私達が出会ったのは、春まだ浅き弥生のこと。大学の卒業旅行の夕食のバイキングの時、
「僕、高本翔次、これからよろしく」
と話しかけてきた。予期していなかったので、「私は、藤元つつじ」
とあわてて名前を言うのが精一杯だった。卒業旅行で「これから」はおかしいと思うだろうけれど、私達は大学院の修士への進学が決まっていて、彼の名前だけは知っていた。彼は他大学の英文科を卒業してから国文科に入学したためか、それまで出会うこともなく、この夜が「はじめまして」になった。
翌日朝方に河口湖畔を散策した時、少し離れて翔次がいた。何となく目があった私は、そっと微笑んだ。そして翔次も、そっと返してくれた。二人の間にぽっと点った灯り。翔次との空気感はこんな風にして生まれた。
卯月になって大学院が始まり、大学四年と比べたらはるかにキャンパスにいる時間は長くなった。彼は調布、私はつつじヶ丘と同じ私鉄沿線に住んでいて、朝からキャンパスへ向かう途中で彼と出会うことも少なくなかった。翔次と「おはよう」で始まる清々しい一日。教室に入ってから出会っても、彼は必ず微笑みを投げかけて、私の緊張をほどいてくれた。年齢は私より五歳上だったので、同級生といっても大きな包容力を感じていた。
皐月に入る頃には、私達は家に帰ってからの電話でも話すようになっていた。
「今度の日曜日、一緒にレポートやろうか」
と翔次が言ってくれたので、
「ねぇ、天気がよかったら、神代植物公園でやらない?」
と私も思い切って問いかけた。
「いいよ」
あっさり翔次の答が返ってきた。その日曜日が晴れますようにと、私は幼子のようにてるてる坊主を作った。そんなお願いが天に届いたのか、日曜日は空が高く青く澄んでいた。
翔次が住んでいる調布からも神代植物公園へ行けるバスはあるが、
「つつじ住む つつじヶ丘まで お迎えに」
と彼がおどけて言い、つつじヶ丘からバスで一緒に向かった。花の季節は過ぎていたが、桜の樹木の並木をバスは進む。バスを降りた場所で、私は桜の樹下から太陽を見上げた。無数の桜の花びらが降りしきるような白い光を感じる。
「私、小さい頃はこの近くに住んでたの。ここに来ると、降るように舞い散る桜の花びら追いかけてた」
少女の目に戻っていた私を、翔次はあったかく見ていてくれた。
「ねぇ、葉っぱごしに太陽を見ると、緑の光が見えるのよ」
とさも私が発見したかのようにはしゃいでも、彼は優しく、
「そうだね」
と私の話を聞いてくれた。公園に入ってちょっと進むと、満開のつつじが私達を迎えてくれる。
「私が咲いてるって、ちっちゃい頃から思ってた」
「確かにすごいな。ここはつつじだらけだ」
そう言って、翔次は掌で軽く私の頭の上から小突いた。彼の茶目っ気は私にはうれしいもので、
「そう、つつじがいっぱい!」
と放った私の声は、伸びやかに皐月の空に溶けていった。園内を進んで、藤棚がある所まで翔次を連れて行くと、
「藤のもとにつつじで、私そのものでしょ」「あぁそれでつつじは、ここで勉強したがったんだな」
「うん」
と頷きながらも、翔次にここに来てほしかったんだよ...と心の中で呟いた。この景色の中に、大好きな翔次と一緒にいたいと思ったんだよ...。私達はもちろん勉強にも精を出し、佐藤春夫の詩に時に意見を交わしながら、レポートを仕上げた。
「ふぅ、やっと終わった。一生懸命やってたらおなか空いたね」
「深大寺そばってつつじの顔に書いてある」
と翔次は私の顔の前でそばという文字をなぞるようにからかい、さっと私の手を掴んだ。「つつじ、行こう」
「はい」
素直にそう答えたくなる翔次の爽やかさが、私の心に響いていた。私達は神代植物公園を奥まで進み、深大寺へ行ける道を辿った。小さい頃箱庭の品々を買い揃えたお土産屋さん沿いに、坂をちょっと下って行くと、見ていて飽きない水車がお店の前にあり、風情のあるたくさんのおそば屋さんが軒を連ねる。
「いっぱいあって迷っちゃうね」
「とにかく入ってみようっか」
と応じる翔次の後に続いて店内に入る。二人とももりそばを注文し、程なく運ばれてきた深大寺そばが、私達の空腹を満たしてくれる。
「さっぱりしてて美味しいね」
「おかわりしたくなるよな」
「勉強して深大寺そばのコース、いいと思わない?」
「うん、また来よう」
私達の楽しい語らいはそれからも尽きなかった。そして、また翔次とこういう時をもてそうなことが、私には何よりうれしかった。
果たして、翔次の言葉に嘘はなかった。水無月は梅雨の合間を縫って、紫陽花を愛でつつ万葉集のレポートをまとめたし、文月は、サルスベリを目にしつつ、修士に入って初めての試験勉強に二人で集中した。もちろん深大寺そばも食べに行き、小さい頃らくやきの絵を描いたお店を、翔次に案内もした。葉月はぎらぎらする太陽の下、暑いさ中だったが、
「自然の中で勉強するのが一番」
と彼は言ってくれ、スイレンで涼を取りながら夏休みの課題に取り組んだ。深大寺では、私が小学生の頃は釣りができるようになっていて、亡き父と鯉を釣った思い出話もした。ようやく暑さをしのげるようになった長月には、揺れるコスモスを目で楽しみつつ課題に追い込みをかけ、ほっとして後期を迎えた。
国文科共同研究室では、私達二人を指して、「もとじ」と呼ばれることもあった。たかもとしょうじとふじもとつつじで、自分達でも気づかない名前の偶然を先輩が見つけ、「二人まとめて速く呼べる」とは言われたものの、やはり仲の良さをからかわれていたのかもしれない。二人の時を楽しく穏やかに過ごせていたので、私達自身はお互いに何も口にはしなかった。私は翔次と一緒にいられればそれでよかった。むしろ気持ちを口にすることで壊れてしまいそうな純粋なものを、必死に守ろうとしていたのかもしれない。
神無月は神代植物公園のバラ園の散策を楽しみに明月記のレポートをまとめ、霜月には菊花展に感嘆した後、源氏物語の課題を二人で長考した。大分風が冷たくなって野外での勉強は難しいとも思われたが、霜月は翔次の誕生月で、お誕生日に神代植物公園に行くのは、二人の暗黙の約束のようになっていた。午後も遅くなって課題を終え、深大寺への道を二人で落葉を踏みしめ歩いていた。
「寒くなったね」
と翔次の方を見ると、彼がそっと肩を抱いてくれた。そして一瞬時がすべて静止したかのようになり、翔次は初めての口づけを私の唇にそっとしてくれた。どこまでも翔次の優しさが心に沁み入るような口づけで、このままいつまでも時が止まっていればいいと、私はその瞬間心底願った。翔次が私の唇から離れた時、「翔次...」と私が囁くと、翔次も「つつじ...」と囁いてくれた。私達二人には、もうそれがすべてのように充分な世界だった。
師走、睦月、如月の冬の季節はさすがに屋外での勉強はやめた。一度二人で勉強の息抜きに訪ねた時、落葉の狭間に黒い玉を見つけ、私は宝物のように大事に拾い上げた。
「これ、小さい時にも両親とここで見つけて、羽根突きの羽根の玉だって、植物図鑑で名前を調べたの。ムクロジっていうんだよ」
夢中になって喋る私を、翔次はいつものようにちゃんと見守っていてくれた。武蔵野の空の下で育んだ想いは、寒い季節も私達の心を温めてくれ、年末年始のレポートの山や、修士の学年末試験を乗り切らせてくれた。
やがて私達が出会った弥生が訪れる頃、翔次は中学校の英語の非常勤講師の職が決まった。翔次には英語の才能もあり、それで仕事に就ける翔次が、急にすごく立派に見えた。「つつじ、ごめん。今準備ですごく忙しくて、お花見に行けない」
「わかってるよ。それより健康に注意してね。応援してるから」
卯月を迎え、彼はいよいよ正式に先生になった。大学院に比較的近い中学だったから修士の授業には来ていたが、なかなか電話もできない忙しさが続いた。彼がまぶしいほど大人に見え、私も真剣に就職を考える時期に来ていた。修論を書きつつ、私は念願の、辞書を作る仕事ができる出版社に就職が決まった。こうして私達がそれぞれの道を歩き始めたのも、まっすぐな、ごく自然な流れだった。
二十五年前、確かに翔次と刻んだ日々だったのに、私は壊れ物のようにあまりに大事にし過ぎて、指の間から砂がこぼれ落ちるように喪失してしまった。...と、少し前までは思っていた。でもそうじゃないと今はわかる。きらめくような日々は明確に刻印され、その後の二人の人生は別々に歩んでも、今もこれほどまでに実り豊かに私の心の襞を震わせてくれる。失われてなんていない。精一杯生きた日々には、喪失なんて無縁だった。これからも、武蔵野の大空のもとの四季の記憶は色鮮やかに、翔次の二十八歳とつつじの二十三歳は輝き続ける。美しい自然の中で、深大寺の神様に見守られて青春を彩った恋は、年月を経てより強く私の心の中で生き続けている。

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<著者紹介>
牧野 さつき( 東京都新宿区/48歳/女性/主婦)

 「とりあえず、お参りしようか。」
車から降りたボクは祖父を誘った。

母から、同居して間も無い祖父の世話を一日頼まれたのは、三ヶ月程前の事だった。知人の娘さんの結婚式に父と揃って出席するので、一日面倒を見て欲しい、と言う事だった。

 祖父母の家は以前、うちから歩いて五分程の所にあった。小学校の頃などは、呼ばれてもいないのに、学校帰りには何故か必ずと言っていい程立ち寄っていた。祖父母の家は暗かった。鬱蒼とした木々が生い茂り、庭には鉢植や盆栽などが所狭しと置かれていた。今で言うガーデニングの様な、洗練さや優雅さなどとはまるでかけ離れた、何か薄気味悪い様な、太陽の光の射さない家だった。家内には小さな居間があり、古めかしい堀ゴタツの周りは、いつの物かも分からない新聞や雑誌のスクラップで埋め尽されていた。その中で、本を相手に一人でパチンパチンと碁盤に碁石を置く祖父と、時代劇の再放送を観ながら静かにタバコをふかす祖母。
 ボクには、祖父母が話しをしている記憶が無い。笑い合っている記憶が無い。口数の少ない、黒々とした眉毛をたくわえた、熊の様な九州男児の祖父と、細身を通り越した、皮膚と骨がくっついている様な、眼つきの厳しい新潟女の祖母。

 祖母の様子がおかしくなったのは、五年程前の事だった。同じ話を何度も繰り返す事から始まり、家の電話機を冷蔵庫に入れたり、馴染みのスーパーに辿り着けなくなったりした。症状の進行は驚く程早く、一年後位には、もうボクが誰かも分からなくなり、色々な事を忘れて行き、そして先月、専門の施設に入居した。

 去年の末、祖父母の家を取り壊す話が持ち上がり、それと同時に祖父はボクの家にやって来た。朝早く出勤し、何だかんだ夜遅く帰宅するボクは、中々祖父と顔を合わせる事も無かった。一日と言う長い時間を二人きりで過ごすなど、勿論初めてだった。ボクは何だか気まずさの様なものを感じた。

 「おばあちゃんのお見舞いに行こうか。」
祖母の施設は少し郊外にある。ドライブがてら、我ながら良い提案だと思った。とりあえず簡単に出掛ける準備をし、車に乗り込んだ。

