった。でも、あなたとこのまま、何の躊躇いもなく結ばれるのは、許されない気がする。気持ちの整理がつくまで、考える時間を貰えないだろうか〉
 凛子はそう言って辰彦の前から姿を消した。
 あれから五年あまりが経った。
 花瓶に認めたのは二人で過した秩父の夜、凛子が口ずさんだ句だった。その凛子が、二人が初めて出会った場所に来て、その句を書き、真っ赤な薔薇を描き添えた。その行動は、心に渦巻く姉への蟠りが解け始めた証拠なのではないだろうか。真紅の薔薇は辰彦が凛子の誕生日に、ささやかなプレゼントと共に届けた花だった・・。

「あなたの予想どおり、あれから間もなく、あの方、花瓶を受け取りに見えました。それで、あなたのお書きになった絵皿を見ると、思わずニッコリ頬笑んで、『やっぱり見えたのね。忘れていなかったんだわ』とおっしゃって。来られたとき、少し暗い顔つきだったのが、パッと明るい表情をされて・・」
 こないだと同じ男性店員が言い、飾ってあった辰彦の絵皿を、丁寧に箱に収めた。
「それはよかった」
「それで・・。あなたが見えたら、これを渡してください、と言われまして」
 男性は、辰彦に封筒を手渡した。
〈待って待ってわたしの洞を血が削る〉
 小ぶりなメモ用紙に、彼女が尊敬する上野千鶴子の無季の句が書かれ、「ご迷惑でなければ、次の日曜日、初めてお会いした時間、波郷のお墓の前でお目にかかれれば幸いに存じます」との言葉が添えられていた。


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<著者紹介>
相原 文生(神奈川県相模原市/70歳/男性/業界紙編集委員)

 雨。境内。緑。好きなだけ眺めている。感じている。彼は時間の感覚を無くす。在るとすれば、世界の境界も無くす。私を夢中にさせる。
遠慮がちに弱く優しい速さで落ちて来る水。その粒は透き通っていて、無言のくせに踊るよう。濡れて、潤う。色を縁取り、映るそれがより濃く見える。そして私は、しっかりと意識が在るはずなのに、温度が感じられなくなる。水路に流れる水の音。誰かが歩いて響く砂利の音。それと中学生だろう団体へ、何か説明をしている穏やかな声が聞こえた。
説明が終わったらしく、家に帰るまでが遠足です。と背の低い男子生徒が言っていた。

