「あ」
 深大寺本堂のすぐ近く、釈迦堂脇の池の中にゆっくりと動くものを見つけた。
「よっちゃん」
「よっちゃん?」隣で泰弘が聞く。
「ほら、あそこ。池の隣。ミドリガメ」
「あ」

 よっちゃんは小さなミドリガメだ。出会いは私が泰弘と付き合い始めた大学三年生の夏。近所の祭りの縁日で売られていたそのミドリガメが何だか物哀しく見えたので、泰弘にお願いして彼のアパートで飼い始めた。露天商のおじさんが「亀は50年生きるから」と言うものだから、よっちゃんが寿命を全うするとき、私たちもおじいちゃんとおばあちゃんだね、まだ一緒にいるのかな、などといって二人で笑いあったことを覚えている。

「本当にあのよっちゃんかな」
 泰弘が遠慮がちに言う。泰弘は信じていないけど、私は構わない。
「こんなところにいたんだね、よっちゃん」

 よっちゃんはあのアパートにきてから、僅か一ヶ月で失踪した。二人で大学から戻ったら水槽からその姿が消えていたのだ。
 泰弘の「小さなよっちゃんが、この高さの水槽から自分で外に出るなんてありえない。野良猫のせいかな。窓開けっ放しだったし」という推理は、おそらくその通りであった。しかし、私には到底受け入れ難いものだった。なぜなら同棲の真似事を始めて、最初にあの部屋に来たのがよっちゃんだ。初めて二人で育てたのがよっちゃんだ。だから私は「よっちゃんはどうにかして自分の力で出て行った」と主張し、私の鬼気迫る勢いに押された泰弘は最終的にその説に同意した。
 つまり、私にとってよっちゃんは、自分でその水槽から出て行ったのでなければならなかった。断じて、野良猫などに連れ去られてはいけない。そう思っていた。

「そうかなぁ」
 それなのに、目の前にいるこの男は、池の傍でのんびりとくつろいでいるこのミドリガメをよっちゃんだと認めようとしない。いや、そもそも私はこのカメがミドリガメなのか、あるいは他の種類のカメなのかもわからない。それでも。
「よっちゃんだってば」
「そっか。そうしたらきっとそうだ。よっちゃん、15歳くらいになるんだね」
 まただ。またこの男は、適当に話を合わせる。いつだってそうだ。

 結局私は大学時代をそのまま泰弘と過ごし、卒業して文具メーカーに就職した。泰弘も大手家電メーカーに就職し、いい機会だからと私たちは卒業と同時に小金井を離れ、都心のマンションへと引っ越した。そして3年後、「結婚もしないで何年も同棲するなんて恥ずかしい」と言う母のために籍を入れ、晴れて夫婦となった。

「こんな所にいたんだね」
 思わず笑みがこぼれた。懐かしい。
「少し歩かない?」
 怪訝な様子で泰弘が応える。
「あれ、まだお参りしてないけど」
 構わず山門をくぐり、小さな橋を渡ると、泰弘が慌てて追いかけてきた。

 結婚しても生活は何も変わらなかったが、それなりに幸せに過ごしていたように思う。

 山門を出て、蕎麦屋やお土産屋の並ぶ道を歩きながら、泰弘が言う。
「今日ここに誘ってくれてありがとうな」
「どうして」
「よっちゃんいたじゃん」

 私たちは、子供が欲しかった。しかし、初めての仕事もそれなりに楽しかったし、なにより就職したての私たちは生活するのでいっぱいいっぱいだった。もう少し仕事になれたら、給料が上がったら。そうやって20代を過ごした。
 30歳が迫ってきた頃、私たちは子供をつくることにした。しかし三ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、一年が過ぎる頃、仕事を辞めれば子供ができる、という義母のアドバイスがきっかけであっさりと退職した。そして、共働きでなくなった私たちは、再び西東京へ戻ってきた。

「よっちゃんいたじゃんって、泰弘あのカメがよっちゃんって信じてないでしょ」
「そんなことないよ」
 退職して西東京に戻ってからも、妊娠の兆候はなかった。毎月がっかりすることに疲れた私は、期待するのをやめた。当然次第に子作りとは疎遠になり、私は毎日泰弘の朝ごはんを作り、洗濯と掃除をした。そして泰弘は出世したのか残業が増えたのか知らないが深夜の帰宅が増え、私は一人で夕飯を食べた。そして子供の話は我が家ではタブーとなった。