 何だか不思議と気持ちが昂揚した。彼女以外の人間が助手席に座るのはいつ以来だろう。付き合い出して四年近く、月に何度かある休日は、ほとんど彼女と過ごして来た。大学時代の後輩との運命的な再会、一瞬で恋に堕ちた。今では彼女が隣に座っていても何も感じる事は無い。彼女の反応一つ一つに一喜一憂していた頃が嘘の様だ。特別な会話も無い。ドライブをしていても、彼女は一人助手席で寝息を立てている。会う事を義務の様に感じる事さえある。

「何処かで飲み物でも買おうね。」
エンジンをかけたボクに、祖父は突然言った。
「深大寺に寄ってくれ。」
「良いけど。どうしたの、急に。」
尋ねるボクに、祖父の返事は無い。別段急ぐ理由も無いので、ボクは言われた通り車を進めた。

 何年振りだろう。久し振りの深大寺は幼い頃の印象と全く変わらない。ある一角から、急にそれまでの住宅地とは全く趣の違った、緑豊かな澄んだ空気が現れる。ここが都内で、しかも自分が長年住んでいる場所から数分の所とは思えない程、静かな別世界がそこにあった。
 ボク達は、雰囲気のあるひなびた蕎麦屋の棟々を眺めつつ、並んで歩いた。
 境内に着き、身を清め、お参りをした。ふと隣を見ると、祖父はさらりとお参りを済ませ、静かに歩き出していた。
「何をお祈りしたの?おばあちゃんの事?」
問い掛けるボクに、祖父は何も答えない。
「まだ早いし、折角だからお蕎麦でも食べて行こうか。」
と誘うボクに背を向け、祖父は一番賑やかな門前街とは逆の方向に歩いて行った。
「おばあちゃんに御守りでも買って行こうか。喜ぶよ、きっと。」
そんなボクの言葉が聞こえているのかいなのか、売店などには立ち寄る気配も無く、祖父は静かに歩いて行く。
『何で此処に来たのかな。』
ボクは思った。

 狭い小道に入った。そこはもう参詣者の姿もあまり無い。木々の冷たい静かな空気の中を、祖父の後ろに着いてゆっくり歩いて行く。小さな階段を抜け、ゆるい石の坂道を下った。

 角を曲がると、そこに小さな花屋があった。花屋、と言っても、切り花を花束にしてくれる様な店では無く、鉢植だの苗だの、『植物』と言った物が雑然と並べられている。

「望月さん、お久し振りです。」
突然祖父に向かって、花屋の店主らしき中年の男性が声を掛けた。
「お知り合い?」
ボクの問いに答える事も無く、祖父は店主に言った。
「黄色いのを。」
何と言う注文だろう。ボクの怪訝そうな反応とはうらはらに男性は、
「黄色ですね。ちょっと待って下さい、奥、探してみますので。」
と、いそいそと店の奥に入って行った。すると祖父は、
「トイレに行って来る。」
と、ボクを置いて、勝手知ったる風にその場を離れた。
 一人残されたボクが仕方なく店内をブラついていると、店の奥から先程の男性が嬉しそうな顔をして戻って来た。
「あれ、望月さんは?」
「すみません、今トイレに。」
「そうですか。良かった、奥に一つだけ残っていました、黄色。」
と、小さな球根をボクに見せた。
「いつものヒヤシンスです。在庫があって良かった。」
と、当たり前の様に球根を袋に入れ、ボクに差し出した。
「おばあちゃんにかな。」
ボソッと言ったボクの言葉に男性は、
「お孫さんでしたか。そうですね、こんな大きなお孫さんが居たって不思議じゃないですね。」
と、にこやかに話した。
「祖父とお知り合いだったんですか。」
「ええ。私の父の代からのお客様で。奥様もお変わり無く?」
ボクは、祖母の近況をかいつまんで話した。
「そうでしたか。最近お二人でお見えにならないと思っていたら、そう言う事だったんですね。」
「ええ。これもおばあちゃんへのお見舞いのつもりなのかな。でも、お見舞いに根の生えるモノって、あまり縁起良く無いんですよね。」
 球根の入ったビニール袋を受け取るボクに男性は、
「そうですね。でも、望月さんは良いんじゃないですか、これが。」
と、やわらかに言い、手に持っていたお茶をボクに渡した。
「望月さんご夫婦がまだお付き合いする前らしんですけどね、お二人で此処にいらしたそうなんですよ。その時望月さんが、奥様にヒヤシンスの球根をプレゼントしたそうで。初めてのプレゼントだったらしくて、その時の奥様の嬉しそうな顔が忘れられないって、父が私に良く話してくれました。」
男性は、にこやかに続けた。
「それから年に一度位かな、これ位の時期に花の苗や鉢植を買いにいらして。ボクの代になってからも毎年お見えになっていたんですよ、仲良く二人で。」
と、男性もお茶に口を付けた。
 ボクには想像出来なかった。あの祖父母の若かりし頃が。ボクが知っているのは、温かさや明るさや微笑みなどとはまるで無縁の鬱蒼としたあの家で、静かに厳しくに生きて来た祖父母だ。
「最初のヒヤシンスね、花言葉が望月さんの愛の告白になったみたいなんですよ。」
男性は、いたずらっ子の様に、にこやかに続けた。
「望月さん、奥様にずっと気持を伝えられずにいたらしんです。でね、緊張でガチガチだった望月さんを見るに見かねて、父が紫のヒヤシンスをお勧めしたんだそうです。」
「紫のヒヤシンス?」
「ええ。それで帰り際、トイレに行った望月さんを待っていた奥様に、父がこっそり言ったんですって。『花言葉ってご存知ですか?』って。」
男性は大切そうに続けた。
「その一年後に二人でお見えになった時、お二人はもう結婚されていたそうで、父もすごく嬉しかったみたいで、何度もその話、聞かされました。だから今日も、お見舞いには不向きでも、奥様はきっと、すごく嬉しいんじゃないかな。」
 男性の話に聞き入るボクの目に、遠くからゆっくり歩いて来る祖父の姿が見えた。
「望月さん、用意出来てますよ。」
 祖父は男性に代金を支払った。
「奥様によろしくお伝え下さい。」
男性は祖父とボクに会釈した。球根の入った袋を受け取った祖父は店を後にした。その後ろを追うボクを男性は軽く引き止め、
「黄色のヒヤシンスの花言葉、ご存知ですか?」
と、少年の様に微笑み、店の奥に戻って行った。

 ボクは祖父の後ろをゆっくりと歩いた。祖父の小さくなった背中が切なかった。祖父の隣に居るのがボクである事が切なかった。

 車に乗り込み、祖母の待つ施設に向かった。助手席の祖父は、眠っているのだろうか、黙ってそこに座っている。手にヒヤシンスの球根を持って。
 話す事は無かった。言葉にしたら、声を発したらいけない様な気がした。他の誰も踏み込んではいけない、祖父と祖母の、二人だけの記憶。

 不思議な一日が終わった。両親も帰宅し、自分の部屋に戻ったボクは、男性の言葉を思い出し、パソコンに向かい、ヒヤシンスの花言葉を調べた。

 急に彼女に会いたくなった。ただ、会いたくなった。今度の休みを、少し待ち遠しく思った。

 そこにあった。黄色いヒヤシンスの花言葉。

『あなたとなら幸せ』。

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<著者紹介>
ヒサトミ マキ(東京都三鷹市/35歳/女性/フリー)

 あたたかい柔らかな毛が、わたしの頬に触れている。夜中にふと目覚めた時などにもたらされる、何とも言えない幸せ。ふわふわ三毛の癒し。中学校の友達に言わせれば、ニャンコで幸せを満喫している場合じゃないよ、恋しなさい。ありがたいお言葉だけど、ガサツな男子とコダマを同列に並べるなんて、どうにかしている。ふわふわの至福は、コダマをおいて他にはない。そう思っていた。そして、それは永遠に続くと思っていた。
 コダマは、物心ついた時からいたから、いなくなってしまうなんてことは考えたこともなかった。わたしの膝の上がお気に入りで、寝るときはいつも一緒だった。同じ時の流れを過ごしたのに、コダマはいつの間にかわたしを追い越して、年老いていったのだ。
 今年の冬、家の前の道でうずくまったまま動けなくなり、危うく轢かれかけた。毛布を敷いた籠の中に丸くなって、ほとんど寝たきりになった。それでもコダマはふわふわで、撫でるとわずかに顔をあげて、かすれた声で返事をした。

 深大寺動物霊園の萬霊塔は、春の明るい空に向かってすっくと立っている。六角形の法輪が三十三個積み重なっているそうだ。わたしは、その根元に安置してある十二支観音様のお顔が好きだ。金色の逗子のなか、十二支を配した光背を背にした祈りの姿。ふっくらとした頬に柔らかな優しい微笑みをたたえていらっしゃる。あの世でも、コダマはきっと幸せに過ごしていることだろう。好きだったポリポリと気に入りの毛布と、庭に咲いている花々と。わたしはそこにいられないけど、観音様が見守っていてくれるから、大丈夫だよね。そう自分に言い聞かせる。コダマのいない日々。あの、小さなふわふわがいなくなった、それだけでわたしの毎日は変わってしまった。春休みなのにちっとも楽しくない。友達の誘いにも、出かける気が起こらない。ちょっとしたことで涙が出てしまうもの。
 深大寺の境内では、なんじゃもんじゃの木が花を咲かせている。霊園の階段下の乾門から入るとすぐに、白い霞のような花をつけた木が目に入る。この花の様子は何となく丸くてふっくらしてて、白猫みたいだ。
 灯篭の中に、猫がいる。燈心を置くせまい空間にすっぽりはまって眠っている。はみ出した背中の毛しか見えないけど、そこが一番安らぐのだろうな、とわたしはその毛玉を眺める。触りたいけど触らない。触られたくないらそんなとこにはまっているのだろうから。それから、五大尊池のそばには茶縞の親子。 人に馴れているようでいて馴れきれてない。一定の距離をおいて眺めているから、わたしも その距離で眺め返す。湧水の流れには、水を飲む黒トラ。そっと近寄って横に並んでみる。気配に顔をあげて、じっとわたしを見る。でも、それは親しげな瞳ではない。そうよね、あんたはコダマじゃないもんね。もうどこにもいないと分っているけれど、もう一度会いたい。ふわふわに触りたい。わたしは黒トラに手を伸ばしたが、トラはぱっと身をひるがえして走り去った。
 夕焼けが、門前のお蕎麦屋さんの古い軒の上にひろがっている。お腹が空いてきた。哀しくても、空いてしまうお腹がうらめしい。お土産用のソバ豆の試食品を一つつまんだ。おいしいけれど、もっと虚しくなった。
 深沙の杜には、もうわたしの自転車しかなかった。杜の中は、周りよりも夕闇が早く降りてくるのか、だいぶ薄暗い。ポケットから鍵を出した時、勢い余って鍵が草むらの中に飛んで行った。ため息が出た。草むらを覗き込むと、少し手を伸ばせば届きそうなところに鍵があった。体を平べったくして手を伸ばそうとした時、木の下闇の奥に金色の二つの光が見えた。わたしは目を凝らした。猫だということは確認できたが、様子がよくわからない。うずくまったまま、動く気配はないようだ。そのうちに目が慣れて、それが三毛猫で、さほど小さくはないということが見えてきた。金色の光は、逃げようという気力もないのか、変わらずにこちらに向けられている。弱って、動けずにいるのかもしれない。
「どうしたの。具合が悪いの」
 わたしは声をかけた。ミァとかすかな声がした。弱ったコダマの声にそっくりだ、と感じた瞬間、わたしは草の中を匍匐前進していた。足に怪我をしている。衰弱しているようだった。コダマとは目の色が違っているし、ずっと若いけど、同じ三毛猫だ。大きさも同じくらい。わたしは草をかき分けて、傷に触れないように気をつけながら抱き上げた。抗わなかった。何日もこの草むらで、傷を舐めていたのかもしれない。上着を脱いで、顔だけが出せるようにして包むと、自転車籠に乗せて走りだそうとした。その時、草むらの中から茶トラが走りだしてきて、フウッと全身の毛を逆立ててわたしを威嚇した。猫にそんな態度を取られたことがないので、びっくりしたが「けがしてるから、治療に行くの」と言い捨てて走り出した。 
 動物病院はもう終わった時間だったが、先生は診察を引き受けてくれた。
「コダマちゃんに似てるよね」
 先生は、診察をしながら笑った。
「車かバイクにでも引っかけられたんだろうな。化膿して弱ってるけど、もう大丈夫だよ」

