<第11回・公募作品>「深大寺の亀様へ」 著者:奏晴太

「あ」
 深大寺本堂のすぐ近く、釈迦堂脇の池の中にゆっくりと動くものを見つけた。
「よっちゃん」
「よっちゃん?」隣で泰弘が聞く。
「ほら、あそこ。池の隣。ミドリガメ」
「あ」

 よっちゃんは小さなミドリガメだ。出会いは私が泰弘と付き合い始めた大学三年生の夏。近所の祭りの縁日で売られていたそのミドリガメが何だか物哀しく見えたので、泰弘にお願いして彼のアパートで飼い始めた。露天商のおじさんが「亀は50年生きるから」と言うものだから、よっちゃんが寿命を全うするとき、私たちもおじいちゃんとおばあちゃんだね、まだ一緒にいるのかな、などといって二人で笑いあったことを覚えている。

「本当にあのよっちゃんかな」
 泰弘が遠慮がちに言う。泰弘は信じていないけど、私は構わない。
「こんなところにいたんだね、よっちゃん」

 よっちゃんはあのアパートにきてから、僅か一ヶ月で失踪した。二人で大学から戻ったら水槽からその姿が消えていたのだ。
 泰弘の「小さなよっちゃんが、この高さの水槽から自分で外に出るなんてありえない。野良猫のせいかな。窓開けっ放しだったし」という推理は、おそらくその通りであった。しかし、私には到底受け入れ難いものだった。なぜなら同棲の真似事を始めて、最初にあの部屋に来たのがよっちゃんだ。初めて二人で育てたのがよっちゃんだ。だから私は「よっちゃんはどうにかして自分の力で出て行った」と主張し、私の鬼気迫る勢いに押された泰弘は最終的にその説に同意した。
 つまり、私にとってよっちゃんは、自分でその水槽から出て行ったのでなければならなかった。断じて、野良猫などに連れ去られてはいけない。そう思っていた。

「そうかなぁ」
 それなのに、目の前にいるこの男は、池の傍でのんびりとくつろいでいるこのミドリガメをよっちゃんだと認めようとしない。いや、そもそも私はこのカメがミドリガメなのか、あるいは他の種類のカメなのかもわからない。それでも。
「よっちゃんだってば」
「そっか。そうしたらきっとそうだ。よっちゃん、15歳くらいになるんだね」
 まただ。またこの男は、適当に話を合わせる。いつだってそうだ。

 結局私は大学時代をそのまま泰弘と過ごし、卒業して文具メーカーに就職した。泰弘も大手家電メーカーに就職し、いい機会だからと私たちは卒業と同時に小金井を離れ、都心のマンションへと引っ越した。そして3年後、「結婚もしないで何年も同棲するなんて恥ずかしい」と言う母のために籍を入れ、晴れて夫婦となった。

「こんな所にいたんだね」
 思わず笑みがこぼれた。懐かしい。
「少し歩かない?」
 怪訝な様子で泰弘が応える。
「あれ、まだお参りしてないけど」
 構わず山門をくぐり、小さな橋を渡ると、泰弘が慌てて追いかけてきた。

 結婚しても生活は何も変わらなかったが、それなりに幸せに過ごしていたように思う。

 山門を出て、蕎麦屋やお土産屋の並ぶ道を歩きながら、泰弘が言う。
「今日ここに誘ってくれてありがとうな」
「どうして」
「よっちゃんいたじゃん」

 私たちは、子供が欲しかった。しかし、初めての仕事もそれなりに楽しかったし、なにより就職したての私たちは生活するのでいっぱいいっぱいだった。もう少し仕事になれたら、給料が上がったら。そうやって20代を過ごした。
 30歳が迫ってきた頃、私たちは子供をつくることにした。しかし三ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、一年が過ぎる頃、仕事を辞めれば子供ができる、という義母のアドバイスがきっかけであっさりと退職した。そして、共働きでなくなった私たちは、再び西東京へ戻ってきた。