いつもこんなに鮮やかに過ごせてたらいいのに。

「そう、思ってるんでしょ?」康成の隣にしゃがみ、滴る葉を見つめながらそっと呟いた。
「何?いきなり?」
「...。」
詩的に描いた私のイメージは、康成のそっけない一言にあっさり砕け散った。雨だから出かけるのを渋った私に、「雨だから、雨の方がより一層きれいだから、雨の日じゃいないと味わえない雰囲気があるから」なんて言われて、必要以上に浮かれていた私は恥ずかしくなって腹が立った。そんな気持ちを知らない康成は続けやがった。
「あーもしかして、植物見つめる自分って素敵って思ってるかってこと?買い物とか、買った商品を使ってる自分想像して、その自分が素敵だと思うから買い物するって話。気にしてんのか?」
宣戦を布告しているのか、単に天然なのか、とにかくイラっとした。
「違うわよ。確かにその話は聞いた時イラってしたけど、そうじゃなくて...、そう...じゃなくて、なんで雨なのに来たのよ?あーそう言えば前に来た時も雨だった。」
どう違うかについて私は説明出来ないと悟って話しを変えた。それとなぜ夢の無いことばかり言う康成がお参りに誘ったのかも気になった。
「あー、雨だったねー。図書館閉まっていたときでしょ?」
そうだった。その時は先に図書館に行こうと誘われて、なんと図書館は定休日だった。一週間のうち一日しかない休みの日を引き当てる強運に感心した日。振り回すくせにまったく無計画!が、私の時間を振り回し始めた記念すべき日。
「雨なんて気にならないけどね。」
えっへん!と書いてある顔だった。
「いやいや、そこじゃないよ?定休日だったことが問題なんだって。それにいくら気にならないからって、天気予報くらいは見なさいよー。」
「おっなんだなんだー、乙女特有の昔のこともひっくるめて不機嫌になっちゃうぞーってやつかー?」
 まだ言いたいことがあったけれど、割り込まれてしまった。
「そうやって女ってそういう生き物なんだろ?って決めつける人、モテないわよ。」
「べっつに良いもん。モテたくてモテそうな性格にする人より、ワガママの方がモテるんだもん♪」
 いつもあー言えばこー言うで皮肉なんて通じない。それと結局はモテたいと言っているのか、考えるのが面倒になってきた。それに康成の予測通りに不機嫌になるのは、かなり嫌だ。
「そう言えば話変わるけど、そんな風に昔から気取らなかったわよね?康成は。ぜんっぜんっ可愛くないけど。それに普通彼女にモテないよって言われたら、『君以外に好かれる必要がないからー』とか『君ならそんな僕でも好きでいてくれるよね?』なんてセリフを言うところなんじゃないの?そのまったーく気取らない潔さは見習いたいと思うわ。」
結局いつもの様に、そんな康成が好きよって伝わって欲しいと思いながら言った。
「そうだ、実はさ、そのことなんだけど...。」
珍しく照れている?様子だった。
「さっきもごめんね。」
少し間を置いて康成が謝った。私は全く意味がわからなかった。そりゃ彼の言動はいつも予想外だけど、謝っている、何を?康成はいつもよりも少し優しい声で続けた。
「前に来た時の帰り際、覚えてる?」
「う、うん。そりゃ初めて...、手繋いだし、覚えてるよ?抱きしめてくれたことも...。」
当時と同じでなんだか恥ずかしくなった。
「ハンドとホールドのスペル、最後が同じDで面白かったよね。」
「うん、でも、それと謝ったわけがわからないんだけど...。」
なんだか不安になってきた私を他所に、あっさり答えくれた。
「実はさ、百合がさっき聞いた『そう、思ってるんでしょ?』だけど、実はさ...、なんて言うのか、その...よっ横顔があんまりきれいだったから、その...。素敵なこと考えてて、二人同じこと考えてたら素敵だなぁって思ってる気がして。でも誤魔化した。...気取らないんじゃないんだ。本当は恥ずかしいから、そうだなぁ...、隠してるだけなんだ。だからごめんね。」
 いきなり過ぎて、私はあまり意味がわからなかった。でも、精一杯照れ隠しをしている表情に恥ずかしくなった。
「そう、そうなんだ。でもこんな恥ずかしいこと言えるんだから、もう心配ないじゃない?でも、なんか...ありがとう。」
 康成は立ち上がった。
「ここは神様がいる所だから、皆いつも以上に素直になれると思うんだ。きっと。」
 私は濡れている葉っぱを見つめていた。
「私もそう思うよ。そうだっ、康成さっき神様には何をお願いしたの?」
今なら私も素直になれる気がする。
「うん?これからも、仲良く過ごせます様にって。前回も叶ったから、今回も叶うよ。」
「前に来た時のはもう叶ったんだ?」
「うん。あの時は帰り際にね。」
「えっ?なら、あの私にしたお願いって神様に願ったことだったの?」
「あ、ううん、ちょっと違うよ。勇気を下さいってお願いしたんだ。なかなか可愛いよね?俺も。」
 科学だって自分で実際に体験したことじゃないと完全には信じない、なんてことを言うくせに。
「なんか私よりロマンチックね。それにあの頃ここが縁結びのお寺だって知ってたんだ?...まぁ今回のお願いも叶えてあげるよ、神様と私で。また来ようね。雨でも良いよ、ここなら。」
 何かに頼るなんてことを嫌うこの背中が、神様に願ってくれること。それが嬉しかった。
 康成は手を差し伸べ私が出した手を強く掴むと、私が立ち上がるのを待たずに歩き出した。弱く優しい雨の中。
「おう。」
「でも...今度はお礼にね。自力でプロポーズした後で。」
 急いで立ち上がり、康成が濡れない様に傘を向けた。
「でも?なに、なにか言ったの?」
「うんん、なんでもないよ。」
「何よー。言いなさいよー、素直になれる所でしょう?」
もっともっとあなたの気持ちに触れたいんだから。

バスに乗り、私は駅に着くまで夢を見た。初めて来た頃の夢を。帰り際にしか素直になれないのは、今も変わらないなぁと少し笑って愛おしくなった。

「あのさ、お願いがあるのだけど...。」
「え、なに?神様じゃ叶えられないこと?...あっ朝ならちゃんと間に合う様にするよー。待ち合わせ遅れるのは悪いなって思っちゃいるんだから。」
「...それもそうなのだけど、宮川には無理でしょ?それじゃなくてさ...。」
「無理って言い切られると辛いなー。あっ俺もお願いあるよ!そう言えば。」
「え?そうなの?なになに?」
「あ、うんでもねー言わなくても良い様な、むしろ言うと変な様なぁ、うーんまだ良いや。で、樋口のお願いはなんだよ?」
「い、言わない。」
「なんだそれ?言ってくれなきゃ俺には叶えてやれないだろう?つーか気になるよ。」
「私も言わなくても良い事かもしれない...。」
「おーそうかぁ、その気持ち、よくわかるよー。で?でもなに?...そうだ、ヒントは?」
「ヒント?」
「そうヒント。俺のお願いも言うより気づいて欲しい感じするし、まぁヒントから言ってみーよ。」
「う、うん。ヒント...、あっ最後がDで終わる四文字だよ!」
「次のヒントは?」
「早っ、ヒントは終わりでーす。」
「えーそれだけじゃわからないよー。あっ、でも俺のお願いも最後Dで終わる四文字だ。Dで終わる四文字ってたくさんあるんだね。」
「そうなのかなぁ?たぶん違うと思うけど。」

 結局、私は最後まで答えを言わなかった。でも康成がホールドを白状し、抱きしめてくれた後、恥ずかしそうに言った『それじゃ、手繋いで帰ろう』に驚いた。
だからきっと、二人の願いは全て伝わるのだろう。

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<著者紹介>
當眞 嗣乃(東京都八王子市/24歳/男性/機械設計)

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