 お母さんは、しまい込んでいた餌箱を出したり、缶詰を棚の奥から引っぱり出したり。「コダマの籠、捨てられなくて」
 そう言いながら、古毛布を敷いて持ってきたくれた。何だか少し嬉しそうだった。ミケは、薬が効いたのか、少しネコ缶を食べて、コダマの籠の中で丸くなって眠っている。夜中に、遅く帰ったお父さんが籠を覗き込んでミケちゃんの頭を撫でていた。ごろごろいう甘え声が、ベッドで半分眠りかけていたわたしの耳に優しく響いた。

 チリチリン。鈴の音がして、大きな茶トラがシッポをピーンと立てて近寄ってくる。スリスリ頬ずりをして、顔を優しく舐めてくれる。ああ、あの時の怒りんぼ猫だと思った。舌のザラザラがちょっと痛い。ころころボー ルが転がる。古い野球ボールらしい。茶トラはぱっと身構えて、ボールにじゃれかかる。パンチで転がす。前足で押さえて齧りつく。こっちの方にも転がってくる。わたしも躍りかかって、跳ね返す。何だかわくわくする。わたしと茶トラは、交錯したり奪い合ったりして遊んでいる。そして毛づくろい。茶トラはわたしの毛を舐めてくれる。安らかな時間。段々に眠くなってくる。
 なんて夢を見た朝、気がつくとミケちゃんはわたしの横に寝ていた。ベッドに上ってこられるくらいになったのだ。ふわふわがベッドの上にいる。それだけのことなのに、心が温かい。この子にも家族がいるかもしれないと心のどこかに引っ掛かっていたが、コダマが弱っているわたしの元にこの子をもたらしてくれたんだ、と考えることにした。
 わたしは、参考書を買わなければならないことを思い出し、家を出た。深大寺を通りかかったとき、観音様にお礼詣りをしなくっちゃ、と思いついた。霊園の階段を上ろうとした時、階段脇の壁に、手作りらしいポスターが貼ってあることに気がついた。猫、探してます。大きな字。嫌な予感がした。見ない。そのまま通り過ぎ、階段を上って行った。
 お線香を供えて手を合わせながら、観音様のお顔を見た。たなびく煙の向こうで、観音様は哀しげな表情を浮かべている。やっぱり無視しちゃダメなんだ。わたしはポスターの前にたたずんだ。ミケちゃんと、大きな茶トラが、寄り添っている写真。猫、探しています。右側の三毛猫(メス)が、三月下旬頃いなくなりました。見かけた方はご連絡ください。そして連絡先。写真をじっと見つめた。似てるけど猫違いかもしれない。夢の中の茶トラ、わたしを威嚇した茶トラ。わたしはポスターの前で葛藤した。写真の中の二匹。ミケちゃんは茶トラに頭を擦りよせて、茶トラは目を細めてミケちゃんの頭を優しく舐めている。ほのぼのツーショット。
 参考書を買うこともすっかり忘れて、家に戻った。部屋に入ると、ミケちゃんが危なっかしい足取りながらも近づいて来て、わたしの足にスリスリした。
「茶トラくんは彼氏なのかな」
 わたしのつぶやきにミケちゃんはニァァとお返事した。わたしはため息をついて、ミケちゃんの顔をなでなでした。
「会いたいよね」というわたしに、またニァァとすり寄る。わたしは、そんなミケちゃんを見ながら、ポケットから連絡先をメモした紙を出した。くしゃくしゃになったメモを膝の上でのばしていると、ミケちゃんがきらきらした目で見上げている。わたしは、携帯電話をカバンから取り出した。

 飼い主さんが訪ねて来る日。わたしは、悔しいような腹立たしいような、もやもやした気持ちでいた。立ったり座ったり落ち着かないでいるうちに、玄関のチャイムが鳴った。わたしは、笑顔を作ってドアを開けた。そこには、背の高い男の子が立っている。イケメンではないけれど、素敵な笑顔。彼はミケちゃんを膝に乗せて、人懐っこく話す。つれあいのチャーがすっかり元気がないこと。ミケちゃんの初めての子供がかわいくて、貰われていく時のことを考えると泣きそうになること。そう、そして、ふわふわのお昼寝の幸せについて。わたしは、相槌を打ちながら、久しぶりに心から笑っていた。

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<著者紹介>
向山 葉子(東京都調布市/49歳/女性/主婦)

「おい、君」固い声が背中に突き刺さる。沙耶はぎくっとして立ち止まった。恐る恐る振り返ると、蒼白い顔をした青年がトンを抱いている。
「君の猫だろ。野良猫にするつもり?」青年の目は、はっきりと沙耶を咎めている。トンは青年の腕の中で彼を見上げ、鼻に皺をよせてミャーミャーと鳴いている。その仕草は、まるで彼に何かを訴えているかのようだ。
「動物は最後まで責任をもって飼えよな。わかったら、さ、連れて帰って」沙耶は青年の顔をまともに見ることが出来ない。あれほど誰もいないことを確かめて捨てたのに......。あ~あ運が悪い、と心の中でぼやいた。
沙耶がしぶしぶ両手を出すと、青年は猫を抱いたまま、沙耶の顔を覗き込んだ。
「まさか、またどこかで捨てようなんて思っていないだろうな」「だいじょうぶ、捨てません」たぶん。たぶんは心の中で付け加えた。
青年は疑り深い目で見下ろしていたが、トンをそっと沙耶に手渡した。猫の扱い方に、この青年はほんとうに猫好きなんだな、と感じる。私だって、としんみりしそうになったときだった。「あ、冷たい」上を向くと、大粒の雨が思いっきり顔を叩いてきた。沙耶は弾かれたように、トンを腕に抱え込んで駆け出した。しばらく走って立ち止まった。後ろを振り返ったが、土砂降りの雨が視界を遮り何も見えない。顔の雨を拭いながら目をこらすと、雨の向こうに佇む青年の姿が見え隠れする。やっぱり彼は私を信じていなかったのだ。沙耶は逃げるように駆けた。
どこをどう走ったのか、気が付くと蕎麦屋や土産店が立ち並ぶ深大寺界隈にいた。雨に打たれ、そのうえ空腹ということもあって、いやに惨めな気持ちになっている。トンもお腹を空かせているのか、腕の中から上半身を反り返らせて降りようとする。沙耶が必死で抱きかかえていると、腕に爪を立てて飛び降りてしまった。蕎麦屋に駆けこむかと思っていると、今来た道を戻っていく。トンの逃げ足は速く、あっという間に見失ってしまった。トンは逃げたんだ、となんども自分に言い聞かせるのだが、なにか後ろめたさが残る。
雨は通り雨だったようですぐに止んだが、沙耶はずぶ濡れだ。髪の毛から雨のしずくが垂れてくる。バス停でバスを待ちながら、妙に孤独だった。
亨と拾ってきて育て始めた猫だもの、捨てたいなんて思うはずがない。亨が部屋に来なくなり、二人の思い出になるものを一掃しないと窒息しそうになって、写真もプレゼントも食器も全部捨てた。そして最後に残ったのがトンだったのだ。
このトンという名前、亨の愛称からつけたから厄介なのである。猫の名前をつける時に、少しもめた。沙耶はトンがいいと言い、亨は、僕かと思うよ。いやだな、と反対した。結局、猫にはトンと呼び、亨にはトンちゃんと敬称をつけることによって区別したのだった。亨はトンと呼ばれるとよく間違えて反応していたが、猫はトンとトンちゃんとをしっかり区別していたのだからすごい。しかし、こんな曖昧な線引きがよくなかった。亨が訪れることがなくなった私の慰めは、トンのはずだった。が、トンと呼ぶたびに亨を思い起こし、淋しくなるばかりだ。いまさら名前を変えても、トンが新しい名前を認識するとは思えない。悩み続けた末に、猫を捨てる決心をした。首輪にトンと名前を書き、泣く泣く深大寺にやって来たのだった。
来たバスに乗ろうとして、ステップに足を掛けた。今にもトンが駆けてきそうに思えて、辺りを見回した。しかし、トンの姿はなく、次の人に押されるようにして車内に入った。

