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驟雨だった。
あの時のように、細かい雨が絹糸のように体にまつわり、落ちてゆく。
展示場の軒下にはいって、ハンカチで洋服をふきながら、あの時の幻を見つめていた。彼が恋しかった。

上京して、三鷹の近くの大学の付近で、アパートを借りての一人暮らし。
憧れていた学生生活のはじまりだった。父親が事故で亡くなったのは、私が中学の時だった。母親の仕送りでまがりなりにも、これから、十八歳の一人暮らしがはじまる。貧しくても、希望に光り輝いていた。朝昼の二食は、学食ですまし、夕飯は自炊した。お米を買い野菜を買い、肉や魚を買った。毎日がおままごとのように過ぎた。
母親が、故郷の仙台でいけばな教室を開いている。幼いころから花を生ける母のそばで、あそびながら、この花は薔薇ですよ 菊ですよ葉蘭、南天 カトレアなどなど、聞かされていた。そのせいか、花や、樹木が好きになっていた。神代植物園は、暇ができると、よく足をはこんだ。無理に大学で友人をつくるより、私にとっては、ずっと自然だった。

あの時も、梅雨空のなか、読書につかれた目を、緑や、花でいやされたくて なんとなく来てしまった。樹木に囲まれると、母といるように、安らいだ。くちなしの木の下まで来て、不意にシャワーのような雨につつまれた。
「あ、どうぞ、傘に入ってください。梅雨の時はしょうがないですねえ、
雨が待てしばしがなく、降ってきますからねえ。でも、雨にぬれて、生き生きする植物をみるのが好きなんですよ」
見知らぬ男性だった。四十代だろうか、話しなれた風で、傘をさしかけてくれた。ブルーのカラーシャツが清潔そうな印象だった。
1諸に園内をぐるりとまわった。さりげなく、お茶も誘われて、深大寺のそばの喫茶店に行った。父親に接しているような、親近感で、学内の愚痴なんかも、知らず知らずに、しゃべっていた。

      2

 あれ以来、時々、神代植物園であった西川哲也が、誘いの電話をくれた。
渋谷の劇場への誘いとか、やはり、渋谷にあるロシア料理とかへの招待だった。
「ここは、シアターコクーンといって、お芝居のほかに、海外から呼び寄せたオペラや、音楽の演奏会も行われるのですよ」
「コクーンなんて、変な名前ですね」
「そうですね、聞きなれない言葉だけど、繭という意味のようですよ
ここで、蜷川芝居のギリシャ悲劇を見たときは、感動しましたよ。紅ちゃんは
今日のような、お芝居は、また、蜷川芝居とは、趣きが違うけど、お好きですか」

「あ、劇団旅人という名前は聞いていましたが、はじめてみました。お芝居のテーマというか、作者が なにをいいたがっているか、わかったような気がします。
役者さんたちもすばらしかったわ。このような、世界もあるのですね。新鮮な驚きです」

観劇のあとはロシア料理店に案内された。
西川は 慣れた感じで、ウエイターに料理の注文をし、ワインも何年ものが美味しいとか熟知した感じでオーダーしていた。慌てて、私は未成年者ですと言ったら、えっと、ひどく驚いた。
もう二年で飲めますからと言ったら、また驚いた風で、若い人の年は見当もつかない、とうろたえていた。

          3

 西川との、ときどきの交流は楽しく、私の貧しい学生生活を華やかにいろどってくれた。明日、会いたいという電話が来た日は、胸がはずんで、その夜は、なかなか 寝付かれなかった。そんなこんなで大学の生活にも、慣れてきたが、内気な私には、友人は、なかなかできなかった。。
クラブは演劇クラブにはいった。西川に案内された、お芝居の影響からか、クラブをえらぶのに時間はかからなかった。
彼らはチエホフのかもめをとりあげていた。いい役はみんな、先輩のもので、こちらは衣装がかりとか、小道具とか、使い走りに毛の生えたような裏方ばかりだった。
先輩とのつきあいは、むずかしく、大学の講義には、ついてゆけたがクラブのしきたりには、心の中で反発していた。

