ダイエットにはバナナが良いと聞けば空腹をバナナで満たし続け、どこそこの料理が美味いと耳にすれば直ぐ様その店へ駆け付ける。とにかく彼女はメディアに多大な影響を受けている。
「ねぇねぇ。今度のゴールデンウィークさ、深大寺に行かない?」
そんな彼女だから、唐突なこの言葉にも俺が驚くことはなかった。それどころか、またか、と、呆れさえしてしまう。
「今度はなに?占い?飯?」
 溜め息混じりに尋ねながら、ソファに横たえていた身を起こし彼女を見る。そうすると子供のように爛々と輝く丸い瞳に、それとは対照的なうんざり顔の俺が映った。
「そんなのじゃないよ。良いところみたいだから!それに縁結びのお寺なんだって」
 今更誰との縁を結びたいと言うのか。半眼で彼女を見ながら「ああ、そうなの」と一言。億劫さを隠すことなく答えた俺を、彼女は気に留める様子もなく、ドラマで見たんだとか、そばが美味しいらしいとか。聞いてもいないことを楽しげに喋り続けている。
そうする彼女を見ていれば、面倒を感じていた俺の心も次第に揺らぎ、まあ良いか、なんて思い始めてしまうのはいつものこと。結局どんな無茶な頼みも「しょうがないなあ」と、聞き入れてしまうのは、付き合い始めた五年前から今も変わらない。
 彼女とは六年前、大学二回生のときに共通の友人を介して知り合った。今時にしては珍しく、髪を染めたことは一度もなく、服装もどこか野暮ったくぱっとしない子だったけれど、瞳は思わず息を詰めるほど、美しく、清らかだった。その瞳が真っ直ぐに俺を捉えた瞬間、心臓が早鐘を打ち始めたことは今も忘れてはいない。一目惚れだった。それから頻繁に映画だ、買い物だ、と、彼女を誘い出し、ようやく、付き合うことになったのは一年後の大学三回生のころ。新緑が目に鮮やかな五月晴れの日のことだった。
俺たちの付き合いは順調に続き、互いに社会人となったのを機に始めた同棲生活も三年が経つ。最近では新鮮味などありもせず、どこかに連立つことも稀になっていた。
そんな生活の中だから、きっと、彼女が言い出さなければ、ゴールデンウィークも普段の休日に毛が生えた程度だと、家で過ごし、どこかへ出掛けることもなかっただろう。そう考えながら、深大寺の本堂へ続く階段を、彼女と肩を並べ登る。
「意外と混んでるな」
 深大寺が調布市にあると知り、勝手に閑散としているか、老人ばかりだろうと思っていたが、大間違い。大型連休も合間って、吉祥寺駅で乗車したバスから既に込み合っていたし、参拝客は老夫婦はもちろん、小さな子供を連れた若い夫婦や俺たちと同年代と思われる二十代半ばのカップルという具合に老若男女問わない。
「ドラマに出たからね!」
俺の言葉を受け、彼女は得意気に参道からあちらこちらに立っているドラマタイトルの刻まれたノボリを指し、言う。決して、混み合うのも深大寺がドラマに出たのも彼女の功労ではない。それでも得意気に言うのは、大好きなドラマだからだろう。
 ドラマというのは日本放送が何十年も前から朝のその時間に放送している番組のことだ。今までだって、その時間のドラマを見ていた彼女だったけれど、ここまで真剣になったものを俺は知らない。漫画家・水木しげる夫妻を主人公にしたドラマが余程に面白いのだろうかと、俺も興味があるものの、放送は出勤前の忙しい時間。出勤時間が俺よりも一時間遅い彼女と違って俺には悠々と番組を視聴する暇などなく、今日まで一度も見られないままでいる。彼女曰く、夜に衛星放送で再放送をしているそうだが、その時間に帰宅していることも稀ならば、したとしても毎回忘れてしまっている。
「なんでそんなにそのドラマ好きなの?」
だからこそ、尚更。その執着が気になって尋ねてみる。けれど、彼女はいつも「見たら分かるよ」と、クスクス笑うばかりで、教えてくれるつもりはないらしい。
 一体なんだと言うのか。
今日も釈然としないまま、階段を登り終え、砂利の敷き詰められた境内を散策する。春と夏の狭間を迷う日差しが眩しい。思わず目を細めた俺の手を、それよりも一回り小さな手が突然掴んだ。
「あれ!あれ見て!」
次いで響く彼女の弾む声。同時に俺の手を捕らえたのとは逆の手が、本堂脇にある休憩処を差した。そうかと思えば、繋がれた手がグイと俺をその店へと引く。