トンがいなくなって一週間が過ぎた。トンが使っていた器やトイレをベランダの隅に片付けると、部屋の中がいやに広く感じる。膝にはいつもトンが乗っていたが、トンがいない膝はやけに寒い。沙耶は膝を抱えた。気がつくと部屋を見回してトンの姿を捜している。捨てようと思ったとき、こんなに寂しくなるとは想像もできなかった。
沙耶はごろんと床に仰向けにころがった。天井を睨んでいると、突如として、あの青年の顔が浮かんできた。その顔は怒っている。きっと約束を破ってトンを捨てたと思っているのだ。沙耶は、がばっと起き上がり、トンを探しに深大寺に行こうと、化粧を始めた。
沙耶はトンが逃げた蕎麦屋の前に立って、あたりを見回した。あちこち歩いてもみたが、どこにもトンの姿はない。深大寺の階段を上りながら、境内に蹲っているトンを想像する。が、ここも期待はずれだった。ここは縁結びの神様だと聞いたことがある。祈ればトンは戻ってくるかもしれない。相手は猫だけど縁結びには違いない、と手を合わせた。
トンを捜しながら、あてもなく歩いていると、いつの間にか猫を捨てようとして、青年に叱られた場所に来ていた。胸がキュンと痛む。
いきなり亨との喧嘩をおもいだす。「トイレの電気を消せよ」「わかった」「これで千回目」「ごめん」謝りながら、千回もトイレに行ったかな、と考えていたら、「その他人(ヒト)ごとの様な態度がむかつくんだ。二千回も同じこと注意させるな」いつの間にか千回も増えている。ガンガン怒鳴る亨に、それを指摘すると「すり替えるな」と言って出て行ってしまい、亨とはそれっきりになってしまった。  
私はいい加減な女なのかなあ。だから亨に嫌われたのかも、とか考えていると、いやに足首がこそばゆい。視線を落とすと、トンが沙耶の足に纏わりついている。「トン」沙耶は叫んだ。しゃがんで、トンが喜ぶ頭ツンツンをやりながら、「トン。ごめんね、ごめんね」と謝っていると、「君、やっぱり猫を捨てたね。あれほど注意したのに」といきなり頭上で男の声がする。顔を上げると、青年が厳しい顔で見下ろしている。沙耶はトンを抱いて立ち上がると、猫の背中に顔をうずめて隠れた。
「それで、今日はトンが心配になって来たの?」 青年がトンと呼んでいるのがうれしくて、沙耶は猫から顔を上げた。「あ、そうそう、そうなんです」「ほんとかな?」まったく疑ぐり深い男だ。そう思いながら彼を見ると、沙耶の視線と彼の視線がぶつかった。沙耶はどきりとした。青年の瞳は、まるで葉の上の水滴が葉の緑を映したように、澄んで涼やかだった。その瞳に見つめられていると、ごまかしは許されないような気がして、沙耶は思わず背筋を伸ばした。
「トンが逃げたんです。ホントです。捨てたんじゃないんです」「逃げたんじゃないよ。僕に助けを求めてきたんだよ」「......」「トンは捨てられるってわかっていたんだよ。僕とトンは、君が捜しに来るのを待っていたけど、君は来なかった」「まるで猫の気持ちがわかるみたい。でも、もう絶対にトンを離しません。約束します」「うん。それがいい」
青年は沙耶に頷いてみせると、よかったな、とトンの頭を華奢な指で撫でている。今日のトンは、沙耶の腕の中で、ごろごろ喉をならして、おとなしい。
「私の名前は、馬淵沙耶と言います。三鷹の」「住所は言わなくてもいいよ。信じているよ」と遮った。
青年は、沙耶が住所を知らせるのは、猫を捨てないことを保証するつもりだと取ったらしい。折角、名乗って相手の名前を聞こうとしたのに。結局、沙耶は青年の名前も住所も聞きそびれてしまった。じゃ、と立ち去る青年の背中に「ありがとう」と叫ぶと、振り返ることもなく右手をあげた。
家に帰っても彼のことが頭を離れない。眠れないまま夜を明かした沙耶は、トンを置いて、ひとり、青年と会った場所にやって来た。春の日差しの中を、しわの深い老女が歩いている。
「あのー、この辺で猫好きの若い男性を知りませんか」知らなくて元々と、声を掛けると、「それはトオル君のことだな。よく知っているよ。最近も茶虎の猫を抱いて毎日この辺に立っていたね」と意外な返事が返ってきた。「その茶虎、私の猫だったんです。その人の家に行きたいんです。教えてくれませんか」「ああ、いいよ。着いておいで」老婆は腰をのばし、それからゆっくり歩きだした。
案内された家には「太田」と表札がかかっている。沙耶が引き戸を開けると、玄関のそばの板場に毛布が敷いてあり、横に猫用のトイレや餌の器が、きちんと片づけてある。トンはここで過ごしていたようだ。
奥に声を掛けると老人が出てきた。沙耶が、猫の飼い主だと名乗ると、「あんた、透が預かっていたトンの飼い主かね」と相好崩した。奥に向かって「おい、透、おまえの兄弟分の飼い主がお目見えだぞ」と声を掛けた。しばらくしてあの青年が現れた。「君か。よくわかったね」「おばあさんに教えてもらった。猫好きな青年と言うとすぐわかった」と沙耶が言うと、青年は「そう」と言った。「あがってもらえ」と老人が声を掛けると、「いや、ちょっと散歩に出てくる」とサンダルを履いて歩き出した。「病院に間に合うように帰ってこいよ」「うんわかってる」と答えた。沙耶は青年に訊きたいことが山ほどある。背の高い透は、深大寺に向かって長いコンパスで歩く。その後を追いながら、「兄弟分って?」「ああ、僕、透っていうから、小さいときにトンちゃんって呼ばれていたんだ。それで」あまりの偶然に沙耶は目を見張った。「もう一つ聞いてもいい? 病院って?」「うーんと、僕、今日入院するんだ。肺の手術。でもたいしたことない。やらないと大学卒業しても就職できないからな」
今になって、あの日、雨に濡れてだいじょうぶだったのだろうか、と心配になってきた。沙耶と同じくらいの年の青年が、いやに大人びて見える。口数が少ない彼を、誠実で信頼できる大人と思えるのは、透の澄んだ瞳にあるのだろうと思った。
「ね、深大寺のお寺に行こうよ」「どうして?」「透さんの病気が治るように祈るの」「ふーん、随分信心深いんだね」猫を捨てたくせに、と声なき声を聞いたような気がして、沙耶は首をすくめた。
ふたりは本堂の前に立った。沙耶は心を込めて手術の成功とこれからの二人のことを祈った。横で透も手を合わせているが、何を祈っているのだろう。
透にむりやり病院名を聞き出し、「お見舞いに行くからね」と言うと「いらないよ」とぶっきらぼうに返してきた。「ううん絶対お見舞いに行く。トンの写真もって」と沙耶も譲らない。すると、トンという名前が出たからか、透は白い歯を見せて笑った。「あ、笑った」「えっ?」「笑わない人かと思ってた」「まさか」と照れたように横を向いた。それから沙耶の目をまっすぐに見た。「トンをかわいがってやれよ。君が現れなかったらトンを家で飼うことにしてたんだ。だが、君は思ったとおり、いい加減なやつじゃなかった」「えっ?」沙耶は耳を疑った。自分をこんな風に言ってくれる人もいるんだ、と透の顔をまじまじと見た。
寺の石段を下りると、透が立ち止まった。「じゃ、ここで。今、深大寺さんにお礼を言ってきた。トンの飼い主が現れるようにって、毎日祈っていたもんだから。ま、入院まで暇だったからな。トンと散歩に来たついでだったんだけど」「そうなんだ......。ありがとう。手術がんばって」「うん。トンによろしく。じゃーな」と言うと、振り向くこともなく家に戻って行った。
沙耶は、空を仰いだ。真っ青な空が広がっている。雨のち晴れか。沙耶はくすっと笑った。

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<著者紹介>
野末 ひな子
(東京都杉並区 /女性/主婦)

わたしがこの街に住むことになったのも、彼の意向をすべてくみ取ってのことだった。
「東京の最先端な感じではなく、古い武蔵野の雰囲気がふんだんに感じられて、公園があって、お寺か神社、それと蕎麦屋のある場所。もちろん家賃も、なるべく手頃で」
初めての東京で、ただなんとなくミュージシャンぽい街だからと下車した吉祥寺駅の、なにも考えずに飛び込んだ小さな不動産屋で、彼は、これだけは譲れないと、家の条件を、ハゲ頭でくたびれたネクタイのおじさん社員に朗々と伝えた。そして、吉祥寺からは少し離れるが、ここらあたりなら条件にあうだろうと紹介された、築四十年二階建て木造アパートの二階の一番奥の部屋に、そのままふたりで住むことになった。彼は、その当時、ミュージシャンとしてはそれなりに人気も出かけていたのだが、社会的にはほとんど無職同然だったので、名義もわたしの名前で契約するしかなかった。わたしは、運よく知り合いのつてで、新宿の個人デザイン事務所に就職することができた。本当は、地元の大阪で、あと一年すれば独立して、自分のデザイン事務所を立ち上げようと計画していた。個人事務所は昔からのわたしの夢だった。彼に出会うまでは。
もしかしたらわたしもどこか不安があったかもしれない。あんなに夢だった独立を、わたしはあっさりと諦めた。諦めたというよりも、この選択のほうが正解だと、あの時は本気で思ったのだった。わたしは、初めて見た彼のライブで、生まれて初めての一目ぼれを体験した。これだけは言えるのだが、わたしは決して彼の人気に飛びついたわけではなかった。
そのころは彼も、まだまったくの無名で、人気だってほとんど無かった。その日のライブも、三十人も入ればいっぱいになるような小さなライブハウスだったが、お客さんはわたしも入れて十人足らずで、ガラガラだった。
人気が出だしたのは、わたしと付き合うようになってだいぶたってからのことだった。
わたしも人並みに、人気がでるようになった彼の心移りや浮気を心配したけど、彼は、わたしが勝手に想像しているミュージャン像とは少しかけ離れていて、名声や、お金には無頓着だった。外で遊んでくることもほとんどなかった。ライブの打ち上げでさえ、いつも途中で退席して、終電前にちゃんと帰ってきた。ミュージシャンならもっとファンを大切にしなさいとわたしが注意するくらいだった。
そんな時は、彼はいつも困った顔をして、部屋の隅で、アンプに繋げていないエレキギターをチャカチャカ爪弾いて、自分の歌を歌って誤魔化すのだった。わたしはそんな彼の姿が好きだった。付き合うようになって一年、わたしが独立のことを、彼に相談しようかどうか迷っていたころ、彼に「東京で勝負したいと思っている」と告げられた。
わたしは「一週間だけ考えさせて」と言い、一週間後には、勤めていた大阪のデザイン事務所に辞表を提出した。彼はだいぶ困惑したようだったが、わたしも東京に行きたかったと言ったら、なんとか納得してくれた。
本当は、どこだって良かったのだ。ただ、彼と離れたくなかった。今考えると、わたしも長年の夢を棄ててまで、無茶したかなぁと思う時もあるのだけど、でも、今だって後悔はしていない。この街に来られたことも。彼と過ごしたこの街での時間も。
1LDKの木造のボロアパートは、大阪なら立派な2DKのマンションに住めるくらいの家賃だった。そのくせ、オートロックなんてもちろんなくて、風呂も、浴槽なしの、シャワー室だけだった。ふたりで続けてシャワーを浴びると、最後のほうは必ず水になった。そんな家だったけど、彼といるとまったく苦にはならなかった。彼も、工事現場でアルバイトを始め、わたしの収入と合わせれば、もう少しマシな部屋に住めそうだったけど、彼は「ボクはここが気にいった」と言って、引っ越そうとはしなかった。部屋というよりも、街の空気が好きになったようだった。
わたしも彼の意見には賛成で、確かに、わたしたちにはこの場所の空気がしっくりきた。都会であることには違いはないのだけど、どこか懐かしい匂いがした。初めての街なのに、この街で見る夕焼けは、遠い子供のころの記憶がよみがえるような、そんな想いにさせてくれた。彼の歌も、この街に来て、前よりもさらに良くなったとわたしは感じていた。
彼は、大阪の街も愛していたが「大阪は蕎麦屋があまりない」とよくわたしに洩らしていた。彼は、蕎麦が好物だった。わたしたちは、このあたりのことについて、まったくと言っていいほど無知で、最初は、なんでこんなに蕎麦屋さんばかりあるんだろうと不思議だった。ふたりで新しい街を歩き、ここらは、深大寺を拠点とした門前町なのだと理解した。
門前そばというのぼりも発見した。
彼は、観光地っぽいところは、ごみごみしてあまり好きではなかったが、ここらの、どこかのんびりとした雰囲気は気に入ったようだった。観光で来ているのではなくて、ここに住んでいるというのも、より深く街の一日が分かってよかったのだろう。まだ人の少ない時間に、よくふたりで、深大寺界隈を歩いた。小学校のすぐ近くに、蓮や、花菖蒲の生えている水生植物園があって、彼と一緒に時間を忘れてぼんやり眺めるのだった。
亀島まで歩いて、また一時間以上たっぷりとすごし、そのあといつも決まって、鬼太郎茶屋に入ろうかどうしようか迷ったあげく結局入らずに、晩御飯の買い物をして、うちに帰るというのが、わたしたちのデートのパターンになった。特別な日は、お気に入りのお蕎麦屋さんで、彼はそばを二枚食べ、わたしはそばの実の雑炊を食べるのが、ふたりにとっては一番の贅沢だった。仕事に明け暮れていたころは忘れていた、四季を思い出させてくれる街だった。だるま市に行ったし、野川の灯篭流しも見た。もちろんそば祭りにも行った。ふたりとも、この街に溶け込めていると本気で感じていた。この街での時間も、あっと言う間に二年が過ぎようとしていた。彼は、吉祥寺界隈のライハウスだけではなく、新宿のほうでも活動するようになり、人気も、東京に出てきた時に、いったんゼロになっていたのが、少しずつ上がってきた。インディーズではあったが、ワンマンでライブできるくらいまで評判になった。小さなライブハウスなら、いつも満杯になった。時々、メジャーレーベルのスカウトマンも、彼のライブを見にくるようになった。ライブが忙しくなり、彼はアルバイトもままならないようになった。ライブが忙しくなっても、なかなか収入には結びつかないのが、この世界の厳しいところだ。働けなくなった彼のかわりに、せめてわたしは収入面で支えようと頑張った。いつのまにか、彼のプロデビューは、ふたりの目標になった。
一度は、夢を諦めたわたしだったが、彼と見る夢はぜったいに叶えたいと思っていた。
でも、彼はどこか疲れているようだった。
ある日、彼と初めて喧嘩をした。彼は、プロデビューしたくて音楽をしているわけではないと言った。わたしはなんだかとても腹が立って、彼にあたり散らした。彼は黙って、部屋の隅でただ座っていた。わたしが一方的にあたった。その三日後、彼はこの部屋を出て行った。元々、わたしの名義で借りていた部屋だったので、彼が出て行くしかなかった。ケータイも繋がらなくなった。わたしはどうすることも出来ず、ただ、彼を忘れるように、また以前のように仕事に没頭するようになった。毎週のように彼と歩いた、深大寺周辺も、ほとんど歩かなくなった。彼との思い出が、よみがえるのが嫌だったのだ。
彼が部屋を出て行って、半年後、突然、部屋の郵便受けに、大きな封筒が届いた。
中を開けると、CDが一枚と手紙が入っていた。手紙は彼からだった。
手紙には「今までほっといてごめん。どうしても、この一枚を完成させたかった。君と暮らしたこの街の匂いや色を、このアルバムに映したかった」と書いてあった。
彼は、わたしの知らないところで、一枚のCDアルバムをレコーディングしていたのだった。手紙の二枚目には「来月発売します」と書いてあって、PSのあとに、彼の今いる場所の住所が記してあった。わたしは、そのアルバムを聴くのも忘れて、すぐに、記してあった住所に向った。彼はわたしを忘れたわけではなかったのだと、嬉しくて涙が出そうだった。でも、その涙は別の涙に変った。
彼は、静かな病室で、半年ぶりに、あの優しい笑顔を、わたしに見せてくれた。
だけど、彼の姿は、半年前とは別人のようだった。彼が、自分の病気に気づいたのは、わたしと東京に来てからしばらくしてのことだったらしい。いつものように声が出ないので、疲れだろうと診てもらった病院で、彼は余命宣告をうけた。わたしにはすべて隠したまま、彼は歌を続けた。彼は、デビューなどどうでもよかった。ただ、一枚だけ、自分のすべてをアルバムに収めたかったのだ。わたしは、まったく気づかずに、あの日、彼にあたってしまった。わたしがごめんねと言うと、彼はボクこそごめんと言った。そして、病室で、ふたりで泣いて、そのあと笑った。
彼が亡くなったのは、それからわずか一か月後のことだった。ちょうどアルバムの発売日だった。彼が出した、最初で最後のアルバム「深大寺物語」は、その後、インディーズチャートで一位を獲った。そのアルバムは、わたしと過ごした季節がぜんぶ入っていた。
あの夕焼けの匂いも。川の音も。
わたしは、今でも、この街に住み続けている。
彼がひょっこり、そこのお蕎麦屋さんから、暖簾をくぐって出てくる、そんな妄想をしながら、彼の歌を聴く。