 「先輩は、そんなものですよ、どこの世界でも・・・・。彼らに理屈はないのですよ。先輩風を吹かせたいだけなんだから・・・。反発しないで、スルーすればいいのですよ。それよりも、クラブに入ったおかげで演劇のアウトラインがわかってきたでしょ。そうして、本物のお芝居を見れば、味わいが1段と深くなる筈です」
「そうかもしれませんね。でもね、先輩が私の台詞をきいて、君のなまりを治すには二年か三年かかるなあ。アクセント辞典を買って練習しなさい。と言うのよ」
「それは、厳しいですね、まるで プロの世界だ。まあ、高みをねらって努力するのはいいことですよ。なまりと言うか、方言にはいい味があって、僕は好きですが、なおせたなら、社会にでた時もおおいに役に立ちますよ」
西川の言葉は人生の先輩として、重みがあった。
急に西川と連絡がとれなくなって、一ヶ月になる。何か気にさわることを言ったのかしら?お仕事が忙しいのかしら。心を痛めたが、思い当たることもなく、あきらめかけていた時、メールが入った。

「桂木紅子さん 始めまして。急にメールを差し上げてごめんなさいね。わたしは、西川哲也の妻です。あなたのことは、伺っておりました。神代植物園で夫と偶然にお会いしたのですね。彼はとても、喜んでおりました。死ぬまぎわに若いお嬢さんと知り合えたことを。
彼は末期癌でした。息をひきとってから、1ヶ月たちました。ようやく落ち着きましたので、メールをさしあげる決心がつきました。彼は、癌の宣告をうけてから、気持ちを落ち着かせるために、よく植物園にでかけておりました、樹木やお花が好きで、見ていると、穏やかに死を迎える準備ができそうだと言っておりました。あなたのことを、くちなしの花の精が急に目の前に現れたようだったとはなしておりました。彼は劇団旅人の役者でした。
紅子さんをスカウトしたいなどと冗談を言っておりましたが・・・。もう、今は天国で、お芝居を演じているでしょう。
紅子さんのような若い方が、あんなおじさんと付き合ってくださって、有難うございました。彼は最後のお芝居を 若いお嬢さんと演じられて、役者冥利につきると言っておりました。かさねて、有難うを申します。紅子さんには、輝かしい未来があります、もう、哲也のことはお忘れください。おからだお大切におすごしください、では、失礼いたします」
ショックで、何も考えられなくなった、食事も胃が受け付けなくなった。何日も起き上がれなかった。奥様への連絡も、携帯が不通になっていてできなかった。やっとの思いで深大寺におまいりして、彼の冥福を祈った。
植物園にはいると、雨が落ちてきた。あの時と同じだが、傘をさしかけてくれる彼はいなかった。

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<著者紹介>
伊東 ポピー(神奈川県藤沢市 /54歳/女性/主婦)

今回も本当に多数の方にご応募いただき誠にありがとうございました。

第5回の応募総数は290作品となりました。
(昨年は289作品でしたので、1作品増えました)

今後、事前審査及び最終審査を経て、「深大寺そばまつり」での授賞式となりますが、このそばまつりの日程が、今年は大きく変更になります。

例年、10月の第3土曜日に開催されておりましたが、今年は、11月末~12月初旬に、25年に一度の「深大寺 中開帳」が開催される予定のため、これに合わせて「深大寺そばまつり」も同時開催の運びとなりました。

よって、授賞式も11月末~12月初旬となります。

正式な日程が決まりましたらまたご報告させていただきます。

尚、事前審査の結果につきましては、審査を通過した方にのみ、9月中旬頃までにご応募の際に記載いただきましたお電話番号へご連絡をさせていただく予定です。
個々の選考結果についてはご案内いたしておりませんので、事務局へのお問い合わせはご遠慮ください。

何卒よろしくお願いいたします。

 

