私は自分の名前が嫌いだ。虎。あの凶暴な肉食獣である。その名前をなぞるように私は育った。幼い頃から名前をからかう男子がいれば拳を浴びせてよく暴力沙汰を起こしては母が同級生の家へ謝りに行った。そんな私も高校生になり周りの女の子達を見つめるとみんな恋に浮き足立っている。恋人がいる子もいれば、片思いの子もいる。問題は、恋をしていない子が私以外にいないことである。蒸し暑い教室の中、白い夏服たちが眩しい。汗をかいても、女の子はどうして花のような匂いがするんだろう。私の浅黒い肌からは獣みたいな汗臭さしか感じず、扇ぐ手を止めて窓の外へと目をやる。どこまでも高く青い空に白い雲たちが楽しそうに泳いでいる。私は独り置いて行かれたような気持ちになる。「虎は好きな人いるの?」とうとう私に白羽の矢が立った。女の成分がまるでない女がどんな男を好きになるのだろうと、女の子達が私を囲み固唾を飲んで答えを待っている。「いるよ、当然。」言ってしまった。その後も聞かれるがまま答えていくと、私は同じ陸上部の先輩のことが好きで、今度の日曜日にデートへ行く約束をしていることになってしまった。
 その時だった。何かが倒れる鈍い音、女の子の甲高い叫び声、男子の低いどよめきが一斉に上がった。何が起こったか半分私にはわかっていただけに、誰よりも速くそこへ駆けつけて倒れている人間を抱き起こし背負って運んだ。
 もう一つ大嫌いな名前がある。
 「瑞希君、また倒れちゃったのね。いつも悪いわね虎ちゃん。」
 保健室の先生が見つめる先、白いベッドの上に白い人影がある。瑞希。女の子みたいな名前だと幼い頃からよくからかわれていた。言われる当人も困ったように微笑むだけだった。私はそれが許せなくて、からかう男子を虎のように追いかけては懲らしめた。目の前で眠る瑞希は華奢で折れそうな体をしていて、青白く整った顔立ちは人形のようでこのまま目が覚めないんじゃないかと思う。瑞希が何度倒れて私が何度こうして運んでも、この不安な気持ちだけは慣れることができない。長い睫毛が、揺れた。ゆっくりと開いた瞳に見つめられる。「虎、ごめん。」まだはっきりしない頭でいつも最初にそう言う。そしてまた翳りのある微笑みを向ける。私はやっぱり許せない。唇を噛み締める。瑞希はいつも悲しそうな顔でしか笑えない。瑞希の生まれながらに弱い体を、憎む。病魔を追い立てて懲らしめることはできない。それならせめて私の男勝りな力を瑞希に少しでも分けてあげられたらいいのに。放課後の始まるチャイムが鳴り、瑞希がゆっくりと起き上がる。
「虎、陸上部の時間だよね。俺のことは大丈夫だから、行って。」
私は首を振る。家まで送っていくよ、そう言おうとした時、
「ここから、陸上部の練習が見えるんだ。」
 窓から風が吹いて、彼の三日月みたいに儚げな横顔に、色素の薄い髪が陽に透けてさらさらと揺れる。
「虎が走っているのを見ると、俺も風を感じることができるんだ。」
 その言葉に背中を押されるようにして、私は土埃舞うグラウンドへと向かった。いつものように練習をした後、先輩をデートに誘った。驚いたことに先輩は肯いてくれた。この様子も瑞希に見えているのかなと思うと、なぜか胸が痛んだ。その針のような痛みのせいで保健室の方を見ることができなかった。
 土曜日、晴天の下、私は瑞希と深大寺行きのバスに乗っている。明日に控えたデートの予行練習に付き合ってもらうことにしたのだ。
 「そういえば、なんで深大寺?深大寺と言えば」「蕎麦」と私が答え「植物園」と瑞希が同時に言う。私達が分かれた意見を延々と言い争っていると、坂道を上るバスはいつのまにか終点の深大寺前へと着いた。