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<著者紹介>
田中 時尾(大阪府大阪市/31歳/男性/フリーター)

 僕の住む調布の小島町の自宅から深大寺まではチャリなら十分ほどで行ける。
 その日は十二月に入って最初の日曜日。底冷えはしても陽だまりは温かい日だった。
 ジーンズのジャンパーを羽織った僕は、愛チャリのアンカースポーツに乗って深大寺に向かった。
 一週間前までは就職が決まらず悶々としていたがようやく内定を得てペタルを踏む足も軽快だった。小学校三年のときにここに引越してから十年以上も経ち調布が故郷になった。
 深大寺と神代植物公園は僕の遊び場だ。気分がいいときも落ち込んでいるときもいつもここに来た。蕎麦好きの僕は子どものころは親に連れられて食べに来たが、大学に入ってからは一人でも来るようになった。
 僕の心境を反映しているかのように深大寺は一ヶ月前に来たときの憂鬱な秋の空から新年を間近に控え新しい息吹を感じさせる空になっていた。
 お蕎麦屋さんが立ち並ぶ小道を少し歩いてからはずれにあるお店に入った。晴れた日曜日の昼だったのでお客は八割程度入っていた。たまたま空いていた右奥の二人用のテーブルに座り、定番のざる蕎麦を頼んだ。
 すぐ右隣のテーブルには若い女性二人が温かいそばをすすっていて、友だち同士らしく食べるよりも話のほうに夢中だった。僕の真向かいの人はよく見ると左手に箸を持っていた。ピンクのワンピースの下は濃紺のジーンズで椅子の背もたれにベージュのコートをかけていた。薄化粧の顔は小さく、瞳は大きかった。笑うたびにポニーテールの髪が揺れた。
 僕はその人に気を取られた。携帯を見るふりをして彼女に視線をやった。日差しが彼女の横顔を照らして笑い声がするたびに身体が陽光のなかで揺れた。それとなく耳にした会話のイントネーションは明らかに関西系だった。耳を澄ましても会話の内容は笑い声の中で消えていって僕まで届かなかった。
 気になる二人連れが席を立とうとしたとき僕は向かいの人を見つめた。彼女は僕を見て微笑みながら会釈してくれた。そのとき僕の身体に稲妻が駆け抜けて身体が動いた。伝票をとって僕も席を立った。

「あのー、関西のほうからお見えになったのですか?」
 会計を済ませて外へ出た二人に僕は声をかけた。びっくりしたような表情で二人は顔を見合わせた。
「ええ、私はそうです」
 左利きの可愛らしい人が答えた。さっきからウチとかウチラとか言っていたので『私』という響きが新鮮だった。
「もともと二人は京都の高校で同級生だったんですけど私のほうが今年、東京の大学に入ったんで京都から葉月が遊びに来てくれたんです」
 もう一人の人が言った。大学一年生と分かって僕は嬉しくなった。
「僕はもう卒業です。もし良かったら深大寺をご案内しましょうか? この辺は僕の地元なんですよ」
 二人はまた顔を見合わせた。東京の大学に行っていると言った人が小さい声でウチも深大寺は初めてなのというのが聞こえた。
「それじゃあ、お願いします。私は生田絵里といいます。城南大学一年です」
「私は蜜川葉月といいます。京都女子大の一回生です」
 二人はほとんど同時に自己紹介してくれた。
「僕は栄光大学四年の速水涼太といいます。最近就職決まってホッとしているところです」
 言わなくてもいい就職のことなども言ってしまった。彼女たちはすぐに反応してくれた。
「えっ、そうですか。おめでとうございます。今、就活厳しいですからね」
 僕は苦しかった就活のことが脳裏に浮かんできたけど表情をくずして「ありがとう」とだけ言った。
 温かい日差しが指しているうちにと僕は先に神代植物公園のほうへ案内した。
 初冬の公園は花の季節が終わり、わずかに薔薇や山茶花や菊の残り花が最後の命を見せていた。広々とした空間に爽やかな風が若い三人の頬をなでた。
 二人の女性は僕に慣れてくるとギャグや冗談を言ったりして僕を笑わせた。
「関西系の人って人懐こくっていいね」
 僕がそう言うと二人はまた目を見合わせて笑った。
「そんなふうに解説するところが東京系の人よね」
 絵里が言って葉月がそうそうと頷いた。絵里は気づいていた。僕が葉月に好意を寄せていることを。
 だから本堂に参拝するときは葉月を真ん中にその右隣に僕がいるようにして一緒にお参りした。
 葉月はお賽銭をあげるときも左手でした。次の瞬間だった。僕は生涯忘れることができないほどの衝撃が全身を走った。
 僕がお参りをしていて左で手を合わせている葉月を横目で見たときだ。
 彼女の右手の指の付け根に近い第二関節から先の指がないのだ。人差し指、中指、薬指そして小指までも。親指も爪はなく曲がって付いていた。今まで長袖に隠れて右手が見えなかったので彼女が両手で手を合わせたときにそのことが分かった。そのとき僕の目も口も丸くなって唖然としていたに違いない。正直、声が出なかった。声というよりも選択すべき言葉が浮かんでこなかった。
「えへっ、ウチは障害者なの」
 僕の呆然としたような顔に向かって葉月が言った。首をすくめておどけながら事態の深刻さとは無縁のようにカラカラと笑った。
「大変だね」
 僕はやっと声を出した。
「全然。ちょっと不便なことあるけど、全然大丈夫。ねえ、絵里?」
 葉月は絵里に同意を求めた。でも絵里にそんな同意を求める必要はなかった。僕の心の中ではあっという間に異変が起きていた。表層のいい感じの子から深層深く好きという感情が根付き始めていた。それは僕自身にも説明できない出来事だった。
「葉月はね。とてもいい子よ。素直で可愛いし」
 絵里がフォローした。それは彼女にはハンデはあるけどという意味合いが言外ににじんでいた。
 僕は僕の携帯の番号やらアドレスやらのメモを二枚書いて二人に渡した。葉月もすぐに左手で書いたものを僕にくれた。私はいいでしょって言って絵里はくれなかった。
 三月の卒業旅行は京都へ、僕は何度も葉月に言った。葉月も嬉しそうだった。
 深大寺の十二月の夕闇は早かった。彼女たちはJR吉祥寺方面のバスに乗り込み、その後、僕はまた愛チャリに乗った。冷たい夕風が温かく感じられた。


 
 新年は深大寺の初詣で葉月の分まで参拝した。卒業試験が終わるとすぐに休みに入った。
 三月に京都へ行くと言ったら大学の級友の菅山も一緒に行きたいと言った。即、断った。もちろん葉月のことは内緒だ。
 京都はどこへ行っても名所旧跡の観光都市だ。僕は中学の修学旅行以来で土地勘はなかったけど葉月と巡る京都の旅の見所などを研究した。ガイドブック二冊とネット検索などのお陰で僕はかなりの京都通になっていた。
 京都人でも灯台下暗しで京都の観光地は詳しくないと葉月は何度か僕に強調した。だから僕はこの研究成果を生かして彼女をエスコートしたいと思っていた。
 少し気になっていることがあった。彼女とは何度となくメールのやり取りをしていたが彼女のメールの文面がいつまで経っても打ち解けない硬くて丁寧な文章なのだ。あの深大寺のときのお茶目で冗談好きの女の子のメールとは思えなかったのだ。僕はまだ彼女とは一度しか会ったことはないし几帳面で真面目な人なのだろうと思うことにしていた。
 そんな心配するまでもなく葉月との京都巡りの行き先とスケジュールが僕の主導で決まった。
 いよいよ明日の朝に新幹線に乗るという日、つまり旅行の前夜のことだ。彼女からメールが届いた。
『やはり初めに言っておいたほうがいいと思ってメールします。あの深大寺の参拝のときです。私はある人のことを深大寺の縁結びの神様にお願いしました。実は先日、その願いが通じたのかその人からプロポーズされました。もちろん結婚はまだ先のことですけどいずれはその人と結婚したいと思っています。その人は京都大学の医学部の五回生でまだ学生です。私、本当に深大寺の神様に感謝しています。涼太さんには素敵なサポートをしていただいてとても感謝しています。明日はそのこともお話しますね。それでは明日楽しみに京都駅でお待ちしています。葉月』
 僕はメールを見たまま固まっていた。そして笑った。笑いながら言った。葉月おめでとうって。

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<著者紹介>
内田 東良(東京都日野市 /60歳/男性/無職)

「おなか、すいたでしょ。蕎麦でも食っていく?」
とっくに一時は過ぎているから、おなかはすいている。でも、はじめてのお得意様回りは、腹の虫を気にしている余裕なんてなかった。
 深大寺周辺のお得意様を訪問した、というより、訪問する先輩の後ろにただついていった、という方が正解。結局私はお得意様の前で、自己紹介するのが精いっぱいだった。
 先輩は5歳年上、主任。背が高く、職場内の女性からは、韓流スターに似ているとかで評判だった。が、仕事では厳しい先輩に、毎日びくびくしていた。今日もすでに全神経を使いきってしまった気がする。