 学生の頃の私たちは休みになると自転車で色々なところへ出かけた。小金井公園や井の頭公園、野川公園、近所の小さな公園へ行って、何をするでもなくただ日が暮れるのを待った。深大寺もその頃、よく来た場所のひとつだ。蕎麦は滅多に食べられなかったけど、団子をよく二人で分け合って食べた。ベンチに腰掛け、沢山話をした。

「覚えてるか、縁結びの神様の話」
 池を見つめながら、泰弘が言う。

 ある男がお金持ちの娘に恋をして手紙をたくさん送る。でもその娘のお父さんが、どこの生まれかもわからない男はだめだと怒って、娘を小島に隔離してしまう。しかし男が強く願うと、どこからか大きな亀が現れて、娘のところに連れて行ってくれる。そんな加護をうける男ならばと、お父さんが許してくれる。そしてその二人の間にできた子供が、やがて深大寺を開創することになる。

「覚えてるよ」
 忘れるはずがない。幾度となく、ここに来るたびにその話をした。
 池の水面を見つめる泰弘の顔が、少し緊張している。
「俺は昔、何度もここでお願いしたよ。『有未と幸せになれますように』って。絵馬にもそう書いた」
「うん」
「そして僕たちは結婚した。でも」
「でも?」
「うまくいってない」
「縁結びの神様も、結婚から先は管轄外なのかもね」
 泰弘が振り返ってこちらを見た。
「でも今日、よっちゃんがまた現れた」
「よっちゃんは猫が連れていっちゃったんじゃなかった?」
 さっきから言い出せない言葉がずっしりと、私の頭に重くのしかかっている。子供ができなかったことをきっかけに、私たちは薄暗い影の中で、彩りを失った生活を送っている。
「有未がどうしてここに来ようって言ったか、僕にもわかってる」
 お母さんに買ってもらったお団子をもった子どもが、脇を走り抜けていく。その横でなんじゃもんじゃの木は鮮やかな緑の葉を蓄え、天に伸びている。
「どうしてこうなっちゃったんだろう」
「よっちゃんはさ」
 泰弘が振り返った。
「やっぱり自分で出て行ったんじゃないかな。そしてさっきの亀はやっぱりよっちゃんだ」
 こんな時でも、泰弘はやっぱり適当なことを簡単に口にする。
「だから、もう一度やり直さないか」
「え?」

 この男は何を言っているのだろう。
「ここは縁結びの神様だろ? で、僕たちはよっちゃんにまた会えた。きっとよっちゃんが、僕たちをまた繋いでくれる」
 いつだってそうだ。いつだって適当なことを言ってごまかしてきた。でも。
「ちゃんとお参りしよう」
 目の奥深くに熱がこもる。

 山門に向かう泰弘を追いかけ、声をかける。
「帰りにお蕎麦食べようか」
「いいよ」
 少し赤い目をした泰弘がこちらを振り返る。

 その日の帰り、二人でもう一度池を探してみたけれど、いくら探してもよっちゃんの姿は見つからなかった。

 久しぶりに深大寺に行ったあの日から、2年が経った。今、泰弘が車でこちらに向かっている。ダッシュボードには、深大寺で買った赤い達磨のステッカーが貼ってある。
 時計を見ると23時を回っている。陣痛室に入って2時間、お腹の子はまだ出てくる気配はない。
 私は陣痛に耐えながら、元気な子が無事に産まれるように、ついでに泰弘が間に合うように、神様に祈った。
 よっちゃん、どうかよろしくお願いします。