 緑が、深い。さっきまで街中にいたのに、不思議だ。バス停から一歩足を踏み入れると石畳の床が涼しい。両脇にお土産さんが並んでいて、まるで縁日みたい。どこかで風鈴が鳴る。一つ一つのお店を丁寧に見ている瑞希の腕を引っ張る。まるで小さい頃に戻ったみたいだね、そう笑うと、瑞希も魔法がかかったみたいににっこりと微笑んだ。私は瑞希のそんな曇り無い笑顔を見たのは初めてだったので、見入ってしまった。
木漏れ日輝く緑の屋根を潜り抜け、絶えず清水の流れる音を辿って、私達は水車の回る蕎麦屋さんを見つけた。澄んだ空気と薫高く冷たい蕎麦が、咽喉を滑り落ちていく。私は大盛りを頼んでもまだ食べたくて、瑞希が笑いながら少し分けてくれた。
再び二人で歩き出すと、不意に塔が現れる。天へ向けて立つ、動物霊園の慰霊塔だった。
 「いつだって、虎なんだよ。」
 塔を見上げる瑞希が、そのままどこか遠くへ行ってしまいそうで、
 「俺に、生きろって元気づけてくれる。」
 私は瑞希の腕を掴んだ。大丈夫どこへも行かないよと瑞希が微笑む。一陣の風が吹いて無数の葉が海の波のような音を立てる。その中に聞きなれない声がした。その主を見ると白い猫がこちらを見ている。私が思わず「おいで。」と手招きすると猫は走り去ってしまった。追いかけてみよう、と瑞希が私の手を引く。いつも私の背に隠れていた瑞希の背中をいま私は追いかけている。いつの間に、私よりも背が高くなったんだろう、こんなに背中が広くなったんだろう。小道を行くと、深大寺の境内に入る。お寺の建物の中から荘厳なお経が聞こえる。私の内に秘められた、生や、死や、苦や、喜びが、しみ渡ってくる、言の葉の波音だった。瑞希の足が止まる。いつの間にか賽銭箱の前に居た。手を合わせ二人それぞれ願いを唱える。目を開けると瑞希が私を見ていた。「何をお願いしたの?」そっと聞いてくる。瑞希の体が良くなるように。言えなかった。今日ここに来て、笑ってくれて、元気になってくれて、これ以上何を望むというのだろう。
最後に、隣接する神代植物公園へ行くことにした。普段は花に無関心の私でさえ色とりどりの花に囲まれることがこんなに嬉しいのだから、花が好きな瑞希はなおさらだろう。
 「私、全然女の子らしくない。こんな花たちみたく、綺麗になりたいよ。」
 「虎だって綺麗だよ。強くて美しいと思う。」
 何の悪びれた色も無くそう言われるとこっちの方が恥ずかしくなる。私は話を逸らそうとして「いい匂いだね。」と言って、花びらの中に鼻を寄せる。
 「花が似合うって、女の子らしいこと?」
 え?と彼の方へ向き直ると、私の鼻の上を彼の指先がなぞって、花粉が黄色く染めた。 
「花、似合うよ。」
 彼の笑顔が眩しかった。
 日曜日、曇り空の下、私は一人、深大寺行きのバス停へ向かっていた。慣れないスカートと踵の高いミュールを履いているせいで、うまく歩けない。私は先輩とデートをして恋をしてこれでやっと女の子の仲間入りだと自分に言い聞かせていた。空虚で真っ暗な心の穴に小石を投げているようだ。何も響かない。小石につまずいて、転ぶ。擦り剥けた膝と、踵の折れた靴。頬に、水の粒が当たる。空を仰げば、どんよりとした雲から雨が降っている。目から、次から次へと涙が溢れる。どしゃぶりの雨になる。私じゃない。こんなこと、私らしくない。苦しい。本当にしたいことは、違う。誰か、助けて。助けて、
 「瑞希。」
 開いた傘を、雨から庇うように私の上に差し出してくれた、その人は瑞希だった。
 「やっぱり、天気予報、見てないと思った。」
 走ってきたのだろう、息が苦しそうだ。体に障るのに、私なんかのために、走ったんだ。
 「バス停まで、行こう。」