 「いらっしゃいませ!」
威勢のいいおばさんの声が聞こえた。深大寺にあるお蕎麦屋さん。蕎麦つゆのいいにおいと天ぷら油の香ばしいにおいに、私は少しほっとした。
「俺、天ざる。清水さんは?」「あ、ざるそばで。」
 私は運ばれてきた水をぐいっと飲み干してしまった。
「喉、かわいてた?」というと先輩はクスっと笑いながら私の顔を覗きこんだ。
 「す、すいません!」私は慌てて下を向いてしまった。
 「いいんだよ、緊張するよな。すいません、お冷おかわりください!」
 蕎麦屋のテーブルは意外と小さくて、真正面に座った距離がとても近くに思えた。蕎麦が来るまでの間、先輩は、今日のお得意様のこと、これから社にもどって報告することなどを話していた。でも、私はあまり耳に入っていなかった。
近くで見る先輩の首、そして整った顔立ちにちょっと意識してしまっている自分がいる。
「お待ちどうさま」
運ばれてきた蕎麦に、はっと我に帰った。
「さ、食べよう。俺、ここの蕎麦好きなんだ。」
 先輩は箸を割ると、蕎麦を食べ始めた。
 (わ、きれい!)
先輩が蕎麦を食べる姿を見て、そう思った。箸で蕎麦を運ぶ姿、勢いよく、でも上品にすする姿。とてもおいしそうに食べている。私も一口食べた。
「まきちゃん、蕎麦はすすってたべるもんなの。その方が香りを楽しめるんだから。」
 学生時代付き合っていた彼氏が「ラーメンとかすする女ってやだな。」という一言から、麺類を食べる時は箸で少しずつ口に運ぶ癖が付いていた。
「え?香り?」
「そう、蕎麦とつゆの香り。」
 そう言って先輩はもう一口、蕎麦をすすった。
 学生時代の彼氏や友達は、みな箸の持ち方が悪かったり、肘をついたりしながら、おいしくなさそうに食事をしていた印象しかない。
 私は先輩を呆然と見てしまった。さっき、名字ではなく、まきちゃん、と下の名前で呼ばれていたことも思い出した。
 「どうしたの?食べなよ。」と先輩が笑顔を見せた。さっきのお得意様の前での営業スマイルとは違う、とてもいい笑顔。
その後はどんな話をしたか、蕎麦はどんな味がしたか、ほとんど覚えていない。ただ、先輩の箸を持つきれいな手つきは、はっきりと覚えている。

 その日から、私は仕事に打ち込んだ。足しげく深大寺に通い、蕎麦を食べた。先輩みたいに蕎麦をきれいに食べたい、蕎麦のおいしさをもっと知りたい一心で。精一杯自分を磨いて、先輩と蕎麦を食べるに相応しい大人の女性になることをめざして。

「藤木先輩、もうすぐ結婚するかもよ。」
「え~、ショック~!どうして知ってるの?」
「美人と一緒に、不動産屋で部屋を探しているとこ、見ちゃったもん。」
職場の女友達と行ったランチでの会話に、私は目の前が真っ白になった。
 先輩とは何度もお得意様回りに行ったけど、一言もそんなこと言ってなかった。それどころか、最近は二人でいると、「まきちゃん」と親しげに呼んでくれて、私もそんな先輩に答えようとがんばった。毎日がとても充実していたのに。

 日曜日、一人で神代植物公園に行った。ちょうどバラフェスタがやっていた。先週、先輩と営業していた時、バスの中に広告が貼ってあり、それを見て「薔薇かぁ」と先輩が呟いていたのを聞き逃さなかった。薔薇になにか思い出があるのかな?もしかして彼女が好きな花なのかな?
 そう思ったら、なぜか足が向いてしまった。
 明け方まで雨が降っていたので、綺麗な薔薇たちは花びらに露をつけていた。
 深紅の大きな薔薇が、まるでベルベットの生地のような花を見事に咲かせていた。
 (先輩の彼女って、こんな感じかな・・・)
 綺麗で香り立つ、こんな深紅の薔薇のような女性だろう。
 すぐ横に、小ぶりで薄ピンクの薔薇があった。私はこれかな?この薔薇にも届かないかな。鼻の奥がツン、とした。薔薇の香りは雨上がりのせいか、今の私には少し強すぎる気がした。
 散歩のあと、深大寺に蕎麦を食べにいった。あの日初めて先輩と行ったお店に。
 「いらっしゃいませ!」
 あの日と変わらない、元気のいいおばさんの声。
 私も今では、上手に蕎麦を食べられるようになった。箸の使い方も練習した。きれいに蕎麦が食べられるようになるために。先輩にふさわしい女性になるように。別の蕎麦屋にも入ったが、やっぱり先輩と初めて食べたこの店が一番気に入っていた。
 蕎麦を一口すすった。また、鼻の奥がツンとして涙で目が曇った。
(ワサビのせいだ、絶対に。)
 一人蕎麦をすすって泣いている女なんて、演歌にもならない。あわててバックからハンカチを出した。

 「いらっしゃいませ!」
 おばさんの声に顔を上げると、ガラガラっと戸を開けて長身の男性と若い女性が入ってきた。
 「先輩?」
 「あれ?まきちゃん、何してんの?って蕎麦食べてるのかぁ。」
 とびきりの笑顔で先輩は声をかけてきた。
 (彼女もいっしょだ!)
 私はほとんど食べ終わった蕎麦に目を移した。
 そんな私の気も知らず、先輩はすぐ横のテーブルに座った。
「一人で蕎麦を食べに来てるなんて・・・言ってくれれば付き合ったのに」
 先輩は無邪気に笑った。
 (彼女の前で何言ってんの・・・)
 私は、上目使いで彼女を見た。
「お兄ちゃん、彼女?」
 若い女性は先輩を冷やかすように言った。
「お、にいちゃん?」
 私は蕎麦猪口をもったまま手が止まった。
「はは!まぁ、ね。」先輩は白い歯を見せた。
「妹の朝子。就活で東京に来ててね、ちょっと面倒みてるんだよ。」
「お兄ちゃんがいつもお世話になってます!」
元気にあいさつをした女性は、どことなく先輩に笑顔が似ていた。

「お待ちどうさま!」
おばさんは天ざるを二つ、運んできた。
先輩と妹は、東京は郊外でも家賃が高いとか、女の一人暮らしは心配だとか、話している。(美人と不動産屋さんて・・・)
「お兄ちゃんって心配症なんだよね。」妹はちょっとむくれながら海老天を口に入れた。
「まきちゃんも飲む?」
いつのまにかコップが差し出され、冷えた瓶ビールを注がれていた。
「昼間のビールと蕎麦は最高だね!」と先輩は私に乾杯するそぶりを見せた。

私たちは店を出た。私はコップ一杯のビールで頬が赤くなっていた。
「じゃ、私はここで、約束があるから!」と妹は無邪気に手を振った。
「え、あの、ちょっ」と声をかけたが、妹は「じゃ!お邪魔しました!」と小走りにバス停へ向かってしまった。
 気まずい雰囲気と雨上がりの蒸し暑さと昼間のビールに、私はくらくらした。
「あのぉ・・」
「薔薇、見に行こうか。」
「え?」
「神代植物公園の薔薇、見に行こうよ。腹ごなしにさ。」
 (今、行ってきたとこ・・・)
 そう言おうと私は顔をあげた。先輩は私の手を引っぱった。
「まきちゃんの誕生月の花だもんな。」
「え?」
 誕生月・・6月の花は薔薇だったっけ。
「薔薇なんて、まきちゃんにはちょっと大人っぽ過ぎるけどな。」
 先輩はまた無邪気に笑った。いつものスーツ姿の営業スマイルとは違う。
「そんなこと、ないですよ!」
手を引っぱられて慌ててついていく。
 深大寺の参道は、初夏の太陽に照らされ、いつの間にか乾いていた。

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<著者紹介>
ばあと(東京都三鷹市 /41歳/女性)

神代植物公園は、昭和三十六年十月に開園して以来、一年を通じて、様々な花の観賞を楽しむことができる場所である。中でも、特に私が好きなのは「木(む)槿(くげ)」の白だ。夏の花、木槿は、例えば同じ夏の時期に花をつける向日葵(ひまわり)に比べてみれば、主張する態度、要素が極端に少ない。
まず、向日葵はご存じの通り植物の中でも有数の背の高さを誇り、花弁(はなびら)の黄色が鮮やかで、何しろ大きな花を太陽に向けて自らを、上へ周囲へと主張する。植物公園内の「一年草園」にも見られるような、一定量の向日葵が植えてある花壇は、さながら、我先に周りから抜きん出ようとする意志の集団であり、自らの背丈と大きさばかりを気にする主張の大群のように、私には見えてしまう。
一方、木槿の花は何と言っても可憐である。まず、どこが可憐なのかと言えば、その花弁である。咲いた花弁はどの色も淡く、私の好きな白い品種さえも、その白が淡く見える。花の中心に向かっては、やや遠慮がちなインパクトを醸し出した、これまた淡い紅色の輪の模様が確認される。そして何よりも、木槿という花は、向日葵のように一夏中咲いている花ではない。そこがまた可憐なのである。木槿は、次々に別の花が咲くため、人の目には夏の間、長く開いている花のように見られるかもしれない。しかし、その実態は、丑三つ時とも言える朝の早い時刻、太陽の昇る前に人知れず開花した後、夕方には奥ゆかしくしぼんでしまう、控えめな「一日花」なのである。
可憐に咲いた木槿は即ち、一般に短いと称される花の命を、そのまま運命的に背負ってしまった花なのである。