「ちょっと、布美江!急になに?」
「これ!ドラマで出てたの」
 その店に着くなり、彼女が声高に叫び、軒先に並ぶ藁で作られた馬の人形を指差した。
「あ。これ知ってる」
それを見、思わず呟いた俺を、彼女が仰ぎ見る。
「そうなの?なんで?」
「昔、ばあちゃんの家にあったんだよ」
 確か赤駒と言うのだ。家族や愛する人の幸せや無事を願う土産物で、祖父が出兵する折に祖母が購入したらしい。戦地から祖父が大きな怪我もなく帰って来られたのも、この赤駒のおかげだと言って、ずっと大切にしていたから、祖母が他界したときに花と一緒に棺桶に入れてやった。無事に先立った祖父に会えるように。そう願いを込めて。
「すげぇ、懐かしい!まだ売ってるんだ」
 意図せず彼女のように声を弾ませて言えば、奥から現れた店員が、丁寧に商品の説明をしてくれた。その話によると、赤駒は古くから深大寺にある土産物で、今も全て手作業で作られているとのことだった。
「じゃあ、ばあちゃんも昔ここで買ったんだ」
「茂君のおばあちゃんも?」
 おうむ返しに尋ねる彼女に、祖父の無事を願った祖母と赤駒のことを話せば、彼女は瞳を輝かせて「買う」と、言い始めた。牛乳パックひとつにしてもあっちの店の方が安いと、購入を躊躇する彼女にしては妙に財布の紐が緩い。それを不思議に思っていれば「茂君が事故もなく毎日帰って来られるようにお祈りしないといけないから」なんて、大真面目に続けるから、俺の頬も自然と緩んだ。
「そうしたら俺もひとつ買わないとな」
「なんで?一個あったら良いよ」
「要るだろ、もうひとつ」
 そして彼女は一番大きな赤駒を、俺は中くらいの赤駒を。それぞれ購入した。
もちろん、俺が買ったそれは彼女の無事を願っての物だけれども、そうと考え着かないらしい彼女は、その後もどうして俺まで買ったのかとしきりに訝しんだ。
「もう良いだろ、その話。それより、そば食おう。腹減った」
 有名だと言っていた深大寺そばの暖簾が揺れる店を指す。すると、彼女はすっかり赤駒のことなど忘れたように華やいだ表情を浮かべ、どの店にしようか、と早速選別を始めた。あっさりしているというか、移り気というか。どちらにせよ、彼女はこういう性格だからこそ、メディアに左右されやすいのだろうと、納得してしまう。
「よし!あの店にしよう!」
 彼女が選んだのは一番行列の長い店。列の最後尾に並び、三十分後にようやくそばをすすったなら、別の店で同じそば粉から作られたクレープを食べ、今度はそばパンを、と思ったけれども、彼女が「これ以上はお腹に入らない」と言うから、それは持ち帰り用に包んでもらった。
 そうしていれば来た頃には頭上にあった太陽もいつの間にか大きく西に傾き、木々の隙間より差し込む夕日が深大寺を鮮やかに照らし出していた。
「良いところだね」
 しみじみと呟いた彼女に頷いて、「また二人で来よう」と言えば、彼女も小さく頷いた。そして手を繋ぎ、帰路に着く。そうする俺たちの影はどこまでも長く、この先も変わらず二人肩を並べ、歩んで行く未来を暗示しているように思われた。
ところで、彼女がどうしてあのドラマを気に入っているのか。それは翌日の昼。意外なほど早くに判明した。
「へー。こんな偶然ってあるんだな」
 深大寺で買ったそばパンをかじりながら、正午代のドラマの再放送を見て呟く。
「村井茂に布美江か......まんま一緒だな」
 ドラマの主人公夫婦の名前。それが俺たち二人と同姓同名だったのだ。
「なあ、布美江ー?このヒロインの旧姓もお前と同じ飯田だったりするの?」
 キッチンで珈琲を淹れている彼女に問えば、少し苛立っている声が「それより」と返事をした。
「早くパジャマ脱いで」
 声と共に湯気の立つマグカップが、テーブルにドンと置かれる。唇を尖らせ「洗濯ができないじゃない」と嘆く彼女を「はいはい」といなす。
「本当に分かってる?」
そんな俺を彼女がねめつけるから、俺は浮かべていた笑みに苦味を混ぜた。
「分かってるよ。直ぐ脱ぐって」
「そう言って、何で二個目のパンを取るの?」
「だってこれ美味いから、つい......」
「全然分かってないじゃない!」
いつまでも騒がしい俺たちを、寄り添う二体の赤駒が静かに見守っていた。

