<第12回・最終審査選出作品>「少し待たせて、長く待たせて」 著者:多摩三郎

暮も押詰った十二月下旬、昼食後の眠気と戦いながら欠伸をかみ殺していた時、外線電話が鳴った。
「税務調査の件で連絡させて頂いております。年明けに事前打ち合わせをお願い出来ればと思います」大村総括主査と名のる女性は事務的に告げた。目が覚めた。経理部の仕事とは言え、税務調査はいつも気が滅入る。一旦始まれば、この招かれざる客のお相手が三~四か月は続く。お陰で年末年始休暇は重い気分で過ごす事になる。十月で会計帳簿を締め、十二月末までが決算処理、それに続いて法人税の申告を一月末までに行う。その直後に税務調査だから息をつく間もない。年明けの金曜日、担当の部員と伴に会議室で調査官一行を待ち受けた。挨拶を済ませ、五人の名刺を着席順にテーブルに並べる。西島正人はあらためて「総括主査 大村麗子」と書かれた名刺の文字を見た。麗子だ。今は眼鏡をかけているが面影がある。中原麗子とは大学のゼミで一緒だった。先程「はじめまして」と紋切り型に挨拶したが、そうではなかった。麗子の部下の調査官のひとりが翌月から始まる税務調査の事前準備に関して説明を始めたが、内容が全然耳に入ってこなかった。麗子は私と同い年だから結構な歳だ。彫りの深い目鼻立ちの整った色白な面立ちは昔と変わっていない。目尻のあたりに少し皺が増えたか。彼女が私に気が付いたかどうかは分からない。

大学を卒業したのはほとんど三十年前だ。多摩丘陵の一角を占める私達が通った大学は当時都心からその地に移転して間がなく、周りに遊ぶところもなく広くて新しいことだけが取り柄のキャンパスだった。麗子と初めて話したのは2年の暮れで3年次から始まる会計学を専門としたゼミの顔合わせ兼忘年会が居酒屋で行われた時だった。新入ゼミ生は十五人ほどだったが、宴席を決めるくじ引きで幸運にも彼女の隣の席になった。
「どうも、西島です。よろしく」
「中原です。こちらこそ」
「火曜の2限目の経済原論の授業、いつも最前列の席に座っていますね。僕も一緒の履修です。同じゼミになれて嬉しいです」そのうちひとりずつ自己紹介が順番に始まった。彼女はウヰスキーのテレビCMをパロって 「 "少し愛して、長く愛して"の大原麗子と一字違いの中原麗子です」、と微妙な空気を漂わせた。ちょっとはずしているが、数少ない女性のゼミ員なので許された。彼女の名を知らなくとも、その存在を経済学部内で知らない者は当時いなかった。彼女は美人女子大生を表紙にする週刊朝日にも載ったし、体育会乗馬部でもエースだった。インカレ上位入賞で学内のスポーツ新聞にも取り上げられていた。小柄ながら手足の長い体型と大きな瞳、高い鼻梁、そして長い黒髪、中近東系を思わせるエキゾチックな顔立ちはキャンパスですれ違う男性を振り向かせるには十分魅力的であった。もし当時、大学ミスコンがあれば上位入賞の本命間違いなしだ。ゼミ内でも、果敢にアタックをしている者もいて、斉藤健一もその一人だった。生意気にも車通学をしていて家が同じ方向だったので、時々彼女の自宅の最寄り駅まで送り、交際のきっかけをうかがっていた。彼の努力は報われることはなく、後の時代で言う所謂アッシー状態だった。彼女は少なくとも学内に特定の彼氏がいるという噂は聞かなかったし、学業に専念する模範的な学生であった。当時の典型的な学生であった自分や健一は、サークルや麻雀、ビリヤードに飲み会と勉強は二の次でモラトリアムを謳歌していた。私達は学生運動もすっかり下火になった頃に現れた、今では死語になった「新人類」と言われた世代だ。山中湖で行われた夏のゼミ合宿の時だった。最終日の打ち上げで将来について、みんなで話しをした。当時はバブル景気の前兆期で新卒の就職は売り手市場だった関係もあって、多くは大手企業への就職を希望していた。私は第一に給料が高いところであれば、仕事自身にやりがいとか、生きがいとかを求めるよりも、生きるための糧をそこで稼ぎ、その金で自分の時間を楽しみたいと言う考えだった。今思うと、世間知らずの小生意気な若造だった。麗子は公務員志望だった。親方日の丸の安定が主な理由ではなく、社会貢献が実感できる仕事がしたいと言った。派手な容姿の割に考え方は堅実そのものだった。秋になっても相変わらず自分は明確な将来へのビジョンもなく自堕落な学生生活を貪っていた。単調な生活が退屈だった。大学入学以来、塾の講師のアルバイトで貯めた金がある程度まとまった額になったので、3年終了時に一年間休学をしてアメリカへ語学留学に行くことにした。もう少しモラトリアムの湯船に浸かっていたかったからだ。今の学生だったら、さしずめ自分探しの旅に出るとでも言うのだろう。私は旅立に際して心残りがあった。麗子と一度デートしたかった。自分の中で何かモヤモヤした彼女に対する不完全燃焼の気持ちに区切りをつけたかった。憧れの延長線上にある好意が、恋心ではないと言えば嘘になる。同じ時間、空間を二人でほんの少し過ごしたかった。今で言う厨二病。遅れての罹患だが。大学が春休みに入った二月のとある日、思い切って麗子に電話をかけた。幸い本人がでた。彼女以外の誰かが出たらと思うと気が気ではなかった。スマホを家族一人一人が所有する今の時代では決して味わえない緊張感があった。
「一年間アメリカに語学留学することにした。来月早々に出発するけど、その前に二人で会えないかな?今月の最後の日曜の十一時、深大寺の山門で待っている。家、調布だったよね。散歩がてら来てよ」
「突然、何?留学?初耳ね。悪いけど最近、就職試験準備で忙しいの・・・ でも行けたら行くね」
当日、今にも泣き出しそうな曇天の中、深大寺山門で小一時間待った頃に麗子は現れた。
「 "少し待たせて、長く待たせて、中原麗子です"遅れてごめん」
「つまんねえ~ でも今日はありがとね」
「寒いから、先にお参りしようよ」
本堂にお参りした後、寺務所に立ち寄り、「今日、待たせたお詫びと無事を願って」と御守りを渡された。門前の老舗蕎麦屋で天そばと熱燗で昼食。神代植物公園まで足をのばし、紅梅、白梅が咲き匂う園内で春の兆しに触れ、思い出のひと時を過ごした。

