<第12回・最終審査選出作品>「サイゴはホトケ」 著者: 梅川陽衣

 そうだ。死んで霊魂になれば、あの世の人と結ばれるじゃないか――。
単純明快なその答えに気付いたとき、私が自分で自分を殺す行為がひどく崇高な儀式に思え、彼の元に行ける嬉しさで体が震えた。

 私は小さい頃から、この世とあの世の境を彷徨っている人ならざる者が見えた。思春期を過ぎた頃から徐々に見える機会は減っていき、最近は全くないと言っていい。いや。大人になるにつれ、見えているのに見ようとしなくなっただけかもしれない。
 今日、久々に見た「それ」は、私が大学のゼミ講義をサボってやってきた深大寺の参道で胸に大きく「唐揚げ」と筆文字で印字されたTシャツを着て、所在なげに佇んでいた。

 都内の住みたい町ランキング1位の町からバスで約30分。都会の喧噪から切り離された緑深い場所、深大寺。私が先輩の先輩という六歳上の男性と付き合い始めた頃、一人で縁結びのお参りに来たことがある。
 彼、私にベタ惚れだったけど、神頼みってのもやっておくべきかなって。だって彼、奥手で焦れったかったんだもの。神仏の手も借りて一気にゴールまで行きたかったわけ。
 彼、初めて会ったとき素っ気なくて。照れてるのが分かった。目も合わせてくれなくて。何百通と送ったおはようとおやすみメールにも全然返してくれなかったし。不器用な人なんだよね。風の噂で彼が結婚したって聞いたときは変な女に捕まっちゃったのかな、って。私が助けなくちゃ、って。相手の女に包丁持って直談判しに行ったら警察に連れて行かれちゃった。だって逆上されたら怖いでしょ?で、まあ、その後も本当にいろいろあって、彼には二度と会えなくなっちゃった。
もう、終わり。彼がいない人生なら、ジ・エンドにしようと決めた。ただその前に、深大寺に「ちょっと!効き目なかったじゃん!」と盛大に文句を言ってやりたかったのだ。

境内のそこここで紫陽花が揺れている。
その中の白い紫陽花の固まりが花嫁のブーケに見えて、めちゃくちゃに毟り取ってやりたい衝動に駆られた。
よし。憎しみを込めて手を伸ばしかけたとき、さっきの唐揚げクンの視線に気付いた。私をジッと見ている。なによ。数本折ってやろうと思っただけよ。思っただけ。そう心で言い訳しながら手を引っ込めた。
それにしてもひどい趣味。奴のTシャツを見ていると、吸い込む空気に唐揚げ臭が充満しているように感じてくる。
そのとき、一組のカップルが笑いながら唐揚げクンの身体を通り抜けていったものだから、私はギョッとした。「そっち」の人だったのか――。
もう随分長いこと「それ」系には出会ってなかったのに。自分の死を意識した途端、目の前に幽霊が現れるなんて、私の霊的波動は大したものだわ。
ああ、だったら余計にそのTシャツが不憫だ。若い唐揚げクンがどのような最期を迎えたのかは与り知らぬことだけど、人生最後の日のファッションがそれでは、さぞ心残りであったろうに。そうか。だからここで彷徨っているのだな、と私は妙な納得をした。
そして私は、ふらふらと歩き始めた。
周囲はカップルがほとんどで、それ以外は家族連れか女性同士のグループといったところか。年頃のオンナ一人など自分だけだ。
本当なら、ここを彼と笑いながら歩いていたはずなのに。「ええ?そんな願掛けしてたの?心配性だなあ」なんて額をつつかれながら。それは、叶わぬ夢となったのだけど。
なのに、私はどうしてこんな所にたった一人でいるのだろう。寂しい。辛い。苦しい。惨めだ。死にたい死にたい死にたい。
次々と生まれるネガティブワードが心の隙間を埋め尽くし、それは真っ黒い塊となって、身体の中心にずうんと落ちてきた。
その黒い塊が重くて、私は身体を支えきれず、本堂から坂道を降りていった先にある、延命観音の前のベンチに座り込んだ。
黒い塊は、紙が水を吸い込むように、中心から手や足や頭の先に向かって、じわじわと広がり、私の身体を蝕んでいった。このままでは私そのものが真っ黒い塊になってしまう。でも動けない。重いのだ。動きたくない。
「楽に......なりたいなあ......」
呟いて、頭だけ揺らして、自分の手首を見た。やっぱり切ると痛いのかな。
そのとき風が強く吹いて、私は軽く目を閉じた。瞼を開いて顔を上げると、唐揚げクンが私の前に立っている。
ジッと視線を合わせて相対する形になった。唐揚げクンは眉間に皺を寄せている。なんでそんな顔をしてるんだろう。
また、風が吹いた。気付くと唐揚げクンは少し先に移動して、こちらを見ている。
私は立ち上がって、近付いていった。
そこには、青のグラデーションがかかった紫陽花が咲いていた。
気付くと、唐揚げクンはまた消えていた。
慌てて辺りを見回すと、道の向こうで顔だけこちらに向けて立っている。追いかける。
また、消えたと思ったら先にいる。
私は彼の姿を見失うまいと走っていた。
ああ、ここにいた。唐揚げクンを見付けて立ち止まった瞬間、ふっ...と、チリン、と涼やかな音が耳を撫でてきた。
チリン、チリン、チリン......。
いくつもの風鈴が光を受けて煌めき、風に揺れている。微笑みながら私に、とっておきの内緒話を教えてくれているようだった。
きれい。楽しい。嬉しい。
いつの間にか身体は軽くなっていた。真っ黒い塊は溶け出して、キラキラした光がすうっと心に差し込んでいた。
唐揚げクンが笑っている。手をおいでおいでして、私を呼んでいる。熱い眼差し。
瞬間、自分の罪の大きさを思い知った。
――霊魂までも夢中にさせるなんて。私ったら罪な女――。
袖すり合うも多生の縁、とは言うが、彼とは何か深い繋がりがあるのかしら。私、最初はあなたのこと、ただの変な奴って思ってたのに。こんなに優しくされて、あれ?やだ、私も?......彼のことで苦しんでたのに、節操のない女だって呆れる?いい女は恋多きものなの。だけど、私は霊のあなたとは――。
そのとき、思考回路が一つの結論を叩き出した。私は死にたかったんだ。唐揚げクンは幽霊。ならば、取るべき道はひとつ。