奏晴太(東京都杉並区/36歳/男性/会社員)
――東京の冬は寒い。
バスの扉が開いて、外に出る時、耳元で彼の声が聞こえたような気がした。
戸田瑶子は彼と付き合い始めて、二度目の冬を迎えようとしていたが、今、待ち合わせをしているのは、その彼ではなかった。
「戸田さん、ここ」
 河合が微笑んで、片手をあげるのが見えた。こんな風に職場以外で会うのは初めてのことだった。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
「こら。そっちから誘ったんだぞ」
 河合の冗談めかした言い方に、河合の優しさが感じられた。瑶子も口角をあげて笑顔を作ってみせる。
職場の飲み会で、酔った瑶子が深大寺に行こうと河合を誘ったというのは嘘ではないだろう。河合が嘘をつくような男でないことは、入社してからのこの六年間でよくわかっていた。それよりもわからないのは自分の気持ちだった。去年、一人で過ごした年末年始の寂しさを、また今年も味わうことになることを恐れているのか、それとも自分のことを想っていると知ったことで、河合に甘えてしまったのだろうか......。
参道の石畳の上を参拝客達がゆっくり歩いていく。師走に入り、風はひんやりとしていたが、日差しは明るく穏やかだった。
「まずはぶらぶらしてみるか」
 河合と肩を並べて歩きだすと、どこからか、微かに煙草の臭いがしてきて鼻を掠めた。瑶子は子供のころから、父親の吸う煙草の臭いが大嫌いだった。今でも他人が吐き出すその臭いは苦手だった。それなのに、彼が煙草を吸っている姿だけは好きだった。煙の匂いさえ愛しくなった。彼が瑶子のアパートの部屋から帰ってしまったあとでも、灰皿をそのままにした。何日も何日も吸い殻を見詰めながら、次に連絡がくるのを待った。そして、彼から電話があると急いで灰皿を洗い、棚の奥に隠した。
「見て、これ、面白いよ」
 混雑した土産物店の中で、河合は手にした妖怪の図柄の手ぬぐいを振っている。その河合の姿がふっと自分の姿に変わる。店の入り口に面倒くさそうに立っている彼に、はしゃぎながら微笑みかけている自分の姿――。いつも不機嫌そうで、半分死んだ目をした背の高い男。休みの日に外でデートをしたことなど一度もなかった。いつも唐突な夜の来訪を待っているだけだった。一人きりの週末をもてあますようになった瑶子は、ふと思いたって子どものころ以来、行っていなかった寺や神社に行ってみることにした。一月の終わりに成田山に初詣に出掛け、湯島天神で白梅を眺め、目黒不動尊の桜を一人で見上げた。明治神宮のパワースポットと言われる井戸の水を手に浸し、行ける範囲のあらかたの寺社仏閣をまわったあとで、深大寺まで足をのばした。新緑の美しさと幸せそうな人々の行き交う参道にそれまでにないものを感じた。故郷に帰ったような心地がした。住んでいるアパートからかなり遠くはあったが、春から秋にかけて何度か、一人でこの森を訪れた。秋までは良かった。一人で歩いていても彼のことを思うたびに、幸せを感じた。付き合っている人がいる、心底好きな人がいる、それだけで瑶子は満たされていた。
「どうしたの?」
 怪訝そうに河合が瑶子の顔を覗き込む。
「ううん、......なんでもない。あっちの店、行ってみましょう」
 河合は、瑶子に付き合っている男がいることを知っていた。瑶子が職場で、そのことを隠さなかったからだ。そして、思いがけず、河合から、彼と別れて自分と付き合わないかと言われたのは、先月のことだった。もちろん、瑶子は即座に断った。
灯りの弱かった店内から外に出ると、まぶしさに目を細める河合の横顔が思ったよりも近いところにあり、瑶子は慌てた。
「昼飯、どこの店がいいかなあ。って、まずは先にお参りか」
「......お参りはあとにしてもいい?」
 迷っていた。一年半という歳月が迷いを生じさせていた。これからくる冬が怖かった。河合となら温かな将来を思い描くことは簡単かもしれない。
「そうだな、まずは蕎麦だ、蕎麦」
 河合の肩越しに野点傘が見えた。冬の白っぽい陽光の中で光の粉を撒いたかのように傘の表面が輝いている。その下の赤い日陰の中、小さな女の子を真ん中に挟んで若い夫婦が腰掛けているのが見えた。

 去年の夏、友人に誘われて仕方なく見に行った小さな劇団の舞台が終わり、出待ちをするという友人に先に帰るからと告げ、通りに出た途端、土砂降りの雨が降り出した。バッグから取り出した折り畳み傘を広げて差すと、後ろから走ってくる足音が聞こえた。いきなり男の手が伸びてきて、傘の柄を持った。ぐっと傘が高くなった。舞台に出ていた男だった。
「入れてってよ」
低い声だった。瑶子が驚いて仰け反り、男を見上げると、男は無表情なまま剥き出しの腕で瑶子の肩を抱き寄せた。
「濡れちゃうよ。――腹へったな」
 男は瑶子の部屋に来て瑶子の作ったものを食べ、眠り、そして、翌朝帰って行った。その日以来、瑶子は自分がそれまでとは違う女になったような気がした。
 