深大寺短編恋愛小説実行委員会
実行委員長 大前勝巳

「どこか行きたいところとか、会いたい人はいないの?」
茜に訊かれて、美空は言葉に詰まってしまった。仕事の合間を縫って、病院まで車で迎えにきてくれた友人が、親切で言ってくれているのはわかる。だが、今の美空には難しい問題だった。
行きたいところはたくさんあった。ファッション関係の仕事をしているが、一度もヨーロッパに行ったことがない。
憧れの職業に就くために十九歳で上京し、仕事一筋で十年が過ぎた。地元でつきあっていた恋人からは、上京して一年ほどで連絡がこなくなった。今年久しぶりに届いた年賀状には、二人目が産まれますとあった。
仕事がひと段落したら、フランスを一人で回るつもりだった。体の不調を覚えることがあったが、旅行を励みに激務に耐えた。
 しかし、当分の間、それはかなわなくなってしまった。主治医を説得し、明後日には帰る約束で外出許可をとりつけたが、あとひと月は入院が必要だと言われている。
「別にないわ。茜が来てくれたし、夜には妹が上京することになっているから」
「ソレイユは?」
「真木さん? どうして?」
「どうしてって、そんなのわかるわよ」
茜は笑って、「もういろいろ我慢するのはやめるんじゃなかったの?」と言った。
真木直樹は、美空が仕事帰りに寄る喫茶ソレイユの店主だった。美空は真木が淹れる紅茶が好きだった。
真木とは、客とマスターの通り一遍の会話以外、ほとんど会話らしいものをしたことがない。趣味で写真を撮っているというのも、ほかの客と話しているのを聞いて知った。
 髪を乱し、化粧もほとんどとれかけた美空が、ドア・ベルを派手に鳴らし、「まだ、大丈夫ですか?」と駆け込むと、直樹はいつも笑顔で迎えた。しかし、それは一瞬のことだった。美空と目が合うと、わずかでも笑顔を見せた自分を恥じるように、そのあとは黙りこんでしまう。自分の感情を表に出すことを極端に警戒しているようだった。
 その真木が、手作りの写真集を持って、美空のいる病院にきた。
 検査を終えて、病室にもどる途中、長い廊下の先に、長身の男の背中があった。逆光でシルエットしかわからなかったが、美空は真木だと気づいた。
 病室にもどると、ベッドの脇には、「東京」と書かれた写真集が置かれていた。「高木美空さんへ MN」というメモがあった。
 なぜ、「東京」なのだろうとしばらく考えると、思い当たる節があった。
 体の不調を我慢して仕事をしていたころ、久しぶりに地元の女友達から連絡があり、同級生がみな、家庭の主婦として幸せに暮らしていると聞かされた。茜が一緒でカウンター席に座ったときで、「田舎に帰った方がいいのかな。東京で暮らすの、疲れちゃった」とこぼした。真木は、それを聞いていたのだ。
 写真をめくっていくと、確信を得た。真木は、東京の美しい風景をたくさん集めていた。美空が見たことのない東京だった。
 その中に、木立を写した写真があった。「深大寺・深沙大王堂」というタイトルがついたその写真が、美空は特に気に入った。
逆光を浴びた木々のシルエットが、澄んだ空気の中に浮かび上がり、石畳には、幹や葉の影が伸びていた。子どものころに、よく遊んだ裏山の林を思い出して懐かしかった。眠れない夜に、美空は写真集をめくった。
写真への愛着は、撮影した真木への淡い思いへと変わっていった。恋と呼べるような感情をもっていることに驚きながら、これは二度めの初恋なのかもしれない、恋を知ったあとだから、本物の初恋なのだと考え、空想の中で、気に入りの深大寺の風景に真木を佇ませて、眠りについた。二人で木漏れ日を浴びながら、散歩をする夢を見ることもあった。
「まだお若いのに」と同病の患者からも哀れまれる病になった運命に、美空は納得がいかなかった。体調が優れなかったり、入院生活に倦んできたりすると、気持ちがささくれ立った。仕事を一線で続けている同僚が見舞いにきたときも、心が乱れた。
反省して努めて明るく振舞うと、反動で果てしなく落ちこんだ。そんなときは、真木への思いも、自分で傷つけてしまった。
真木がいくら優しい人でも、病気になった女を相手にしてくれるわけがないとか、うまく撮れた写真をだれかに見せたいだけだとか、私にしても、ほかに考えることがないから、真木に執着してしまうのだとか。
だが、どんなにふて腐れた気持ちになっても、冷静になろうと努めて真木の写真を眺めると、心は少しずつ穏やかになっていった。