 戸惑う私を無理やり背負って、歩き出す。彼の首筋からは薬の匂いがした。このままバス停で彼と別れてしまったら、もう一生会えないような気がする。怖くて、しがみつく。
 「これは、深大寺にある弁天池の伝説。」
 泣きじゃくる私をあやすように彼が語り出す伝説。昔々あるところに、一人の美しい娘がいた。そこへ青年が現れ娘と恋に落ちる。しかし、娘はやれないと両親は娘を池の中島へと閉じ込めてしまう。青年はただただ池のほとりで立ち尽くすしかない。毎日深沙大王に祈り続けもし娘に逢えれば社を建て貴方様を祀りましょうと誓うと、池から一匹の亀が現れ青年は亀の背に乗り島へと渡り娘と逢うことができたという。
 「俺はその亀になる。虎の恋を、叶えるから、だから、泣くな。」
 立ち止まって苦しそうに大きく息をしては、また歩く。そうしながら「でもうまくいかなかったらごめん、俺のせいだ。」と呟く。
 「昨日お寺で虎の恋の成就を願うべきだったのに自分のことを願ったんだ。今隣にいる女の子と結ばれたいって。でも俺、体は弱いし、男らしくないし、だからせめて」
 「馬鹿!」
馬鹿は私だ。女の子らしいことにこだわって、ありのままの自分に嘘をついて、
「弱いとか男らしくないとか、関係ない。私だって瑞希が好き。だから、今日行きたくなかったの。」
 静かに降ろしてくれた、そのバス停に先輩はいない。きっと遅刻を怒って帰ってしまったのだろう。私達は顔を見合わせる。
「先輩に電話で謝ったら、虎の靴を買ってこのまま深大寺へ行こう。」
 「でも、雨だよ。」
 「雨の深大寺も乙かもよ。」
 私の知らない、大人びた笑顔で瑞希が誘う。もっと知りたくて、私は肯いた。

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<著者紹介>
斉藤 努 (京都調布市)

東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

「味の素スタジアム(調布庁舎)」では、3月17日(金)午後5時より、地震に伴う福島原子力発電所の事故により避難された方の受け入れを行ってまいりましたが、このたび地震で被災された方の受け入れも行うこととしましたので、お知らせします。

1.受入対象者
  (1)福島原子力発電所の事故による避難者
  (2)地震による被災者
2.受入場所
  味の素スタジアム(調布庁舎)
3.受入可能人数
  約700人
4.受入期間
  4月半ばまでに延長

【避難者の緊急受入れに関するお問い合わせ先】
 東京都総務局総合防災部 03-5320-4007
  詳しくは東京都のHPをご覧ください。 (pdfが開きます)

 三日三時、深大寺にて待つ
 あかりからの年賀葉書に書いてあった文面に頭を抱える。これじゃぁ年賀状じゃなくて果たし状だ。中三にもなって、全体何を考えているんだか。
「いいじゃない、慎太郎。ちゃんとこうして2人で合格祈願に来れたんだから」
「そうだけどさ。家が隣同士だから結局同じバスで来たじゃん。深大寺で待つも無いだろ」
「ユーモアよ、ユーモア」
 僕とあかりのユーモアセンスには深くて大きな溝があるらしい。いくら幼馴染で似たような環境で育ったとは言え、こういうのは先天的な物のようだ。
「でもさ、お正月も3日だって言うのに、すごい人手ね。まさかお参りするのにこんなに並ぶなんて」
「だね」
 僕らは参拝客の列に並んでそのうんざりする長さに肩をすくめた。動き回っているならまだしも、こうやってじっと立っているだけだと余計に寒さが身に染みる。僕らは両の掌に何度も息を吐きかけて擦り合わせたり、その場で足踏みしたりして寒さをしのいだ。のろのろとしか進まない参拝の列がうらめしかった。ようやく表門をくぐって大きな香炉のところまでやって来たころには、僕らの体はすっかり冷えてしまった。もくもくと漂う線香の煙は涙腺や鼻の粘膜を刺激したが、冷えた体にはその温かさが有難かった。