 手にしたメニューの向こうから河合の声が飛んできた。
「俺、天ざる。――ほら、早く決めないと。それでなくても嫁き遅れてるんだからさ」
「ひどーい」
河合の冗談に瑶子は笑った。
「それにしても、あんなに酔っぱらっちゃうとはね......」
「たまにはそういうこともあるの」
「......俺のほうが、本当の戸田さんをよく知ってるかもよ」
 河合が真剣な眼差しで瑶子を見つめた。 不意打ちをくらって、瑶子はたじろいだ。元々は生真面目な性格だった。普段真面目な分だけ、酔って本音を吐露してしまったのかもしれない。それとも、河合にだから、気を許してしまったのだろうか。そう思いたかった。
河合の顔から視線を外した先で、年配の男がポケットから煙草とライターを取り出すのが見えた。「ここ、禁煙か」と呟き、手持ち無沙汰にライターの蓋を開いたり閉じたりしている。独特の金属音が店内に響いた。その音につられるようにして、またひとつの記憶が過る。
煙草に火を点ける彼の指先を瑶子はじっと見ている。自分が誕生日にあげたライターを「失くした」と言い、誰かにプレゼントされたに違いない真新しいジッポーを「拾った」と平気な顔をして言った――。そういう男だった。
恋とは一体なんだろう。いつだって一番好きな人には本気で好きになってもらえない。

蕎麦を食べ終えて、二人は店の外へ出た。参道は短く、小川を挟んで山門が見えた。小さいながらもふっくらとした茅葺屋根を載せた風情のある山門だった。
十段ほどの階段を上がりきったところで、瑶子は足を止めた。
「どうしたの」
 河合が向き直る。
「私......」
見上げると山門が瑶子の心の底を射抜くように思えた。他の男のことばかり考えながら、二人を天秤にかけている――。罪悪感という言葉が心に浮かんだ。何も言えずに瑶子は俯いた。河合は瑶子の気持ちを察しているようだった。わざとおどけたような声で言う。
「お寺の門って、山になくても全部、山門っていうんだな。――ここから先は神聖な場所だから、不埒な心のやつは足が止まってしまうんだな、きっと」
「そう。私、嘘つきだから......」
 込み上げてくる言葉を堪えて、唇が震えた。嘘をついているのが辛かった。
「彼と......、彼とここに来たかった――」
「知ってる。あの時、そう言ってたから」
 瑶子は驚いて、河合の目を見た。今まで見たことがないほど強い光がその瞳にあった。
「だけど、もうやめたほうがいい」
「......」
「君がしているのはいい恋愛じゃない」
「恋愛に、いいも悪いも――」
「ある。......あるんだよ」
 河合の声は深く穏やかだった。
「いちばん来てほしいところに一緒に来てくれないような人はいい恋人じゃない」
 涙が零れ落ちていく。
河合が行き過ぎる人に見えないように瑶子の頭を肩に引き寄せた。
「彼のこと考えるのは、もうここまでにして」
瑶子は小さく頷いた。
「さあ、行こう」
 河合が瑶子の手をとる。
 温かな手だった。