ソレイユに、お礼の電話をかけたことがある。電話口の真木は、感激してまくしたてる美空の話を静かに聞いてくれてはいたが、美空が喜ぶようなことは言わなかった。
外出許可が出たときも、真っ先に電話をかけた。あれこれと言うことを用意していたが、呼び出し音が鳴り続けただけだった。
誰とどこに行きたいかと訊かれれば、真木とあの木立の中に佇んでみたい。そんなささやかなことも、自分には難しいことなのだ。
ふいに目頭が熱くなって、美空は窓の外に視線を向けた。体が不調になって以来、感情が極端から極端へ走ることが多くなっている。車窓を流れる街の景色には、緑の彩りが濃くなっていた。初夏は、美空が一番好きな季節のはずだった。
「大丈夫? 具合が悪いの?」
茜がのぞきこんだ。余計な心配をかけてはいけないと、美空は笑顔を作り、「最近、彼とはうまくやっているの?」と訊ねた。
茜には、三か月ほど前から、つきあっている年下の恋人がいる。彼女には珍しく、自分から交際を申し込んだ相手だった。
この間撮った写真があるはずよと、美空にバッグからデジタルカメラを出させると、信号待ちの間に、ディスプレイをセットして差し出した。
何枚か写真を見た後、「なあに、これ?」
と、美空は吹き出した。
芝生の上で茜と恋人が足先を合わせてVの字に寝転がり、相手の方に腕を伸ばしている。いびつだが、満面の笑みの二人がつくったハートだった。周りには人も写っている。
「見ての通り、遠足で撮った人型ハートよ」
「遠足?」
「正確には、恋人遠足って言うんだけど。デートを二人だけのオリジナルの呼び方にしようって、彼が言い出して。私が考えたのよ」
「恋人遠足ねえ。私が苦しんでいるときに、茜はこんなことして遊んでいるのね」
あきれたように言いながら、美空は久しぶりに心が軽くなっていることに気づいていた。
「私もがんばっているのよ」
 大げさにため息をついた茜は、「ちょっと真面目なことを言うけど、聞いてよね」と前置きをして続けた。
「彼と付き合うまで、愛されるのが当たり前だし、愛されていなくちゃいやだと思っていたけど、自分が愛していれば、それでいいと思うようになったの。愛する方が楽しいのよ。その方が自分に合っているって、今ごろ気づいたの」
 車が、美空の住む町に入った。真木のいるソレイユも近い。
「どうする? あとで迎えに来てあげるけど」
そう言って、茜が車を店の横に止めると、真木が中から出てきた。
「そういえば、マスターが、明日は店を休みにするって言っていたわよ。美空たちも恋人遠足したら?」
次の日、美空と真木は、深大寺界隈を散歩していた。空は青く晴れ渡っていた。
 昨日、美空は、真木の淹れてくれた紅茶を飲んだあと、「明日、遠足に行ってくれませんか? 」としどろもどろになりながらも、自分から誘ったのだった。
「高木美空さんて、素敵な名前ですね」
 深沙大王堂の前で、「ここには縁結びの神様がお祀りしてあるんです」と説明したあと、真木がふいに言った。
「僕は真木直樹で、縦に伸びるようなイメージですが、あなたのお名前は、僕のさらに上にあって、無限に広がっていくイメージです。この木々やその上に見える空は、僕たち二人のことだと思いませんか? 僕はここに来ると、いつもあなたのことを思い出すんです」
 そう言って、真木は空を仰いだ。
 思いがけない告白に、美空はそっと涙をぬぐいながら、私も負けてはいられないと思った。愛することを生きる意志に変えて行こうと、昨晩、一人になったとき、真面目に考えたばかりだった。
 空を仰ぐと、複数の梢に切り取られた空が、真木の出身地だという四国の地形のように見えた。真木にそのことを教えると、喜んでシャッターを切った。
視線を動かすと、すぐ近くに別の形も見つけたが、真木には教えず、美空は自分のシャッターを切った。今日はこれまでめったに使わなかったデジタルカメラを持ってきた。
あとひと月離れている間、美空も自分の思いをこめた写真を真木に届けるつもりだった。
 帰りの車の中で、美空は、
「私たち二人の空です」
と真木にカメラのディスプレイを差し出した。梢の黒い影が、空をきれいなハート型に切り取っていた。
美空は、この写真に、「深大寺・恋人遠足」というタイトルをつけようと決めていた。

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<著者紹介>
藤原 康世(東京都調布市/41歳/女性/主婦)

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