「ソミンさんは、どんな花が好きですか。」
二十年前の夏、調布にある大学に入り立てだった私は、六つ年上で大学院に在籍していた留学生、イ・ソミンさんに、淡い恋心を抱いていた。
「私は、この花、『無窮花(ムグンファ)』が大好きです。」
初めてのデートで歩く神代植物公園の、どこの入り口からも遠い場所にある「木槿園」に差し掛かったとき、微笑みながら、彼女は、うつむき加減でそういった。
「韓国では、ムグンファって言うのですか。この花は。私の発音、合っていますか?」
「ケンチャナヨ(=大丈夫)。」
「この花、日本では、ムクゲと呼ぶのです。韓国では「無窮花(ムグンファ)」は、どんな意味があるのですか。」
「韓国では、ムグンファは、国の繁栄を意味する花、国の花。国民、みんなから大変好かれています。」
「ソミンさん、この花のこと、とても詳しいですね。どうして、ムグンファは、韓国の国の花になったのですか。」
「質問ばかりですね。シンちゃんは。」
「ごめんなさい。自分が、日本のことも全然説明できないのに、ソミンさんに韓国のこと、聞いてばかりで。」
「思い出したら、少しホームシックに、なって来ちゃった。」
「ワタシ、変なことばかり聞いて、本当にごめんなさい。」
元々早口な私は、当時、ソミンさんと話すとき、わざと、ゆっくりとゆっくりと、はっきりと話をするようにしていた。来日して一年目だというのに非常に流暢に日本語を操る彼女だったが、私は彼女が外国人であることを意識して、できるだけ難しい日本の言葉を使わないつもりで話していた。少なくとも、自分はそういうつもりで話をしていたと思う。わざとらしく、ゆっくりだった私の口調は、もしもその場に他の日本人がいたら、きっと、自分のことをとんでもなく気障(きざ)な男だと思ったことだろう。十九歳の私は当時、彼女の前以外では、自分のことを「ワタシ」と言ったことさえなかったけれど。
「お寺の側(そば)の、涼しいところまで行って、座って少し休みませんか。」
また知った風な私がそういうと、
「はい。」
彼女は素直な目を見せながら、優しく応えた。
蝉の鳴く木陰の道を、潜(もぐ)るように深大寺門の方に抜けて、私たちは屋外の席でも涼しげな風が通る蕎麦屋「多聞」まで足を運んだ。
  私は、二人で冷たい餡蜜を食べながら、できるだけ彼女を悲しませたり怒らせたりしないように、ムグンファの話の続きができないものかと頭を掻いていた。私は話のつなぎのつもりで、大学のゼミや自分の故郷のこと、東京に来て、一人暮らしを始めて気づいたことなど、やはりわざとらしいほどに自らの口をはっきりと開けながら話した。しかし、何よりも彼女のこと、そして彼女の国のことを知りたかった。
「シンちゃん、サークルは、どこに入ろうと思っているのですか?」
「シンちゃんはぁ、早口なので、きちんとした発音で、ゆっくりと話ができるようになるため、弁論部に入ろうと思っています。」
もはや、ロボットのようになった私の口調に、彼女は、その小さい丸い顔を、もっと小さくしながら笑った。これで良し。
「ところで、少し、先ほどのムグンファの質問をしても、構いませんか?」
「ケンチャナ、ケンチャナ。」
彼女は、朝鮮王朝時代、ムグンファが、朝鮮の高級官僚合格者に対して国王が御賜花として授けていた花であったこと、また、朝鮮国王が出席する宴会では、臣下たちが部屋の隅にムグンファを生けて、それを王と臣とをつなぐ信義のしるしとして扱っていて、そこから国の花として定着するようになったことを話してくれた。
「本当に自分の国のこと、ソミンさんは良く勉強しているのですね。感心します。」
「シンちゃんだって、外国に行けば、日本のことを話さなくてはならなくなるでしょ。きっとそうなるでしょ。」
「確かに、ソミンさんの、おっしゃるとおりだと思います。」
 「ムグンファは、韓国が、いえ朝鮮の残してきた時代が、そのまま感じられる花だと思います。」
「といいますと?」
「ムグンファは、無に窮(きゅう)する花と書くの。それは、日本語で考えても同じ意味。無に窮する、何も無いことに困るくらいのたくましさを持っているわけ。ムグンファは朝早く花を開いて、開いた花は午後にはしぼみ、日が暮れると落ちてしまいます。毎日毎日、夏の間、それは咲いては散る花なのだけれど、夏から秋まで百日もの間、途切れることなく次々と咲く花なの。一つの花の花びらは一日だけで、その花自体は無くなってしまうのだけれども、次々に咲いてくるから、ムグンファの種(しゅ)は死んではいないの。力強く種が続くことが判るわけ。それが私たち朝鮮民族の歴史と重なっていると思います。」
後から聞いた話だが、無窮花は本当に非常に強い花で、枝を切って地面に刺しておくと、いつの間にか根づくらしい。それくらい、その生命力は強い。
「だから、韓国人は、日本人より強いのよ。」
「きっと、そうだと思います。ソミンさんを見ていると、そう思います。」
彼女は、日本から日本の奨学金で招聘された国費留学生だった。受験競争の激しいソウルの学生時代を優秀な成績で過ごし、狭き門を通り抜けて日本までやってきていた。日本の地方で平々凡々と生活してきた自分の何倍も努力をしてきたことだろう。その証拠が、自国のことを異国の言葉でしっかりと説明できる話力に現れている。
「シンちゃん。だから、シンちゃんとは、もうこれっきり。私は、日本では好きな人は作らないことに決めているから。」
最初のデートの中盤で、私の東京での初めての恋は、幕が閉じられてしまった。まだ、追うことができないわけでもなかったが、ムグンファの散り際の潔さを考えれば、これはスパッと断念するのが心地よい。
「ソミンさんという、可憐な人に出会えただけでも、自分は幸せです。スッパリとあきらめます。」
そのとき、初めて彼女に対して、何の意識もせずに自分の使いたい日本語が使えたような気がした。
「ソミンさん、最後に、もう一つだけ質問させて下さい。ソミンさんの嫌いな花はありますか。」
「そう、嫌いな花、嫌いなのは紫陽花(あじさい)。だから、シンちゃんには紫陽花にはならないで欲しい。」
「難しいですね。どういう意味ですか。」
「全然難しくない。紫陽花は日本では雨の日に綺麗に咲く花だけど、それだからかもしれないけれど、冷たい花なの。紫陽花の花言葉、『冷淡』だって、知らなかったでしょ。」
「全く、存じ上げませんでした。」
「シンちゃんは、私のことを気にして、一生懸命に簡単な日本語で話をしようとしてくれていた。そのこと、良く分かります。そんなシンちゃんには、これからも紫陽花にはなって欲しくないの。」
彼女は私のことを、全部判っていた。そのことが改めて彼女への恋心を断ち切るに当たっての障害になってしまいそうで、自分は俯(うつむ)いてしまった。
木槿の花言葉は「信念」だという。彼女は翌年の春、電子工学の博士課程を卒業した。今、祖国で大学教授となって最先端のエンジニアリングのアドバイスを企業に行う職務に就いているという。結婚しているかどうかは知らないが、きっと幸せに違いない。

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<著者紹介>
波岡 洋(東京都小金井市/39歳/男性/公務員)

 成田空港からのリムジンバス直行便は、香織の実家がある調布に向かっていた。朝からやる気満々に昇った盛夏の太陽が、左側の景色を鏡のように反射させている。香織は車窓に流れる景色をぼんやり眺めていた。田園風景はやがて住宅密集地に変わり、次第に高層ビルやタワーマンションの数を増やしていった。首都高速を滞ることなく進んでいるから、昼頃には予定どおり着くだろう。駅には父が迎えに来てくれているはずだ。

香織は滝沢家の長女として調布市佐須町に生まれた。地元でも知られた旧家である滝沢家は、代々農業を営み、周辺に相当な土地を所有している。祖父の代から資産活用の都合で建築業も始めたが、今でも庭先では点在して残る畑で収穫された野菜を売っている。広い敷地に建つ緑に囲まれた実家は野川の近くにあり、香織は閑静な住宅街の、自然豊かな恵まれた環境の中でおおらかに育った。
柏野小学校から第七中と地元の公立を進み、高校は都立三鷹高校に学んだ。近隣の裕福な家庭では小中学校から私立に行かせるケースが多いのだが、郷土意識の高い父はあえて公立にこだわり、香織は素直にその意に従った。
外国語大学を卒業後、外資系企業に就職し、天王洲のオフィスに勤務した。仕事にも慣れた二年後、本社があるシアトルへ異動の内示をもらった。研修を兼ねた期間限定の海外転勤だったが、両親は猛反対した。しかし、親元を離れ、一人暮らしの機会を自ら申告していた香織は、これに屈せず、単身アメリカに渡った。従順だった大事な一人娘が家を出て、しかも遠い異国に行ってしまったことに強いショックを受け、頑丈が取柄の父は数日間寝込んだという。母はすぐに、自分のやりたいことに邁進する娘の成長を喜び、子どもの親離れを内心では頼もしく思ってくれた。が、それでも父の心配と虚脱を察して、母からの国際電話やメールはほぼ毎日のようにあった。
あれから約一年半。仕事と休暇と祖母の七回忌がちょうど重なり、二週間余りの、初めての帰国となった。

家族やご近所、同級生などの歓迎攻めと仕事の処理などで、当初の昼食と夕食は友人や同僚と共にする日が続いた。早送りの映像のように慌しく多忙な数日が去り、ようやく休暇らしい落ち着いた時間を取り戻した香織は、母の手料理を味わい、実家で家族とのんびり過ごすことに専念した。
ある日は、弟のマウンテンバイクを借りて、市内をゆっくり散策した。
大きな空の下、開かれた視界の先に、おもちゃのような飛行機が離着陸する調布飛行場があった。飛田給のスタジアムでは、なでしこリーグの女子サッカーの試合が開催されていた。多摩川に出ると、河川敷の球場で少年野球の熱戦がくり広がられていた。サイクリングロードを下り、市のテニスコートがある堰の辺りからは、多摩丘陵の遊園地に立つ観覧車の奥に、うっすらと蒼い輪郭を描く富士山が見えた。街には新しいマンションや戸建てが増え、馴染みの店の入れ替わりもあったが、街の風景はほとんどそのままだった。
春になれば、多摩川住宅沿いの土手や野川の両岸に美しい桜が咲き、夏になれば、市民プールに子どもたちの歓声が響き、秋には高尾山の方角に大きな陽が落ちて、調布の空を夕焼けに染め、冬になると、雪やスキー板を載せた車両が中央高速道を行き交うのだろう。
些細な変化を探して嘆くよりも、変わらぬ大きなものを確認して安心したい。香織はそんな心境になって生まれ育った調布の街と接していた。それは、懐古や郷愁といった感傷ではなく、今の自分の土台を作ってくれた場所が、たった数年で脆弱に変容してほしくない敬愛のようなものといえる。

 帰国して一週間が経った日、伯母から電話があった。伯母は活発かつ豪快な自由人で、若かりし頃のかなりのお転婆ぶりには父も随分手を焼いたらしい。今は祖父から相続した調布ヶ丘の家に住み、空いている部屋を貸して悠々自適に暮らしている。その下宿に、最近、電気通信大学に通う一人のアメリカ人留学生が住み始めたそうだ。
 「深大寺に行きたいと言っているが、私はもう若い人と同じに歩けないし、英語で案内できないから、あなた、代わりに付き合ってあげてくれない」。そういう用件だった。香織のアメリカ行きで滝沢家が大騒動になった時、伯母は加勢し、熱心に後押ししてくれた。その恩義もあって断れない。
だが、香織にとって、深大寺は鬼門だった。幼稚園の遠足で神代植物公園に行った時、バラ園で蜂に刺され、頭が漫画のように腫れ上がった。小学生の時、水生植物園で遊んでいたら、誤って池に落ち、溺れそうになった。中学の時、バスケットボール部だった香織は深大寺に隣接する総合体育館で試合に出場し、対戦相手のロングパスを阻止しようとして、ボールを顔面で受け、そのまま真後ろに倒れ気を失った。最悪なのは高校の時だった。初めて同級生とデートを約束し、深大寺に行った。山門をくぐり、本堂や元三大師堂、深沙大王堂などを参拝し、門前を散歩した。ここまではいい感じだった。名物のお蕎麦を食べようと店に入り、蕎麦をたぐった時、悲劇は起きた。不吉な予感と初デートの緊張の余り、蕎麦を中途半端にすすって、むせてしまい、激しく咳き込んだら、蕎麦が一本、鼻から出てきてしまった。以来、香織は一切、深大寺およびその周辺には立ち入っていない。毎年、家族で初詣に行っていたが、それも拒絶した。「何が縁結びよ」。同時に、その日から香織は恋愛にも臆病になった。
 なのに、初対面の留学生を連れ、深大寺を案内しなければいけない。困った。憂鬱で体が岩のように重たくなった。
次の日。伯母は留学生とともに現れた。彼の名はパトリック。本人の発音が伯母には「ハットリ君」と聞こえるらしく、伯母はハットリ君と呼んでいた。パトリックは何度も訂正したそうだが、もう諦めたと言った。気さくで明るい大きな好青年だった。