二月から始まった税務調査も佳境に入った五月の中旬、西島正人は大村総括主査と調査会場の会議室で二人きりで向き合っていた。ゴールデンウイークを挟んだ二回の交渉の結果、追徴課税額を米国本社の設定した金額までに抑えることができた。ひと安心だ。税務調査の話がひと通り終わったところで大村総括主査ではなく、個人としての旧姓中原麗子に切り出した。
「大村総括主査、大学の同じゼミ仲間として、少しお話ししてよろしいでしょうか?」「そうですね。私もお話ししたいと思っていました。まず調査を第一に考えて同窓であることを明かさずに配慮して頂いた事を感謝します。再会は偶然とは言え、"びっくりぽん"です」
「朝ドラからの・・相変わらず微妙ですね。ところで私は語学留学を名目にした気ままな旅から帰って、ゼミのみんなとは一年遅れで卒業し、今の外資系企業に就職しました。中原さんに帰国後一度電話をしたのですが、つながりませんでした。中原さんは希望通り公務員となり、活躍されているのを知り嬉しかったです。こんな形でまた会えるとは何かの縁ですね。三十年前、深大寺で会って以来で懐かしかったです」
「私が卒業して入局した頃、父の転勤で私を除く家族は引っ越して、私は一人暮らしを始めました。最後に会ったのが深大寺ですか。私は記憶にありませんね。他の誰かと勘違いされていませんか?」
「会っていますよ。現に中原さんから深大寺でもらった御守りまだ返納せずに家にあります。そうだ!今度の日曜、一緒にお礼参りに行ってください」
「御守りですか、気になりますね。何か思い出すかも。日曜なら大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。三十年前と同じく、深大寺の山門、十一時と言うことでお願いします」

「おはよう~待った?」麗子は深大寺の初夏を彩る新緑の木漏れ日の中から白いワンピースで現れた。口調も今日は昔のままだ。
「全然。待っていない」と私。調査期間中見慣れたスーツ姿と違って華やいで、眼鏡も外している。若き日の彼女の姿が瞳の裏に蘇る。年甲斐も無くときめく。
「よお。西島、元気だった?」
麗子の後ろから頭髪の薄い小太りのオッサンが馴れ馴れしく話しかけてきた。この声、聞き覚えがある。
「もしかして斉藤か?何でお前が今日ここに・・・」
「麗子は俺の嫁さんだ」
「えっ、でも苗字が・・・」
「俺は高校の時にお袋が再婚して、大村姓になった。付属高校から推薦で大学に進学した時、面倒なのでずっと旧姓の斉藤で通した。4年の時に麗子と同じく国税専門官試験に合格して、入局後付き合いが始まり結婚した」
「昔話はお参りの後で。お蕎麦屋さんでお昼をとりながらにしたら」と麗子。
持って来た御守りの感触が掌から薄れて消えていく。"少し待たせて、長く待たせて"三十年前の言葉が甦る。あの時待たされた後、本当に麗子に会ったのか不安を覚えた。常香炉から漂う煙が眼にしみる。

多摩 三郎(神奈川県川崎市/男性)

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