「慎太郎、ちょっとは頭よくなるように、ちゃんとお線香の煙かぶっときなさいよ」
「あかりはついでに顔にもかけときな。ご利益で可愛くなるかもよ」
「結構です。私は元々可愛いですから」
 全く可愛くないことを言う。黙っていれば良家のご令嬢に見えなくもないのに。
 やっと賽銭箱の前までたどり着くと、僕らは財布から百円玉を1枚取り出して放り込んだ。競うようにして威勢良く鈴を鳴らす。勢いで危うく拍手を打ちそうになるのを押し留めて手を合わせ、目を閉じて受験合格を祈願する。お寺で拍手を打った日にゃあかりになんて言われるかわかったもんじゃない。危ない、危ない。もう頃合いだろうと思って目を開けると、あかりはまだ目をつぶって手を合わせていた。
 神妙な面持ちで祈るあかりの横顔に僕は見とれてしまった。
 この前あかりと深大寺に来たのは中二の夏だった。あの頃、僕はあかりのことが気になって仕方がなかった。それが恋なのかそうでないのか未だに自分でも分からない。
 結局僕らは幼馴染以上にも同級生以上にも進化することなく、時の流れのまま受験戦線へと突入した。今思うとこれが僕らのベストな距離で、あの頃の気持ちはしあわせな勘違いだったのかも知れない。そんな枯れた想いでいたのに、どうして今あかりの横顔にどきどきしてるんだろう。
 僕がひとり悶々としていると、ようやくあかりが目を開けた。
「百円ぽっちで長々とお祈りされても、神様も迷惑だろ」
「いいのよ、受験生なんだから」
「だいたいさ、深大寺の神様って縁結びの神様だろ。受験は管轄外じゃないの」
「いいのよ、ついでなんだから」
 何がついでなんだか分からなかったが、それは置いておいて僕らは人の流れに任せて門 前のみやげ物屋が並ぶ通りを歩いた。
 冷たい木枯らしが頬をかすめていく中、「甘酒」と書いたのぼりが魅惑的にはためいていた。僕らは茶屋で甘酒を飲んでひと息つくことにした。
 茶屋の長椅子に並んで座り、甘酒の入った紙コップを両手でつつんで暖をとりながらすすると、滑り込んだ熱々の液体が口の中いっぱいに甘さを振りまいた。
「美味しい」
「温まるね」
 僕らはふうふう言いながら甘酒をすすった。
「慎太郎が受験する高校ってさ、大学の付属だったよね」
「そうだよ。理工系の私大の付属」
「私の高校も短大の付属校なんだ。女子高なのは気に入らないけど、もう一度受験勉強しなくてもいいのは、ありがたいかなって思うんだよね」
 あかりは志望校を決めるのにひと悶着あったらしい。女子高なんか行かないと頑として言い張ったあかりが、結局はお母さんが進めるお嬢様学校を第一志望にしたのは、僕が志望校を私立の理数科高校一本に絞ったのと同じ時期だった。
「高校に受かったら大学までエスカレーター式だもんね」
「まあね」
「大学生になったらさ、合コンとかするのかな」
「さあ、するかもね」
「合コンてさ、男の子と女の子が一緒にお酒のんでおしゃべりするんでしょ」
「そんなもんかな」
「ねえ、今から練習しない?丁度お酒もあるし」
 また妙なこと言い出す。お酒と言っても甘酒だし。しかし僕の反対意見など昔から通った例がない。結局あかりに押し切られて「合コンごっこ」をする羽目になったのだった。
 しばしの間、2人で向かい合って無言で甘酒をすする。こうやって改まって顔を合わせると、気まずいというか気恥ずかしいというか、なんか妙な気分だ。
「ねえ、質問かなんかしなさいよ。こういうのは男の方から話すものよ」