玖保アキ子(東京都)
 「ごめん。俺、里香とは付き合えない。別に里香が嫌いなわけじゃない。このままっていうか、友達のままでいたい」友達のままか。人を振る時のお決まりに聞こえる返事。今日里香の中での成功の確率は五十パーセントぐらい。だけど自信はあった。でも彼からの返事は「ノー」。告白の帰り道、里香は雨が降る中、家の近所にある深大寺へ歩いて行った。山門をくぐり、本堂にお参りする。告白前も来た場所。雨のせいか人もまばらだった。今日は結果を報告するためだ。ダメだったことを。涙は出てこなかった。雨が里香の代わりに泣いているようだ。
 里香の告白の相手は金田。高校の同級生だった。大学は別になってしまうので、卒業後に金田に会った時と決めていた。それが今日だった。高校の卒業式を終え、大学の入学式前の春休みで、最初に金田と会った日。里香としては告白するタイミング、その他諸々の、高校時代とは違う、メイクとか、洋服とかの準備も抜かりなかった。そもそも里香と金田は高校時代から、「友達」として、学校外で頻繁に会う程仲がよかった。金田だって里香に告白される前から里香の気持ちに気が付いていたはずだし、金田には現在、付き合っている女の人はいないはずだ。振られるということがこれ程ショックだったなんて。里香の心はずっしりと重い。だから深大寺までの足取りも重かった。振られたことには一定のショックはあるものの、里香は諦められる気がしなかった。深大寺へ報告の際に、「また告白したいので、力を貸してください」とお参りする。里香は告白前よりも倍の時間をかけてお参りをした。里香は深大寺とその周辺は、「近所に住んでいるから」という理由以外で詳しい。それが里香と金田との『友達』のきっかけだったから。
 里香と金田の通っていた高校は調布市内にある。二人は高校で一年生の時に同じクラスだった。文化祭でクラス内の出し物を決定する時、自分達でシナリオを書いて映画を制作しようという話になった。その際ロケ地として利用したのが深大寺と神代植物公園だった。映画自体は素人の高校生で制作したので出来はよくなかったが、この準備を通してクラスの全員が仲良くなり、里香は金田と特に仲良くなった。文化祭の準備のため、深大寺周辺に二人で下見に行ったりもした。金田はクラスのリーダーから場所の確認を頼まれたが、そもそも深大寺と神代植物公園について全く知識がなかったようなので、里香はインターネットでも調べて金田のアシスト作業に徹した。小さい頃からしょっちゅう来ている場所だったし、ネットで調べて知識にも自信があった。資料を金田に渡すと、金田はそれをすごく喜んでくれ、里香に対して、びっくりするぐらいの感謝をしてくれた。「いやぁ、俺調布にずっと住んでいるけど、深大寺のこと全く知らなかったからさ、本当にありがとう」と、何度も何度も里香に言ってくれた。これを機に二人の距離はぐっと縮まったのだ。金田が里香に「必死に感謝」する様子が、とても人として尊敬できると思った。文化祭が終了する頃には、里香は金田に恋愛感情を持つようになった。何より、深大寺は縁結びや、パワースポットとしても有名で、それがきっかけでの片思いであり、里香は金田に対して運命を感じずにはいられなかった。
 金田は元々男女問わず、人に優しく接するタイプで人気者だった。里香は一年生のときに仲良くなって、二年、三年とクラスは違ったが卒業までずっと仲が良かった。金田は里香と話すときに他の男友達と同じ扱いをしなかった。ちゃんと『女子』としての扱いをしてくれた。それがとても嬉しかった。金田のことをいいと思っている女子は他にもいたが、その中でも一番優先されていたのも里香だったことは自身がよく知っている。一年の時の文化祭終了後も時間が合えば一緒に登下校したり、調布駅周辺でお茶をしたり、デートのようなことも沢山してきた。一度だけ文化祭のあと深大寺に二人で来たこともあった。その時は二人で鬼太郎茶屋に入って土産売り場をうろうろした。あのときソフトクリームを食べたっけ。本当にデート気分を味わえた。金田が買っていた妖怪のキーホルダーをこっそり真似して里香も買った。バレないようにカバンの隅にいつも入れていた。勿論金田は知らない。二人だけの秘密みたいでこのキーホルダーはこれからも捨てられそうにない。
 里香と金田は受験期に同じ予備校に通っていた。偶然一緒になった。予備校には里香のライバルの女子がいた。彼女は隣の高校の制服を着ていた子で、同じ制服を着た男子といつも一緒にいた。名前は確か詩織。詩織の「彼氏」と思われる男子と金田は中学の同級生だという。里香は予備校に通っている間、不安でたまらなかった。詩織と彼氏の間に金田の入り込む隙なんて里香の目から見てもなかった。里香は金田の視線の先を見ると、怒りやら嫉妬やらが入り混じった気持ちになり、ヤキモキした。その度に詩織は深大寺にお参りし、気持ちを落ち着けたものだった。いや、縋る思いだった。そして、受験日近くになり、金田からメールがあった。「深大寺ってパワースポットで有名だよね?」と。話を聞くと、どうやら金田は詩織とその彼氏の三人で深大寺に合格祈願に行くという。里香も誘われたが、その日が予備校で欠席できない授業があったため遠慮した。かえってほっとしている自分がいた。里香と金田の思い出の地に他のカップルが混ざるなんて、と胸が締め付けられる思いがした。受験勉強に打ち込み、なんとかこの気持ちを乗り切った。そして卒業式前、金田と詩織、その彼氏が皆同じ大学に行くことになったと金田本人から聞いたのだ。