「よっちゃんいたじゃんって、泰弘あのカメがよっちゃんって信じてないでしょ」
「そんなことないよ」
 退職して西東京に戻ってからも、妊娠の兆候はなかった。毎月がっかりすることに疲れた私は、期待するのをやめた。当然次第に子作りとは疎遠になり、私は毎日泰弘の朝ごはんを作り、洗濯と掃除をした。そして泰弘は出世したのか残業が増えたのか知らないが深夜の帰宅が増え、私は一人で夕飯を食べた。そして子供の話は我が家ではタブーとなった。

 学生の頃の私たちは休みになると自転車で色々なところへ出かけた。小金井公園や井の頭公園、野川公園、近所の小さな公園へ行って、何をするでもなくただ日が暮れるのを待った。深大寺もその頃、よく来た場所のひとつだ。蕎麦は滅多に食べられなかったけど、団子をよく二人で分け合って食べた。ベンチに腰掛け、沢山話をした。

「覚えてるか、縁結びの神様の話」
 池を見つめながら、泰弘が言う。

 ある男がお金持ちの娘に恋をして手紙をたくさん送る。でもその娘のお父さんが、どこの生まれかもわからない男はだめだと怒って、娘を小島に隔離してしまう。しかし男が強く願うと、どこからか大きな亀が現れて、娘のところに連れて行ってくれる。そんな加護をうける男ならばと、お父さんが許してくれる。そしてその二人の間にできた子供が、やがて深大寺を開創することになる。

「覚えてるよ」
 忘れるはずがない。幾度となく、ここに来るたびにその話をした。
 池の水面を見つめる泰弘の顔が、少し緊張している。
「俺は昔、何度もここでお願いしたよ。『有未と幸せになれますように』って。絵馬にもそう書いた」
「うん」
「そして僕たちは結婚した。でも」
「でも?」
「うまくいってない」
「縁結びの神様も、結婚から先は管轄外なのかもね」
 泰弘が振り返ってこちらを見た。
「でも今日、よっちゃんがまた現れた」
「よっちゃんは猫が連れていっちゃったんじゃなかった?」
 さっきから言い出せない言葉がずっしりと、私の頭に重くのしかかっている。子供ができなかったことをきっかけに、私たちは薄暗い影の中で、彩りを失った生活を送っている。
「有未がどうしてここに来ようって言ったか、僕にもわかってる」
 お母さんに買ってもらったお団子をもった子どもが、脇を走り抜けていく。その横でなんじゃもんじゃの木は鮮やかな緑の葉を蓄え、天に伸びている。
「どうしてこうなっちゃったんだろう」
「よっちゃんはさ」
 泰弘が振り返った。
「やっぱり自分で出て行ったんじゃないかな。そしてさっきの亀はやっぱりよっちゃんだ」
 こんな時でも、泰弘はやっぱり適当なことを簡単に口にする。
「だから、もう一度やり直さないか」
「え?」

 この男は何を言っているのだろう。
「ここは縁結びの神様だろ? で、僕たちはよっちゃんにまた会えた。きっとよっちゃんが、僕たちをまた繋いでくれる」
 いつだってそうだ。いつだって適当なことを言ってごまかしてきた。でも。
「ちゃんとお参りしよう」
 目の奥深くに熱がこもる。

 山門に向かう泰弘を追いかけ、声をかける。
「帰りにお蕎麦食べようか」
「いいよ」
 少し赤い目をした泰弘がこちらを振り返る。

 その日の帰り、二人でもう一度池を探してみたけれど、いくら探してもよっちゃんの姿は見つからなかった。

 久しぶりに深大寺に行ったあの日から、2年が経った。今、泰弘が車でこちらに向かっている。ダッシュボードには、深大寺で買った赤い達磨のステッカーが貼ってある。
 時計を見ると23時を回っている。陣痛室に入って2時間、お腹の子はまだ出てくる気配はない。
 私は陣痛に耐えながら、元気な子が無事に産まれるように、ついでに泰弘が間に合うように、神様に祈った。
 よっちゃん、どうかよろしくお願いします。

奏晴太(東京都杉並区/36歳/男性/会社員)

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