「何も起こりませんように」と香織はひたすら祈った。
二人はまず野草園へ出発した。ここは中央道を挟んだ東南の深大寺自然広場にあり、小さい頃、蛍を観に行った公園だ。周辺は自然のままの鬱蒼とした湿地帯になっている。
深大寺へと続く急な坂を登り、中央道に架かる歩道橋を渡り、住宅地を抜け、三鷹通りに出て青渭神社に着いた。パトリックに参拝の方法を教え、深大寺の本堂の裏をめぐる路を歩き、神代植物公園を見学し、自由広場で休憩した。武蔵野の原生林が時空を超えて残り、大きな樹木の葉が幾重にも覆い真夏の陽光を遮っていた。時折、心地よい風が吹き抜けていく。蝉の鳴き声も元気だ。
少し汗が治まった頃、武蔵境通りの近くを迂回し、深沙の杜から深大寺へと向かった。深大寺は以前と変わらず賑わっていた。日本の自然・伝統文化・歴史に興味関心がいっぱいのパトリックは、道中、「素晴らしい!」を大袈裟に連発している。地元を褒められることが、あたかも自分が褒められているようで、うれしく誇らしかった。 
ただ難儀なのは、いろんな質問を浴びせられることだった。シアトルでも日本について、あれこれ聞かれるが、どれも基本的な話題で返答は容易かった。しかし、来日するほどの親日家であるハットリ君は知識も豊富で、そのうえでの質問だから、じつに手強く厄介だ。「深大寺と神代は同じ発音なのに、なぜ異なる漢字なのか」。「万霊塔とは何か」。等々。
英語が話せることと、話せる中身を持っていることは全然違う。語学ができても、話せる教養がなくては意味がない。忌み嫌っていた深大寺のことだとしても、自分の引き出しの空っぽさに香織は恥じ入った。
門前のお蕎麦屋さんで食事をした時も、パトリックの好奇心に充ちた質問は続いた。香織は答えに窮し、下を向いて黙った。その様子を見て、横の席の男性客がさりげなく間に入ってくれた。パトリックの知りたい疑問に的確に答え、それを英語でわかりやすく説明した。流暢な英語ではなかったが、内容は充実していた。三人の会話は弾んだ。
親切な男性の博識のおかげで、パトリックの深大寺ガイドは無事に終わった。帰り際、彼は香織に名刺を差し出し、自己紹介した。名前は渡部和哉とあった。深大寺の近くにある国立天文台で観測や研究の機器開発に携わる技術職員で調布駅に近い布田に住んでいるという。年齢は香織の1つ下。独身なので休日にはよく一人で深大寺近辺を訪ね、蕎麦を食べ歩いていると笑った。
 香織は胸の奥深くで発熱するのを感じた。パトリックに感じた友情のような親近感とはまったく別の微熱だった。
夏の朝、水面を出た蓮の花は、突然、ポッと音を立てて咲くという。
夜、滝沢家で夕食を囲み、パトリックは満足気に伯母と帰って行った。楽しく有意義に過ごした濃厚な一日だった。香織は、深大寺を見直し、愛着をもった。不運続きだったが、ほんとは元々好きだったのかもしれない。

香織がシアトルに戻る前々日、祖母の七回忌が行なわれた。集まった親戚は口々に香織の結婚を話題にした。笑顔でかわしつつも、そろそろ封印を解いてもいい時期かと香織は思い始めていた。翌日。その第一歩になるかもしれない電話を渡部にかけた。
恋愛は不思議な引力をもつ。どんなに遠くに離れていても、縁ある男女は運命の糸に操り寄せられ、いつか出会い結ばれる。

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<著者紹介>
望月 吾妻(東京都調布市/53歳/男性/自営業)

約束より結局三十分も早く到着してしまった。深大寺に多く立ち並ぶ蕎麦屋の中でも「市川」は古く小さい。それなのに、念入りに磨かれたような清潔さと、静かな佇まいは二年振りに訪れてもまったく変わっていない。
 二年前に父が亡くなるまでは、母と三人でよく訪れた場所だった。大学教授だった父は留守が多かったが、たまの休日に三人そろうと「市川に行くか!」と私たちを誘った。家からたった一駅先だったが、私にとっては小旅行のように楽しみなことだった。
店の前に立っていると、古い引き戸が開いて、その奥から蕎麦を食べ終えてお腹一杯の私と両親が笑顔で出てくる光景が瞼に浮かんでくる。父はいつも通り日本酒をちびりちびりと飲み、私はその嬉しそうな父の顔を見ながら酒のつまみに好んだ揚げそばに手を伸ばすことが大好きだった。
大学に進学して就職すると、当然に訪れる回数は減ったが、それでも三人で「市川」に行く習慣は不思議と途絶えなかった。
父が亡くなった途端、母と二人で来ることさえなくなってしまった。もっと長生きして当然だと思っていた父の早過ぎる死は、驚きとともに残された私たちの生活に色々な影響を及ぼした。それは死に対する悲しみより、現実的な重量感があった。母との関係もそうだった。父が亡くなっても元通りの関係には戻らず、それは三人いての二人と、本当に二人しかいなくなったことがまったく違うという現実だった。それにイラついて恋人の雅人に八つ当たりが増えると、その関係までもが悪くなっていった。
 思わず、小さな店の前から尻込みしたい気持ちになるが、しっかり背筋を正した。父が亡くなってからの二年、理解不能な母の行動に、ようやく答えを見出せる日が今日なのだ。
「とりあえず」と、心のざわめきを落ち着かせるように言葉に出すと、深大寺まで参拝に行こうとUターンした。気もそぞろな三十分をここで過ごすには、あまりに時間が長すぎる。もう一度背筋を真っ直ぐに正した。

一週間前の土曜日の電話は、一人の夕飯を終えたタイミングだった。電話の音ですぐに相手は分かった。見ていたようなタイミングでの電話はいつも母からだった。
「お母さん?」
「違っていたらどうするの?」
 電話口で笑う声はやはり母だった。
 思わず電話先の相手に聞こえるようにため息をついた。それを無視するように母は、
「ねえ、来週の土曜は休み?市川にお蕎麦を食べに行かない?話があるの」
口には出さなかったが「きた!」という心境だった。黙っている私に、
「雅人さんとデート?仲良くしている?」
きっと雅人は、最近妙に続く休日出勤だと言いかけてぐっと抑えた。来週正午の待ち合わせを決めると、何度目かのため息が出た。
理解に苦しむ母の行動の最初は、父が亡くなった一カ月後だった。急に家を売って私とも別居することを提案したかと思うと、実行に移す勢いはすごかった。さらにそのあと二回引っ越しを繰り返した。二回目は私も知らないうちに、数回転送される郵便物でようやく母の住所が変わったことに気付く始末だった。今は深大寺から徒歩十分程度のマンションに暮らしている。
それでも、私は基本的に何も聞かずに母の言う通りにした。どうしてと母を問いただすことで、母までも失いたくなかった。二人でもめるより、別居を言い出した母に従って、休日に一人で荷物をまとめ、会社に近いところにアパートを見つける方が余程楽だった。
何の相談もしてくれなくなった母への疑問と、責める気持ちは常につきまとうようになり、たまに会っても気まずさとわざとらしい気遣いばかりが表に出た。
こんなことになった原因を一つ一つ羅列したことも、夜中に起きて突発的に考え始めることもあった。答えはいつも分からなかった。いずれはと待ちながら、母が何も話してくれない二年が驚くほどあっというまに過ぎた。
ふと気付くと、深大寺の前まで来ていた。
紫陽花も終わったばかりで人もまばらだが、初夏を待つ緑が瑞々しく目にしみて感じる。
 父の病気が分かる数ヶ月前に、顔合わせ程度に雅人を両親に紹介したときは、まだ紫陽花が笑うようにほころんでいた。「市川」で蕎麦を食べたあと、四人で深大寺に参拝した。その晩「結婚はまだ早いよな!」と赤い顔で言う父を見て、母と苦笑した覚えがある。あれから二年交際は続いていたが、休日出勤が理由だけではなくすれ違いが増えていた。
なんじゃもんじゃの木の下に立つと、待ち合わせまであと十分になっていた。慌てて引き返そうとしたところで、こちらに来る女性の人影があった。
名残惜しそうに深大寺を振り返りながら出てきた母は、私の顔を見ても驚かず、すぐ笑顔になった。
「久しぶり」
「うん。お母さん早いね」
「参拝に寄ったら遅くなって。今から向かうところだったの」
 よそよそしい会話に、あんなに仲が良かったのにと唇を噛んでしまう。父が亡くなったことがすべての元凶のように思えてくる。そう思うことが悲しくて、目の奥が熱くなった。 
母が私の表情を見守りながら、意を決したように手にした紙袋を見せた。
「ねえ、真結。これを見せようと思ったの」
 中には大判のノートが入っていた。新聞や雑誌のスクラップが丁寧にはりつけてある。のぞきこむと、それは賃貸マンションの情報で、それも深大寺周辺の物件ばかりだった。思わず「またか」という思いが頭を過ぎる。
「また引っ越すの?」
「これ、お父さんがずっとしていたのよ。入院してからも新聞や不動産雑誌を買ってくるようにうるさくて」
「お父さんが?家があったのにどうして?」
 思わず問いただすような口調になった。
「真結は一人っ子だけど嫁に出すんだ。俺ら二人、最後は好きな場所でのんびり暮らすぞって。本当にこの周辺が好きだったのね」
 大学教授で頭が固い父は、てっきり私に婿養子でももらえと言うのかと思っていた。だから、長男の雅人との交際にほっこりした顔をしないのだと思いこんでいた。
「でも、それとお母さんが私に内緒で引っ越しばかりするのとどう関係があるの?」
「だって」
 母がちょっと目を斜めにそらした。
「お父さん、自分の病気を知る前に、死ぬとは思わずに探していたの。病気が分かってからも、良い物件を調べては私に細かく意見を言って。どういうことか分かる?」
 答えになってないと思ったが、黙ってもう一度ゆっくりノートに目を落とした。不動産情報の下に一つ一つコメントが書き込んであった。交通事情に始まって、日当たりや見える花まで丁寧に書き込まれてある。右上がりの見覚えのある字だった。
「この字・・・」
「雅人さんから真結へラブレターみたいね」
「へ?」
「これ雅人さんよ。お見舞いに来てくれて、お父さんが不動産情報をはるたびにコピーして、下見に行っては書き込んでくれていたの。いつもお父さん寝たふりだったけど」
「でも、お母さんが何の相談もなく勝手に引っ越すことと関係ないじゃない。私一人で寂しかったのよ」
「寂しかったのは、真結だけじゃないのよ」
冷たいくらいにはっきりした声だった。
「雅人さんの書き込みは、お父さんが私一人で住む心配を察して、それを解決していけるコメントで。お父さんが亡くなって一人でこれを見ていたら、色々なところを見てみようって前向きになったの。今のところは五階で、春には植物公園の桜がきれいに見えたのよ」
そうだ。母が勝手に引っ越して、置いていかれて、自分だけが寂しい気でいた。母は一人で引っ越しをして、一人で気持ちの後かたづけをしていたのだ。そんなことにも、父が一人残る母を思う気持ちにも、その父を思う雅人の行動にも、二年経つ今まで気が付かなかった。
 最後の物件のページの裏の糊が少しはがれかけていた。それを見た瞬間、今までたまっていたものが溢れ出してきた。
『雅人くん、わがままな真結を頼む。もし少し余裕があれば、ついでに妻もたのむ』
『二人ともおまかせ下さい』
母は私が止まっているページを見た途端、声をあげて泣き出した。父が亡くなってから、母が泣くのを見るのは初めてだった。
「来年は、雅人さんと桜を見にきて」
母が今日一番言いたかったのは、この一言なのかもしれない。
 泣き顔を隠すように言った母に、つい最近もケンカをしたことを話してしまった。早く雅人さんのところへ行けという母は、
「お蕎麦を食べてからね」
と笑った私に呆れ顔を見せた。父が亡くなる前の母らしい顔だった。
「だめ!走りなさい」

走りながら、深大寺の神様は怖い顔だぞと、小さい私を震えさせていた父の言葉を思い出した。今なら、それが深沙大王像のことで、いつもは姿を見せないけれど、実は縁結びの神様のことだと分かる。
疑っていた私を雅人は怒るだろうか。すごい形相の雅人と深沙大王が一緒になって笑うところを想像してみると、少しだけ笑えた。ずっと見送っている母の視線を受けながら、懸命に走り続けた。

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<著者紹介>
杉本 絵理(富山県富山市/32歳/女性/会社員)

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