 雨は止む様子がない。寒い。里香は傘をさしながら深大寺から自宅へ歩いて帰る。ふいに涙と鼻水が出てきた。すると突然雨が強くなった気がした。傘をさしているが靴は勿論、今日の金田の為の、キメキメの洋服も顔のメイクも雨でぐちゃぐちゃだ。もう涙なのか雨なのか自分でも分からなくなり、家に着く頃には泣きながら笑っている自分がいた。
 告白して玉砕した日から三日後、里香と金田は深大寺で待ち合わせをした。里香から誘ってみた。断られるかとも思ったが、金田の「友達として」という言葉に嘘はないようだ。特別ぎくしゃくせずにお互い話ができた。ちょうどお昼時だったので二人で深大寺の蕎麦屋へ入る。里香は金田に振られてからの三日間で考えたことを話すつもりだった。近くに座っている客もおらず、里香は思い切って金田に言ってみた。「いつになるか分からないけど、ううん、何年後かも分からないけど。私はまた金田に告白すると思う」蕎麦をすすっていた金田は里香の『再告白』にびっくりし、むせたようだ。むせながら、「気持ちは有り難いと思う。というかありがとう」と言うのがやっとのようだ。金田は自分の食べているざるそばを見つめながら、ちょっと悲しげに、「いつも里香のことは有り難いと思っているし、これからも『友達として』なら尊敬し続けられると思う。俺は」里香も蕎麦をすすりながら金田の話に聞き入る。『友達』ばかりを強調され、涙が出そうになった。ごまかす為に慌てて鼻をすする。蕎麦を食べるのに集中しているフリをした。そして「うん」と短い返事を金田にしてから、「私も金田のことはずっと尊敬しているよ。きっとこれからもこの気持ちは変わらないと思うから」金田も短く「うん。ありがとう」と笑顔で返事をした。続けて、「でも本当に今は里香の気持ちは受け入れられないよ。恋愛感情はないよ?」「うん、だって金田はあの詩織ちゃんて子が好きなんでしょ?」金田は少しびっくりしながら、「バレてたか。確かにそうだった。でも彼氏もいる人だし。もう未練もない」と言った。また、金田は、「俺、予定では大学在学中に留学する。アメリカの大学に」突然切り出した。「それで留学の費用は自分でなんとかしろって親に言われているからサークルよりもバイトに力を入れていくつもりなんだ。今日も夜、バイトの面接。正直に言うと、今までみたいに里香とは会えないと思う。お互いの大学も近くないし」金田は悲しそうな顔で里香に言った。金田のことだ。嘘じゃない。里香を避けたいから言っているのではない。知っていた。留学のことは高校時代にも何回か聞いていたから。そんな金田を尊敬しているし、好きになった。「ごめん」金田がつぶやく。「ううん。でも金田のことはずっと好きだと思う」金田はまた悲しそうな表情で里香を見る。里香は慌てて「あ。でも大丈夫! 私も充実した大学生活送りたいし、バイトもサークルもしたい。お互い大学に入ったら、今までみたいに会ったりするのは難しいと思う。それは分かってる。でも、何かあった時は連絡してもいいかな? 会ってくれなくてもいい。電話でもメールでもいいから。私も金田に何かあった時は相談にのれる人でありたいし。その時は連絡して。それで、もし、何年か経った時に私の気持ちが変わっていなかったら。その時はまた金田に告白させてください」里香はいすに座ったまま丁寧に金田におじぎをした。涙は出ない。里香の最初で最後の精一杯の強がり。金田が消えそうな声で「ありがとう」とだけ言った。いつの間にか二人とも蕎麦を食べ終えていた。「帰りに深大寺へお参りしていこう」金田は里香に言った。金田と並んで歩いているとき、彼のカバンにキーホルダーがついているのを発見した。あのとき買ったお揃いの妖怪キーホルダー。金田は知らないが里香も持っている二人だけの秘密。里香は今の気持ちに強がりだけじゃないものを感じだ。やはり好きな気持ちは変わらない。さらに振られてへこむかと思ったが、里香は思いの外気持ちが晴れ晴れとしていた。里香はお参りで金田の倍の時間、彼の夢の実現と幸せを祈った。

いち子聡(東京都)
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主催

深大寺短編恋愛小説実行委員会
深大寺恋物語公募ポスター

第13回公募、募集開始いたしました。皆さまからのご応募お待ちしております。
募集要項の内容が変わりましたので、作品を書き始める前、そして投稿前に必ずご確認ください。
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ブログにて紹介させていただいております作品は、第一次審査を通過し、且つ、Wordや一太郎のデータにてご応募いただいた方の作品のみを掲載させていただいております。
掲載前には、直接メールでご連絡しております。
何卒ご了承ください。

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