唐揚げクンは車通りの方へ移動していた。
車通りの向こうから爆音が近付いてくる。一台の車が猛スピードで走ってきたのだ。
今だ!
 私はその身を、車の前に投げ込んだ。

次の瞬間、不意にざあっと強い風が吹き、私の身体は宙に浮いて後ろに倒れた。急ブレーキをかけつつハンドルを切った車は、間一髪で私の身体の脇を擦り抜け、急停止した。

一体何が起こったのか分からなかった。
突然、手の平に痛みを感じて、見ると血が流れている。咄嗟に地面に着いたときに切ったのだろう。
どくどくどく。
身体から溢れ出す赤い血と痛み。それは紛れもなく私が生きている証だった。わらわらと集まった野次馬の声が遠くに聞こえる。
風が吹いた。振り向くと、唐揚げクンが立っていた。目と目が合う。その瞬間、私は全てを悟った。唐揚げクンは笑って頷いていた。彼の想いが痛いほど伝わり、私はくしゃくしゃの笑顔で返した。
瞬きをした刹那、唐揚げクンは消えた。

そば守観音から参道を振り返る。本堂の方向に向かって私は深々と頭を下げた。悪態ついてごめんなさい。素敵なご縁をありがとうございます。
唐揚げクンに直接お礼を言いたかったけど、これでいい。会うと未練が残る。
そろそろバスが来る時間だ。
私は顔を空に向け、一歩を踏み出した。

――やっと帰ったか。
唐揚げクンは忌々しげに顔を歪ませると、参道を振り返った。
浮遊霊だった唐揚げクンは、漂い、風に乗り、深大寺に流れ着いた。この世に未練という執着で留まっているわけではなく、本格的に昇天する四十九日までの短いバカンスのようなものだ。だからこそ唐揚げクンは、この自然豊かで穏やかな時間の流れる深大寺での満ち足りた生活を乱されたくなかったのだ。

あの女、「死にたい」オーラ全開で最悪だったな。万が一ここで死なれちゃ、俺の四十九日まで一緒にいる羽目になる。考えただけでゾッとするね。だから、どうにか帰らせようと誘導してやってたのに。あそこで飛び出すか?慌ててありったけの力で突き飛ばしてやったぜ。でもま、なんか生きる希望を持ってくれたみたいだし?結果オーライ。
けど、今思い出しても胸クソ悪い。あの女のTシャツ。背中にでっかく「天誅!」って書いてあってさ。意味分かんね。お前が天誅だよ。どんだけ趣味が悪いんだよ。あーもう二度と来んな!

こんな罵詈雑言を、唐揚げクンが声にならない声で叫び続けていたことを私が知るはずもない。
知らぬが仏。

梅川陽衣(東京都中野区)

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