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<著者紹介>
邑 和樹  (大阪府松原市/24歳/女性/会社員)

 どこからわき出てきたのだろう。
 深く青い空に浮かぶ、はちきれそうな乳白色の入道雲は僕を圧倒した。
 そうだ、小学六年生の夏休み前のある日。
 親の転勤が決まった明くる日の午後、教室の窓から眺めた風景。もうすぐ夏休みだということをまるで祝うかのようにみごとに空は青々していた。
 「残念ですが、これからコウジ君に挨拶してもらいます」という先生の一言に僕は驚いて立ち上がり、みんなの前でおどけた。
 「おとうさんの転勤で九州にいくことになりました。どうも、スミマセン!」
 ふざけた言い回しの後にぺこりと頭をさげると、みんなが笑った。みんなの笑い声が僕の胸をしんしんとさせた。涙をこらえるのに必死だった。突然鳴き出した蝉の声が僕の耳を塞いだ。
当分、コヨリの顔を見ることはできないのだなと生意気にも思っていた。
         *
 あれから二十年の時を経て、僕は東京に戻ってきた。調布駅は相も変わらず、人の往来は若干増えたような気はするが、大型店に遠慮するように商いをする小さな店も健在だった。賑やかな駅前を背に穏やかな商店街を抜け大きな国道を渡った。何もかもあの頃のまんまだ。
 小学四年生の春の席がえでコヨリが隣にきた。やせっぽちのコヨリは首を少し傾斜させ大きな瞳で見つめ返すのが常だった。いつもお喋りなのに先生に当てられると、恥ずかしそうに俯いて蚊の鳴くような声で答える。どうしてもダメなときは、僕の小声の暗唱をそのまま先生にむかって答えていた。当時流行のアイドルを真似、卓球台の上で仲良しとデュエット歌いでポーズを決めながら踊っていた。
 しんと静まりかえった授業中、僕がたまにいう冗談に笑い転げ、二人揃って廊下に立たされたこともあった。
 ―コウジくんって目の色が茶色いよね。
 長くて暇な夏休みが明けたその日、少し小麦色になったコヨリからそういわれた。
 ―そうさぁ、僕はおじいちゃんがフランス人だからさぁ。
 当然笑うと思っていたコヨリはもう一回り大きくした瞳で驚いていた。
 僕は学校でコヨリと会うことが楽しくて仕方なかった。あのキラキラ輝く表情がたまらなく僕に勇気を与えてくれた。
 体育の時間、ドッジボールで最後の一人になるまでコート内に残っていられたのも。美術の時間、天才芸術家といわれた坂本くんに対抗して水彩画を居残りしてまで描いて珍しく先生からほめられたのも。臨海学校で溺れそうになりながらなんとか遠泳を泳ぎきったのも。
 僕の勇気も元気も実はすべてコヨリの存在があったからなのだ。
 目の色が茶色いよね・・・・・・・なんて親にもいわれたことはなかった。
        *
 五年生の秋の運動会が終わったその日の帰り道、僕は調子にのって深大寺に行った。徒競走で一等になった僕は少し有頂天になっていたのかもしれない。両手をついて石灰で引いた地べたの白線を間近に見ながら百メートル先のコヨリを思った。僕の走りをきっと見ていてくれるに違いないと。
 ―ドン!
 スタートの号砲のあと、僕は夢中で走っていた。
 無心で。
 そしてある願をかけて。
 口が裂けても誰にもいえない大胆な願をかけて。
 生意気にも・・・・・・・・。
 一等賞になったらコヨリを嫁さんにできるって。
 僕は勝負した。
 はちきれそうな願いを胸に。
 僕は目の前に迫るゴールだけを見つめ、ただ走りぬいた。
 ゴールした後、コヨリを探した。彼女はいつもの大きな瞳で嬉しそうに僕を見ていてくれた。

 寄り道はいけません。
 いつも担任からそう釘を刺されていた。

 深大寺には不思議な魔力がある。町では味わえない静寂と、深い緑と、気持ちのいい空気が漂う。
 それに平凡じゃない何かがある。  
 僕は前々から一人で深大寺に来てみたかった。今日の徒競走の結果を深大寺にいる神様に報告すれば、僕の願いが本当に叶うと子ども心に信じていたから。
 夕方の境内には人影はない。秋風が木々の葉をゆらす音がざわざわと鼓膜を振動させる。そして時折、鳥のさえずりが聞こえる。
 境内に近づき、用意しておいた五円玉を慎重に賽銭箱に投げた。かしわ手を何回打ったらよいのかも知らず、おずおずと数回手をあわせ、神様に願いを唱えてみた。