「え?あ、うん。そうか」
 一抹の理不尽さを感じながらもそんなものかと思い質問を考える。
「えと、あかりさんのご趣味は?」
「絵画を少々。慎太郎さんは?」
「パソコンを少々」
 何かが違う。
 しばしの沈黙の後、あかりのやめようかのひと言で「合コンごっこ」はあえなく打ち切りとなった。緊張から解き放たれやれやれと思う反面なぜか残念な気もした。
「そう言えばさ、慎太郎、2年の女子に告られたんだって?」
 甘酒が気管に入ってむせる。なんでそんなことをあかりが知っているんだ。
「うん。まあそうなんだけどさ。断ったよ」
「えーっ?なんでそんなもったいないことするのよ」
「いや、一応受験生だしさ」
 それにもし他のコと付き合ったりしたらあかりとこうやって馬鹿話なんか出来なくなる。
「だったらさ、受験が済んだら付き合っちゃえば?」
「そうだな。考えとくわ」
「ねえねえ。初デートはどこにする?」
 曖昧な返事で話題を切り上げようと思ったのに、女というのはこの手の話が大好きなので困る。デートコースなんて考えたこともない。
「えーと、調布のパルコにある本屋で待ち合わせして、パルコで映画見て、パルコでお茶して、パルコでウィンドウショッピングでもするかな」
「あんた、パルコから一歩も出ないつもり?」
 どうやらあかりのお気には召さなかったらしい。調布のパルコがダメなら、吉祥寺パルコっていう手もあるぞ。ちょっと遠いけれど。
 ひとつ大きくため息をつくとあかりは恩着せがましくこう言った。
「しょうがないわね、慎太郎は。受験が終わったら私がデートの練習台になってあげる」
 一体、どんな三段論法を使うとそんな結論が出るのやらわからないが、兎に角受験が終わったら僕はあかりとデートをすることになったらしい。
「それまでお年玉使わずにとっておいてね」
 こいつ思い切りたかる魂胆か。それでも何故かウキウキとして拒めない自分がいた。
 いい加減甘酒も無くなったので、僕らは茶屋を後にした。いつの間にか参拝客はその数を減らしお参りの列は短くなっていた。
「見て見て、慎太郎。雪だよ」
「本当だ。寒いはずだよ」
 僕は空を見上げて雪模様を眺めた。ちらちらと天から雪がひとひら、またひとひらと舞い降りて来る。そうしていると僕の背中に回ったあかりが後ろから抱きつくようにして僕のコートのポケットに手を突っ込んできた。
「慎太郎のポケット、温かーい」
「ちょっ、あかり、おまえ何やっ」
「お願い」
 僕の抗議はあかりの真剣な言葉で遮られた。
「お願い、ちょっとだけこのままいさせて」
「あかり」
 背中にもたれかかるあかりの重さを感じる。
「私ね」
 あかりがためらいがちに言葉を紡いだ。
「私、慎太郎と同じ高校に行きたかったんだ。中学までずっと同じだったんだもん」
 胸の奥で何かがキュッと絞めつけられた。僕は答える代わりにポケットに手を突っ込んで、あかりの冷たい手を握った。あかりの手がほんのりと温かくなる頃、僕はひとり言のように言った。
「受験、早く終わるといいな」
 うんと言ったのが背中から聞こえた。
「そしたらデートだよ」
「ああ」
「練習だけどね」
 あかりがいたずらっぽく笑った。
 今は冬。手がかじかむぐらい寒い冬。でも、冬の後には必ず温かい春が来る。きっと今年の春はいつもより温かいに違いない。
 僕らはしばらくの間、そのまま雪模様の空を見上げた。

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<著者紹介>
前山 尚士 (東京都調布市/男性/会社員)

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