 ―俺は、いや、僕は約束どおりに一等になりました。コヨリを嫁さんにしたいです。

 どうしたら大人になれるのだろう。大人にならないと彼女には告げてはいけないんだ。小学生の僕にも男の意地があった。でも少しだけ早く大人になりたかった。
 手をあわせたまま暫く祈っていた。遠くに低い振動がした。
 ようやく顔をあげると空は暮れかけていた。どのくらいのあいだ境内にいたのだろう。
 神様からの返事だ。
 紫色の西の彼方にぴかりと輝く一筋の黄色い閃光が目に入った。
 腹の底に振動を感じた。
 数秒後、思ってもいなかった大粒の雨が降ってきた。前が見えぬほどのドシャ降りで立ち往生した。
 その晩、帰りの遅くなった僕は母親からひどく叱られた。
         *
 《二十年ぶりの再会、楽しみにしています》

 そんな思いがけない同窓会の案内がポストに入っていた。日頃の仕事に追われ、上司との関係にも殺伐としていた自分には朗報だった。
 気晴らしに同級生に会ってこよう。少し気後れしたが、早速東京へ行く手配をした。

 同窓会の会場へ行く前に深大寺へ赴こうと決めていた。想い出にひたりながらの深大寺までの歩みは快いものだった。住宅街を抜け細い坂道を登りそして降ると土の匂いが鼻腔をくすぐる。都会にはない深い緑と日々の喧騒からほど遠い静寂。訪れるものを凛とさせる空気が深大寺にはある。
 お盆の深大寺は人影こそちらほらしているが、やはりしゃんとした清涼感で包まれている。
 ―深大寺の神様にお礼参りしなければ
 変わらぬ姿でいてくれた深大寺が嬉しかった。境内の前で手をあわせ、自分の変わらぬ気持ちと素直に向き合えたことが新鮮で心の中になにか大切なものが芽生えた気がした。
 しかしあの徒競走の日の誓いは気恥ずかしさと切なさがブレンドされた当時の宝物だなと一人笑んだ。
          *
 同窓会の二次会で、ようやくコヨリと話ができた。やせっぽちな彼女はちょっとだけ綺麗になっていた。相変わらず首を傾げ大きな瞳で俺を見つめ返してきた。
 眩しさに顔を背けたくなった。
 どうやら彼女はばつ一らしかった。
 三十路も過ぎれば男も女も何もないほうが不思議だ。去年別れた彼女のことが頭を過ぎった。
 あれやこれやと酔いにまかせ話が弾んだ。時は瞬く間に遡り小学生のコヨリと僕がそこには座っていた。

 三次会へ向かう途中で気が変わり友人たちの誘いもやんわりと断り駅へと走った。
 路地を抜け大通りへ出ると駅まで直線になった。
 ―よーい、スタート! 
 誰かがそういって背中を押してくれた。
 酔っ払いの俺は夢中で走った。頼むから間に合ってくれよ。シャツがべったりと纏わりつくほど汗ばんでいた。
 駅前にある横断歩道でコヨリに追いついた。
 コヨリ! 
 振り向いた彼女は驚いて、それから気をとりなおしたようにこういった。
「さっき言い忘れた。コウジくんの目ってやっぱり茶色いよね」 
 ―はっ?
 とぼけた反応に笑い出したくなった。
 きゃ、雷、と小さく叫んだコヨリは俺の腕にすがってきた。
 腹の底に振動を感じた。
 琥珀色の夜空に、細長い閃光がびりびりと煌いた。
 深大寺の神様の粋な計らいに感謝した。
 涙腺がゆるみ思わず上を向いた。
 間もなく空からは大粒の雨がシャワーのように降ってきた。

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<著者紹介>
黒米 譲二 ( 東京都東大和市/47歳/男性/歯科医師)

「これまでの我が家の歴史は、深大寺のスノーホワイトとともにあった。これからもずっと......」
それが父の口癖だった......。

 昭和三十九年、東京ではじめてのオリンピックが開催されるまで、あと数ヶ月と迫っていた早春のこと。父と母は出逢った。
 建設ラッシュに沸く東京へ三年前から現場監督として出稼ぎに来ていた父は、当時、調布の深大寺近くの下宿で生活していた。信心深い父は建設現場へ出掛ける前に、必ず深大寺へお参りするのが日課だった。あるとき、いつものように作業着姿で本堂に向かい、そっと手を合わせていると、若い女性が声をかけてきた。それが母だった。
「毎朝、ごくろうさまです」
 その言葉の訛(なま)りで、その女性が沖縄出身だとわかった父は、「沖縄のかたですか?」と訊(たず)ねた。「三月に来たばかりです」母はそう答えた。
「わたしたちの仕事は〝ケガと弁当手前持ち〟と言われていまして......。それで神頼みです」父がそう言うと、母は「このお寺さんは縁結びで有名なんです。お寺さんで縁結びっていうのも何かおかしな気がするんですけどね」と優しく微笑みながら言った。父は頭を掻きむしり、恥ずかしそうに「わたしも沖縄出身の田舎者で、そういうことに疎いものですから」と言い、「それでもありがたい神仏であることには代わりはないですから」と付け加えた。
 あまり良い出逢いではなかったかもしれないが、とにかく父と母は出逢った。
 母は深大寺境内にあるお守りなどを売る店で働いていた。二人が出逢ってしばらく経ったある日、父がその売店に現れた。
「先日はどうも。実は同僚が身体(からだ)を壊して休んでいまして。お見舞い代わりにお守りを持っていこうと思いまして......」そう言って母にお守りを選んでくれるように頼んだ。このとき母は父のことを〝優しい人だ〟と思ったそうだが、きっと母に逢うための口実だったに違いない。
 それから二人は境内で顔を合わせると、よく話をするようになった。父は早朝だけでなく、仕事が終わったあとにも、何かと理由をつけて深大寺を訪れた。「蕎麦を食いに」、「饅頭を買いに」と。そのたびに売店で働く母に話しかけて、そのうちに二人は自然と惹かれ合うようになった。いつしか早朝に本堂を参拝する父のとなりには母がいるようになった。
「何をお願いしたの?」と母が訊ねると、「チサエちゃんとこのまま仲良くいられますようにってね」と父が恥ずかしそうに答え、父が同じことを訊ねると、「ミツノブさんが現場でケガしませんようにって」と母が答えた。それを聞いた父は、「このお寺は縁結びで有名だったはずでしょう?」と言うと、母は「いいんです。それでもありがたい神仏であることに代わりはないですから」と言って微笑んだ。そして、「それともうひとつ。早く雪を見てみたいとお願いしたの。ご存知の通り沖縄には雪が降りませんから」と言った。すると父は境内の隅の大きな樹を見上げた。
「その願いならもうすぐ叶いますよ。この樹の英名は〝スノーフラワー〟。通称ナンジャモンジャと言ってね。学名のチオナンサスはギリシャ語の〝雪〟と〝花〟がその語源だそうです。四月の終わりからほんの短いあいだだけ、プロペラ状の真っ白な花を枝一杯に咲かせます。わたしはもう二回見ましたが、それはもう、本当に雪が積もっているようで、とても不思議な光景です。わたしはこの花が大好きでして......」
 そんな出逢いから二ヶ月も経たない五月のはじめ、スノーフラワーは父の言う通りに、まるで雪が積もっているかのような真っ白な花を、その枝にびっしりと隙間なく咲かせていた。背景の新緑とのコントラストが異次元のようで、母は「あれはまさに幻のようだった」といつも言っていた。そして父は咲き誇るスノーフラワーの花びらが見守る境内で、母にプロポーズをした。
「これからは毎年このスノーフラワーを一緒に見に来よう」それがプロポーズの言葉だった。そして「深大寺さんがくれたこの縁を、ずっと大切にしていこう」と続けた。
二人は、深大寺近くの小さな借家で結婚生活を始めた。深大寺ではスノーフラワー以外にも、四季折々の草花を愛でることができるからだ。都会では忘れてしまいがちな季節を肌で感じることができる深大寺。
それが慣れない都会で暮らす二人にとっては癒しとなった。また東京に来てはじめて食べた日本蕎麦の魅力に取り憑かれた二人にとっては、門前街に数々の蕎麦の名店が立ち並ぶ深大寺周辺は、食の道楽を満たす美味しい街でもあった。そしていつか子供が生まれたときには、子育てに最適な環境も整っている。
昭和四十九年春、両親の結婚から十年経ってようやくぼくは生まれた。そのときもちょうどスノーホワイトが咲いていた。そして両親の思惑通り、深大寺はぼくの大切な遊び場になった。
小学生のころには境内を走りまわり、かくれんぼや鬼ごっこをして遊んだ。中学生や高校生のころにはクラスメイトたちと初詣や節分の豆まきやだるま市へ出掛けた。ぼくにとっても深大寺は思い出の詰まった大切な場所になった。
そしてぼくは運良く市内の国立大学に進学することができた。そのころには好きになった女の子との初デートは、決まって深大寺と神代植物公園だった。
さらに社会人になってからも、ぼくはこの街を離れなかった。いくつかの恋も経験し、いつか父のように、このスノーホワイトの樹の下で、好きな女性に想いを告げることができたらいいと思うようになった。
 そのころには父は定年を迎えていたが、趣味が高じて、母と二人で深大寺の近くで小さな蕎麦屋をはじめていた。もともと凝り性だった父の打つ蕎麦は評判が良く、遠くからもお客さんが来てくれるようになっていたが、父は母と過ごす時間を大切にしていたため、営業時間は昼の数時間だけで、それ以外の時間は母と深大寺へ散歩に出掛けたり、庭いじりをして過ごしていた。二人はぼくの理想の夫婦だった。
 平成十六年秋、母はすい臓がんになった。
 余命は六ヶ月と診断され、父は店を閉めて献身的に母の看病をした。朝早く病院へ行き、夜も遅くまで母のそばにいた。母は痛みに耐えて、父のまえではいつも笑顔を絶やさないようにしていたが、激しい痛みが続くときには、ずっと父の手を握って離さなかった。残された時間が二人の愛をより一層に燃え上がらせているようだった。
そのころのぼくは仕事の都合で都心に住んでいたが、週末には調布の実家へ戻っていた。父が母の看病に専念していたために、家の中を片付けるのが、ぼくの役目だった。実家へ戻ると、居間のテーブルにはいつも古いアルバムが開かれたまま置かれていた。昭和三十九年から、毎年同じアングルで撮られてきたスノーホワイトと家族の写真。その前で年齢を重ねていく父、母、そしてぼく。涙が止まらなかった。
半年ほどすると、母は衰弱しきって寝たきりになり、痛みを抑えるために使われたモルヒネの影響で、いつも朦朧として父の話を理解することも、話すことも、ほとんどできなくなってきているようだった。それでも父はいつも優しい口調で母に話しかけていた。
「深大寺の境内の桜が散り始めたよ」その声が母に届いているのかさえ、もうぼくには分からなかった。
 平成十七年四月の終わり。主治医から許可をもらい、母を深大寺へ連れて行った。その日は穏やかな陽気だったので、父はわざと遠回りして、東側の参道から、車椅子に乗せた母をゆっくりと押して歩いた。ぼくはそのうしろを少し離れて歩いた。
石畳の凹凸が車椅子を揺らしていた。小川のせせらぎは優しく、きらめきを散りばめて流れていた。父は茅葺(かやぶき)の山門の前で足を止めると、石段を見上げた。そして少し戻ってスロープになっている道を、車椅子を押し続けた......。
 境内の一番広いところへ出ると、目の前にスノーホワイトの樹が見えた。枝の上には真っ白な花が降りつもった雪のように咲いている。毎年変わることのない純潔の花。
「チサエちゃん、スノーホワイトの花が今年も咲いたぞ。あれからずっと変わらない雪のような白い花だ......」
 母はゆっくりとスノーホワイトを見上げた。
「ゆ......雪......」
母がそう言ったような気がした。そのとき、強い風が吹いてスノーホワイトの枝を大きく揺らした。何千という花びらが散り、父と母の上に降りそそいだ。そして母がかぶっていた麦わら帽子が飛ばされて、くるくるとまわりながら大きなムクロジの樹の下に落ちた。ぼくがその帽子を拾いに行って戻ると、父は母のそばに立ちつくして泣きじゃくっていた......。
 その半年後、父は母のあとを追うようにして亡くなった。くも膜下出血だった。そのときのぼくの心に残ったものは、相次いで両親を失った悲しさよりも、父と母の切ないほどの愛の証だった。ぼくも誰かのことをこれほどまでに真摯に愛し続けることができるだろうか。

あれから数年が経った、今、ぼくは深大寺の境内にいる。今日こそ彼女に愛を伝えるつもりだ......。父が母に永遠の愛を誓った、このスノーホワイトの白い花の下で......。

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<著者紹介>
青木 太郎 (東京都府中市/40歳/男性/自営業)

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